塔の魔王は小さな花を慈しむ

トウリン

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替わった少女と変われない男

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 アストールが道標としたのは、フラウが身につけている指輪に満たした己の魔力だった。
 この転移の魔術はまだ理論上のもので、まだ充分な実験は重ねていない。
 だが、アストールはためらいなく跳んだ。フラウを失おうとしているときに、我が身の安全など、気にする余裕などなかった。
 転移した先で、馬車の中、カイと向かい合って座るフラウの姿を目にしたとき、彼の中に噴き上がったのは煮えくり返るような怒りだ。
 カイのことを疑いつつも、やはり、心の奥底では信頼していたのだ。
 だが、それが裏切られた。
 アストールはフラウを奪い返し、全身で彼女を抱き締めてようやく安堵する。
 この温もりを奪おうとするなど、何者であれ許せなかった。
 フラウを失う恐怖が去れば、代わって込み上げてくるのは怒りだ。
 フラウが自分から塔を出ようとしたはずがない。彼女が馬車の中におとなしく座っていたのは、カイの力によるものだ。カイは精神に干渉する術を使う。心を読むことはもちろん、操ることもできる力だ。カイが本気を出せば、アストールでさえ抗えないだろう。何しろ、操られていると気づくことさえできないのだ。
 カイの力は、その特性と強さゆえに、『黒檀の塔』によって何重にも縛りをかけられている。彼が何度も口にしているように、力を使うには王家の承認が必要だ。
 だが、フラウの力は、カイが超法規的措置を取っても許されるだろうほどの価値がある。
 それほどの、ものなのだ。

 どうしてフラウにそんな力が宿ってしまったのか。
 ただのフラウであれば、良かったのに。アストールには、何の力も持たないフラウで良かったのに。
 アストールは、フラウだから欲しいのだ。ただ彼女が彼の傍にいて、笑ってくれていたらそれで良かった。癒しの力など、必要ない。
 けれどフラウには世にも稀なる力があるから、全世界がアストールの敵になる。
 アストールは、一層フラウをきつく抱きすくめる。たとえ何者が求めようとも、断じて放すものかと奥歯を軋ませながら。

 己の中に渦巻く怒りが魔力の高まりとなって噴き出していくのを、アストールは感じていた。そのまま放置すればどういう結果になるのかも、判っていた。
(だから、何だ)
 フラウの心を操り彼女の意に沿わないことを強いたことも、そうやって彼女をこの手から取り上げようとしたことも、許すことなどできない。たとえカイでも――ゼスの弟でありエマの息子であり、アストールの乳兄弟であっても、だ。
 フラウをアストールから奪おうとした者がどうなるかを見せつければ、『黒檀の塔』は二度と彼女に手を出そうとは思うまい。

 力が迸るに任せていたアストールだったが、ふと、その力の流れが変わったことに気づく。四方八方に噴き出していたものが、彼の懐へと吸い込まれていく。彼の中に逆巻いていた魔力の奔流そのものも、いつしか鳴りを潜めていた。
 腕の中を見下ろせば、一方的に包み込んでいたはずのフラウは硬く目を閉じ、華奢な腕を精一杯伸ばしてアストールを抱き締めている。まるで、小さなその手で彼を守ろうとしているかのように。

 カイの術に支配されていても、アストールへのフラウの想いは揺らがないのか。

 アストールは手を上げ、フラウの丸い頬を包み込んだ。手のひらにすっぽりと納まるその感触に、みぞおちの辺りにきゅっと締め付けられたような痛みを覚える。

 フラウが愛おしい。

 その想いで胸が詰まったアストールを、フラウが見上げてきた。目が合って、彼女が微笑む。見失っていた何かを見つけ出したかのような安堵の眼差しで。
 いつものフラウと全く変わらないその様に、アストールの中には疑念がよぎった。
 本当に、今の彼女はカイに操られているのだろうか、と。
 だが、アストールは、すぐにそれを振り払った。
 もしもカイに操られていないのであれば、フラウは自らの意思で塔を出て行ったことになる。それは、絶対に有り得ない。彼女はアストールの傍にいると約束したのだ。決して彼から離れることはない、と。
 エマを治したいというフラウの考えは、カイによって植え付けられたものだ。
 『黒檀の塔』に拉致するために、カイが彼女の思考を操作しているのだ。
 アストールの中には再び怒りがこみ上げ、彼はカイを糾弾し、自らの意思で動いたのだというフラウの訴えを頑として退けた。

 だが。

「アストールさまに、幸せでいて欲しいのです」

 アストールの手を振りほどき、揺らぎない眼差しと共にそう告げたフラウに、彼は抗する言葉を失った。
 守るべき存在だと、守られているべき存在だと思っていた彼女の、アストールを守ろうとする意志に圧倒されて。

 フラウの姿かたちは変わらない。
 アストールの顎に届くかどうかという、小柄で華奢な少女だ。細い肩は、ちょっと力を籠めれば潰してしまうに違いない。

 けれど、アストールに注ぐその眼差しは。

(いつの間に、こんな――)
 強さを満たしたものになっていたのだろう。

(変わらないのは、僕だけか)

 過去に囚われ、前を見ようともせず。

 庇護すべき少女とは裏腹の己の弱さを目の前に突き付けられたような気がして、アストールは目を伏せずにはいられなかった。
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