上 下
12 / 65

戸惑い①

しおりを挟む
 食事を終えたクリスティーナは、アルマンに連れられてストレイフの屋敷の中を案内されていた。

 ストレイフ家もヴィヴィエ家も、部屋数は同じくらいだと思う。大体の造りも似ているかもしれない。
 けれど、その中身は大きく違っていた。

「クリスティーナ様、おはようございます」
 また、気さくに声をかけられ、クリスティーナはついついビクッとしてしまう。

 これで三人目だ。
 食堂を出てからいくらも経っていないのに、もう三人のメイドからすれ違いざまに朗らかな挨拶を投げかけられた。

「おはようございます」

 最初の時よりはスムーズに応じられたのではないだろうか。
 クリスティーナはそう自画自賛し、そっと微笑む。

 ヴィヴィエ家では使用人から主に声をかけるなど、もっての外だった。モニクでさえ、コデルロスがいるところでは視線も上げなかったくらいだ。
 それなのに、このストレイフ家では何の気兼ねもなく気軽にクリスティーナに笑顔を向けてくる。初めこそ戸惑ったけれど、そうされると彼女の胸の中にはふわりと灯りが燈るような心地良さを覚えた。
 ヴィヴィエ家にいた頃には一度たりとも覚えたことのなかった浮き立つ気持ちを抱いて、クリスティーナはアルマンと共に廊下を歩く。

 ストレイフ家は、中に住まう人々だけでなく、それ以外にも全くヴィヴィエ家とは違っていた。それが二人の――クリスティーナの足を遅くしていた。

 今もまた、クリスティーナはふと足を止めて廊下の壁に掛けられた風景画に見入ってしまう。
 ストレイフ家の装飾は華美ではない。
 けれど、随所に品よく絵画や彫刻、花などが飾られていて、廊下を歩くだけでも目を楽しませてくれる。作風はどちらかというと素朴で、美しいというよりも癒されるというものが多い。

 ヴィヴィエ家にも芸術品は置かれていたけれど、それは訪問客の目がある所にだけだ。父が選ぶ作品は華美で高価で、触れることはおろか眺めることすらどこか気が引けてしまうようなものばかりだった。
 そして客が立ち入らない、普段使いの家族の居住区には装飾らしい装飾は一切なかった。壁紙やカーテンも地味で汚れが目立たないようなものに統一されて、およそ彩というものがない。
 クリスティーナが家に好きな絵を飾りたいと言えば、もしかしたら、コデルロスは応じてくれたのかもしれない。けれど、彼女は、そうする勇気が持てなかったのだ。

「この絵がお気に召しましたか?」

 クリスティーナが立ち止まったことに気付かず数歩先に進んでいたアルマンが戻ってきて彼女の隣に立つ。彼の問いかけに、クリスティーナはそっと微笑んだ。

「あ、はい。これは……この青く描かれているのは、海なのでしょう?」
「ええ、そうですよ。マクシミリアン様があちこち行ったときに気に入ったものを見つけると買ってくるんですよ。これは確か、南の方の港町だったかな」
「きれいな青ですね。海というのは、本当にこういう色なのですか?」
「あの辺だったらそうですね、こんな感じです」

 頷くアルマンの横で、クリスティーナはうっとりとため息をついた。
 彼女は遠出をしたことがないから、海も山も森も見たことがない。持っているのは本で得た知識だけだ。

「本物を見てみたい……」
 思わずつぶやいたクリスティーナに、気軽な返事が投げ返される。
「じゃあ、マクシミリアン様に頼んだらいいですよ」
「え?」
「そんなに遠くもないし、大喜びで連れて行ってくれますから」
「でも、ご迷惑をおかけするわけには――」
 慌ててクリスティーナがかぶりを振ると、アルマンは目を丸くして声を上げる。

「迷惑なんてとんでもない。むしろ色々おねだりして差し上げたら喜びますよ? もう、どうしたらクリスティーナ様に喜んでもらえるんだろうって、夜も眠れないくらいなんですから」
 大仰なアルマンの冗談に、クリスティーナは思わずクスリと笑みを漏らした。と、釣られたように彼もにっこりと笑う。

「クリスティーナ様はお笑いになるととても愛らしいですね。マクシミリアン様が仰っていた通りです」
「マクシミリアンさまが?」
「ええ、ヴィヴィエのお屋敷から帰られるともううるさくてうるさくてうるさくて」

 気持ちのこもった『うるさくて』を三度繰り返したアルマンを、クリスティーナは首をかしげて見上げる。その言い様ははしゃぐ子どものことでも表しているかのようだったけれども、そんなマクシミリアンなど想像もできない。きっとこれも、クリスティーナに気を使ってのアルマンのお世辞なのだろう。
 彼女も彼に合わせて頷く。

「では、頑張って何かお願いすることを探します」
「是非。あの人の仕事中毒を治してやってくださいよ。じゃあ、そろそろ先に行きましょうか?」
「あ、はい。すみません、余計なお時間を取らせてしまって」

 実際、ずいぶんと時間を食ってしまったのではないだろうか。
 申し訳なさで眉を下げた彼女に、アルマンは小さく舌を鳴らした。

「僕はマクシミリアン様とクリスティーナ様にお仕えしているんですよ。お二人の為のものなら、『余計な』ものなど一切ありません」
 彼は至極真面目な顔でそう言った。
「僕たち――特にマクシミリアン様は、クリスティーナ様がこのお屋敷で楽しく幸せにお暮しになるのを心から望んでいます」

 その声からは、彼が心からそう言ってくれているのだということが伝わってくる。政略結婚で、いわば父の事業のおまけのような存在である自分にそこまで心を砕いてくれていることに、クリスティーナは嬉しさも覚えたが同時にそれと同じほどの戸惑いも抱いた。
 目をしばたたかせた彼女に、アルマンはにっこりとまた笑顔になる。ガラリと雰囲気が変わって、軽い彼が戻ってきた。

「だからうちの連中はちょっとうっとうしいほど手出し口出ししてくるかもしれませんが、早く慣れてやってくださいね。さあ、それじゃあ一番お見せしたいところへ行きましょうか」
「一番?」
「ええ。そりゃもう力を注いで用意されたんですよ――マクシミリアン様が」

 口を動かしながらクリスティーナの速さに合わせてアルマンは廊下を進み、やがて一枚の扉の前で立ち止まった。彼女の記憶違いでなければ、隣が昨夜過ごした夫婦の寝室のはずだ。

「ここ、ですか?」
 アルマンを振り返って尋ねると、彼は得意げに頷いた。
「ええ。さあ、どうぞ。お入りください」
 その言葉と共に彼が扉を開ける。

 促されるままに戸をくぐったクリスティーナは、部屋を一望するなり立ち止まった。

「まあ」

 目を瞠ってそうこぼしたきり、言葉が続かない。
 広さは、それほどではない。これまで見てきた他の部屋と比べたら、こじんまりしている、と言っても良いくらい。
 クリスティーナが目を奪われたのは、その内装だ。それは、この屋敷のどの部屋とも趣を違えていた。
 基本的に、このストレイフ家の雰囲気は品よく落ち着いた、男性的なものに統一されている。
 けれどこの部屋は、一言で表すならば、可憐、だった。
 基調は淡い薔薇色だ。そこに、クリスティーナの目の色によく似た優しい水色がところどころに配置されている――例えば、壁紙に散る小花やカーテン、ソファのクッションというように。書き物机や椅子、鏡台など、白い家具には統一感のある彫刻が施され、とても可愛らしくて品があった。

「取り敢えず、マクシミリアン様が整えたんですよ、この部屋。あの顔でびっくりでしょう? でも、何かクリスティーナ様のご希望があれば仰ってください」
「希望?」
「はい。お好きなように手配しますよ。家具でも壁紙でも。まあ、僕としてはマクシミリアン様の力作を後世に残して差し上げたいですけどね」
「好きなように、って……」

 クリスティーナはもう一度部屋を見渡した。
 この部屋を変えるなど、もったいなくてできそうにない。

「わたくし……なんて言っていいか……」
「お気に召されたなら、マクシミリアン様にそう言ってあげてくださいよ。泣いて喜びますから」

 にやにやと人の悪い笑みを浮かべるアルマンの言葉がどこまで本当かは判らない。けれど、確かにお礼は言いたかった。

「あの、マクシミリアンさまは今……」
「書斎で仕事してますよ」
「そう、ですか」

 仕事では邪魔をするわけにはいかない。
 肩を落としたクリスティーナに、アルマンが眉を上げた。

「会いに行かれないんですか?」
「お仕事中、なのでしょう?」
「そうですよ?」
 返ってきたのはだからどうしたと言わんばかりのアルマンの顔だ。
「あの、お仕事の邪魔をしたらご迷惑では?」

 コデルロスは仕事を妨げられるのをとても嫌がっていた。書類を読んでいる時にうっかり声をかけようものなら、もらえるのは返事ではなく冷たい一瞥と怒声だ。

(マクシミリアンさまはお父さまと同じくらい仕事熱心な方ですもの)

 同じように、仕事の邪魔をされるのは嫌がるに違いない。
 けれどアルマンは、クリスティーナの危惧を笑い飛ばした。

「新婚だってのに仕事に逃げてるのが間違いなんです。まったく、不甲斐ない……」
 最後の方はブツブツという呟きだ。
「クリスティーナ様がお会いになりたければ、いつでも押しかけて構いませんよ。今からでも行かれます?」
「え、その――」
「行きましょう。ぜひ行きましょう。そもそも朝食だけであとは放っておくとか、有り得ませんて。屋敷の中を案内するのも本来はあの人の役割でしょう。この部屋をご覧になった瞬間のクリスティーナ様のお顔を見逃したのは自業自得ってもんですよね」

 溜め息混じりにこぼしたアルマンは肩をすくめてかぶりを振った。
 そうして、彼はクリスティーナに満面の笑みを向ける。

「じゃ、さっそく向かいましょうか」

 否、という返事は彼の耳に届きそうにない。
 為す術もなく、クリスティーナは促されるままにマクシミリアンがいる書斎へと運ばれていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

色々と疲れた乙女は最強の騎士様の甘い攻撃に陥落しました

灰兎
恋愛
「ルイーズ、もう少し脚を開けますか?」優しく聞いてくれるマチアスは、多分、もう待ちきれないのを必死に我慢してくれている。 恋愛経験も無いままに婚約破棄まで経験して、色々と疲れているお年頃の女の子、ルイーズ。優秀で容姿端麗なのに恋愛初心者のルイーズ相手には四苦八苦、でもやっぱり最後には絶対無敵の最強だった騎士、マチアス。二人の両片思いは色んな意味でもう我慢出来なくなった騎士様によってぶち壊されました。めでたしめでたし。

子どもを授かったので、幼馴染から逃げ出すことにしました

おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
※ムーンライト様にて、日間総合1位、週間総合1位、月間総合2位をいただいた完結作品になります。 ※現在、ムーンライト様では後日談先行投稿、アルファポリス様では各章終了後のsideウィリアム★を先行投稿。 ※最終第37話は、ムーンライト版の最終話とウィリアムとイザベラの選んだ将来が異なります。  伯爵家の嫡男ウィリアムに拾われ、屋敷で使用人として働くイザベラ。互いに惹かれ合う二人だが、ウィリアムに侯爵令嬢アイリーンとの縁談話が上がる。  すれ違ったウィリアムとイザベラ。彼は彼女を無理に手籠めにしてしまう。たった一夜の過ちだったが、ウィリアムの子を妊娠してしまったイザベラ。ちょうどその頃、ウィリアムとアイリーン嬢の婚約が成立してしまう。  我が子を産み育てる決意を固めたイザベラは、ウィリアムには妊娠したことを告げずに伯爵家を出ることにして――。 ※R18に※

【完結】【R18】男色疑惑のある公爵様の契約妻となりましたが、気がついたら愛されているんですけれど!?

夏琳トウ(明石唯加)
恋愛
「俺と結婚してくれたら、衣食住完全補償。なんだったら、キミの実家に支援させてもらうよ」 「え、じゃあ結婚します!」 メラーズ王国に住まう子爵令嬢マーガレットは悩んでいた。 というのも、元々借金まみれだった家の財政状況がさらに悪化し、ついには没落か夜逃げかという二択を迫られていたのだ。 そんな中、父に「頼むからいい男を捕まえてこい!」と送り出された舞踏会にて、マーガレットは王国の二大公爵家の一つオルブルヒ家の当主クローヴィスと出逢う。 彼はマーガレットの話を聞くと、何を思ったのか「俺と契約結婚しない?」と言ってくる。 しかし、マーガレットはためらう。何故ならば……彼には男色家だといううわさがあったのだ。つまり、形だけの結婚になるのは目に見えている。 そう思ったものの、彼が提示してきた条件にマーガレットは飛びついた。 そして、マーガレットはクローヴィスの(契約)妻となった。 男色家疑惑のある自由気ままな公爵様×貧乏性で現金な子爵令嬢。 二人がなんやかんやありながらも両想いになる勘違い話。 ◆hotランキング 10位ありがとうございます……! ―― ◆掲載先→アルファポリス、ムーンライトノベルズ、エブリスタ

騎士団長は恋と忠義が区別できない

月咲やまな
恋愛
 長き戦に苦しんでいたカルサール王国。その戦争を終結させた英雄シド・レイナードは、戦争孤児という立場から騎士団長という立場まで上り詰めた。やっと訪れた平和な世界。三十歳になっていた彼は“嫁探し”を始めるが、ある理由から地位も名誉もありながらなかなか上手くはいかなかった。  同時期、カルサールのある世界とはまた別の世界。  神々が作りし箱庭の様な世界“アルシェナ”に住む少女ロシェルが、父カイルに頼み“使い魔の召喚”という古代魔法を使い、異世界から使い魔を召喚してもらおうとしていた。『友達が欲しい』という理由で。  その事で、絶対に重なる事の無かった運命が重なり、異世界同士の出逢いが生まれる。  ○体格差・異世界召喚・歳の差・主従関係っぽい恋愛  ○ゴリマッチョ系騎士団長と少女の、のんびりペースの恋愛小説です。 【R18】作品ですのでご注意下さい。 【関連作品】  赤ずきんは森のオオカミに恋をする  黒猫のイレイラ(カイル×イレイラの娘のお話)  完結済作品の短編集『童話に対して思うこと…作品ミックス・一話完結・シド×ロシェルの場合』

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【R18】お飾り妻は諦める~旦那様、貴方を想うのはもうやめます

無憂
恋愛
三歳の姫に十二歳の婿養子。以来十五年、正室・寧姫は上屋敷で一人寂しく過ごす、完全なるお飾りの妻と化していた。参勤交代で殿様が江戸に戻って来たが、相変わらず奥泊まりもない。お世継ぎもない不安の中、お家騒動の兆しが……。江戸時代の架空の藩、貧乏藩主と幼な妻の、年の差の恋の行方は如何に。 *藩名など、全て架空のもので、実在の藩とは関係ありません。 *エブリスタ、ムーンライトノベルズにも掲載しています。 *現代感覚だと未成年のヒロインに対する無理矢理を暗示するシーンがあります。

天然王妃は国王陛下に溺愛される~甘く淫らに啼く様~

一ノ瀬 彩音
恋愛
クレイアは天然の王妃であった。 無邪気な笑顔で、その豊満過ぎる胸を押し付けてくるクレイアが可愛くて仕方がない国王。 そんな二人の間に二人の側室が邪魔をする! 果たして国王と王妃は結ばれることが出来るのか!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

処理中です...