上 下
8 / 30

失せ物捜し◇サイドC

しおりを挟む
 寝室の扉を開けて、真っ先に目に飛び込んできた光景に、思わず一瞬絶句した。

「何をしているんだい?」
 一度息を呑んで、ようやくそう口にする。
 すると、僕のベッドの前で額が触れ合わんばかりに顔を寄せてしゃがみ込んでいた二人が、同時にこちらを見た。異口同音で僕を呼ぶ。

「旦那さま」「旦那様」

「エイミー、デニスも……いったい何を?」
 メイドのエイミーとヴァレットのデニス。
 二人はしょっちゅう顔を合わせているだろうが、どちらも浮ついたところが皆無だから、個人的に言葉を交わすことはそう多くない。
 だが、今の彼らの様子は、なんだ?
 やけに親密そうだったし、エイミーが笑っていたように見えたのは、僕の気の所為なのか?

 まあ、僕の下で働く彼らの仲が良いのは歓迎すべきことなのだが……

 何となく複雑な心境の僕の前でスカートをはたきながら立ち上がると、エイミーは言った。
「デニスさんがカフスボタンを探して欲しい、と」
「カフスボタン?」
 おうむ返しにした僕に、今度はデニスが頷く。至極真面目くさった顔で。いや、デニスは実際真面目だ。堅物と言ってもいい。

 ――そういうところは、エイミーとよく似ている。
 ぼんやりとそんなふうに思っていた僕は、続く彼の台詞を耳から耳へと聞き流していた。

「はい、サファイアのカフスボタンがあったでしょう? 今日のお召し物にはあれを合わせようと思ったのですが、見当たりません」
 他のことを考えていて、一瞬反応が遅れてしまった。そして、うかつにも答えてしまう。いつもなら、それがない理由にすぐに思い当って適当にごまかせていたのに。

「サファイアの? ――ああ、あれか」
 そう答えた瞬間、しまった、と思った。

「お心当たりが?」
 デニスに問い返され、返事に詰まる。
 心当たりは大いにあるが、できればエイミーの前では言いたくない。気まずい思いでちらりとエイミーに目を走らせると、勘違いしたらしい彼女はふるふるとかぶりを振った。

「わたしは存じません」
「あ、いや……そうだな。君は知らないと思う」
 当たり前だ、エイミーが知る筈がない。知っていたら、困る。
「その、あれは……一昨日ブライアンやエリックと出かけただろう? あの時、ビリヤードをしたんだよ」

 確かに友人である彼らとビリヤードをした。それは事実だ。
 だが、夜は長く、ビリヤードごときでは潰れない。夜の大半を費やしたことの方については、黙して語らず、だ。

 しかし。

「ビリヤードでボタンを外すんですか?」
 デニスが余計なことを訊いてくる。
 確かにこの間の夜は連れて行かなかったが、ヴァレットである彼は、僕の普段の行動を良く知っているはずだ。長い夜の時間、僕が何をして過ごすことが多いのかを。
 もしかして、気付いていながらとぼけているのだろうかという疑念が頭をよぎったが、彼に限ってそんなことはしないだろう。カルロ辺りなら別だが。

 まったく、僕のヴァレットだというのに、何故こうも世慣れてこないのか。
 有能なのだが――まるで、二人のエイミーを相手にしているような気がしてくる。
 無垢な子ども相手に、してはいけない話をしているような……

 咳払いを一つして、何とか苦しい言い訳を考える。
「まあ……そうだね、ちょっと白熱してね。袖をまくったんだよ」
「そうですか」
「そうなんだよ。とにかく、あのボタンについてはブライアン達に訊いておくから、今日のところは他の物にしておいてくれ」
「承知いたしました」
 殆ど追い払うように命じると、デニスはいつもと変わらぬ無表情で一礼して部屋を出て行った。彼を見送ってまた向き直ると、エイミーはもうベッドに向かっている。
 華奢な背中に、世の貴婦人方が羨むだろう、コルセットなど使わなくても僕の両手でつかみきれそうな細い腰。そんな身体なのに、僕に向けて気だるげに手を伸ばす有閑夫人たちの数倍の速さで、エイミーはきびきびと動く。

 そんな彼女に数歩近付いてから、名前を呼んだ。

「エイミー?」
「はい?」
 スカートを膨らませてクルリと振り返り、エイミーは小首をかしげて僕を見上げてくる。その様子は梢にとまる小鳥のようだ。
 彼女に何か説明のような――説明という名の言い訳じみたことを言わなければと思ったのに、適した言葉が出てこない。

「どうかなさいましたか?」
 栗色の目が、真っ直ぐに僕に向けられている。
 そんなふうに男を見るものではないと、誰か彼女に教えなかったのだろうか。
 ほんの少しも逸らされることなく僕の目を見つめてくるその眼差しは、流し目とか、上目遣いとか、そういうものよりもよほど――
 丸い頬は柔らかそうで、肌は白粉を塗っているわけでもないのにシミ一つなく、頬紅をはたいたわけでもないのにほんのりと薔薇色を帯びている。

 それは見るからに触り心地が良さそうで、触れてごらんと誘いかけてくるようで。

 僕は手を上げ、それを伸ばし――寸でのところで止まった。いや、指先はかすってしまったかもしれない。慌てて手を身体の脇に下ろしても、そこに微かな疼きを覚えていた。

 小さな少女だった頃とは違うのだ。そんなに簡単に触れていいものではない。

 心の中で己の頬を殴りつけつつ拳を握り込んだ僕の前で、エイミーは無造作に手の甲で頬を拭う。僕が触れた辺りを。
 その仕草は幼くて、色っぽさの欠片もない。慣れた女性なら、僕の手を取り、頬に触れた指先にキスの一つもしてくるだろうに。
 何だか微笑ましくて思わず笑ってしまった僕を、エイミーがキョトンと見上げてくる。何故笑われているのか、さっぱり判らないというふうに。

 そんな彼女の頭を子どもの頃のようにクシャクシャと撫でてやりたくなるのを堪えて、言う。
「邪魔をしてすまなかったね。続けてくれ」
「はい」
 コクリと頷くその様に、もう一度、今度は確かにその温もりを感じたくなったが、笑みでごまかした。
 寝室を出ると、何となく吐息が漏れる。

 まったく。

 あの子を見ていると、無性に手の中に包み込みたくなってしまうのだ。ふわふわな仔猫や仔兎か何かを前にした時のように。

 ――ご婦人方に触れたくなるのは男のさがというものだが、あれとはどこか違う。
 もっと、胸が苦しくなるような、奇妙な心持ちだ。

 何故だろう。エイミーの幼さゆえだろうか。
 きっと、そうに違いない。

 そんなところで自分の考えを落ち着かせ、書斎へと向かった。

   *

 数日後。
 デニスにネクタイを結ばせていたところに居合わせたエイミーが、ふと僕を見て言った。

「カフスボタン、見つかったのですね」
 彼女の目が向けられているのは、袖口で輝く青い石だ。
「ああ……」
 適当に言い訳を探そうとしたが、デニスに先手を取られた――制止する暇もなく。
「先日、メイヒュー夫人の使いの方が持ってきてくださった」
 美貌の未亡人の名を、有能なヴァレットはポロリと口にする。彼に決して悪意はない。ただ、事実を述べたにすぎないのだが――

 案の定、エイミーは何やら考え込んでいる。と、突っ込んで欲しくないところを、突っ込んできた。
「この間は、ラザフォード様方とビリヤードをなさっている時に失くしたとおっしゃっていませんでしたか?」

 あんなたわいもない台詞、覚えていなくても良かったのだが。

 僕は笑顔を作り、さりげない口調で彼女の疑問に答える。
「あの時に落としたものを、メイヒュー夫人が拾ってくれていたのだよ」
 落とした場所は夫人の寝室だったが、エイミーの前でそんなことは口が裂けても言えない。
「そうですか」
「そうなんだ」
 押し付けるように強調した僕の弁明に、エイミーは頷いた。
 いつも通りの生真面目な顔は、今一つその胸中を読み取らせない。が、どうやら疑いは潜んでいないようだ。

 やれやれと胸を撫で下ろしつつ顔を正面に戻すと、そこにいたジェシーと目が合った。彼は何やら呆れたようなため息を一つこぼす。

 彼の言いたいことは解かっている。
 だが、花の香りが漂えば嗅ぎたくなるのと同じように、美しい女性がこちらに視線を送ってくるなら手を伸ばしたくなるのは当然のことだろう。

 男として、至極自然なことだ。

 ――とは言え。

 しばらくの間は少々控えようと、僕はこっそり心に決めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される

めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」  ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!  テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。 『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。  新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。  アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

七年間の婚約は今日で終わりを迎えます

hana
恋愛
公爵令嬢エミリアが十歳の時、第三王子であるロイとの婚約が決まった。しかし婚約者としての生活に、エミリアは不満を覚える毎日を過ごしていた。そんな折、エミリアは夜会にて王子から婚約破棄を宣言される。

とりあえず結婚してみますか?

初瀬 叶
恋愛
「す、すみません! 俺…私と結婚していただけませんか?」 私、レベッカ・コッカスは街で突然声を掛けられた。 彼は第1王子殿下の専属護衛である、レオナルド・ランバード。 彼が結婚したいのには、理由があって… それに、私にとってもこの話は悪い話ではなさそう! それならとりあえず結婚してみますか? 何番煎じかわかりませんが、偽装?結婚的な物を書いてみたくなりました。 初めての作品なので、お手柔らかにお願いします。設定はゆるゆるなので、言葉遣い等おかしな部分もあるかと思いますが、そんなもんか~と思って読んで下さい。R15は保険です。 【不定期更新】 ※ 国名に誤りがありました。2022.10.27に訂正しております。申し訳ありません。

伝える前に振られてしまった私の恋

メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。 そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。

【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。

三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。 それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。 頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。 短編恋愛になってます。

亡くなった王太子妃

沙耶
恋愛
王妃の茶会で毒を盛られてしまった王太子妃。 侍女の証言、王太子妃の親友、溺愛していた妹。 王太子妃を愛していた王太子が、全てを気付いた時にはもう遅かった。 なぜなら彼女は死んでしまったのだから。

【完結】何故こうなったのでしょう? きれいな姉を押しのけブスな私が王子様の婚約者!!!

りまり
恋愛
きれいなお姉さまが最優先される実家で、ひっそりと別宅で生活していた。 食事も自分で用意しなければならないぐらい私は差別されていたのだ。 だから毎日アルバイトしてお金を稼いだ。 食べるものや着る物を買うために……パン屋さんで働かせてもらった。 パン屋さんは家の事情を知っていて、毎日余ったパンをくれたのでそれは感謝している。 そんな時お姉さまはこの国の第一王子さまに恋をしてしまった。 王子さまに自分を売り込むために、私は王子付きの侍女にされてしまったのだ。 そんなの自分でしろ!!!!!

処理中です...