ライオンのしつけ方

トウリン

文字の大きさ
上 下
6 / 19
ライオンのしつけ方

しおりを挟む
 シャッと勢いよくカーテンが開け放たれる。
 それと共に、薄暗かった寝室に早朝の光が溢れかえった。ついでとばかりに窓が開けられてしまうと、十月半ばの涼しい空気が流れ込んでくる。

「さ、一智様! 朝です。記念すべき早寝早起き一週間目ですよ!」
 時刻は朝の六時三十分。
 軽やかな百合の声が室内に響くが、応じるのは意味を成さない呻き声だ。
「ほらぁ。起きてください。今日もよく晴れて気持ちがいいですから」
「……あと五分……」
「ダメです」
 容赦なくそう言うと、彼女は一気に羽毛布団を引き剥がした。布団の温かさに慣れた身体には、外の空気は肌寒く感じる――今日はパジャマを身に着けていたぶんだけ、マシかもしれないが。

 仕方なく起き上がり、一智は欠伸を噛み殺した。
「どうです? 爽やかこの上ないでしょう?」
 爽やかこの上ないのは百合だ。
「うう……」
「それは肯定ですね」
 一智の唸り声の意味を勝手に解釈し、百合はいそいそと朝の支度の準備を整えている。
 その背中を見やりながら、一智はとどめの欠伸をかまして大きく伸びをした。
 百合にはだらけて見せてはいるが、実際のところ、それほど眠気は強くない。毎朝決まった時間に起きるようにしたら、身体もそれについてくるらしく、以前のように『どうしても起きられない』という状態はなくなった。

 それにしても、この一週間の、なんと健全だったことか。
 朝がこの時間に叩き起こされるので、必然的に、夜は眠くなる。以前は午前様が普通だったのに、ここ数日は早々に帰宅し、夕食も自宅で摂るようになった。

「はい、お着替えです」
 本日も無事に目覚めさせられて、上機嫌な百合が衣類一式を差し出す。
 一智はいつもどおりにそれを受け取ろうとして、ハタと思い出した。
 身体を捻ってナイトテーブルの引き出しを漁ると、小さな包みを取り出す。それを、ポン、と着替えの上に置いた。中身は、一週間かけて一智自身が選んだネックレスである。小さなダイアモンド数個が付いたシンプルなデザインで、百合に似合うに違いないと思ったのだ。

「……何ですか?」
 マジマジとそれを見つめて、百合が尋ねる。
「何って――」
 一智からすれば、何故プレゼントだと思わないのかが解らない。
「誕生日プレゼント。九月だったんだろ? 二十歳になったんだよな」
「ええ、そうですが……」
「いいから、開けてみろよ」
 百合の喜ぶ顔が見たくて、一智は急かす。

 彼女は着替えと共に一度それをベッドに置くと、再び取り上げ、丁寧に包装紙を剥がしていく。
 細長いケースを開け、数秒間、ジッと彼女は中身を見つめた。次に一智に向けられたのは、いかにも呆れたような眼差しだ。
「いただけません」
「――なんで」
 一智にしてみたら拒まれた理由がさっぱり不明なのだが、そう尋ねた彼に、百合はそれこそ「何でそんなことを訊かれるのかが解からない」と言わんばかりの顔をしている。
「当たり前じゃないですか。私は使用人ですよ? 雇い主からこんな高価そうなものなんて、いただけるわけがないじゃないですか。庶民の金銭感覚から、大きくズレてます。こういうのは、大事に想われている方に差し上げてください」
 そう言いながら服ごと差し出されて、一智は思わず受け取ってしまう。

「じゃあ、七時には朝食にしますから、それまでに食堂にいらしてくださいね」
 呆気に取られている彼を置き去りに、てきぱきとそう言うと、百合はさっさと出て行ってしまった。
 一智は、ケースを開けてネックレスを見る。センスは悪くない筈だ。が、そういうことではないらしい。

 ――では、どういうことなのだろう。

 さっぱり理解できなかったが、百合が喜ばなかったということだけは、解った。
 プレゼントを渡されたことよりも、一智が一週間続けて早起きしたことの方が遥かに嬉しそうに見えたというのは、いったいどういうことなのか。

「なんなんだよ、いったい」
 呆然としながら、一智は取り敢えずそれをナイトテーブルに戻して、着替え始めた。


   *


 出社途中の――早起きするようになって、毎朝社の執務室には行くようになった――車の中で、一智は朝の顛末を水谷に話して聞かせた。

 そして、意見を求める。

「どう思う? 何で、百合のやつはアレを受け取らなかったんだ?」
 この上ない難題の答えを訊くように眉根を寄せた一智に、水谷は無言で視線を向ける。
「やっぱり、お前にも解らないか……」
 肩を落とした一智を見る目は、冷たい。たっぷり十秒間は主を見つめた後、彼は言った。
「ええ、全く解りません。それを百合さんに受け取ってもらえると、あなたが考えたことが」
「はあ?」
 真の抜けた顔になった一智に、水谷はかぶりを振りつつため息をつく。
「珍しくご自分で贈り物を探されているかと思えば……彼女に差し上げるものでしたか」
「でも、『普通』は受け取るだろう?」
「……あなたの『普通』も彼女の『普通』も少しずつズレてますから。しかも、それがどちらも正反対の方向に。なので、重なる筈がありません」

 これまでの女たちは、同じような物をやると十人中十人が大喜びで抱き付いてきたものだ。一智も、百合にそこまでの反応は期待していなかったが、受け取って、ニッコリ笑って「ありがとう」の一言くらいはあると、信じていた。

「どうすりゃ、喜ぶんだ?」
「普段の彼女をよく観察していたら、判るのではないですか?」
 私が知るわけないじゃないですか、と言わんばかりの冷ややかな水谷の眼差しと声音である。

「……そうしてみるわ」

 今すぐにでも答えが欲しかった一智には物足りない返事ではあったが、水谷に百合が望む物をピタリと当てられるのも、何となく、嬉しくないような気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ダメな君のそばには私

蓮水千夜
恋愛
ダメ男より私と付き合えばいいじゃない! 友人はダメ男ばかり引き寄せるダメ男ホイホイだった!? 職場の同僚で友人の陽奈と一緒にカフェに来ていた雪乃は、恋愛経験ゼロなのに何故か恋愛相談を持ちかけられて──!?

人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?

石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。 ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。 ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。 「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。 扉絵は汐の音さまに描いていただきました。

幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜

葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在 一緒にいるのに 言えない言葉 すれ違い、通り過ぎる二人の想いは いつか重なるのだろうか… 心に秘めた想いを いつか伝えてもいいのだろうか… 遠回りする幼馴染二人の恋の行方は? 幼い頃からいつも一緒にいた 幼馴染の朱里と瑛。 瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、 朱里を遠ざけようとする。 そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて… ・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・ 栗田 朱里(21歳)… 大学生 桐生 瑛(21歳)… 大学生 桐生ホールディングス 御曹司

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

睡蓮

樫野 珠代
恋愛
入社して3か月、いきなり異動を命じられたなぎさ。 そこにいたのは、出来れば会いたくなかった、会うなんて二度とないはずだった人。 どうしてこんな形の再会なの?

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

同居人の一輝くんは、ちょっぴり不器用でちょっぴり危険⁉

朝陽七彩
恋愛
突然。 同居することになった。 幼なじみの一輝くんと。 一輝くんは大人しくて子羊みたいな子。 ……だったはず。 なのに。 「結菜ちゃん、一緒に寝よ」 えっ⁉ 「結菜ちゃん、こっちにおいで」 そんなの恥ずかしいよっ。 「結菜ちゃんのこと、どうしようもなく、 ほしくてほしくてたまらない」 そんなにドキドキさせないでっ‼ 今までの子羊のような一輝くん。 そうではなく。 オオカミになってしまっているっ⁉ 。・.・*.・*・*.・。*・.・*・*.・* 如月結菜(きさらぎ ゆな) 高校三年生 恋愛に鈍感 椎名一輝(しいな いつき) 高校一年生 本当は恋愛に慣れていない 。・.・*.・*・*.・。*・.・*・*.・* オオカミになっている。 そのときの一輝くんは。 「一緒にお風呂に入ったら教えてあげる」 一緒にっ⁉ そんなの恥ずかしいよっ。 恥ずかしくなる。 そんな言葉をサラッと言ったり。 それに。 少しイジワル。 だけど。 一輝くんは。 不器用なところもある。 そして一生懸命。 優しいところもたくさんある。 そんな一輝くんが。 「僕は結菜ちゃんのこと誰にも渡したくない」 「そんなに可愛いと理性が破壊寸前になる」 なんて言うから。 余計に恥ずかしくなるし緊張してしまう。 子羊の部分とオオカミの部分。 それらにはギャップがある。 だから戸惑ってしまう。 それだけではない。 そのギャップが。 ドキドキさせる。 虜にさせる。 それは一輝くんの魅力。 そんな一輝くんの魅力。 それに溺れてしまう。 もう一輝くんの魅力から……? ♡何が起こるかわからない⁉♡

処理中です...