美しき世界

トウリン

文字の大きさ
上 下
4 / 8

突き付けられた現実

しおりを挟む

 もう、気づかずにはいられなかった。

 しょっちゅうボールを見逃がす僕は二年生になってもレギュラーにはなれず、何故かヒトやモノによくぶつかるようになって怪我も増えた。少し暗くなればまるで闇夜を歩くような感じがしたし、強い陽射しには目を開けているのがつらくなった。

 視力は、いい。
 ちゃんと、裸眼でハッキリと物を見ることができていた。

 それなのに、何かが変わりつつあった。僕は確かにそのことに気付いていたけれど、直面したくなくて、気付かない振りをして逃げ続けていた。なんでもないさ、見えているんだから大丈夫、と自分をごまかしながら。

 けれども、『そいつ』に捕まってしまうのは、もう時間の問題だったんだ。

 そして訪れた、決定打。

 僕はその日、朝練の最中に僕目がけて飛んできたボールに、気付かなかった。

 突然頭に受けた、痛みと衝撃。
 ガツンと脳ミソが揺さぶられたかと思った瞬間、何も判らなくなって、次に目が覚めたとき、僕は見慣れない白一色の部屋にいた。

 左右に首を振れば、枕元には、心配そうな彼女の顔。
 視線が合うと、僕が目を開けたことにホッとしたように、彼女の頬が緩んだ。

「大丈夫? おばさんたちも、すぐ来るよ」
「ここは……?」

 仰向けに寝転んだまま、見覚えのない天井を見渡した。

「病院。覚えてない? 頭に球がぶつかったんだよ。見えなかったの?」

 そう言われて、今もズキズキと痛みを訴えている場所に触れてみる。そこは、右のこめかみのちょっと上辺りだった。
 そこにぶつかったのなら、向かってくるボールは見えたはずだった。
 なのに、何故……

 僕が感じたことは、彼女も同じように疑問に思ったことだったのだろう。

「ねえ、ちゃんと調べてもらおうよ。せっかく病院に来たんだからさ?」

 言い募る彼女に、僕はすぐに「うん」とは言えなかった。

「母さんたちが来たら……決めるから……」

 言葉を濁しつつ、知りたくない、と思った。はっきりさせるのが、とても、怖かった。

 もうそれ以上突っ込まれたくなくて、授業があるのだからと、彼女には学校に戻るように促した。
 彼女は気がかりそうに何か言いかけたけれども、それを遮って、病室から追い出した。

 結局、両親が病院に到着すると僕は医者から根掘り葉掘りいろいろなことを訊かれ、微かに眉をひそめた彼に、いくつもの検査を指示された。
 血液検査、やたらめったうるさいMRI検査、お決まりの視力検査、ゲームみたいに光が見えたらスウィッチを押していく視野検査、目の奥を覗かれる眼底検査……

 ――ひと通りが終わったら、へとへとになった。

 眼底検査の時に注された瞳孔を拡げる目薬とやらのせいで、クラクラする。それが不快で目蓋を下ろしたけれど、真っ暗になった世界にゾッとした。

 ――もしかしたら、一生、こうなるのか?

 思わず、パッと目を開ける。
 いや、きっと、なんでもない。なんでもないんだ。だって、ほら、今だってこうやって普通に見えているんだから。

 握り締めた両手のひらに爪が食い込む。血が滲みそうなほどに。
 けれども、そんな痛み、どうということもなかった。この、底知れない不安に比べれば。

 たくさんの検査の結果はなかなか出ないようで、眼科外来の待合室で、僕と両親は言葉を交わすことなくジッと座って待っていた。

 僕の名前が呼ばれたのは、それから三十分以上経ってからだ。

 僕と両親が診察室に入ると、医者は検査結果らしいものから目を上げて椅子に座るように促した。

「さて、こんにちは。今日はいろいろ検査されて疲れただろう?」
 柔らかな物腰でそう訊かれ、僕は愛想笑いを浮かべる。医者に良い態度をとっても、結果は変わらない。それは解かっていたけれど、そうせずにはいられなかった。
「さて、結果なんだけどね。……もう一度、いくつか訊かせて欲しいんだけど、いいかな」
「なんですか?」
「最初に、夜の暗さが気になったのは、中学生の頃なんだね? それ以前は?」
「特に気になったことはありません」
「人や物にぶつかり易くなったのは?」
「半年くらい前から」
「今日のボールは、全然気付かなかった?」
「はい」

 医者は僕の答えを聞くと、黙ってうなずいた。そして、パソコンのカルテに何か打ち込んでいく。それが終わると、もう一度僕に向き直った。

 彼の目が、僕に真っ直ぐ注がれる。

「君は、もう高校生だよね。だったら、君自身に、ちゃんと話をした方がいいと思うんだ」

 真剣な、眼差し。

 いいや、いい、聞きたくない。何も言わないでくれ。
 心の中でそう叫んだけれど、声にはならなかった。それどころか、指一本、動かすことができなかったんだ。

 僕の無言を了承と取ったのか、医者は一つうなずいてまた話し出す。

「君の目はね、網膜というところに問題があるんだ」
「なんですか、それ」

 上ずった声で問い返したのは、それまで一言も口をきいていなかった母さんだった。医者は母さんの方に顔を向けて、紙にさらさらと絵を描きながら答える。慣れた手付きで、もう何度も同じことを繰り返してきているのだということが、伝わってきた。

「網膜というのは、目の内側、ものの像を移す場所です。そこの、光を感じる細胞がおかしくなるので、夜盲――鳥目になったり、視野欠損といって、『見えない場所』ができたりします」
 そう言って、また、僕に向き直る。
「君の視野は、普通の人の四分の一くらいしかないんだ。視力は良いんだよ。だから、視野が無事な正面はよく見えるんだけど、そうだな……ドーナツの穴から覗いているみたいに、グッと視界が狭まっているんだよ。それで、人や物とぶつかり易くなったり、今日みたく、飛んできたものに気付けなかったりしていたんだ」

 僕の今の状態は、解かった。説明を聞けば、なるほど、と思う。
 でも、僕が訊きたいのは、もっと別のことだった。
 もっともっと、重要なこと。

「それって、治るんですよね? また、元に戻るんですよね?」

 身を乗り出してそう畳み掛けた僕に、医者は一瞬唇を引き結んだ。

 ――ああ、やめてくれ。

 医者の口がまた動き出すのを、僕は絶望的な思いで見つめていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。 「だって顔に大きな傷があるんだもん!」 体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。 実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。 寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。 スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。 ※フィクションです。 ※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

Husband's secret (夫の秘密)

設樂理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

あかりを追う警察官 ―希望が丘駅前商店街―

饕餮
ライト文芸
ここは東京郊外松平市にある商店街。 国会議員の重光幸太郎先生の地元である。 『篠原豆腐店』の次男坊である籐志朗は、久しぶりに実家がある商店街に帰って来た。買い物に出た先で落とし物を拾い、落とし物を渡そうと声をかけたのだが……。 国際警察官と特殊技能持ちの女性の話。 ★Rシーンはラストまで出てきません。 ★タイトルに★が付いているものはヒロイン視点です。 ★このお話は、鏡野ゆう様のお話である 『政治家の嫁は秘書様』https://www.alphapolis.co.jp/novel/210140744/354151981 に出てくる重光先生の地元の商店街のお話であり、 『青いヤツと特別国家公務員 - 希望が丘駅前商店街 -』https://www.alphapolis.co.jp/novel/210140744/363162418内の『閑話 安住、ウサギ耳女に出会う』 に出てくる白崎 暁里との話です。当然のことながら、鏡野ゆう様には許可をいただいております。他の住人に関しても其々許可をいただいてから書いています。 ★この物語はフィクションです。実在の人物及び団体等とは一切関係ありません。

地獄三番街

有山珠音
ライト文芸
羽ノ浦市で暮らす中学生・遥人は家族や友人に囲まれ、平凡ながらも穏やかな毎日を過ごしていた。しかし自宅に突如届いた“鈴のついた荷物”をきっかけに、日常はじわじわと崩れていく。そしてある日曜日の夕暮れ、想像を絶する出来事が遥人を襲う。 父が最後に遺した言葉「三番街に向かえ」。理由も分からぬまま逃げ出した遥人が辿り着いたのは“地獄の釜”と呼ばれる歓楽街・千暮新市街だった。そしてそこで出会ったのは、“地獄の番人”を名乗る怪しい男。 突如として裏社会へと足を踏み入れた遥人を待ち受けるものとは──。

処理中です...