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最終章:広がる世界、途切れぬ明日
地下四階へ
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再会してからの鹿角は、毎日明日菜に声をかけてくれるようになった。やっぱりそれまで意図して明日菜を避けていたようで、あれ以来、毎日朝昼晩顔を合わせている。とは言え、本当に挨拶のひと声をかけてくるだけだったけれども。
でも、それは多分、明日菜と関わるのが面倒くさいからという訳ではなくて、自分が傍に居過ぎると彼女と同年代の子たちとの交流を妨げることになると思っているからだろう。
その日も、朝食の席にいる明日菜にふらりと寄ってきた鹿角は、また、すれ違いざまに「よう」とか何とか声をかけるだけで去っていくのだと思っていた。けれど今日の彼はそうせずに、明日菜の前に座って椅子の背もたれに身を預けた。
「博士が会うってさ」
唐突な彼のその台詞に、明日菜はサンドウィッチにかぶり付こうとしていた手を止める。
「え?」
「これから、博士が会うって。ったく、あの後すぐ話はしたんだけどよ、全然音沙汰なくてさ。一週間経っても何も言ってこないから念のためもう一回言ってみたら、あのオッサン、『あ、忘れてた。じゃ、すぐ連れてきて』だとさ」
そう言って、鹿角はやれやれと肩をすくめた。
明日菜はその中の些末な不具合はスルッと聞き流し、大事なところだけ取り上げる。
「えっと、つまり、樹さんに会えるってことですか?」
期待に目を輝かせて明日菜が問うと、鹿角は少し申し訳なさそうな顔になってかぶりを振った。
「いや、まずは博士が話をしたいとさ。でも、会うなとは言わないと思うぞ?」
「そう、ですか」
明日菜はホッと息をついた。
少なくとも、樹は明日菜に会える状態ではあるということだ。
「じゃあ、これ、すぐ片付けて――」
あたふたとまだ半分ほど残っているサンドウィッチを皿に戻して半腰になった彼女を、鹿角は苦笑混じりに引き留める。
「や、いいって。ちゃんと食べろよ」
のんびり構えている鹿角は、立ち上がる気配を見せない。
彼が動かないなら仕方がない。早く服部博士の話を聞きたかったけれどもその逸る気持ちを押して明日菜もまた椅子にストンと腰を落とし、残りのサンドウィッチを取った。
また食べ始めた明日菜を眺めながら、鹿角が口を開く。
「先に言っとくけど、博士は空気読まない人だから」
「空気?」
「そ。何ていうか、ちょっと人としてどうよ、っていうかね。だから、多少アレな発言も聞き流してやってよ」
「はい……」
『アレな発言』とはどういうことなのだろうと思いつつ、明日菜はサンドウィッチを呑み込んで頷いた。
(まあ、頭いい人ってちょっと変らしいし)
そんなことを考えながら、もそもそと皿の上のものを口に運ぶ。
鹿角が来た時点で半分くらいは食べていたから、全部平らげるのにもそれほど時間がかからなかった。
「じゃ、これ片付けてきますんで」
食べ終えた明日菜はそう言い置いて立ち上がり、トレイの返却口に向かう。それを置いて振り返ってみると、鹿角はもう食堂の出入り口に移動していた。何となく、そわそわしているように見えるのは、彼女の気のせいだろうか。
小走りで鹿角に走り寄ると、彼は明日菜が追いつく前に歩き出した。
鹿角が向かったのはエレベーターだ。明日菜もいつも使っている、地下一階から三階までを移動するものだけれども。
(二階にいるのかな)
地下二階は生活の場だ。そこで服部博士を見かけたことはないけれど、彼の私室もそこにあるのだろうかと明日菜は内心で首をかしげる。
エレベーターの中には他に誰もおらず、扉が閉まるとすぐに鹿角は地下三階のボタンをリズミカルに何度か押した。
まるで子どものイタズラみたいな押し方に、明日菜は妙なことをするなと眉をひそめる。
動き出したエレベーターの表示はいつものように地下二階を示し、三階に着き――そこを素通りした。
(え?)
目を瞬かせる明日菜をよそにエレベーターは三階分プラスアルファほど下った後、チンと音を立てて止まる。
(ここって――地下四階ってこと?)
地下一階から下って二階でも三階でもなければ、そういうことになるけれど。
静かに開いた扉の先には、真っ直ぐに廊下が伸びていた。
その光景は、地下一階とも地下二階とも地下三階とも違う。明日菜たちが日常を過ごしているそれらの階はどれもそれなりにアットホームな感じに飾られていたけれど、目の前の廊下はまったく違っていた。その床と天井は真っ白で、他の階の間接照明と違って煌々と蛍光灯が照らしているから眩しく感じるほどだ。両側はガラス張りで、室内が見通せるようになっているらしい。
「降りるぞ」
戸惑う明日菜を一瞥して、鹿角が先に立って歩き出す。
「あ、はい」
置いていかれたら大変と、明日菜も慌ててエレベーターから足を踏み出した。
普段過ごしている上の階も地下にしてはずいぶん広いと思っていたけれど、この四階は、更に広そうだった。先まで伸びる廊下は、絶対に明日菜が通っていた高校のものよりも長い。
部屋の中が見られるところまで足を進めてみると、それは余裕で教室二個分はありそうに思われた。
右手の最初の部屋は、パソコンのようなものがたくさん並んでいた。左には、ラットやウサギ、何匹か猿も入れられていると檻と、使い道がよくわからない器械の数々が。
もう少し進んだその先の部屋には、色々な装置――ロボットの腕とか、そんなものが見えた。昔社会の教科書か何かで目にしたことがある、完全オート化された自動車工場の写真に似ているかもしれない。反対側は、ビーカーやら何やら、超ハイテクの化学室みたいな感じで。
どの部屋でも、上で見かける世話人ロボットが、上と同じようにまめまめしく立ち働いている。
明日菜にはよく判らないけれど、とにかくすごい実験場のように見えた。
「おい、早く来いよ」
キョロキョロと忙しなく左右を見遣る彼女の足は遅れがちで、呼びかけられて前に目を戻すと鹿角はずいぶん先にいた。
駆け足で明日菜が追いつくと、彼はまた歩き出した。どうやら、突き当りのドアを目指しているらしい。そこは普通の壁で、中が見えないようになっている。
(あそこに樹さんもいるのかな)
そうならいいなと明日菜は思った。
このガラス張りの部屋の中には彼の姿は見当たらなかったから、地下五階がなければ彼が居るのはあの部屋しかない。
鹿角はまず服部博士に会ってからだと言っていたけれど、もしかしたら……と明日菜の胸は期待で高鳴った。
奥のドアはドンドン近づき、そして鹿角が扉をノックする。明日菜には聞こえなかったけれど、彼には返事が聞こえたらしい。鹿角は一度彼女を振り返ってからノブに手をかける。
「行くぞ?」
「はい」
明日菜はこくりと頷いた。
押し開いたドアの先にあったものは、とても大きな書き物机。そこにはパソコンが一台だけ置かれていて、他には、何もなかった。
明日菜が部屋に足を踏み入れると、その机の向こうに座っていた人物が立ち上がる。
その男性と顔を合わせるのは、これで二度目だった。
にも拘らず、彼はまるで慣れ親しんだ叔父か何かのように満面の笑みで明日菜を迎える。最初に会った時もそうだったけれど、あまりに開けっぴろげで屈託がない様子だから、かえって彼女は怯んでしまう。
思わず戸口で止まった明日菜に頓着せず、その人――服部博士はぐるりと机を回ってこちら側にやってきた。
「やあ、えっと……明日菜、さん? 楽しく過ごせているかい?」
服部博士はそう言ってから、小さく首を傾げる。
「僕に頼みたいことがあるって彼から聞いたよ。いったい、何かな」
お小遣いでも欲しいのかい? とでもいうような口調で、彼はそう問うてきた。
でも、それは多分、明日菜と関わるのが面倒くさいからという訳ではなくて、自分が傍に居過ぎると彼女と同年代の子たちとの交流を妨げることになると思っているからだろう。
その日も、朝食の席にいる明日菜にふらりと寄ってきた鹿角は、また、すれ違いざまに「よう」とか何とか声をかけるだけで去っていくのだと思っていた。けれど今日の彼はそうせずに、明日菜の前に座って椅子の背もたれに身を預けた。
「博士が会うってさ」
唐突な彼のその台詞に、明日菜はサンドウィッチにかぶり付こうとしていた手を止める。
「え?」
「これから、博士が会うって。ったく、あの後すぐ話はしたんだけどよ、全然音沙汰なくてさ。一週間経っても何も言ってこないから念のためもう一回言ってみたら、あのオッサン、『あ、忘れてた。じゃ、すぐ連れてきて』だとさ」
そう言って、鹿角はやれやれと肩をすくめた。
明日菜はその中の些末な不具合はスルッと聞き流し、大事なところだけ取り上げる。
「えっと、つまり、樹さんに会えるってことですか?」
期待に目を輝かせて明日菜が問うと、鹿角は少し申し訳なさそうな顔になってかぶりを振った。
「いや、まずは博士が話をしたいとさ。でも、会うなとは言わないと思うぞ?」
「そう、ですか」
明日菜はホッと息をついた。
少なくとも、樹は明日菜に会える状態ではあるということだ。
「じゃあ、これ、すぐ片付けて――」
あたふたとまだ半分ほど残っているサンドウィッチを皿に戻して半腰になった彼女を、鹿角は苦笑混じりに引き留める。
「や、いいって。ちゃんと食べろよ」
のんびり構えている鹿角は、立ち上がる気配を見せない。
彼が動かないなら仕方がない。早く服部博士の話を聞きたかったけれどもその逸る気持ちを押して明日菜もまた椅子にストンと腰を落とし、残りのサンドウィッチを取った。
また食べ始めた明日菜を眺めながら、鹿角が口を開く。
「先に言っとくけど、博士は空気読まない人だから」
「空気?」
「そ。何ていうか、ちょっと人としてどうよ、っていうかね。だから、多少アレな発言も聞き流してやってよ」
「はい……」
『アレな発言』とはどういうことなのだろうと思いつつ、明日菜はサンドウィッチを呑み込んで頷いた。
(まあ、頭いい人ってちょっと変らしいし)
そんなことを考えながら、もそもそと皿の上のものを口に運ぶ。
鹿角が来た時点で半分くらいは食べていたから、全部平らげるのにもそれほど時間がかからなかった。
「じゃ、これ片付けてきますんで」
食べ終えた明日菜はそう言い置いて立ち上がり、トレイの返却口に向かう。それを置いて振り返ってみると、鹿角はもう食堂の出入り口に移動していた。何となく、そわそわしているように見えるのは、彼女の気のせいだろうか。
小走りで鹿角に走り寄ると、彼は明日菜が追いつく前に歩き出した。
鹿角が向かったのはエレベーターだ。明日菜もいつも使っている、地下一階から三階までを移動するものだけれども。
(二階にいるのかな)
地下二階は生活の場だ。そこで服部博士を見かけたことはないけれど、彼の私室もそこにあるのだろうかと明日菜は内心で首をかしげる。
エレベーターの中には他に誰もおらず、扉が閉まるとすぐに鹿角は地下三階のボタンをリズミカルに何度か押した。
まるで子どものイタズラみたいな押し方に、明日菜は妙なことをするなと眉をひそめる。
動き出したエレベーターの表示はいつものように地下二階を示し、三階に着き――そこを素通りした。
(え?)
目を瞬かせる明日菜をよそにエレベーターは三階分プラスアルファほど下った後、チンと音を立てて止まる。
(ここって――地下四階ってこと?)
地下一階から下って二階でも三階でもなければ、そういうことになるけれど。
静かに開いた扉の先には、真っ直ぐに廊下が伸びていた。
その光景は、地下一階とも地下二階とも地下三階とも違う。明日菜たちが日常を過ごしているそれらの階はどれもそれなりにアットホームな感じに飾られていたけれど、目の前の廊下はまったく違っていた。その床と天井は真っ白で、他の階の間接照明と違って煌々と蛍光灯が照らしているから眩しく感じるほどだ。両側はガラス張りで、室内が見通せるようになっているらしい。
「降りるぞ」
戸惑う明日菜を一瞥して、鹿角が先に立って歩き出す。
「あ、はい」
置いていかれたら大変と、明日菜も慌ててエレベーターから足を踏み出した。
普段過ごしている上の階も地下にしてはずいぶん広いと思っていたけれど、この四階は、更に広そうだった。先まで伸びる廊下は、絶対に明日菜が通っていた高校のものよりも長い。
部屋の中が見られるところまで足を進めてみると、それは余裕で教室二個分はありそうに思われた。
右手の最初の部屋は、パソコンのようなものがたくさん並んでいた。左には、ラットやウサギ、何匹か猿も入れられていると檻と、使い道がよくわからない器械の数々が。
もう少し進んだその先の部屋には、色々な装置――ロボットの腕とか、そんなものが見えた。昔社会の教科書か何かで目にしたことがある、完全オート化された自動車工場の写真に似ているかもしれない。反対側は、ビーカーやら何やら、超ハイテクの化学室みたいな感じで。
どの部屋でも、上で見かける世話人ロボットが、上と同じようにまめまめしく立ち働いている。
明日菜にはよく判らないけれど、とにかくすごい実験場のように見えた。
「おい、早く来いよ」
キョロキョロと忙しなく左右を見遣る彼女の足は遅れがちで、呼びかけられて前に目を戻すと鹿角はずいぶん先にいた。
駆け足で明日菜が追いつくと、彼はまた歩き出した。どうやら、突き当りのドアを目指しているらしい。そこは普通の壁で、中が見えないようになっている。
(あそこに樹さんもいるのかな)
そうならいいなと明日菜は思った。
このガラス張りの部屋の中には彼の姿は見当たらなかったから、地下五階がなければ彼が居るのはあの部屋しかない。
鹿角はまず服部博士に会ってからだと言っていたけれど、もしかしたら……と明日菜の胸は期待で高鳴った。
奥のドアはドンドン近づき、そして鹿角が扉をノックする。明日菜には聞こえなかったけれど、彼には返事が聞こえたらしい。鹿角は一度彼女を振り返ってからノブに手をかける。
「行くぞ?」
「はい」
明日菜はこくりと頷いた。
押し開いたドアの先にあったものは、とても大きな書き物机。そこにはパソコンが一台だけ置かれていて、他には、何もなかった。
明日菜が部屋に足を踏み入れると、その机の向こうに座っていた人物が立ち上がる。
その男性と顔を合わせるのは、これで二度目だった。
にも拘らず、彼はまるで慣れ親しんだ叔父か何かのように満面の笑みで明日菜を迎える。最初に会った時もそうだったけれど、あまりに開けっぴろげで屈託がない様子だから、かえって彼女は怯んでしまう。
思わず戸口で止まった明日菜に頓着せず、その人――服部博士はぐるりと机を回ってこちら側にやってきた。
「やあ、えっと……明日菜、さん? 楽しく過ごせているかい?」
服部博士はそう言ってから、小さく首を傾げる。
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