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第五章:愚者が溺れる白昼夢
散策
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シチューを温め直している間、水澤は敷地内を案内すると言ってくれた。
何もせず彼女と二人きりでいるのも気づまりだし、何となくここの中のことを知っておく方が良いような気がしたので、明日菜は是非ともと頷いた。
(別に、水澤さんのことを疑ったりしてるわけじゃないんだけど)
緊急事態が起きて動かなければならないとなった時に、何がどこにあるのかを知っていた方がいいのは確かだ。
星形の建物の外に出てみると塀にぐるりと囲まれている内側はかなり広い。下手したら、鹿角と出会った過疎の村よりも広いくらいだ。そして塀は、離れたところから見てもやっぱり相当の高さがあった。
(あそこ乗り越えるのって、大変そう。樹さんが来てくれても、中には入れないかも……)
明日菜は、そんな一抹の不安を覚える。
塀は、余裕で樹の身長の二倍の高さはありそうだ。
考え込む明日菜をよそに、水澤は、菜園、鶏の小屋、牛の囲い、と順々に見せてくれる。
「ここにいるのは全部乳牛なの。『ミヒカリ様』は肉食を禁じておられるから。あ、なのでシチューにはお肉入っていないのよ。蛋白源はミルクと卵ね」
やっぱり、宗教っぽい。
どうやら、人の役に立つこと、贅沢をしないこと、というのがメインの教義のようだ。かなりストイックな教えらしい。
(昔の修道院みたいな感じ?)
前に、北海道旅行の土産に修道院で作られているのだというクッキーをもらったことがある。きっと、ここもそんな施設の一つなのだろう。
合点がいった明日菜は辺りを見渡して、首を傾げた。
連れてこられた時に空から見て取れた牛と菜園に加えて、鶏もいた。良く手が回るものだと明日菜は感心する。
「ここ、ずいぶん広いですね」
建物内の様子などから見ても、二、三十人は暮らしていたのではないかという印象だ。多分、そのほとんどが『新生者』になってしまったのだろうけれど、本当に、こんなに普通そうな女性がよく無事でいられたものだ。
「こんなに広いと、一人で全部世話するの大変じゃないですか?」
明日菜のその言葉に、水澤はほんの一瞬、足を止めた。そして、彼女がいぶかしく思う間を与えずまた歩き出す。
「――もう慣れたわ。それに、『ミヒカリ様』は、苦を背負えば背負うほど魂が磨かれるとおっしゃっているから。もっとも、動物たちはほとんど放し飼いだから、それほど手はかからないのだけれどもね」
水澤は、明日菜を振り返って微笑んだ。
「へえ……」
そんなものだろうかと思ったけれど、水澤がそう言うのなら、そうなのだろう。
マンション住まいでペットを飼ったことはなく、動物の世話はクラスの金魚くらいしかしたことがない明日菜には、判らない。まあ、苦労を苦労と思わない――むしろ喜んで背負い込もうという宗教なわけだから、望むところなのだろう。
そう納得しかけて、明日菜はふとあることに思い至った。
「あ、もしかして、あのドローンも使ったりします?」
水澤が意外そうに瞬きをする。
「ドローンを?」
「ほら、餌を撒いたりとか」
「ふふ、まさか。あれは監視用よ」
不意に水澤の口からこぼれ出た不穏な言葉に、明日菜は戸惑った。
「監視……?」
こんな平和なところには似つかわしくない一言だ。眉間にしわを寄せた明日菜に、水澤は少し困ったような顔で微笑む。
「以前にはね、良く嫌がらせをされたのよ」
「嫌がらせ?」
「そう。外の人には私たちの生活が奇妙に見えるのね。塀にビラを貼られたり――落書きされたりしたから、二十四時間監視できるようにしたのよ」
水澤の宗教は特に害はなさそうだけれども、新興宗教というだけで奇異の眼差しで見られてしまうのかもしれない。実際、最初に水澤が宗教絡みのことを口にしたとき若干明日菜も引いてしまったことは否めないのだから。
新興宗教は変な人の集まりだという先入観が明日菜の中にもあったようだ。
申し訳ないな、とこっそり肩をすぼめる彼女に、そんなことはつゆ知らず、水澤が明るく続ける。
「今はね、誰か無事な人がいないか探すために飛ばしているの。もしいたら、助けたいと思って。実際に見つけたのは明日菜ちゃんが初めてよ。どう? 明日菜ちゃん、お連れの人と一緒にここに残らない?」
いかにも名案、と言わんばかりに水澤が両手を握り合わせた。
「え」
「ここは安全だし、あと二人や三人増えたところで、食べるのにも困らないわよ」
「ええっと、それは、その……」
明日菜は、言葉を濁した。
確かに、ここでも暮らしていけるのかもしれない。
でも、明日菜には――いや、樹には、目指す場所がある。明日菜だけならちょっとばかり気持ちが傾くけれど、彼女を博士の下へ連れて行くのが樹の使命だ。それは、果たさなければならない。
第一、ここに残るということは、必然的に『ミヒカリ様』の教えとやらに従うことになるわけで。
(なんか、馬が合いそうにないんだよなぁ)
いくら幸せになれるから、と言われても、水澤のように自分を律して生きていけるとは思えない。
明日菜は期待に満ちた水澤から逸らした視線を巡らせ、ふと一点に留める。
「あれ……火事か何かでもあったんですか?」
「え?」
眉をひそめた水澤が、明日菜の指さす方へ目を向けた。そして、その先にあるものに気付いて頷く。
「ああ、あれ。ええ、そう、ちょっと、ボヤがあったのよ。肥料置き場だったのだけど、火が出てしまって。大したことはないわ」
「そう、ですか」
そう言われば、以前に出会った少年友永アキラは、肥料は爆弾の材料になると言っていたような気がするし、なんだか、少し、臭い。肥料が置いてあったのだと言われれば、頷ける。
でも。
(ボヤ?)
明日菜は眉根を寄せた。
残骸は、ちょっと壁が焦げた程度ではないように見えるけれど。
屋根はすっかり焼け落ちて、壁の下の方が辛うじて残っているくらいだ。ちょっとした好奇心に駆られて中を覗き込みたくなった明日菜を、水澤の朗らかな声が引き戻す。
「ああ、そろそろシチューが温まった頃だわ。中に戻りましょうか」
「あ、はい」
返事を待たずに踵を返して戻り始めた水澤に続こうとした明日菜は、何となく後ろ髪を引かれてもう一度焼け残った小屋を振り返った。赤々しい夕陽に照らされたそれはまるで今も炎に包まれているように見えて、小さく身震いする。
「明日菜ちゃん?」
気付かぬうちに足を止めていた明日菜を、水澤が振り返った。
「あ、はい、行きます」
そう答えた明日菜の中からは、焼け焦げた木の壁の向こうにあるものへの関心が消えなかった。
何もせず彼女と二人きりでいるのも気づまりだし、何となくここの中のことを知っておく方が良いような気がしたので、明日菜は是非ともと頷いた。
(別に、水澤さんのことを疑ったりしてるわけじゃないんだけど)
緊急事態が起きて動かなければならないとなった時に、何がどこにあるのかを知っていた方がいいのは確かだ。
星形の建物の外に出てみると塀にぐるりと囲まれている内側はかなり広い。下手したら、鹿角と出会った過疎の村よりも広いくらいだ。そして塀は、離れたところから見てもやっぱり相当の高さがあった。
(あそこ乗り越えるのって、大変そう。樹さんが来てくれても、中には入れないかも……)
明日菜は、そんな一抹の不安を覚える。
塀は、余裕で樹の身長の二倍の高さはありそうだ。
考え込む明日菜をよそに、水澤は、菜園、鶏の小屋、牛の囲い、と順々に見せてくれる。
「ここにいるのは全部乳牛なの。『ミヒカリ様』は肉食を禁じておられるから。あ、なのでシチューにはお肉入っていないのよ。蛋白源はミルクと卵ね」
やっぱり、宗教っぽい。
どうやら、人の役に立つこと、贅沢をしないこと、というのがメインの教義のようだ。かなりストイックな教えらしい。
(昔の修道院みたいな感じ?)
前に、北海道旅行の土産に修道院で作られているのだというクッキーをもらったことがある。きっと、ここもそんな施設の一つなのだろう。
合点がいった明日菜は辺りを見渡して、首を傾げた。
連れてこられた時に空から見て取れた牛と菜園に加えて、鶏もいた。良く手が回るものだと明日菜は感心する。
「ここ、ずいぶん広いですね」
建物内の様子などから見ても、二、三十人は暮らしていたのではないかという印象だ。多分、そのほとんどが『新生者』になってしまったのだろうけれど、本当に、こんなに普通そうな女性がよく無事でいられたものだ。
「こんなに広いと、一人で全部世話するの大変じゃないですか?」
明日菜のその言葉に、水澤はほんの一瞬、足を止めた。そして、彼女がいぶかしく思う間を与えずまた歩き出す。
「――もう慣れたわ。それに、『ミヒカリ様』は、苦を背負えば背負うほど魂が磨かれるとおっしゃっているから。もっとも、動物たちはほとんど放し飼いだから、それほど手はかからないのだけれどもね」
水澤は、明日菜を振り返って微笑んだ。
「へえ……」
そんなものだろうかと思ったけれど、水澤がそう言うのなら、そうなのだろう。
マンション住まいでペットを飼ったことはなく、動物の世話はクラスの金魚くらいしかしたことがない明日菜には、判らない。まあ、苦労を苦労と思わない――むしろ喜んで背負い込もうという宗教なわけだから、望むところなのだろう。
そう納得しかけて、明日菜はふとあることに思い至った。
「あ、もしかして、あのドローンも使ったりします?」
水澤が意外そうに瞬きをする。
「ドローンを?」
「ほら、餌を撒いたりとか」
「ふふ、まさか。あれは監視用よ」
不意に水澤の口からこぼれ出た不穏な言葉に、明日菜は戸惑った。
「監視……?」
こんな平和なところには似つかわしくない一言だ。眉間にしわを寄せた明日菜に、水澤は少し困ったような顔で微笑む。
「以前にはね、良く嫌がらせをされたのよ」
「嫌がらせ?」
「そう。外の人には私たちの生活が奇妙に見えるのね。塀にビラを貼られたり――落書きされたりしたから、二十四時間監視できるようにしたのよ」
水澤の宗教は特に害はなさそうだけれども、新興宗教というだけで奇異の眼差しで見られてしまうのかもしれない。実際、最初に水澤が宗教絡みのことを口にしたとき若干明日菜も引いてしまったことは否めないのだから。
新興宗教は変な人の集まりだという先入観が明日菜の中にもあったようだ。
申し訳ないな、とこっそり肩をすぼめる彼女に、そんなことはつゆ知らず、水澤が明るく続ける。
「今はね、誰か無事な人がいないか探すために飛ばしているの。もしいたら、助けたいと思って。実際に見つけたのは明日菜ちゃんが初めてよ。どう? 明日菜ちゃん、お連れの人と一緒にここに残らない?」
いかにも名案、と言わんばかりに水澤が両手を握り合わせた。
「え」
「ここは安全だし、あと二人や三人増えたところで、食べるのにも困らないわよ」
「ええっと、それは、その……」
明日菜は、言葉を濁した。
確かに、ここでも暮らしていけるのかもしれない。
でも、明日菜には――いや、樹には、目指す場所がある。明日菜だけならちょっとばかり気持ちが傾くけれど、彼女を博士の下へ連れて行くのが樹の使命だ。それは、果たさなければならない。
第一、ここに残るということは、必然的に『ミヒカリ様』の教えとやらに従うことになるわけで。
(なんか、馬が合いそうにないんだよなぁ)
いくら幸せになれるから、と言われても、水澤のように自分を律して生きていけるとは思えない。
明日菜は期待に満ちた水澤から逸らした視線を巡らせ、ふと一点に留める。
「あれ……火事か何かでもあったんですか?」
「え?」
眉をひそめた水澤が、明日菜の指さす方へ目を向けた。そして、その先にあるものに気付いて頷く。
「ああ、あれ。ええ、そう、ちょっと、ボヤがあったのよ。肥料置き場だったのだけど、火が出てしまって。大したことはないわ」
「そう、ですか」
そう言われば、以前に出会った少年友永アキラは、肥料は爆弾の材料になると言っていたような気がするし、なんだか、少し、臭い。肥料が置いてあったのだと言われれば、頷ける。
でも。
(ボヤ?)
明日菜は眉根を寄せた。
残骸は、ちょっと壁が焦げた程度ではないように見えるけれど。
屋根はすっかり焼け落ちて、壁の下の方が辛うじて残っているくらいだ。ちょっとした好奇心に駆られて中を覗き込みたくなった明日菜を、水澤の朗らかな声が引き戻す。
「ああ、そろそろシチューが温まった頃だわ。中に戻りましょうか」
「あ、はい」
返事を待たずに踵を返して戻り始めた水澤に続こうとした明日菜は、何となく後ろ髪を引かれてもう一度焼け残った小屋を振り返った。赤々しい夕陽に照らされたそれはまるで今も炎に包まれているように見えて、小さく身震いする。
「明日菜ちゃん?」
気付かぬうちに足を止めていた明日菜を、水澤が振り返った。
「あ、はい、行きます」
そう答えた明日菜の中からは、焼け焦げた木の壁の向こうにあるものへの関心が消えなかった。
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