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第二章:朽ち果てた楽園で夢をみる
約束
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オートバイは、真苅が言っていた場所に残されていた。
二台あるけれど、どちらもなんだかスカスカな感じがするデザインだ。
「自転車みたいだね」
明日菜は小首をかしげて呟いた。彼女が想像していたバイクと、ちょっと違う。華奢で、大柄な樹が乗ったら潰れてしまいそうに見えた。
「オフロード車だからな」
説明とも言えない説明をして、矯めつ眇めつしている明日菜をよそに、樹は荷台にバックパックを結わえ付け始める。
「……あたし、バイクなんて運転できないんですけど?」
試しにそう言ってみると、いぶかし気な眼差しが返ってきた。
「そうだろうな」
「でも、そこ、荷物乗っけたらあたし乗れないよ?」
彼女の言い分に、樹は「ああ」という顔になった。
「君はこの上に乗ったらいい。身長差もちょうど良くなる」
「あ、なるほど。でも、こんなにでこぼこしてるところ、バイクなんかで走れるの?」
ここに至るまで慣れない山道にへとへとになっていた明日菜は、これから進むことになるだろう方向に目を向けた。そこには、来た道――道とは言えない道と同じような地形が、広がっている。
「オフロード車の方が進みやすいくらいだ」
「そうなの?」
「ああ。ただ、舌を噛まないようにしていてくれ。それと、落ちないように。さすがに片手では運転できん」
「うん……あ、そうだ!」
今の樹の台詞で明日菜はあることを思い出して声を上げた。
「なんだ?」
眉根を寄せた樹の腕に、明日菜は飛び付く。
「腕! あいつに噛まれたところ!」
ここに着くまで自分の足元に集中するのでいっぱいいっぱいで、彼の怪我のことを思い出す余裕がなかった。
明日菜は樹の袖をめくって傷を検める。
歯型は、しっかりと残っていた。けれど、血は出ていない。
つい一時間ほど前には滴るほどに出ていたのに、すっかり止まっている。
「あれ……?」
予想外に浅い傷に、明日菜は拍子抜けする。
力の緩んだ彼女の手から腕を引き抜き、樹は袖を元に戻した。
「大した怪我ではなかった」
素っ気なく言われて、明日菜は息を吸い込む。
「血が出たんだし、『大した怪我』だよ」
詰め寄ってそう返すと、彼はいかにも軽い調子で肩をすくめた。
その、どうでも良さそうな態度に明日菜はムッとする。
「だいたい、樹さんは自分のことないがしろにし過ぎでしょ。助けてくれたのはありがとうだけど、だからって自分に噛みつかせるってのはどうなのよ」
食って掛かった明日菜に返されたのは、いとも平然とした眼差しだ。
「あれが一番安全で手っ取り早い方法だった」
「安全って、どこが?」
「得物を使えば君に当たる。時間の余裕もなかった」
「そうだけど! それで樹さんに怪我して欲しくないよ! 少しくらいの怪我なら別にいいし、だいたい、こんな状況なんだから全くの無傷なんて無理な話でしょ?」
「俺は君に怪我をして欲しくない」
間髪入れずに戻ってきたその言葉に、明日菜はギュッと唇を引き結んだ。
「……そんなに、博士って人の命令が大事なの?」
映画なんかだと確かに命令に絶対服従な兵士が出てくるけれど、本当にそんなふうに考える人がいるとは、明日菜は思っていなかった。
半分揶揄する気持ちが入った彼女の台詞に、樹は生真面目にかぶりを振る。
そして、言った。
「俺が大事なのは君だ」
「……は?」
「俺は君自身が大事だから、君を守っている」
平然と告白めいたものを口にする樹に、明日菜は絶句する。
もちろん、愛の告白であるはずがない。
それは、判っている。
けれど、では、彼が何故そんなにも自分に思い入れるのか、さっぱりわからない。
「……もしかして、あたしの生き別れの叔父さん、とか……?」
我ながら有り得ないと思いつつ、そんなバカなことを訊いてみた。案の定、樹からはあきれたような眼差しが返される。
「そんなはずがあるわけないだろう。君とは縁もゆかりもない」
「じゃあ、なんでそんなに――」
尋ねかけて、やめた。どうせ彼自身のことについては何も教えてはくれないのだろうから。
「とにかく、もっと自分のことも大事にしてくれませんか?」
ため息混じりにそう言って、硬い樹の胸を指先で小突く。
「あたし、当分死にたくないですから」
「当然だ」
ムッと樹が眉間のしわを深くした。その表情も、発した言葉を裏打ちしている。
明日菜はにんまりと笑ってふんぞり返った。
「だったら、樹さんは樹さんのことも大事にしてくれないと。どうせ、樹さんがいなかったらあたしなんて十分も生きてられないんですからね。あたしが生きてく為には、樹さんが五体満足でいてくれないとダメじゃないですか」
「それは――」
反論しようとして、彼は口を閉ざした。明日菜の言うことにも一理あると思ったに違いない。
「努力する」
「ぜひとも」
偉そうに答えた彼女に、樹はため息をこぼした。彼をやりこめられたのは、出会って以来初めてだ。
何となく、気分がいい。
そんな明日菜の心の声が聞こえたように樹は彼女を一瞥し、頭を鷲掴みにしたかと思うとぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜた。
そうしてバイクにまたがり、明日菜に向けて顎をしゃくる。
「乗れ」
「了解」
頷き、明日菜は高い荷台によじ登った。腰を落ち着かせると、ちょうど、樹と目線が同じになる。彼の肩の上から、これから進む道が真っ直ぐに見通せた。
「しっかり掴まっていろ」
まだへそを曲げているのか、そう言った彼の声はムスッとしている。明日菜は胸の中でこっそり笑い、返事をする代わりに彼の首にしがみ付いた。
走り出したバイクの上から、明日菜はテーマパークがあった方を振り返る。
見えるのは、木々ばかりだ。けれど、彼女の脳裏にはそれ以外のものがよみがえる。
決意の代わりに切り捨ててきた、数々のものが。
(あたしは、とことん生きてみせますから)
さびれた楽園に置き去りにしてきた青年にそう宣言して、明日菜は真っ直ぐ前に、向き直った。
二台あるけれど、どちらもなんだかスカスカな感じがするデザインだ。
「自転車みたいだね」
明日菜は小首をかしげて呟いた。彼女が想像していたバイクと、ちょっと違う。華奢で、大柄な樹が乗ったら潰れてしまいそうに見えた。
「オフロード車だからな」
説明とも言えない説明をして、矯めつ眇めつしている明日菜をよそに、樹は荷台にバックパックを結わえ付け始める。
「……あたし、バイクなんて運転できないんですけど?」
試しにそう言ってみると、いぶかし気な眼差しが返ってきた。
「そうだろうな」
「でも、そこ、荷物乗っけたらあたし乗れないよ?」
彼女の言い分に、樹は「ああ」という顔になった。
「君はこの上に乗ったらいい。身長差もちょうど良くなる」
「あ、なるほど。でも、こんなにでこぼこしてるところ、バイクなんかで走れるの?」
ここに至るまで慣れない山道にへとへとになっていた明日菜は、これから進むことになるだろう方向に目を向けた。そこには、来た道――道とは言えない道と同じような地形が、広がっている。
「オフロード車の方が進みやすいくらいだ」
「そうなの?」
「ああ。ただ、舌を噛まないようにしていてくれ。それと、落ちないように。さすがに片手では運転できん」
「うん……あ、そうだ!」
今の樹の台詞で明日菜はあることを思い出して声を上げた。
「なんだ?」
眉根を寄せた樹の腕に、明日菜は飛び付く。
「腕! あいつに噛まれたところ!」
ここに着くまで自分の足元に集中するのでいっぱいいっぱいで、彼の怪我のことを思い出す余裕がなかった。
明日菜は樹の袖をめくって傷を検める。
歯型は、しっかりと残っていた。けれど、血は出ていない。
つい一時間ほど前には滴るほどに出ていたのに、すっかり止まっている。
「あれ……?」
予想外に浅い傷に、明日菜は拍子抜けする。
力の緩んだ彼女の手から腕を引き抜き、樹は袖を元に戻した。
「大した怪我ではなかった」
素っ気なく言われて、明日菜は息を吸い込む。
「血が出たんだし、『大した怪我』だよ」
詰め寄ってそう返すと、彼はいかにも軽い調子で肩をすくめた。
その、どうでも良さそうな態度に明日菜はムッとする。
「だいたい、樹さんは自分のことないがしろにし過ぎでしょ。助けてくれたのはありがとうだけど、だからって自分に噛みつかせるってのはどうなのよ」
食って掛かった明日菜に返されたのは、いとも平然とした眼差しだ。
「あれが一番安全で手っ取り早い方法だった」
「安全って、どこが?」
「得物を使えば君に当たる。時間の余裕もなかった」
「そうだけど! それで樹さんに怪我して欲しくないよ! 少しくらいの怪我なら別にいいし、だいたい、こんな状況なんだから全くの無傷なんて無理な話でしょ?」
「俺は君に怪我をして欲しくない」
間髪入れずに戻ってきたその言葉に、明日菜はギュッと唇を引き結んだ。
「……そんなに、博士って人の命令が大事なの?」
映画なんかだと確かに命令に絶対服従な兵士が出てくるけれど、本当にそんなふうに考える人がいるとは、明日菜は思っていなかった。
半分揶揄する気持ちが入った彼女の台詞に、樹は生真面目にかぶりを振る。
そして、言った。
「俺が大事なのは君だ」
「……は?」
「俺は君自身が大事だから、君を守っている」
平然と告白めいたものを口にする樹に、明日菜は絶句する。
もちろん、愛の告白であるはずがない。
それは、判っている。
けれど、では、彼が何故そんなにも自分に思い入れるのか、さっぱりわからない。
「……もしかして、あたしの生き別れの叔父さん、とか……?」
我ながら有り得ないと思いつつ、そんなバカなことを訊いてみた。案の定、樹からはあきれたような眼差しが返される。
「そんなはずがあるわけないだろう。君とは縁もゆかりもない」
「じゃあ、なんでそんなに――」
尋ねかけて、やめた。どうせ彼自身のことについては何も教えてはくれないのだろうから。
「とにかく、もっと自分のことも大事にしてくれませんか?」
ため息混じりにそう言って、硬い樹の胸を指先で小突く。
「あたし、当分死にたくないですから」
「当然だ」
ムッと樹が眉間のしわを深くした。その表情も、発した言葉を裏打ちしている。
明日菜はにんまりと笑ってふんぞり返った。
「だったら、樹さんは樹さんのことも大事にしてくれないと。どうせ、樹さんがいなかったらあたしなんて十分も生きてられないんですからね。あたしが生きてく為には、樹さんが五体満足でいてくれないとダメじゃないですか」
「それは――」
反論しようとして、彼は口を閉ざした。明日菜の言うことにも一理あると思ったに違いない。
「努力する」
「ぜひとも」
偉そうに答えた彼女に、樹はため息をこぼした。彼をやりこめられたのは、出会って以来初めてだ。
何となく、気分がいい。
そんな明日菜の心の声が聞こえたように樹は彼女を一瞥し、頭を鷲掴みにしたかと思うとぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜた。
そうしてバイクにまたがり、明日菜に向けて顎をしゃくる。
「乗れ」
「了解」
頷き、明日菜は高い荷台によじ登った。腰を落ち着かせると、ちょうど、樹と目線が同じになる。彼の肩の上から、これから進む道が真っ直ぐに見通せた。
「しっかり掴まっていろ」
まだへそを曲げているのか、そう言った彼の声はムスッとしている。明日菜は胸の中でこっそり笑い、返事をする代わりに彼の首にしがみ付いた。
走り出したバイクの上から、明日菜はテーマパークがあった方を振り返る。
見えるのは、木々ばかりだ。けれど、彼女の脳裏にはそれ以外のものがよみがえる。
決意の代わりに切り捨ててきた、数々のものが。
(あたしは、とことん生きてみせますから)
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