獅子隊長と押しかけ仔猫

トウリン

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悩める仔猫の恋の道

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「ホント、だんな様ってツレナイのよねぇ」
 隊員たちの朝食を終わらせ、その後片付けをしながら、ケイティはフィオナに愚痴る。
「ちょっとチュッてするくらい、いいと思わない? 別に、減るもんじゃなし」
 ブラッドの寝込みを襲っての口付けは、ここ最近の日課にしているにも拘らず、未だ一度も成功したことがない。安眠を妨害してはいけないと、目覚める直前を見計らっていくのが敗因の一つかもしれない。
 確かに以前から渋い顔をされていたけれど、最近、とみにそれがひどくなり、更には説教臭さが加わってきている。

「まったく、もう。確かにちょっと年は離れてるけど、あれじゃ娘に云々する頑固親父って感じじゃない」
 ブツブツ言い続ける口以上に動く手は、山と積まれた汚れた食器を見る見るうちに減らしていく。そんなケイティの横で、フィオナは小首をかしげた。
「朝一番だから嫌なのでは? ほら、歯を磨いていないから?」
 その案に、ケイティはパッと顔を上げる。
「確かに! あたしは別に構わないのに……でも、そうね、今度は『いってらっしゃい』で試してみるわ」
 意気込むケイティの隣で、フィオナが微笑んだ。

 フィオナは真っ直ぐで艶やかな黒髪に晴れた日の湖のような青い目をした、妖精のように綺麗な子だ。彼女がここに来たのも三年前のこと、ケイティと同じ事件に巻き込まれて、同じようにブラッドたちに助けられた少女の一人だった。
 どんな経緯で娼館に引きずり込まれたのか、フィオナにはそれ以前の記憶がない。『フィオナ』という名前すら、娼館で初めて言葉を交わしたときにケイティが付けたものだ。
 言葉遣いは上流階級のもので、得意なことは刺繍に歌にピアノの演奏とくれば、どこかいいところのお嬢様であることは間違いない。けれど、ロンディウムで貴族もしくは富豪の令嬢が誘拐されたという話はなく、近隣の街に打診をしても同様で、身元捜しは手詰まりになってしまったのだ。
 親元に戻そうにも戻せず、何も覚えていないとう彼女をパッと放り出すこともできず、結局、押しかけたケイティと共にこの詰所で雑用係をすることになった。
 ブラッドたちもそのうち何か思い出すだろうと悠長に構えていたものだったけれども――三年経った今でも、彼女の記憶は一向に戻る気配がない。

 知識や話し方からして、フィオナの方がケイティよりも少なくとも二、三歳は年下ほどなのだろう。実際の年齢よりも幼く見えるケイティとは反対に少し大人びて見えるから、一緒にいるといつもフィオナの方が年長に見られる。
 取りも直さず、それはブラッドの隣に並んだ時にフィオナの方が様になるということで、ケイティは、この年下の友人を少しばかりうらやんでしまうのだ。

「もうちょっと年相応の見た目をしてれば、いいんだけどな」
 首から上も、首から下も、残念な感じなのは自覚がある。
 視線を落とせば何の障害もなくつま先を見下ろせてしまう我が身をぼやいたケイティに、フィオナは目をしばたたかせた。
「ケイティは仔猫みたいで可愛いわ」
 その評価は、ケイティにとっては今一つ誉め言葉にならない。
「あたしが望むのはもうちょっと違う方向なんだけど」
 多分、この容姿だから、ブラッドもいつまで経っても子ども扱いをやめてくれないのに違いない。とは言え、この年になるとどう頑張ってももう変わりようがないのだ。

 ムゥと唇を引き結んだケイティの隣でフィオナがポツリとこぼしたのは。

「もしかしたら、本気じゃないと思われているのかも。いっそ、奥さんにしてくださいとお願いしてみてはどうかしら?」
 実質、奧さんみたいなものじゃないかしらと小首をかしげながらのフィオナのその言葉に、ケイティはグッと返事に詰まった。

「えぇっと、それは……まあ、おいおい……」
 歯切れの悪いケイティに、フィオナは訝しげな顔をする。そんな彼女に、ヘラッと曖昧な笑みを返した。
 確かに、常日頃、ケイティは思いのたけをブラッドにぶつけている。それはもう、朝昼晩と、他にもチョコチョコ。
 彼女としては本心本気そのものだけれど、彼がそれに応じてくれるとは、期待していない。

 何故なら。

(だんな様には、想う方がいらっしゃるのよね……)
 胸の中でつぶやき、ケイティは洗い台の縁を泡だらけの手で握り締めた。
 一度だけ、ケイティは街中でブラッドがその人といるところを見かけたことがある。身なりの良い、栗色の髪をした可愛らしい感じの女性で、彼は今まで見せたことがないような優しげな顔で微笑んでいた。アレはどこからどう見ても相手のことを愛おしく思っているという顔で、その時自分の胸を襲った痛みにケイティは我ながら呆れたものだ。痛みを感じたということは、多少なりとも期待していたということになるわけだから。
 ブラッドのあの笑顔を見た時、ケイティの中でも何かが吹っ切れたような気がする。

 自分の中にある気持ちは、否定しない。
 けれども、想いを返してもらおうとは望んでいない。

 ケイティにとってのブラッドは、英雄であり、神様であり――王子様だ。
 初めてこの詰所の戸を叩き、崩れ落ちた彼女を抱き留めてくれた時、とても怖い顔をしているのに触れてくる手付きと注いでくる眼差しは驚くほどに優しくて、その目と目が合った瞬間、ああ、もう大丈夫だと思えたのだ。

 そんな彼は憧れる存在であって、手が届く存在ではない。

(あたしは、それで充分)
 自分自身にそう言い聞かせ、頭の中を切り替える。

「そう言えば、フィオナはどうなの?」
「わたくし?」
「そう。誰か好きな人って、いないの? ここの人たちってみんな良い人ばっかでしょう? フィオナは美人だし、誰だって鼻の下伸ばしちゃうわよ」
 軽い口調で笑いかけると、ふと、フィオナの目に翳が差した。

(?)
 どうしたのかと問う前にそれは消え去り、彼女は微笑み返してくる。

「わたくしは……多分、ケイティ以上に相手にされていないから」
 つまり、好きな人はいるということになるけれど。
 フィオナはフツリと口をつぐんで、食器洗いに気を戻してしまう。

 それ以上ツッコまれたくないと思っているのがヒシヒシと伝わってきて、ケイティも後片付けに専念した。
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