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『待て』解除

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 高校二年の夏休みは、光よりも速く過ぎ去っていった。
 ――まあ、実際にはそんなことはないのだが、少なくとも賢人けんとにはそう感じられた。

 始業式の後、二学期最初の掃除をダラダラとこなしながら、賢人は終わってしまった夏休みを思い出してニヤつく。
 キトンランドの後も春日小春かすが こはるからは三日に一回ほどのペースでメールが入り、その都度、雛姫ひなきと三人で海に行ったり祭りに行ったり夏休みの課題をしたりと、かつてないほど充実した日々を送ることができた。
 初めのうちは顔を合わせるたび身を強張らせていた雛姫も、それだけ一緒に過ごせばさすがに賢人に馴染みを覚え始めてきたようで、終盤はごくごく自然に受け入れるようになっていた――と思う。まあ、満面の笑みで迎えてくれる、ということは、なかったが。

(嫌がられてはないよな。ていうか、結構いい感じというか……)
 賢人は夏休み中の雛姫の態度の変遷を思い返して、そう評価する。

 最初の頃は素っ気なかったが、それも、彼のことが嫌だからというよりも、単に緊張していたからだったはずだ。賢人自身はそう感じていたし、そもそも、雛姫が彼のことを嫌がっていたのなら、小春がブロックしていただろう。
 だから、夏休みはまずまずうまくやれていたと、思う。

 次の問題は、これからどうするか、だ。

 現状、雛姫にとっての賢人は、他人よりは近しい、友人というカテゴリーには置いてもらえているのではないかと思う。若干、『春日の友人』として間接的に近くにいることを受け入れられているような気がしないでもないが、友達の友達だとしても、彼女のテリトリーに全く立ち入らせてもらえない真っ赤な他人よりは遥かにマシだ。

 とはいえ。

「オレも、いつまでもお友達ポジションにいるつもりはないしな」
 窓枠に寄り掛かりながら、賢人はつぶやいた。
 目指しているのは、雛姫の隣に居座ること、それも、彼女にとって唯一の存在として、隣に在ることだ。他の――たとえば春日と『同列』の友人では、嫌だ。たとえ雛姫にとって友達というものがとても重い位置を占めているのだとしても、それは『唯一の存在』ではない。

 そこそこ、距離は縮まった。
 だが、更に一歩を踏み込まなければ、彼女の『特別』にはなれない。

 学校が始まり、他の連中の眼を避けるために一学期のように雛姫との間に距離を取っていたら、せっかく夏休み中に生まれ始めていた変化が、消えてしまうかもしれない。

 それは、避けたかった。

「もう、そろそろ行っちゃおっかな……」
 ため息混じりに、賢人が迷いを吐き出した時だった。

 窓の外から、声が聞こえた気がした。しかし、ここの真下は校舎の裏手になっていて、人が来ることなど滅多にないはずなのだが。

 ヒョイと身体をひねって下を覗き込んだ賢人は、眉をひそめた。
 女子が、数人いる。正確には、壁に貼り付くようにしている一人と、それを取り囲むように五、六人ほど。
(なんだよ、新学期早々吊し上げか?)
 いったい何があったんだか、と思いつつも、興味もないし、賢人はその場を離れようとした。が、次いで入ってきた声に、足を止める。

「あんたたちには関係ないでしょ」
 素っ気ない口調のその声は、春日のものではなかろうか。
 もう一度窓から身を乗り出してよくよく見てみると、確かに壁際にいる一人は、彼女だった。

(何やってんだ?)
 春日と雛姫はクラスの隅にいる地味グループの中にいて、良くも悪くも人目を引かない。荒んだ学校であれば地味だというだけでも攻撃されることもあるかもしれないが、幸いにして、ここはそういう気風ではなかった。となると、何か積極的な攻撃要因があるということになるが。

 取り敢えず状況を確認しようと、賢人は下の声に耳を傾ける。彼がいるのは二階だから、その遣り取りは結構はっきり届いた。
「しらばっくれないでよ。夏休み中、賢人と会ってたでしょ」
「二人で駅前歩いてたの、見た人がいるんだから」

 なるほど。
 春日と二人きりで過ごした時はないが、雛姫を送った後に途中まで一緒に帰ったことは何度かある。どうやら、それを見られていたらしい。
 更に賢人に近づくなだの余計な世話だの厚かましだのとヤイヤイ言い合っていたが、春日が抗うせいか、女子たちの彼女に対する攻撃は、次第に外見やら何やらに向かい始めていた。

「ったく」
 まさにこうなることを警戒していたのだが。

 標的ズレてるよと思いつつ、賢人は助っ人に入ろうと窓枠に足をかけた。が、その時。

「小春ちゃんは可愛いし優しいよ!」
 澄んだ声が響き渡り、女子たちの罵声がピタリと止まる。
「はぁ?」
 振り返った女子たちが向き直った先にいるのは、雛姫だ。彼女は上からでも見て取れるほどピンと背筋を伸ばし、賢人が今まで聞いたことがないような張りのある声を上げる。結構走ってきたと見えて肩は大きく上下しているし息も切れているが、彼女の声は涼やかにその場に響き渡った。

「小春ちゃんは暗くなんかないし、一緒にいて楽しいし、あなたたちにそんなふうに言われるところなんて一つもない!」
「梁川は関係ないでしょ。口挟まないでよ」
 冷笑を含んだ声に、雛姫がクッと頭を上げた。
「関係あるよ。小春ちゃんはお友達だもの。大事な人のこと、悪く言われて黙ってられない」
 凛とした声に、賢人は仲裁も忘れてつい聴き惚れてしまった。だが、春日を吊し上げていた女子たちはすぐに気を取り直して嘲りを含んだ声を上げる。

「ああ、地味仲間ね」
 続く、鼻で嗤う音。
「あんたたちみたいのが賢人に相手されるわけがないじゃない。付きまとって迷惑かけないでよ」
 そこに含まれているのは、あからさまな嘲笑、悪意、妬み。
 その台詞で、賢人の頭が決まった。ここらが潮時だ。面倒な雑草は、はびこる前に根絶やしにしておくに限る。

 賢人はよいせとばかりに窓枠を乗り越えて、雛姫の後方に飛び降りた。

「ッ!」
 上から人が降ってくるなど思っていなかったらしい雛姫が、ビクリと肩をはねさせて振り返ろうとする。が、賢人は、そんな彼女の両肩に腕を回すようにして背後から包み込んだ。
 雛姫の頭の上から、春日の前に並ぶ女生徒たちをぐるりと見渡す。

「賢人、えっと」
 口ごもる彼女たちに、賢人は唇を横に引くようにして笑顔を作って見せる。
「なんか、楽しそうなことやってるなぁ」
「あの、あたしたち……」
 互いに顔を見合わせ様子を窺う、もしくは責任を擦り付け合う女子たちに、賢人はスッと目をすがめた。
「言っておくけど、春日とはただのトモダチだから」
「でも、二人っきりで歩いてたって。それに、夏休み、うちらが誘っても全然出てきてくれなかったじゃない!」
「んーまあね、もっと大事な予定がてんこ盛りだったから」
「それ、どういう意味?」
 眉をひそめた女子の前で、賢人は彼女らを見据えたまま頭を軽く下げ、すぐそばにある雛姫のこめかみのあたりに口付けた。触れるか触れないか、という程度にしておいたから、雛姫は気づいていない。だが、女子らにはざわめきが走った。

「ちょっと、もしかして――」
「そ。オレが好きなのは雛姫だから。夏休みも、ずっと一緒だったんだよ。でも、照れ屋さんだから二人きりでは逢ってくれなくてさぁ。春日ほごしゃ同伴だったんだよな」
「どうして、そんな子なんか」
「オレにとっては最高のヒトだから。もう、マジ天使、みたいな?」
 二ッと笑った賢人は、一転、冷ややかな眼差しで一同を睥睨した。

「頼むから、雛姫に八つ当たりしないでくれよ? 今口説いてる真っ最中なんだからさ。余計な横やり入れて欲しくないんだよ」
「賢人なら、別に、他にも――」
「オレが欲しいのは雛姫なの。先に言っておくけど、雛姫がオレを振ったからって言って、オレがお前たちの誰かを好きになるって思わないでくれよ?」
 その台詞に、皆、グッと顎を引いた。
 どうやら、それを目論んでいたようだ。きっと、標的を春日から雛姫に換えて嫌がらせをおっぱじめるつもりだったのだろう。
 そんな彼女らに、賢人はもう一度笑みを見せた。噛みつくような、笑みを。

「オレの気持ちはオレのものだ。誰を好きになるか、お前たちにどうこうできるようなもんじゃないよ。オレが好きなのは雛姫で、誰も代わりにはなれない。もしもこのことで雛姫や春日が嫌な思いをするようなことがあれば、積極的にへこましに行くからな」
 普段、彼女たちが何をしてもヘラヘラと受け流している賢人の冷え込む声に、皆、後ずさる。そうして、誰からともなく、一人、二人と立ち去っていった。

 最後の一人の足音が消えるのを待って、春日が壁際から身を起こす。女生徒たちが消えていった方から賢人たちの方へと首を巡らせ、束の間目を細め、そしてため息をついた。

「そろそろ、雛姫ちゃん離してあげてくれない?」
「え? でも、嫌がってないじゃん?」
 賢人は雛姫の前で腕を交差させたまま、とぼけてみせた。ついでに、顎の下にある丸く艶やかな頭に頬を寄せる。
 春日はもう一度深々と息をつくと、スタスタと二人の方へやってきた。

「それ、固まってるだけだしある種のセクハラだから」
 言うなり、ベリ、と音がしそうな仕草で賢人の腕を引きはがす。
「ちぇ」
 空っぽになった腕に舌を鳴らして、賢人は仕方がないなと雛姫の前に回った。前髪の隙間を覗き込むと、ほんの一瞬だけ目が合って、すぐに逸らされる。

(スルーはされてないようだな)
 今までにも『好き』を連発してきたが、アレは様子見、ジャブのようなものだった。賢人としても、それほど効果を期待していたわけじゃない。
 だが、さすがにこれだけズラズラ並べ立てたら、いい加減おふざけや軽い気持ちではないと伝わるというものだろう。

 夏休み中の逢瀬から、少なくとも嫌われてはいないということは判っていた。
 加えて、今のこの反応は、それなりに意識してくれていると受け取っていいはずだ。

(ま、それなりの滑り出しかな)
 今でも事あるごとに雛姫には『好き』と言ってきたが、どれもこれも反応が乏しかったから全く届いていないのだろうかと思っていたのだ。が、この様子を見る限り、意外に悪くない。

(これで一線越えたし、あとは押すしかないよな)
 ようやく始められると内心でニンマリする賢人に、不審そうな春日の声が届く。

「でもさ、今までできるだけ目立たないようにしてたでしょ? 多分、こうなるのが判ってたから。なのに、なんで急にこんなふうに暴露しちゃったの?」
 賢人は彼女を見下ろし方をすくめた。
「気付いてたのか。まあ、そろそろいいかなと思ってたし、それより、オレももう我慢の限界だったし」
「……がまん……? がまん、してたの? あれで?」
 限りなく疑わしげな眼差しを向けられて、賢人は心外なとばかりに眉根を寄せる。

「すっげぇしてたじゃん。雛姫見守るぞ我慢大会ってのがあったら、オレ、絶対一位取れるだろ」
「いや、それ、どうかな……まあ、いいか。とにかく、雛姫は初心者なんだから、あんまり無茶振りしないでよ?」
「大丈夫、最終的に、ちゃんと幸せにするから」

「……それ、微妙な返事なんだけど?」
「大丈夫だって。な、雛姫?」

 身を屈めて終始固まったままの彼女の顔を覗き込むと、その頬は紅く染まっていた。
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