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そういう性分

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 夏休みまであと二週間を切ったその日、賢人けんとは学年主任を前にして中庭に立っていた。

「で、サボった体育の授業時間分ランニングをするか、ここの草むしりをするか、どっちにするんだ?」
 渋面の学年主任が選択を迫る。そんな彼に、賢人は迷いなく答えた。
「じゃあ、草むしりで」
 このクソ暑いのにランニングとか、有り得ない。そこそこ広い中庭だが、適当にやっておけば、二、三時間後に学年主任が様子を見に来たときに抜き終わっていなくても、全部終わるまで帰るなとまでは言われないだろう。まあ、もしかしたら、明日もまたやれとは言われるかもしれないが。

 賢人のそんなユルイ考えが伝わったらしく、学年主任の渋い顔はより一層渋くなった。
「まったく、お前は……兄さんは真面目だったのになぁ。お前だって、ここに合格したってことは、やればそれなりにできるはずだろうに」
 学年主任がため息混じりにかぶりを振った。

 兄の聖人まさともこの高校で、文武両道の良い生徒だったらしい。もう卒業しているからあからさまに比べられることはないものの、時々、こんな愚痴を聞かされる。
(ま、当然っちゃ当然だよな)
 別に、兄と比べられることには何とも感じない。聖人と賢人は性格からして全く違う人間だったから。
 聖人は、周囲の期待に応えようとするタイプだが、賢人はそうじゃない。別に、高校なんて留年せずに卒業できればそれでいいと思っているので、ギリギリそこをキープできる程度にやっている。今回は、たまたま暑い日が続いて、うっかり体育をサボり過ぎてしまったが。

「まあ、その時が来たらちゃんとやりますって」
「お前なぁ……」
 ヘラヘラ軽い賢人に、学年主任がまた特大のため息をついた。
「まあ、いい。じゃぁまた後で仕上がり具合を見に来るからな?」
「はいはい」
「『はい』は一つだ」
 ひと睨みと共にそう言って、学年主任は手にしていた軍手を賢人に渡すと首を振りつつ去っていった。

 校舎の陰に彼の姿が消えていくまで見送ったあと、賢人はぐるりと周りを見渡した。
 ボウボウとまではいかないが、それなりに雑草が目立つ。
「めんどくせぇな」
 思わず、そんなつぶやきが漏れた。
 その気になれば学年主任が戻るまでに全部抜き終わることもできるだろうが、まあ、半分くらいやっておけば、充分だろう。
 そう当たりをつけて、取り敢えず手近なところにしゃがみ込んだ。

 プチプチと、やる気のない手で草を抜く。

 多分、十分か二十分か、そのくらい経った頃だろう。

 不意に、背後から小さな声がかかる。
「何、してるの?」
 それが耳に入った瞬間、賢人は勢い良く立ち上がった。

 その声は、まさか。

雛姫ひなき!?」
 振り返りながら名前を呼んだ彼に、少し離れたところに立っていた少女がピクンと身をすくめる。
「あ、ごめん」
 嬉しい驚きのあまりに声が大きくなってしまったことを謝って、賢人はまだそこに残っていてくれた雛姫に歩み寄った。あと三歩というところまで近づいたところで彼女が怯んだように少しばかり後ずさったから、彼はそこで足を止める。

 つれなくされながらも毎朝しつこく声をかけ続けておよそ三週間。多少なりとも効果があったのか、雛姫の方から声をかけてきたのは初めてだ。
 賢人はどうしても浮き立ってしまう心をなんとか鎮めようと難儀しながら、彼女を見下ろす。
 雛姫はそわそわとしていて、声をかけたことを後悔しているようだった。
 だが、それでも、一度は賢人に気を向けてくれたわけで。

 感無量の想いに浸る賢人の背後を覗き込んで、雛姫が微かに首を傾げた。
「草むしり、してるの?」
 いつもながら、まるで声を出すのを恐れているかのような、小さな声だ。雛姫は、彼女の声を聴ける数少ない機会である授業中も、ささやかな声しか出してくれない。

 綺麗な声なのに……と思いつつ、賢人はうなずいた。
「ちょっと、体育の単位が足りないらしくてさ。ここの草むしりをしたら許してくれるって」
「……ここ、全部?」
「そ。雛姫はどうしたの? 部活してないだろ?」
 いつも、雛姫は授業が終わればすぐに春日小春かすがこはると連れ立って帰っていく。そこに交ぜてもらいたいのになと思いつつ、指をくわえて見送っていた賢人だ。

 雛姫は少しばかりためらう素振りを見せてから、言う。
「小春ちゃんが日直だから。ここで、待ち合わせ」
「そっか」
 だったら、しばしの間、雛姫の姿を眺めながら作業をできるというものだ。

(それにしても、超大当たりだよな)
 まさかこんなことが起きようとは、もしかしたら、自分には予知能力でもあるのかもしれないと賢人は思ったほどだ。体育をサボり、しかも草むしりを選んだ自分を褒めてやりたい。

 予想外のご褒美にホクホクしながら、賢人は彼女を見下ろした。
「じゃあ、オレ、やっちゃわないとだから」

 雛姫がいるなら、多少なりとも真面目なところを見せておかねば。
 名残惜しいが彼女から目を離し、さっきの場所へと戻る。
 それまでとは打って変わって勢い良く草をむしりながら、そっと横目で彼女を窺った。

 と。

「え、何で」
 思わず声を上げた賢人に、少し離れたところにしゃがみ込んでいた雛姫が顔を上げる。その手には、たった今引き抜いたばかりの草が握られていた。

「小春ちゃんが来るまで、暇だから」
「でも、手が汚れるだろ」
「別に、いい」
 そう言ってうつむくと、雛姫はまた草に手を伸ばす。

 背中を丸めて黙々と草をむしっていく彼女を、賢人はまじまじと見つめた。そうして、こらえきれずに噴き出す。

「……舘くん?」
 振り向いた雛姫が、いぶかしげな声を上げた。まあ、突然笑い出されたら、アヤシク思うのも当然だが。
 賢人はククッと笑いをこらえながら、よっこらせと膝に手を突いて立ち上がる。雛姫の隣に行って、脱いだ軍手を彼女の手にはめた。彼にはぴったりだったそれが、まるで小さな子がはめているかのようにぶかぶかだ。いい加減バカみたいだが、そんな些細な発見にも、賢人の胸は何だか苦しくなった。
 彼は何気に雛姫の手を取ったまま、言う。
「雛姫ってさぁ、人に対してめっちゃ高い壁張り巡らせてるくせに、そこに閉じこもってられないタイプだよな」
 人と関わるのが苦手なら放っておけばいいのに、仔猫のことといい、本来、困っているものを放っておけないクチなのだろう。
「そういうとこ、すげぇ好き。めちゃくちゃ可愛い」
 思ったことをそのまま口にした賢人に、雛姫が固まる。

(あ、しまった)
 そう言えば、『可愛い』は禁句だった気がする。だが、いったん口からこぼれた言葉を呑み込むことは不可能で、かといって、今のウソ、とも言えなくて。
 雛姫はと言えば、うつむき加減で肩を強張らせている。

 どう取り繕おうかと賢人が頭を巡らせているところに、救い手が現れた。
「雛姫ちゃん」
「小春ちゃん」
 立ち上がって春日の名前を呼んだ雛姫は、サッと外した軍手を賢人の手に押し付けると小走りで彼女のもとに向かう。まるで賢人から逃げようとしているかのような雛姫を迎え入れた春日は、チラリと賢人に目を走らせた。

(何だ?)
 春日の眼差しに何か含みを感じて、賢人は眉をひそめた。まさか、雛姫に何かやらかしたと思われたのだろうか。

 何か言われるかと賢人はわずかに身構えたが、春日の視線が彼に注がれたのはほんの一瞬のことで、すぐに彼女は雛姫に笑いかける。
「お待たせ。帰ろ」
 賢人に背を向けた雛姫の頭が、微かに上下した。
 それきり振り向きもせずに歩き出した二人に、賢人は声をかける。

「雛姫、ありがと」
 彼女の足が止まった。もしかして、こちらを向いてくれるのかと期待したが、雛姫はそのままで小さくかぶりを振っただけだった。
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