上 下
2 / 22

朝の日課

しおりを挟む
「おはよう雛姫ひなき好きだよ付き合って」
 少し早めの時間、まだ人気がまばらな玄関で顔を合わせるなりそう言った賢人けんとに梁川雛姫が返してくるのは、『無表情』だ。いや、実際には長い前髪に隠されていてその気持ちを物語る眼はほとんど見えないのだが、華奢な全身から、「何言ってるの」という声が伝わってくるのはきっと気のせいじゃない。
(このツンぶりもイイよなぁ)
 毎朝毎朝繰り返しているが、雛姫の反応も毎回同じで、その微笑ましさに賢人は思わず顔が緩む。

「おはよう、たち君」
 冷気を醸し出す雛姫の代わりに言葉で答えてくれたのは、雛姫の友人の春日小春かすがこはるだ。肩までのストレート、いわゆるおかっぱ頭に眼鏡をかけている。
 二人とも賢人と同じクラスだが、どちらも目立たないタイプだ。正直なところ、クラスが一緒になって二ヶ月の間、彼は二人がいることにすら、気付いていなかった。

「おはよ、春日」
 賢人は小春に返して、また雛姫に目を戻す。長身の彼よりも頭一つ分小さいから、長い前髪と相まって、そのままだと彼女の表情はさっぱり読み取れない。なので賢人は軽く身を屈めて、その前髪の隙間を覗き込んだ。

「おはよ、雛姫」
「……おはよう、舘くん」
 かろうじて聞き取れるほどの大きさの、けれど、銀の鈴を振るうような透き通った声。
 うっとりと聞き惚れながら賢人が笑顔を返すと、気まずげに目を逸らすのが感じられた。
 反応が乏しい雛姫だが、こうやって彼が若干強引に迫ると、かなり渋々ながらではあるものの、ちゃんと応じてくれる――というよりも、基本、無視とかそういう礼を失したことはできないタイプなのだと思う。一ヶ月弱ほど彼女を見てきて、賢人にも何となくその人となりが見えてきた。

 梁川雛姫は、押しに弱い。強く押すほど、反応が得られる――というよりも、反応せずにはいられないらしい。
 それに気付いて以来、賢人は遠慮なくそこに付け込んでいる。

(まあ、『おはよう』『さようなら』くらいしか応えてくんないけどな)
 一日一回の告白も素通りどころか微妙に嫌そうだ。まあ、好意を持っていない相手に好きと言われて嬉しく思えるものでもないのかもしれないが。
 今も、雛姫はさっさと身を翻して離れていこうとしていた。
(釣れないよなぁ……そういうところも可愛いけど)
 興味がないからというよりも、逃げようとしている、という風情のその背を見送りながら、つい、ニヤニヤしてしまう。
 逃げるということは賢人をなんらかの『脅威』と受け止めているということで、それはつまり、彼のことを意識しているということになる。雛姫の中に、着実に、賢人という存在が滲み込んでいっている証拠だ。
(逃げられると、余計に燃えちゃうけどね)
 毎日毎朝、こうやって背を向けられるたびに彼はどうにもそわそわしてしまう。

 自分でも知らずにいたが、どうやら、自分は追われるよりも追う方が好きらしい。特に雛姫に対しては見ていたいし傍にいたいし、チラリとでも彼女が視線をくれたら我ながらバカだよなと思うほど、嬉しくなる。
 人付き合いは広いが賢人は今まで雛姫に対するように誰かに執着したことはなくて、こんな自分が不思議で新鮮で、意外に、悪くないと思えた。
 そうして、そんな自分に気付かせてくれた雛姫のことが、また、愛おしくなるのだ。

 雛姫の背中は、もう、廊下の向こうだ。目で追っているとチラリと彼女が振り返り、その拍子に視線が絡んだ。雛姫はパッと前を向き、足を速める。
(ああ、もう、可愛い)
 よくぞ、今まで誰の目にも留まらずいてくれたものだ。
 賢人は自分の幸運に感謝する――もっとも、たとえ誰かのものになっていたとしても、指をくわえているつもりはなかったが。

 賢人にとって幸いなことに、雛姫のクラスでの評判は、暗くて愛想がない、人嫌いで春日小春とくらいしか口をきいているところを見たことがない、というものだ。
 だが、本当に人嫌いで冷たい人間なら、鬱陶しい賢人のことなど完全シカトしたらいい。にも拘らず、さっきのように、とことんまで冷たくはできないのだ、彼女は。

 あの雨の日から一ヶ月弱。もう梅雨も明けた。
 その間連日付きまとううち、表に出されている雛姫のその『冷たさ』に、彼はどこか違和感を覚えるようになっていた。
 ――これは、彼女がそう見せようとしているだけではないのか。
 そう受け取ってしまうと、あの素っ気なさも可愛いとしか思えない。

(ま、オレのものになってくれるまでは、その方が都合がいいし)
 賢人は内心でそう独り言ちた。

 前髪で隠されているから今のところ誰にも知られていないが、雛姫はかなりの美少女だ――容姿的に。
 月並みな表現だが、シミひとつない肌は陶磁器のように滑らかだとしか表現のしようがない。
 長い前髪の下の黒目がちで大きな目はほんの少し目じりが下がっていて、実は睫毛がバシバシだ。絶対、マッチ棒が三本はのる。
 鼻と口は小さめだけれども、唇は何も塗っていないのに綺麗な桜色をしていて、ふっくらつやつやだ。賢人はそれを見るたび、美味しそうだなと思う。舐めたら甘そうだ、と。
 背中を流れる黒髪は見るからにサラサラで、有り得ないほど艶やかだ。
 総じて人間離れした美少女っぷりで、多分そこらのアイドルなど足元にも及ばないレベルだと言っても過言ではない。

 前髪もっさりの雛姫のことをどうしてそんなふうに言えるのかといえば、賢人は実際にその容貌を目の当たりにしたからだ。

 あの雨の日の翌日、賢人は学校に来るとすぐに雛姫のもとに赴いて、まじまじと彼女のことを見つめてみた。けれどあの女の子が彼女かどうかはっきりしなかったから、ちょっと前髪を持ち上げてみたのだ。濡れていない雛姫の髪は驚くほど柔らかくて、その触り心地の良さは未だに彼の手に残っている。
 賢人の突然の動きに目を丸くしている雛姫はもう齧りたくなるような愛らしさで、危うく彼女を抱き締めそうになった。すぐに我に返った雛姫が身を引かなかったら、実際にそうしていたかもしれない。

(あんなの晒してたら、他の奴らが放っとかないよな)
 意図して雛姫が目立たないようにしているから、今のところ、誰も彼女のことに気づいていない。
 だが、多少ツンツンしてようが、あの容姿が何かの拍子に知られてしまったら、見てくれに惹かれて野郎どもが群がるのは必至だ。そうなる前に、何としても自分のものにしておきたい。
 賢人はそう目論んでいるのだが、障壁となっているのは、他の男の目を阻んでいるあの素っ気なさだ。あれは他人から興味を持たれないように、人と関わりを持たずに済むようにと雛姫が自分の周りに張り巡らせている『壁』なのだろうが、それが障壁となっているのは賢人も同じだ。どうしたらアレを越えられるのかが、今のところさっぱり判らない。

(そもそも、どうしてあんな態度を取っているんだ?)
 これは賢人の直感に過ぎないが、雛姫はかなり無理をしてあんな自分を作っているのではないかと思う。だが、それはなんとなく感じ取れても、その理由が判らない。

(何か、嫌な事でもあったのか?)
 ――人との関わり合いの中で。

 本気で考え込んだ賢人だったが、ふと視線を感じてそちらの方へ目を向けた。その視線の主は、春日小春だ。
 目が合ってからも変わらず、いやいっそう、彼女はジッと賢人を見つめてくる。
 まるで、彼の奥底にあるものを見出そうとしているかのように。

「……何?」
 その眼差しの強さに眉根を寄せつつ、賢人は問いかける。それからたっぷり三秒間は彼のことを見つめてから、小春が口を開いた。

「これで何回目?」
「え?」
「『告白』。好きだ、付き合ってって」
「ああえっと、六月十五日からだから……十九回?」
 取り敢えず、一日一回、朝の日課にしているから、日数イコール回数で合っているはずだ。

 賢人の返事に、小春はちょっと怯んだ顔になった。それからまた、問いかけてくる。
「何で雛姫なの? 舘君、女の子にすごいモテてるじゃない。放っておいても尻尾振って仲良くしてくれる子、いくらでもいるでしょ?」
 なかなか辛辣な物言いだ。
 この春日小春という女子はおとなしげな顔をしている割に結構口は鋭いのだということを、このひと月弱の間の――一方的な――付き合いで賢人は理解している。

 彼は小春にニッコリと笑顔を投げかけた。そして、答える。
「可愛いから」
 その瞬間、彼女の眼差しがスッと細くなった。探るような色が消え、代わりに微かな失望のようなものがよぎって、失せる。

「ふぅん」
 侮蔑に近いものを含んだ一言と一瞥を賢人に投げると、プイと顔を背け、小春は雛姫を追いかけて走り出した。

「なんか、怒らせたなぁ」
 地雷は『可愛い』だろうか。色々ひっくるめてのその一言だったが、どうやら端折り過ぎだったらしい。
 ポリポリと後ろ頭を掻いてつぶやいた賢人に、去って行った春日とちょうど入れ違いのようにして玄関に女子の集団が入ってきた。派手な子が目立つ、いわゆるスクールカーストの上位にいるグループだ。彼女たちは賢人を見つけて高い声を上げる。
「オハヨ、賢人! って、今の、春日さん? あんな子と何話してたの?」
「別に。朝のアイサツ」
「賢人、優しいからぁ」
 言外に、あんな地味な子にも声かけてやるなんて、という声が聞こえる。

 この手の遣り取りは、スルーしておくのが一番だ。
 同意とも否定とも受け取れるヘラッとした笑みを返して、彼は教室への廊下を歩き出した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

乱交的フラストレーション〜美少年の先輩はドMでした♡〜

花野りら
恋愛
上巻は、美少年サカ(高2)の夏休みから始まります。 プールで水着ギャルが、始めは嫌がるものの、最後はノリノリで犯されるシーンは必読♡ 下巻からは、美少女ゆうこ(高1)の話です。 ゆうこは先輩(サカ)とピュアな恋愛をしていました。 しかし、イケメン、フクさんの登場でじわじわと快楽に溺れ、いつしかメス堕ちしてしまいます。 ピュア系JKの本性は、実はどMの淫乱で、友達交えて4Pするシーンは大興奮♡ ラストのエピローグは、強面フクさん(二十歳の社会人)の話です。 ハッピーエンドなので心の奥にそっとしまいたくなります。 爽やかな夏から、しっとりした秋に移りゆくようなラブストーリー♡ ぜひ期待してお読みくださいませ! 読んだら感想をよろしくお願いしますね〜お待ちしてます!

王子の恋の共犯者

はるきりょう
恋愛
人並みに恋愛小説を読むのが好きだった。叶わない恋は応援したくなる。好きなのに、身分が違うと言うだけで、結ばれないなんて、そんな悲しいことはない。だから、エルサは共犯者になることに決めた。 小説家になろうサイト様にも掲載しています。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

友情結婚してみたら溺愛されてる件

鳴宮鶉子
恋愛
幼馴染で元カレの彼と友情結婚したら、溺愛されてる?

同居人の一輝くんは、ちょっぴり不器用でちょっぴり危険⁉

朝陽七彩
恋愛
突然。 同居することになった。 幼なじみの一輝くんと。 一輝くんは大人しくて子羊みたいな子。 ……だったはず。 なのに。 「結菜ちゃん、一緒に寝よ」 えっ⁉ 「結菜ちゃん、こっちにおいで」 そんなの恥ずかしいよっ。 「結菜ちゃんのこと、どうしようもなく、 ほしくてほしくてたまらない」 そんなにドキドキさせないでっ‼ 今までの子羊のような一輝くん。 そうではなく。 オオカミになってしまっているっ⁉ 。・.・*.・*・*.・。*・.・*・*.・* 如月結菜(きさらぎ ゆな) 高校三年生 恋愛に鈍感 椎名一輝(しいな いつき) 高校一年生 本当は恋愛に慣れていない 。・.・*.・*・*.・。*・.・*・*.・* オオカミになっている。 そのときの一輝くんは。 「一緒にお風呂に入ったら教えてあげる」 一緒にっ⁉ そんなの恥ずかしいよっ。 恥ずかしくなる。 そんな言葉をサラッと言ったり。 それに。 少しイジワル。 だけど。 一輝くんは。 不器用なところもある。 そして一生懸命。 優しいところもたくさんある。 そんな一輝くんが。 「僕は結菜ちゃんのこと誰にも渡したくない」 「そんなに可愛いと理性が破壊寸前になる」 なんて言うから。 余計に恥ずかしくなるし緊張してしまう。 子羊の部分とオオカミの部分。 それらにはギャップがある。 だから戸惑ってしまう。 それだけではない。 そのギャップが。 ドキドキさせる。 虜にさせる。 それは一輝くんの魅力。 そんな一輝くんの魅力。 それに溺れてしまう。 もう一輝くんの魅力から……? ♡何が起こるかわからない⁉♡

伯爵閣下の褒賞品

夏菜しの
恋愛
 長い戦争を終わらせた英雄は、新たな爵位と領地そして金銭に家畜と様々な褒賞品を手に入れた。  しかしその褒賞品の一つ。〝妻〟の存在が英雄を悩ませる。  巨漢で強面、戦ばかりで女性の扱いは分からない。元来口下手で気の利いた話も出来そうにない。いくら国王陛下の命令とは言え、そんな自分に嫁いでくるのは酷だろう。  互いの体裁を取り繕うために一年。 「この離縁届を預けておく、一年後ならば自由にしてくれて構わない」  これが英雄の考えた譲歩だった。  しかし英雄は知らなかった。  選ばれたはずの妻が唯一希少な好みの持ち主で、彼女は選ばれたのではなく自ら志願して妻になったことを……  別れたい英雄と、別れたくない褒賞品のお話です。 ※設定違いの姉妹作品「伯爵閣下の褒章品(あ)」を公開中。  よろしければ合わせて読んでみてください。

行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される

めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」  ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!  テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。 『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。  新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。  アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。

処理中です...