難攻不落のお姫様~舘家の三兄弟②~

トウリン

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プロローグ

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 舘賢人たち けんとが彼女を見たのは、高校二年の梅雨の真っただ中、六月半ばの帰宅途中のことだった。
 いつもは自転車通学の賢人だったが、その日は朝から雨足が強かったので電車を選んだのだ。

 放課後、部活をしていない彼が早々に高校の校門を出て駅に向かう途中、雨でけぶる公園の中を歩いていると、緑が大部分を占めている彼の視界の片隅で、淡いピンクの何かが動いた気がした。

(何だ……?)
 そちらを向くと、やはりチラチラピンク色が見え隠れする。どうやら、傘らしい。それにしても、彼が見ているのは、遊歩道から外れた茂みの方だ。この雨では土もグチャグチャだろうに、いったい何をしているのか。

(ちょっと行ってみるか)
 暇を持て余している賢人の足は、好奇心でそちらに向かう。

 緑が生い茂る植木を回り込むようにして進んでいるうちに、赤ん坊の泣き声のようなものが微かに耳に届き始めた。
 いや、違う。これは人の子の声じゃない。
 次第に大きくなってくるその声の正体に、賢人は気付いた。
(猫、だ)
 眉をひそめながら歩いていると、ふつりと植木が途切れる。と同時に、探し物に辿り着いたようだ。

 ピンク色の何かは、やはり傘だった。その下から覗いているのはプリーツスカートだから、主は女の子だろう。完全に賢人に背中を向けているからはっきりしないが、彼の高校の制服を着ているように見える。

 その子は、こんもりとした茂みを前にして、身じろぎ一つせず佇んでいる。と思ったら、しゃがみ込んだ。どうやら、猫の声はその辺りから聞こえてくるようだ。

(何してるんだ?)
 賢人が首をかしげて見守っていると、うずくまっていた彼女が、唐突に立ち上がる。そうして、何を思ったのか、手にしていた傘を茂みに突き刺した。
 ちょっとした物音を消してしまうほどの、雨の勢いだ。傘を手放した瞬間から、華奢な身体が濡れネズミになる。
 その女の子は少し傘を弄ってから、次の瞬間何かを振り切ろうとするかのように勢いよく身を翻した。賢人は反射的に植木の陰に隠れたが、彼女は雨を避けるように頭を低くして、彼がいる場所とは違う方向に駆けていく。

 しばしその背中を見送ってから、賢人は置き去りの傘に目を移した。やっぱり、その下から猫の鳴き声が聞こえる。ついでに言うと、傘の下には箱があるようだ。

(てことは……)
 賢人はそれに歩み寄り、傘の天辺を摘まんでヒョイと持ち上げた。
 そこには、茂みの隙間に押し込まれるようにして置かれた段ボール箱。と、その中に、白地に黒ブチの仔猫が。
「ミャァ」
 賢人と目が合うと、何かを乞うように一声鳴いた。

 束の間思案し、彼は傘を持たない方の手を伸ばして仔猫をすくい上げる。驚くほどに軽い身体はとても温かいけれども、ブルブルと激しく震えていた。

「さて、どうしようか?」
 連れて帰ったら、父の勝之かつゆきや兄の聖人まさとは何も言わないだろうが、手厳しい弟の優人ゆうとには叱られそうだ。
「母さんがいりゃ、喜んで飼ってるだろうけどな」
 いかんせん、舘家は、昼間は誰もいなくなるし、今まで猫を飼った経験もない。

 仔猫は彼の手の温もりに落ち着いたのか、すっぽりとその中に納まって、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
「ま、いいか。どうにでもなるさ」
 この傘があったとしても、この大雨では鳴き声も掻き消されてしまうし、仔猫に気付いて足を止めてくれる人はほとんどいないだろう。そもそも仔猫の小さな身体はすでにだいぶ濡れているし、一晩経ったらどうなっているか判らない。舘家で飼えないとしても、賢人は交友関係が広いから、誰かもらってくれる人が見つかるはずだ。

「取り敢えず、うちに来るか」
 賢人が仔猫に向かってそうつぶやいた時だった。

 パシャ、と、背後で水音が。

 振り返るとさっきの少女がそこにいて、それまで伏せていたらしい顔をパッと上げた。そこで、今初めて賢人に気付いたと言わんばかりに、固まる。

(戻ってきたのか)
 傘を差しかけていったものの、やはり放ってはおけなかったようだ。

 改めて、賢人はその子のことをザッと頭の天辺からつま先まで見下ろした。
 彼女は全身ずぶ濡れで、髪はピタリと顔に貼り付いている。
 正面から向き合ってみると、なんとなく、見覚えがある気がした。
 制服はやっぱり賢人と同じ高校で、校章の色も彼と同じ二年生だ。それに、背の半ばを越す長い髪。

(えっと……)

 多分、そう、梁川雛姫やながわひなき、だ。
 同じクラスの。

 正直、顔はあまり覚えていない。濡れていない時でも目に被さるほどの前髪が、ほとんど隠してしまっているから。けれど、驚くほどにサラサラの長い髪と『儚い』という表現がぴったりくる華奢な身体つきに、見覚えがあった。

 賢人は彼女が置いていった傘を取り、差し出す。
 梁川雛姫はそれを受け取ると、もう片方の手で前髪をよけた。

 そこから現れた目尻が下がり気味の大きな目は赤く潤んでいて、目蓋は少しばかり腫れている。ついでにいうと、鼻の頭も赤い。
 初めてまともに見た彼女の顔は、通常なら『凄い美少女』の範疇に入るものだった。
 けれど、目が腫れて鼻も赤い今の彼女は、正直言ってその美少女っぷりが大きく損なわれている。

 にも拘らず。

 その半泣きの梁川雛姫を目にした瞬間、賢人の心臓は熱く焼けた手で鷲掴みにされたような衝撃に襲われた。

 思わず、息を詰める。
 ――彼女を手に入れたい。
 何の脈絡もなくそう願い、賢人の頭の中はその欲求を叶えること以外考えられなくなった。

(何だ、これ)

 率直に言って、賢人はモテる。放っておいても女子が寄ってくるが、その中の誰に対してもこんなふうに感じたことがなかった。いや、女子どころか、ヒトにもモノにも、こんなに強い感情を抱いたのは、初めてだ。

 じゃれついてくる女の子たちのことは、普通に可愛いと思う。
 そして、目の前に立っている、ずぶ濡れで鼻を赤くしている梁川雛姫のことも、可愛いと思った。けれど、それは、同じ『可愛い』ではない。

(けど、何が違うんだ?)
 賢人は眉をひそめてまじまじと彼女を見つめたが、判らない。
 だが、何がどう違うのかは言えないけれど、何かが決定的に違っている。

 目の前に立つ泣きそうな顔をしているこの女の子のことが胸が苦しくなるほど可愛く思えて、彼女が欲しいと、心の底から思った。彼女のことを手に入れなければならないと、直感した。

 それから、梁川雛姫とどんな遣り取りをしたのか、賢人はほとんど覚えていない。ただ、仔猫のことを案じる彼女に、自分が何とかするからとか、言った気がする。あとは、風邪をひくから早く帰った方がいい、とか。
 どうやって辿り着いたのかも判らないけれど、気付いた時には自宅の前に立っていた。

 賢人は深々と息をつき、玄関のドアに手をかける。
「ただいまぁ」
 玄関で声を上げると、いつものようにリビングからヒョコリとほたるが顔を出した。彼女は隣のアパートに住んでいる子で、ちょっとした事情があって舘家によく出入りしている。まだ小学生なのにしっかりしていて、母親不在の舘家の男連中の世話を焼いてくれていた。

 蛍は賢人の姿を一目見るなり大きな目を丸くする。
「ちょっと待って、賢人くん! タオル持ってくるから!」
 そう言って彼女はパタパタとスリッパの音をさせてバスルームに行き、すぐに賢人のもとにやってきた。
「水気取ったらお風呂に行ってね――……その子は?」
 そう言いながら手にしたバスタオルを差し出した蛍の視線が、賢人の手に釘付けになる。

「ああ、こいつ? 公園で拾ったんだ」
「公園で? わぁ、可愛い」
 賢人から仔猫を渡されて、蛍が歓声を上げた。が、すぐにその顔が曇る。
「すごい震えてる。いっしょにお風呂に入れてあげて?」
「ああ」
 言われたように床に滴らない程度には身体を拭いて、賢人は框に上がった。仔猫をまた受け取りそのまま風呂に直行しようとして、立ち止まる。

「賢人くん? どうしたの?」
 振り返って、蛍を見下ろした。

「オレ、好きな子ができた」

 唐突な告白に、彼女が目をしばたたかせる。
「好きな人?」
「ああ。絶対、オレのものにする。あの子はきっとオレの『特別』になる」
 それは、宣言というよりも断言に近かった。

 蛍はマジマジと賢人のことを見つめてから、ふわりと笑う。そうして、信頼に満ち満ちた眼差しで彼を見上げてきた。
「賢人くんの『特別』になった人は、きっと幸せになれると思う」
 賢人は束の間眉を上げ、それから彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「ホント、可愛いな、蛍は」
「もう! 髪グチャグチャになっちゃうよ! それより、早くお風呂に行ってきて」
「はいはい」
 ポンと丸い頭を叩いて、賢人は蛍の命令に従った。
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