暗黒神話

トウリン

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帰着

この世で一番安全な保管場所

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 夕暮れ時の新宿の街並みを、康平と未明みあかは門屋の事務所に向かって歩いていた。

「結局、その紐って何なんだ?」
 康平は、未明が手にする包みを見やった。布で幾重にも包まれたそれの中身は、例の『魔道書』を封じた剣である。康平にはよくわからない方法で未明が剣の中にアレを入れた後、彼女は『仕上げ』とばかりに、門屋かどやからもらった組紐で縛り上げたのだ。

 康平の問いに未明は一度手の中のものに目を落とし、それからまた彼を見上げてくる。軽く小首をかしげたその様子は、いたずらを考えている仔猫のようだ。
「これ? これはね、『お守り』なの」
 含みを持った未明の笑顔は、門屋と彼女の間に何かがあるような邪推を康平に抱かせる。それは、なんとも、面白くない。しかし、あんな冴えないおっさん相手にやきもちを妬いていると思われるのもイヤなので、康平は軽く受け流すふりをするしかなかった。
「まあ、いいけどよ」
 そう呟いた康平の耳に、クスクスと忍び笑いが届いてくる。
(ちぇ)
 康平とて人並み以上に世間ずれしている方ではあるが、未明と門屋が相手では勝てる気がしない。内心で舌打ちし、彼は話題を変える。

「でもよ、ホントにそれをアイツに預けちまっていいのか?」
「うん。だって、なんでか、世界で一番安全な気がしない? 彼が亡くなる時には、私たちがまた受け取ればいいんだし」
 そう言って、未明はニッコリ笑う。
 年齢から考えれば、三人の中で門屋が一番早くこの世からおさらばする筈だが、何故か康平にはそう思えない。
(この世の全てが死に絶えても、あのおっさんは生き残りそうだよな)
 そう、全てがなくなった世界でも、変わらずヘラヘラ笑いながら同じ場所に座っているような気がする。
 そんな、恐ろしいような、ユーモラスなような絵面を思い浮かべながら歩いていると、じきに目的地に到着した。

 部屋に入る前に、康平はチラリと未明を見下ろした。彼女の見た目は、明らかに前回ここを訪れた時とは違っている――ひと月と経っていないにも拘らず。
(きっと、何か言われるよなぁ)
 そう、今の未明を見て、何も言わないわけがない。だが、いずれバレるのであれば、それが今でも同じことだろう。
 覚悟を決めて、康平は事務所のドアを開けた。

 いつものように声を掛け、いつものように廊下を進む。
 そして、いつものように、能天気な声が響いた。
「やあ、いらっしゃい、康平君、未明ちゃん。元気だった?」
 糸のように細いメガネの奥の目が康平に向けられ、次いで未明に向けられる。彼女を見つけた門屋の目は、普段の五倍ほどに見開かれた。
「おや? おやおや?」
「こんにちは」
 康平の陰から半身を出して、未明がペコリと会釈する。
 そういう挨拶している場合じゃないだろう、と康平は突っ込みたくなるが、敢えて黙っておいた。その間にも、門屋の視線が未明と康平を往復する。
「これは、これは……」
 学者が珍しいものを見る眼差しで未明を眺め、そして、にんまりする。

「残念、康平君。あと四、五年、てとこかな」
「ちょっと、待て! 突っ込むのはそこかよ!?」
『そのこと』には触れずにおいてくれる方がありがたいというのに、あまりにあまりな門屋の反応に、康平は思わず声を上げてしまう。
「んー、なんか、急に大きくなったよねぇ」
 非常に瑣末なことのように、門屋は気軽に頷いた。
 だが、普通は『たいしたこと』の筈だ。

 何故ならば。

 今の未明は、かつての少女のものではない。さりとて、あの、満月の時のような成人女性の姿でもなく、その中間の十四、五歳というところだった。非常に中途半端な年齢で、明らかに以前とは違うのに、全くの別人として紹介することもできないのだ。
 未明自身は門屋への説明について、最初から特に何も思っていないようだった。家を出る寸前まで説明という名の言い訳を捻り出そうしていた康平の横で、呑気にお茶など飲んでいたのだ。
 そんな彼女の能天気ぶりを、単にこの世界における現実認識能力の欠如によるものなのだろうと、康平は考えていたのだが。いずれにしても、どうしようもないことなので、取り敢えずは、門屋の反応を見てから対応しようと思っていたというのに。

 あまりに、あっさり流され過ぎる。一人で思い悩んでいた自分が、バカみたいに思えてきて、なんだか、全てがどうでもよくなってきた。

 脱力した康平のジャケットの裾を、未明が引いた。そして、無言で手にしたものを示す。
 現実世界に呼び戻された康平は、肩の力が抜けた気持ちで彼女に頷いた。未明が差し出したものを受け取り、門屋のデスクの上に置く。

「これを保管しておいてくれよ。あんたがくたばる時にはまた返してもらうぜ」
「何?」
「あんたが言っていた、海に沈んだ剣だよ」
「へえ……、よく見つけたねぇ」
 感心したように門屋が言い、にんまりと笑う。どこか胡散臭いというかわざとらしいような気がするのは、康平の邪推だろうか。
 中身も検めずに、門屋はそれをいそいそとデスクの引き出しの中に仕舞おうとする。

「中、見ねぇの?」
 いつもの彼らしくない行動に、康平が思わず声を掛けた。そんな珍しいものであれば、ダメと言っても見るのが門屋だ。だが、彼は、満面の笑みを返す。
「後で、じっくりと見させてもらうよ。じっくりとね」
 まるで、二人が去ったら舐めしゃぶりそうな言い方だった。康平は、ちょっとイヤな顔をする。いずれ返してもらう予定のモノに、あまり変なことはして欲しくない。
「まあ、もうどうでもいいよ、どうでも。とにかく、大事にしてくれよ?」
「任せて」
 恐らく、本当にここが一番『安全』なのだろう。理屈ではなく本能で、康平はそう理解する。もしも核爆弾が落ちたとしても、ここなら大丈夫なような気すらした。

「じゃあ、またな」
 康平は門屋に手を振り、未明を促して事務所を後にしようとする。

 と、そこで彼が声を上げた。

「ああ、ねえ、未明ちゃん?」
 呼び止められた未明は立ち止まり、一拍置いて振り返る。
 門屋は軽く首をかしげて、何かを確かめるような眼差しを彼女に注いだ。
「君は、決めたんだね?」
 ただそれだけの問いに未明は目をしばたたかせ、そして、頷く。微かな笑みと共に。

「ええ、決めたの」

 凛とした、銀の鈴を振るうような声が埃っぽい事務所の中に響いた。
 門屋は軽く眉を上げ、頷くように顎を引く。
「そっか」
「何のことだ?」
 一人蚊帳の外に置かれた康平は未明を見下ろしたが、彼女はフフッと謎めいた笑みを返してくる。
「内緒。帰ろ、康平」
 未明は康平の手をグイと引っ張り戸口へと歩き出した。

「――じゃあね、お幸せに」
 立ち去る二人の背中に、門屋がそう声を掛ける。多分、いつものニヤニヤ笑いを浮かべて。

 振り返らずに未明と行く康平が、それを目にすることは、なかった。
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