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帰着
恐れ
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未明が見つけてきた剣は刃渡り三十センチほどで、『剣』というより『ナイフ』といった方がいい代物だった。やや太めの柄には複雑な紋様が刻まれている。鞘こそ古びていたものの、抜いてみると刀身には錆一つなく、青とも銀とも黒ともつかない、不可思議な光沢を放っていた。
ベッドの上で胡坐をかいて、康平はそれをしげしげと見つめる。
本当に、千年近くも海の中に沈んでいたのだろうか。もし沈んでいたのだとしたら、いったい、どんな金属でできているというのか。色々な武器を目にしてきたが、こんな輝きを持つものは初めてだ。
これがホンモノだろうが、ニセモノだろうが、正直なところ、康平にとってはどちらでもよかった。未明がこれを『ユヌバール』とやらだと認定し、『魔道書』とやらを手放して彼と共に生きていく道を選んでくれるのであれば。
だが、本当に、彼女はそうすることを選ぶのだろうか――今まで未明の全てだったものを、果たして捨てられるのか。
――康平。
ふと呼ばれたような気がして、康平は手の中の剣に落としていた目を隣のベッドに横たわる未明に向けた。
と、彼の目の前で、閉ざされた眦から涙が一つ伝っていく。
「……未明?」
目を覚ましたのかと思って名前を呼んでみたが、返事はない。康平は立ち上がり、親指の腹で未明の頬を拭ってやった。そのまま頬に手のひらを押し付け、温もりを確かめる。
剣を手に入れてから、三日が過ぎた。
それはすなわち、今宵は満月だということだ。そして、日が沈んでだいぶ経つ。大荒れの空では厚い雲に隠されているだろうが、きっと、その彼方には真円の銀盤が輝いているはずだ。
未明と出会ってから満月は何度か迎えてきたが、何故か今夜は康平の胸に言いようのない不安が込み上げてくる。
本来、彼女は常に満月とともに世界を移動してきたのだ。同じようにこの世界から去ってしまう可能性は、常にある。
だが、康平は、そのことについてあまり深く考えてはいなかった。未明はこの世界に留まるものだと確信していたからだ。だが、そう思えていた根拠は、いったいなんだったのか。
こうやって気になるようになってしまったのは、アレイスの置き台詞の所為だろうか。それとも、康平自身の気持ちの変化によるものなのだろうか。
今まで生きてきた中で、康平が誰かに対して興味を持ち、何か質問することなど、なかった。そこそこ楽しくやっていた軍事会社にいた期間も、仲間に対して何かを尋ねたいと思ったことはなかったのだ。
だが、今。
未明に訊きたいことは、いくつもある。
時が止まっているとはどういうことなのか、とか。
この世界に留まることを望んでいるのか、とか。
本当はどうしたいのか、とか。
――自分が傍にいてもいいのか、とか。
それらのどれ一つ、訊けはしない。どれか一つでも、彼の望まぬ答えが返ってくることが怖かった。
康平自身、未明を手放したくない、傍に置いておきたいと思う気持ちが何処から来るものなのか、よく判らない。けれども、今、彼女を失えば、自分はもう駄目になってしまう気がする。
それは、庇護欲なのか、愛情なのか、あるいは単なる独占欲なのか。
多分、この少女を失わないためなら、自分はどんなことでもするだろう。そう、どんなことでも。康平は、そんなふうに考えてしまう己に、歯軋りをする。だが、それは抑えようのない衝動だった。
康平は、柔らかな未明の頬を、そっと撫でる。
と、それが呼び水になったかのように。
「――ッは!」
不意に、彼女が大きく喘いだ。
「未明?」
目が覚めるのかと声をかけた康平の目の前で、それは起こる。
未明が軽く背を反らし、その四肢に力が入るのがわかった。
触れている頬が異様に熱い。
「ぅあぅ!」
再び未明が呻き、その身体つきが、顔立ちが、みるみる変化していく。瞬きのうちにそれは終息し、後には少女から女性へと変化した彼女が残されていた。
「未明」
もう一度、名前を呼ぶ。
やがて睫毛が震え、ゆっくりと目蓋が上げられた。
柔らかく瞬きした後、未明の眼差しが康平へと向けられる。
「……康平」
いつもの甘さはそのままに、ほんの少しだけ低くかすれた声が、彼の鼓膜をくすぐる。
未明は身体を起こし、自分の身体をしげしげと見下ろした後、「ああ……」と声を漏らした。
「そっか、今晩は満月なんだ」
そして、目を海の方へと向ける。康平を、素通りして。
「始まっちゃった。行かないと」
何が、とは康平も訊かなかった。ただ、ベッドから下りて身支度を整えようとした未明の腕を捕らえただけだ。
「康平?」
不思議そうに、未明が康平を見つめる。ただ信頼だけがあるその無垢な眼差しは、彼の何を見てのことなのだろう。そう思うと、知らずのうちに、彼女の腕を掴んでいる手に力が入った。
「康平、手を放して?」
だが、彼は、手を放す代わりに口を開いた。
「お前は、これからどうするんだ?」
「え?」
「どうしたいんだよ?」
畳みかける康平に未明はその眼に困惑の色を浮かべて眉根を寄せる。
「どうって、『亀裂』を塞いでこないと……」
当然でしょう? といわんばかりのその素振りに、彼の頭にカッと血が上った。
「その後だよ!」
康平は、グイと未明の腕を引いた。バランスを崩した彼女を、ベッドの上に押し付ける。
「ちょ……っと、待って、放してってば」
咄嗟にもがいた彼女の両手を掴んで、押さえ込んだ。そして、間近で彼女の目を覗き込む。
「なあ、アレが例の剣なんだよな? 手に入ったんだろ? だったら、お前の中の『魔道書』とやらを、追い出すんだよな?」
念を押す康平の前で、未明の視線がふっと揺らぐ。それは、言葉よりも遥かに雄弁な答えだった。
その瞬間、彼は悟る。
「未明。剣があっても、お前はその力を手放さないのか」
それは読み取った彼女の胸の内にある決定事項をそのまま声にしたもので、問いの形にはならない。
この時康平が抱いたのは、疑問でも驚きでもなかった。
一番近いものは、多分、失望だ。
未明は、彼との未来を選ばない。
彼女が叩き付けてきたその現実に、康平の中には怒りにも似たどす黒い奔流が逆巻いた。
ベッドの上で胡坐をかいて、康平はそれをしげしげと見つめる。
本当に、千年近くも海の中に沈んでいたのだろうか。もし沈んでいたのだとしたら、いったい、どんな金属でできているというのか。色々な武器を目にしてきたが、こんな輝きを持つものは初めてだ。
これがホンモノだろうが、ニセモノだろうが、正直なところ、康平にとってはどちらでもよかった。未明がこれを『ユヌバール』とやらだと認定し、『魔道書』とやらを手放して彼と共に生きていく道を選んでくれるのであれば。
だが、本当に、彼女はそうすることを選ぶのだろうか――今まで未明の全てだったものを、果たして捨てられるのか。
――康平。
ふと呼ばれたような気がして、康平は手の中の剣に落としていた目を隣のベッドに横たわる未明に向けた。
と、彼の目の前で、閉ざされた眦から涙が一つ伝っていく。
「……未明?」
目を覚ましたのかと思って名前を呼んでみたが、返事はない。康平は立ち上がり、親指の腹で未明の頬を拭ってやった。そのまま頬に手のひらを押し付け、温もりを確かめる。
剣を手に入れてから、三日が過ぎた。
それはすなわち、今宵は満月だということだ。そして、日が沈んでだいぶ経つ。大荒れの空では厚い雲に隠されているだろうが、きっと、その彼方には真円の銀盤が輝いているはずだ。
未明と出会ってから満月は何度か迎えてきたが、何故か今夜は康平の胸に言いようのない不安が込み上げてくる。
本来、彼女は常に満月とともに世界を移動してきたのだ。同じようにこの世界から去ってしまう可能性は、常にある。
だが、康平は、そのことについてあまり深く考えてはいなかった。未明はこの世界に留まるものだと確信していたからだ。だが、そう思えていた根拠は、いったいなんだったのか。
こうやって気になるようになってしまったのは、アレイスの置き台詞の所為だろうか。それとも、康平自身の気持ちの変化によるものなのだろうか。
今まで生きてきた中で、康平が誰かに対して興味を持ち、何か質問することなど、なかった。そこそこ楽しくやっていた軍事会社にいた期間も、仲間に対して何かを尋ねたいと思ったことはなかったのだ。
だが、今。
未明に訊きたいことは、いくつもある。
時が止まっているとはどういうことなのか、とか。
この世界に留まることを望んでいるのか、とか。
本当はどうしたいのか、とか。
――自分が傍にいてもいいのか、とか。
それらのどれ一つ、訊けはしない。どれか一つでも、彼の望まぬ答えが返ってくることが怖かった。
康平自身、未明を手放したくない、傍に置いておきたいと思う気持ちが何処から来るものなのか、よく判らない。けれども、今、彼女を失えば、自分はもう駄目になってしまう気がする。
それは、庇護欲なのか、愛情なのか、あるいは単なる独占欲なのか。
多分、この少女を失わないためなら、自分はどんなことでもするだろう。そう、どんなことでも。康平は、そんなふうに考えてしまう己に、歯軋りをする。だが、それは抑えようのない衝動だった。
康平は、柔らかな未明の頬を、そっと撫でる。
と、それが呼び水になったかのように。
「――ッは!」
不意に、彼女が大きく喘いだ。
「未明?」
目が覚めるのかと声をかけた康平の目の前で、それは起こる。
未明が軽く背を反らし、その四肢に力が入るのがわかった。
触れている頬が異様に熱い。
「ぅあぅ!」
再び未明が呻き、その身体つきが、顔立ちが、みるみる変化していく。瞬きのうちにそれは終息し、後には少女から女性へと変化した彼女が残されていた。
「未明」
もう一度、名前を呼ぶ。
やがて睫毛が震え、ゆっくりと目蓋が上げられた。
柔らかく瞬きした後、未明の眼差しが康平へと向けられる。
「……康平」
いつもの甘さはそのままに、ほんの少しだけ低くかすれた声が、彼の鼓膜をくすぐる。
未明は身体を起こし、自分の身体をしげしげと見下ろした後、「ああ……」と声を漏らした。
「そっか、今晩は満月なんだ」
そして、目を海の方へと向ける。康平を、素通りして。
「始まっちゃった。行かないと」
何が、とは康平も訊かなかった。ただ、ベッドから下りて身支度を整えようとした未明の腕を捕らえただけだ。
「康平?」
不思議そうに、未明が康平を見つめる。ただ信頼だけがあるその無垢な眼差しは、彼の何を見てのことなのだろう。そう思うと、知らずのうちに、彼女の腕を掴んでいる手に力が入った。
「康平、手を放して?」
だが、彼は、手を放す代わりに口を開いた。
「お前は、これからどうするんだ?」
「え?」
「どうしたいんだよ?」
畳みかける康平に未明はその眼に困惑の色を浮かべて眉根を寄せる。
「どうって、『亀裂』を塞いでこないと……」
当然でしょう? といわんばかりのその素振りに、彼の頭にカッと血が上った。
「その後だよ!」
康平は、グイと未明の腕を引いた。バランスを崩した彼女を、ベッドの上に押し付ける。
「ちょ……っと、待って、放してってば」
咄嗟にもがいた彼女の両手を掴んで、押さえ込んだ。そして、間近で彼女の目を覗き込む。
「なあ、アレが例の剣なんだよな? 手に入ったんだろ? だったら、お前の中の『魔道書』とやらを、追い出すんだよな?」
念を押す康平の前で、未明の視線がふっと揺らぐ。それは、言葉よりも遥かに雄弁な答えだった。
その瞬間、彼は悟る。
「未明。剣があっても、お前はその力を手放さないのか」
それは読み取った彼女の胸の内にある決定事項をそのまま声にしたもので、問いの形にはならない。
この時康平が抱いたのは、疑問でも驚きでもなかった。
一番近いものは、多分、失望だ。
未明は、彼との未来を選ばない。
彼女が叩き付けてきたその現実に、康平の中には怒りにも似たどす黒い奔流が逆巻いた。
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