暗黒神話

トウリン

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変容

力の真実

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「……来てくれた」
 顔を上げる力も失われつつある未明みあかは、そう呟く。
 その姿を目にしなくても判った――彼が来てくれたことは。
 安堵した瞬間、身体から何かが引き出される感触に身震いする。

「ミアカスール?」
 アレイスが怪訝な声で問いかけ、スッと目を細めて彼女を見つめた。彼の目には、未明から伸びる魔力の鎖が見えているはずだ。

 その鎖を辿って背後を振り返ったアレイスは、その先が未明が信じるただ一人の存在――黒木康平くろきこうへいにつながっていることも、見て取ったようだ。
「貴女は、また、何て無茶なことを……今すぐ、それを切りなさい! その状態で続けたら、もちませんよ?」

 だが、彼の叱責に未明はうっすらと口元に笑みを浮かべて、断言する。

「イ・ヤ。私は彼を守るし、彼は私を守るのよ。どちらも一方的ではいけないと解ったの。彼は私を守ってくれると、信じてる。だから、私もこれを切らない」
「ミアカスール……」
 アレイスが苛立たしげに名前を口にする。頑迷な彼女に、呆れているのか、腹を立てているのか。

「いいでしょう。ならば、貴女の力が尽きる前に、彼を仕留めます」
「あんたが……? そんなの、できないでしょう?」
「私自身ではありません。彼らに、お願いします」
 その言葉と共に、パチン、と彼が指を鳴らす。刹那、ザッと音を立てて、忌まわしい羽虫の群れが現われた。

「『眷属』!? なんで!?」
 亀裂を閉じた今、それらも消失したはずだった。第一、もしもこの世界に残っているとしても、ただの『影』に過ぎなかったはず。にも拘らず、耳障りな羽音を響かせているそれらは、月明かりで地面に影を作るほど、明らかな質感を持っていた。

 狼狽する未明に、アレイスが優雅に微笑む。
「ちょっとね、仕込んでおいたのですよ。念には念を入れてね。私自身は彼に手を出せませんが、実体化した『眷属』が勝手に彼を襲うのは、私には与り知らぬことですから」
「そんなの、詭弁だわ!」

 唇を噛み締める未明の前で、『眷属』たちは一斉に羽ばたいた。


   *


 康平は常に背後に風車の柱を置きつつ、向かってくる化け物を狙い撃つ。
 元々銃の腕には自信があるが、それを加味しても撃ち落すのは容易な敵だった。知能はないに等しいらしく、基本的には真っ直ぐに突進してくるだけだ。たまに勢いあまって風車に激突し、自爆する奴もいる。難点は数の多さだけだ。

 目前に迫ったものを撃ち落とし、突き出された後続の爪を、頭を屈めてかわす。それは康平の代わりに風車の柱を掴み、そこにはくっきりと爪痕が刻まれた。横ざまに跳んで、そのまま転がりながら距離を取り、また一匹仕留める。捕まったら一瞬でお陀仏だろうが、捕まりさえしなかったら、何という事も無い。
 化け物はダウンすると跡形もなく消え失せていく。

 半数ほどを消し去った頃だろうか。
 唐突に攻撃が止み、全ての化け物が一瞬にして消え去った。

「……何だぁ?」
 思わず間の抜けた声を出した康平だったが、その目は、何かの罠ではないかと、油断なく辺りを窺う。だが、化け物どもの気配は欠片もなく、康平は銃を下げた。次の瞬間、ハッと周りを見渡し、未明たちの姿を探す。

「あの野郎!」
 康平の視線の先で、ぐったりと力を失っているように見える未明の身体は、アレイスに抱きかかえられている。

 思わずピンポイントでアレイスの頭を狙って撃った弾は、しかし、彼に触れるかどうかのところで掻き消えた。何か、魔法を使っているらしい。

「クソ!」
 毒づき、康平は走り出した。


   *


「ミアカスール、そろそろ降参したらどうですか?」
 いつもと変わらないアレイスの言葉遣いだが、そこには確かな焦りが含まれていた。
「イ……ヤ……」
 未明は、かすれた声で答える。もう、ほとんど意識は残っていない。防御障壁を保つために、辛うじて繋いでいるだけだった。

「まったく……。本当に頑固ですよね、貴女は」
 溜息を吐きつつ彼がそう呟いたのが、未明の記憶に残る最後の状況だった。
 彼女の意識と共に、ふっと防御障壁が消え失せる。

「ミアカスール?」
 アレイスの囁きに、応《いら》えはない。
「仕方ないですねぇ」
 やれやれと、彼はため息をこぼす。

 本来であれば、アレイスにとってこれはまたとない機会だった。彼女の意識はなく、その身体を奪うのは容易だ。だが、厄介な康平とかいう男と彼女とを結ぶ鎖を切り離さなければ、間もなく彼女の命は失われてしまうだろう。
 そして、『グールムアール』をその身に封じたままで彼女が逝けば、邪神たちの封印が説かれてしまう。

「非常に、残念ですがね。私も、別に『旧き神々』を解放したいわけではありませんし」
 そう呟いて、指を鳴らす。これで『眷属』は消え去った筈だ。

 もう一度深々と息を吐き、アレイスは、ぐったりと地面に横たわった彼女の身体を引き上げる。そうして、生気が失われた彼女に、己のそれを、分け与え始めた。


   *


 いきり立って未明とアレイスの元へ駆けつけた康平だったが、その奇妙な光景に眉根を寄せる。

(いったい、この男は何をやっているんだ?)

 絶好の機会だったにも関わらず、アレイスは未明を連れて逃亡するでもなく、ただ、膝の上に抱き上げて頬に手を添えているだけだ。妙齢の美女となった彼女が相手だというのに、その仕草に、色気は全くない。そして、月明かりの下の未明の顔色は蒼白で、見ているだけで不安になった。

「ちょっと、そこの貴方――康平、とかいいましたか? さっさとその手の中のものを消してください」
 彼の方を見もせずに投げられた言葉に、康平は声を上げる。
「はあ?」
「いいから、さっさとしなさい。彼女が死にますよ」

 正直言って、なんだかよく解らない。だが、アレイスの言葉の中身と、この近距離で遅れを取ることはあるまいという自負が、康平を指示に従わせた。

「キ・ナム」
 唱えると、Mk23が消え失せる。アレイスはそれを横目で見て、再び作業に没頭した。

「……何してるんだよ?」
「死に掛けの彼女を助けてます」
「死!? お前、何を――」
 康平が『何をしたんだ』と問いたかったところを、アレイスは『何をしているんだ』と尋ねようとしていると解釈したらしい。

 金髪の優男は、未明を抱いたまま器用に肩をすくめる。
「『グールムアール』を宿したまま彼女に死なれると、困るからですよ」
「そうじゃなくて! 何で死に掛けてんだよ! お前、いったい何したんだ!?」
「私は何もしてませんよ。したのは、彼女自身です。……まったく、無謀な……」

 康平にはさっぱり解らない。だが、確かに、未明の顔色は徐々に回復してきていた。

「どういうことなんだ?」
 この男に説明を求めるのは甚だ業腹だったが、仕方がない。
 康平の問いにアレイスはチラリと視線を投げかけ、医者が診察するような眼差しで未明の顔をためつすがめつした。そして、彼女をズイ、と康平に差し出す。彼は反射的に受け取り、胸に抱き寄せた。まだ顔色は白いが、鼓動はしっかりと感じられる。

「三日ぐらいは、安静に寝かせておいてくださいよ」
 未明を手放したアレイスは、そう言うと立ち上がり、去ろうとする。未明に気を取られていた康平は、慌ててそれを引き止めた。

「ちょっと待てって。さっきの、答えろよ!」
 重ねて答えを求める康平に、アレイスは面倒くさそうに振り返った。

「私も疲れているんですけどね……。貴方のその左手、ミアカスールはなんと説明したのですか?」
「これ? 俺に武器をやるって。俺の体力を消耗して、武器を形作るとか……」
「貴方の、ね。それで?」
「え?」
「今、貴方は疲れていますか? かなりの数の『眷属』と戦ったでしょう?」

 そう言われれば、全く疲れていない。この文様を刻んだ時、彼女は、確か、体力を消耗するから使いどころを考えろ、と言った筈だ。その体力というのは、もしや――。

 康平の中に、嫌な予感がムクムクと沸き起こってくる。
 そしてアレイスは、彼の予想通りの答えを返す。

「その左手の文様は、貴方とミアカスールを繋いで、『グールムアール』の魔力を横流しするものなんでしょう。まあ、通常であれば問題ないでしょうけど、あれほど大きな次元の亀裂を塞いだ後では、ほとんど魔力を使い果たした状態だった筈です。魔力がなくなってもそれを使い続ければ、今度は彼女の体力――生気を使い始めますからね」

「……この、バカッ!」

 こんなにぐったりしていなければ、その肩を掴んで思い切り揺さぶっていたかもしれない。だが、康平は、代わりに彼女の肋骨が軋みを上げそうなほど、抱き締める腕に力を込めた。

「まあ、後はミアカスールと話してください。私は出直しますよ。流石に、今からあなた方のお相手をする体力はありません」
 いつものように消え失せないあたり、彼の消耗具合もかなりのものなのだろう。
 立ち去りかけたアレイスが、ふと足を止める。

「ミアカスールは少し変わりましたね。以前なら、こんな無茶はしなかった」
 思い出したように、アレイスがそう呟く。そして、今度こそ、去っていった。

 彼の背中を見送りながら、その言葉を反芻する。
 変わることは、未明にとって、いいことなのだろうか。多分、変わることによって、今までの彼女の『強さ』は失われてしまうだろう。

 自分は、失われる彼女の『強さ』の代わりになれるのか?

 その答えは、判らない。

 康平は未明の身体を抱き直すと、風車の柱にもたれて夜空を見上げる。
 そこには、ただ、満月だけが浮かんでいた。

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