暗黒神話

トウリン

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変容

覚醒②

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 何かに導かれるようにして康平こうへいが目を開けると、部屋の中は闇に沈んでいた。

 いや、正確には完全な闇ではない。
 カーテンが開け放たれた窓からは驚くほど明るい月光が射し込み、部屋の中の様子は手に取るように見て取れた。

 康平はゆっくりとベッドの上で身を起こす。
 ここに到着してからというもの、いつも寝覚めは最低の気分だったのに、今は驚くほどに頭の中がすっきりしている。訳のわからないモヤモヤやイライラも、今や彼の中からキレイさっぱり消え失せていた。
 なんだか随分長い夢を観ていた気がする。それはまるで数十年分の旅をしてきたような心持ちだったが、その間、ずっと誰かが寄り添っていてくれたような温かさが康平の心の奥底に残っていた。

「今は……夜明け前……? いや、もう、夜? ――って、いつの夜だ? あれ? おい、未明みあか?」

 時間の感覚がさっぱりつかめない。声を掛けながら康平が横に目を向けると、未明のベッドはもぬけの空だった。

「いないのか?」
 ぼやきながら、康平はベッドサイドのスウィッチに手を伸ばす。明かりを点け、突然部屋を満たした眩しさに目を細めながら、ぐるりと室内を見回した。そして眉間にしわを刻む。

 リッチな旅ではないから、もちろん部屋は一つしかない。あるのもベッドと安っぽいソファとテーブルくらいだ。そのどこにも、未明の姿はない。
 耳を澄ませてみても、ユニットバスから水音が聞こえることもなかった。

「どこに……」

 眉をひそめながら康平はベッドを下りる。未明が使っている側のベッドのシーツに触れてみると、それはすっかり冷え切っていた。彼女がベッドを出てからかなりの時間が経っていることは明らかだ。

 康平の胸がざわざわと騒ぎ出す。

(また、独りで突っ走っているのか?)

 いったい何がどうなっているのか。
 独りで動くなど、未明は何を考えているのか。
 苛立たしさに駆られた康平だったが、不意に、その脳裏に囁き声がよみがえる。

 ――私、待ってるよ。

 それは未明の声だ。
 だが、彼女はいつそんなことを言っただろう。

 眉根を寄せて記憶を手繰る康平の中で、もやに包まれていた記憶が徐々に戻り始める。

 ――私、行ってくるよ。

 その声を聞いたのは、夢の中でのこと。
 いや、それは、夢でもあり、康平にとっての現実でもあった。

 声の記憶が呼び水になって、おぼろげながら幾つかの事柄がよみがえってくる。

 その中ではっきりしていることは、一つ。
(俺が、しくじったんだ)
 何があったかは、まだほとんどが思い出せていない。

 だが、記憶に上ってこない悪夢の中で苦しみに溺れていた彼に、そっと触れるものがあったのだけは覚えている。

 それは温かく、柔らかく。

(俺は、あれに救われた)
 自分の中に凝るどす黒いものに沈み込みそうになっていたのを、あの温もりが引き上げてくれたのだ。

(未明――俺は)

 ハッと我に返った康平は、危うく寝ていた時のままTシャツとトランクス一枚で部屋を飛び出しそうになり、慌ててジーンズと上着をひったくった。さっさとそれに手足を通し、取るものも取りあえずにホテルを飛び出した。

 身体を動かすうち、夢うつつで聞いていた未明の声が、また頭の中によみがえってくる。

『信じてる』。

 確かに、未明はそう言った。わずかな揺らぎもない、とても強い声で。

 自分のあまりの情けなさに思わず康平の喉から唸り声が漏れる。
 彼女が自分に頼ろうとしない、と、グジグジと悩んでいたのがバカみたいだ。
 ずっと独りで生きてきた未明が康平と共にいるということ自体が、彼に対する彼女の信頼の証ではないか。
 康平は、もうすでに立派な白紙委任状をもらっていたというのに、それに気づいていなかったのだ。
 未明の方から康平に手を伸ばしてこなくても、彼が伸ばした手に彼女が目もくれなくても、それでいいのだ。彼女にとって、彼が傍にいるというのは、揺らぎないことなのだから。

 康平は車を走らせて、風車の森を目指す。未明はそこにいるという確信があった。

(あいつは、きっとあそこで待っている)

 家々の間を抜けて開けた場所に出ると、空が良く見えるようになる。見上げた康平は、そこにあったものが消え失せていることを知った。
 夜空に醜悪な異形の影はなく、きれいな満月だけがある。

(もう、やったのか)

 そう言えば、空気の軽さも違っている気がする。
 だが、以前に亀裂とやらを塞いだ時、未明はその後しばらく意識を失った。今も同じように倒れているとしたら……キンベルやアレイスのいい餌食だ。

(くそ)
 焦りを抑えて、康平はできる限りのスピードでハンドルを捌いた。

 やがて風車の頭が見えてくる。行き当たったのは、丁度風車群の真ん中あたりで、進む方向を右にするか左にするかを選ばなければならなかった。

 どちらだろうか。
 一瞬考え、康平は直感的に左を選ぶ。理由はないが、そちらに未明がいる気がした。

 そのまましばらく走らせ、車を停める。
 車から降りてみても、風と風車の回る音のみが響いているだけで、争う物音などは、全くない。

 単に、敵が現われていないだけなのか、それとも、未明が戦える状態にないのか。
 最悪の事態を想像してしまう康平の中で、否応なしに不安が膨らんでいく。

(どこにいる、未明?)

 無意識のうちに彼女に呼びかけながら歩き出してみると、何かに引き寄せられているかのように康平の足が勝手に動く。確かに、その方向で合っているような気がした。進むにつれ、その気持ちが強くなっていく。
 歩く速度は次第に上がり、ほとんど小走りに、やがて全力疾走になった。
 そうして軽く彼の息が切れ始めたころ、ついに、康平は望んだ姿を見つける――正確には、望んだ姿と、今すぐにでも消し去ってやりたい姿だったが。

 いったい何をしているのか、風車にもたれてしゃがみこんでいる未明を、金髪男はジッと見下ろしているだけだ。

「キ・サム」
 刀を思い浮かべながら康平が唱えると、アレイスがピクリと動いた。怪訝そうに首を傾げ、ついで何かを追うように顔を巡らし、真っ直ぐに康平を見つめる。だが、武器を手にしている康平を無視してすぐに未明へと顔を戻すと、彼女に向けて何か言い始めた。

「何だ?」
 すぐに攻撃されるかと一瞬身構えた康平は拍子抜けして、思わず、そう呟いた。だが、卑怯な手段を辞さないことを公言している男のことだ。何か、企んでいるに違いない。康平は気を緩めることなく、慎重に二人に近づいた。

 そして。

「やっぱりな」
 康平は、呟く。

 彼に向けて、突如姿を現した十数体の『眷属』が押し寄せてくる。それらは決して『影』などではなく、その口吻や爪が彼を引き裂く力を持っていることは、火を見るよりも明らかだった。

「待ってろよ、未明」
 呟き、康平は、手の中の刀をMk23に変化させる。その抜群の命中精度を誇る銃の照準を、まずは一匹に合わせた。
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