暗黒神話

トウリン

文字の大きさ
上 下
37 / 65
変容

覚醒①

しおりを挟む
 彼にとって、そこは、心地良い空間だった。
 一筋の光も射し込むことのない暗闇の中、幾つもの声が絶え間なく木霊し、彼を否定する。

 ――お前を守るために、私は死んだのよ。
 ――お前には、誰も守れない。
 ――あなたが、私を殺した……

 全て、その通りだ。自分には、何の力もない。口でどれほど格好の良い事を言ったって、どうせ、『――』を守ることなんて、できない。どうせ、無駄なんだ。

 硬い殻に包まれて、彼はじわじわと侵食してくる生温なまぬるい酸のような自己憐憫に浸る。
 警告を発するように心の奥底にある扉を叩く音は、聞こえない振りをして。

 彼の思考は硬直し、ひとところに留まって、ただひたすら自責の念のみが空回りを続けた。

 しかし、そうやって閉じ籠る彼に、微かな囁きが触れる。

 ――私、待ってるよ……

 その声は、誰のものだろう?
 心地良く染み込んでくるような、柔らかく、甘やかな、声。

 でも――。

(無駄だよ、俺を待っていたって、無駄だ)

 彼は首を振る。

 だが、声は諦めない。
 ――それに、信じてる……

 何かを要求するでもなく、彼を責めるでもなく、ただ囁かれるその声に、彼は矛盾と混乱に満ちた自問を繰り返す。

(本当に? 何で、俺なんかを信じるんだ? ……信じられるんだ?)

 疑問の形で突き放す彼に、声が告げる。
 ――私、行ってくるよ……

 その別れの言葉に、形を失いつつあった彼の中の何かが強烈に締め付けられた。

(いいのか? 『――』を独りで行かせて)
 たった独りでこれまで戦ってきた『――』を、また、独りで行かせるのか?

 彼は、『――』を守りたいと思ったはずだ。独りで彼の前に現れた『――』を、独りのままにさせておきたくないと思ったはずだ。
 小生意気で飄々として、彼のことなどこれっぽっちも頼ろうとしない『――』のことを。

 ふと湧き起こる、それまでとは違う問い。

(だが、俺は、何故『――』を守りたいと思った?)

 自分の為か、それとも、『――』の為か?
 何の役にも立たないからと、必要とされていないからと、『――』に背を向けるのか?

 ならばそれは、結局、自己満足にすぎないのではないのか。
『――』に求めて欲しいから、『――』に認めて欲しいから手を差し出すということは、『――』の想いという見返りを要求しているということになるのではないのか。

 彼を包んでいた分厚い殻に、ピシリとヒビが入る。

(違う。そうじゃない。そうではないんだ)

 彼は、『――』を……『未明みあか』を守ってやりたいと、ただそう思っただけだったはずだ。
 守れなかった誰かの代わりにではなく、守れなかった誰かへの罪滅ぼしでもなく、ただ、小さな背中に全てを背負い独りで立とうとする彼女を、独りにしておきたくないと思っただけだったはず。

 この胸の奥にくすぶる罪悪感と、彼女を守りたいという気持ちは、まったく別のものだ。
 罪は罪、何をしようが消えはしない。
 これからも、彼が背負い続けていくべきもの。
 なかったことにはできないし、するべきでもないものだ。それは、この、黒木康平《くろきこうへい》という男を形作るものの一部なのだから。

 未明を守りたいという気持ちは、過去に向かうものではない。
 それは、彼のこれからを、彼女のこれからを見つめたからこそ、生まれた気持ちだ。

(こちらが差し出している手に気付かないようなヤツだけれど、それでも、いいじゃないか)

 未明の方が遥かに強大な力を持ち、本当は、康平の手など彼女には必要ではないのかもしれない。
 だが、それでも、未明は康平を信じていると言った。

 康平に未明を助けられるか否かに因らず、彼女は、彼が傍にあることを望んでいる。

 だったら――

(それ以上に何がある?)

 その想いとともに、殻が弾ける。

(俺は彼女の隣にいよう。彼女を守るのは、俺がそうしたいからするだけのこと)

 ただ、それだけだ。

 その瞬間、何もない空間は目が眩むほどの光に満たされ、そして彼は――康平は、一気に浮上した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

リヴァイアトラウトの背の上で

結局は俗物( ◠‿◠ )
ファンタジー
巨大な魚とクリスタル、そして大陸の絵は一体何を示すのか。ある日、王城が襲撃される。その犯人は昔死んだ友人だった―… 王都で穏やかに暮らしていたアルスは、王城襲撃と王子の昏睡状態を機に王子に成り代わるよう告げられる。王子としての学も教養もないアルスはこれを撥ね退けるため観光都市ロレンツァの市長で名医のセルーティア氏を頼る。しかし融通の利かないセルーティア氏は王子救済そっちのけで道草ばかり食う。 ▽カクヨム・自サイト先行掲載。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

処理中です...