暗黒神話

トウリン

文字の大きさ
上 下
5 / 65
来訪

悪夢

しおりを挟む
 繰り広げられる目の前の惨状に為す術もなく、ただ、彼は立ち尽くしていた。
 すぐそこ、目と鼻の先、手を伸ばせば届きそうなところで起きていることのはずなのに、走っても、走っても、走っても、どれだけ足を動かしても、何故か決してそこには行き着けないのだ。

 だから、彼は、ただその光景を見つめる。大きく目を見開いて、全てを受け止めるために。

 彼よりも二つ三つ年上のその少女は、彼女の方が年長であるのに、彼に逢うといつもはにかんだ微笑みを浮かべていた。大きく無垢な栗色の目をキラキラと輝かせて、彼を真っ直ぐに見つめてきた。

 今、少女のその両の眼はポカリと虚ろに開かれて、とめどなく涙を溢れさせている。涙と、そして絶望を。

 苦痛と恐怖で悲鳴を上げて当然なのに、少女の喉から一つも声は出ていない。

 これが、夢だから。

 いや、違う。
 夢だからというだけではない。
 そうできないことを、したくてもできないのだということを、彼は知っている。

 声でも手足でも抗うことができない彼女に群がる、男たち。
 叫べない少女の代わりに彼が声を限りに罵っても、彼らには届かない。
 変わらず彼女を嘲り、弄び、いたぶり続ける。

 その光景を脳裏に刻み、彼は自らの非力を呪い、力を切望する。
 神に、いや、悪魔に、願った。

 今すぐ、彼女の苦しみを終わらせてやってくれと。
 今すぐ、彼らにこの報いを受けさせてやってくれと。

 だがその望みは叶わず、一通りの欲望を吐き出し尽して、やがて彼らは立ち去っていく。

 残されたのは、打ち捨てられたぼろきれのようになった、少女。
 腹は紅く染まり、右脚は――ああ、何ということだろう。
 恐らく、彼女は助からず、万が一命を繋ぐことができたとしても、男たちに陵辱され、身体中を切り刻まれ、片足も奪われた少女に、どうしろというのか。

 ――コロシテ。

 浅い息の間で、少女の唇が、声なき懇願の言葉を紡ぐ。
 彼女と同じくらいの涙で頬を濡らしながら、彼は、拳銃を取り出した。
 そうして、決して外すことのない距離で狙いをつける。

 これで、彼女は安らぎを手に入れることができるのだ。

 少女が目を閉じる――最期に、彼に一言残し。

 彼は彼女を苛んだ男たちと同じくらい強く我が身を呪う叫びと共に、引き金を絞った。


   *


「――っ!」

 康平こうへいは闇の中で大きく目を見開いた。
 頭の中に響き渡った銃声の名残に代わって、アナログ時計の秒針が刻む音が、彼の鼓膜を震わせる。
 じっとりと湿った両手を目の前に持ってくると、灯りがなくても、小刻みに震えているのが見て取れた。そこには、まだ、引き金を引いた時のあの感触が残っているような気がする。

「……くそっ」

 彼は両手を固く握り締める。爪が手のひらに食い込む痛みで、自分を取り戻そうと試みた。
 奥歯を食いしばり、悪態を喉の奥に封じ込める。

 あの夢は、しばらく見ずに済んでいたというのに。
 数年ぶりに蘇った幻であったにも拘らず、それは鮮明この上なかった。

 きっと、昼間のあの光景の所為だ。
 男に組み伏せられた未明みあかの姿を目にした時、一瞬で、彼は二十年の時を遡っていた。忌まわしい記憶が脳裏にフラッシュバックし、逆巻くように込み上げた、目の前が赤く染まるほどの怒りと憎悪に、全てが支配されそうになった。

 忘れられたと、思っていた。けれどそれは、思っていただけだった。結局、忘れることなど――あれから逃れることなど、できていなかったのだ。

 苦痛と汚辱に喘いでいた、少女。
 自分が殺し――救った少女。

 彼女は未明とさして変わらぬ年だった。

 あの時、康平は、彼女を苦しみから解放し安らぎを与えたつもりだった。

 だが。

 ――自分は、本当に、あの少女を救ったのだろうか?

 彼女のことが頭をよぎるたび、彼はその疑問を繰り返す。
 その答えは、いつも手に入らない。答えが出ないまま、また胸の奥へと押し込めてきた。

 今までは。

 康平は、カーテンの隙間から白んだ光が射し込んでくるまで、しじまの中、闇を睨み続けていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

リヴァイアトラウトの背の上で

結局は俗物( ◠‿◠ )
ファンタジー
巨大な魚とクリスタル、そして大陸の絵は一体何を示すのか。ある日、王城が襲撃される。その犯人は昔死んだ友人だった―… 王都で穏やかに暮らしていたアルスは、王城襲撃と王子の昏睡状態を機に王子に成り代わるよう告げられる。王子としての学も教養もないアルスはこれを撥ね退けるため観光都市ロレンツァの市長で名医のセルーティア氏を頼る。しかし融通の利かないセルーティア氏は王子救済そっちのけで道草ばかり食う。 ▽カクヨム・自サイト先行掲載。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

処理中です...