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来訪
悪夢
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繰り広げられる目の前の惨状に為す術もなく、ただ、彼は立ち尽くしていた。
すぐそこ、目と鼻の先、手を伸ばせば届きそうなところで起きていることのはずなのに、走っても、走っても、走っても、どれだけ足を動かしても、何故か決してそこには行き着けないのだ。
だから、彼は、ただその光景を見つめる。大きく目を見開いて、全てを受け止めるために。
彼よりも二つ三つ年上のその少女は、彼女の方が年長であるのに、彼に逢うといつもはにかんだ微笑みを浮かべていた。大きく無垢な栗色の目をキラキラと輝かせて、彼を真っ直ぐに見つめてきた。
今、少女のその両の眼はポカリと虚ろに開かれて、とめどなく涙を溢れさせている。涙と、そして絶望を。
苦痛と恐怖で悲鳴を上げて当然なのに、少女の喉から一つも声は出ていない。
これが、夢だから。
いや、違う。
夢だからというだけではない。
そうできないことを、したくてもできないのだということを、彼は知っている。
声でも手足でも抗うことができない彼女に群がる、男たち。
叫べない少女の代わりに彼が声を限りに罵っても、彼らには届かない。
変わらず彼女を嘲り、弄び、いたぶり続ける。
その光景を脳裏に刻み、彼は自らの非力を呪い、力を切望する。
神に、いや、悪魔に、願った。
今すぐ、彼女の苦しみを終わらせてやってくれと。
今すぐ、彼らにこの報いを受けさせてやってくれと。
だがその望みは叶わず、一通りの欲望を吐き出し尽して、やがて彼らは立ち去っていく。
残されたのは、打ち捨てられたぼろきれのようになった、少女。
腹は紅く染まり、右脚は――ああ、何ということだろう。
恐らく、彼女は助からず、万が一命を繋ぐことができたとしても、男たちに陵辱され、身体中を切り刻まれ、片足も奪われた少女に、どうしろというのか。
――コロシテ。
浅い息の間で、少女の唇が、声なき懇願の言葉を紡ぐ。
彼女と同じくらいの涙で頬を濡らしながら、彼は、拳銃を取り出した。
そうして、決して外すことのない距離で狙いをつける。
これで、彼女は安らぎを手に入れることができるのだ。
少女が目を閉じる――最期に、彼に一言残し。
彼は彼女を苛んだ男たちと同じくらい強く我が身を呪う叫びと共に、引き金を絞った。
*
「――っ!」
康平は闇の中で大きく目を見開いた。
頭の中に響き渡った銃声の名残に代わって、アナログ時計の秒針が刻む音が、彼の鼓膜を震わせる。
じっとりと湿った両手を目の前に持ってくると、灯りがなくても、小刻みに震えているのが見て取れた。そこには、まだ、引き金を引いた時のあの感触が残っているような気がする。
「……くそっ」
彼は両手を固く握り締める。爪が手のひらに食い込む痛みで、自分を取り戻そうと試みた。
奥歯を食いしばり、悪態を喉の奥に封じ込める。
あの夢は、しばらく見ずに済んでいたというのに。
数年ぶりに蘇った幻であったにも拘らず、それは鮮明この上なかった。
きっと、昼間のあの光景の所為だ。
男に組み伏せられた未明の姿を目にした時、一瞬で、彼は二十年の時を遡っていた。忌まわしい記憶が脳裏にフラッシュバックし、逆巻くように込み上げた、目の前が赤く染まるほどの怒りと憎悪に、全てが支配されそうになった。
忘れられたと、思っていた。けれどそれは、思っていただけだった。結局、忘れることなど――あれから逃れることなど、できていなかったのだ。
苦痛と汚辱に喘いでいた、少女。
自分が殺し――救った少女。
彼女は未明とさして変わらぬ年だった。
あの時、康平は、彼女を苦しみから解放し安らぎを与えたつもりだった。
だが。
――自分は、本当に、あの少女を救ったのだろうか?
彼女のことが頭をよぎるたび、彼はその疑問を繰り返す。
その答えは、いつも手に入らない。答えが出ないまま、また胸の奥へと押し込めてきた。
今までは。
康平は、カーテンの隙間から白んだ光が射し込んでくるまで、しじまの中、闇を睨み続けていた。
すぐそこ、目と鼻の先、手を伸ばせば届きそうなところで起きていることのはずなのに、走っても、走っても、走っても、どれだけ足を動かしても、何故か決してそこには行き着けないのだ。
だから、彼は、ただその光景を見つめる。大きく目を見開いて、全てを受け止めるために。
彼よりも二つ三つ年上のその少女は、彼女の方が年長であるのに、彼に逢うといつもはにかんだ微笑みを浮かべていた。大きく無垢な栗色の目をキラキラと輝かせて、彼を真っ直ぐに見つめてきた。
今、少女のその両の眼はポカリと虚ろに開かれて、とめどなく涙を溢れさせている。涙と、そして絶望を。
苦痛と恐怖で悲鳴を上げて当然なのに、少女の喉から一つも声は出ていない。
これが、夢だから。
いや、違う。
夢だからというだけではない。
そうできないことを、したくてもできないのだということを、彼は知っている。
声でも手足でも抗うことができない彼女に群がる、男たち。
叫べない少女の代わりに彼が声を限りに罵っても、彼らには届かない。
変わらず彼女を嘲り、弄び、いたぶり続ける。
その光景を脳裏に刻み、彼は自らの非力を呪い、力を切望する。
神に、いや、悪魔に、願った。
今すぐ、彼女の苦しみを終わらせてやってくれと。
今すぐ、彼らにこの報いを受けさせてやってくれと。
だがその望みは叶わず、一通りの欲望を吐き出し尽して、やがて彼らは立ち去っていく。
残されたのは、打ち捨てられたぼろきれのようになった、少女。
腹は紅く染まり、右脚は――ああ、何ということだろう。
恐らく、彼女は助からず、万が一命を繋ぐことができたとしても、男たちに陵辱され、身体中を切り刻まれ、片足も奪われた少女に、どうしろというのか。
――コロシテ。
浅い息の間で、少女の唇が、声なき懇願の言葉を紡ぐ。
彼女と同じくらいの涙で頬を濡らしながら、彼は、拳銃を取り出した。
そうして、決して外すことのない距離で狙いをつける。
これで、彼女は安らぎを手に入れることができるのだ。
少女が目を閉じる――最期に、彼に一言残し。
彼は彼女を苛んだ男たちと同じくらい強く我が身を呪う叫びと共に、引き金を絞った。
*
「――っ!」
康平は闇の中で大きく目を見開いた。
頭の中に響き渡った銃声の名残に代わって、アナログ時計の秒針が刻む音が、彼の鼓膜を震わせる。
じっとりと湿った両手を目の前に持ってくると、灯りがなくても、小刻みに震えているのが見て取れた。そこには、まだ、引き金を引いた時のあの感触が残っているような気がする。
「……くそっ」
彼は両手を固く握り締める。爪が手のひらに食い込む痛みで、自分を取り戻そうと試みた。
奥歯を食いしばり、悪態を喉の奥に封じ込める。
あの夢は、しばらく見ずに済んでいたというのに。
数年ぶりに蘇った幻であったにも拘らず、それは鮮明この上なかった。
きっと、昼間のあの光景の所為だ。
男に組み伏せられた未明の姿を目にした時、一瞬で、彼は二十年の時を遡っていた。忌まわしい記憶が脳裏にフラッシュバックし、逆巻くように込み上げた、目の前が赤く染まるほどの怒りと憎悪に、全てが支配されそうになった。
忘れられたと、思っていた。けれどそれは、思っていただけだった。結局、忘れることなど――あれから逃れることなど、できていなかったのだ。
苦痛と汚辱に喘いでいた、少女。
自分が殺し――救った少女。
彼女は未明とさして変わらぬ年だった。
あの時、康平は、彼女を苦しみから解放し安らぎを与えたつもりだった。
だが。
――自分は、本当に、あの少女を救ったのだろうか?
彼女のことが頭をよぎるたび、彼はその疑問を繰り返す。
その答えは、いつも手に入らない。答えが出ないまま、また胸の奥へと押し込めてきた。
今までは。
康平は、カーテンの隙間から白んだ光が射し込んでくるまで、しじまの中、闇を睨み続けていた。
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