仔ウサギちゃんとキツネくん

トウリン

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 教室の自分の席で机の上に頬杖を突き、葉月はぼんやりと青い空を眺めていた。目にも眩しい晴天とは裏腹に、彼の胸の内は曇り空だ。モヤモヤと、何かが立ち込めている。

 アンニュイな気分に浸る葉月がはぁ、とため息をこぼしたその時、彼の耳に姦しい声が飛び込んできた。

「葉月ぃ、なんか元気ないじゃん」
「あ、振られた? 奥谷さんに振られたの?」
 ポンポンと容赦なく投げつけてきたのは、同級生のアイとリナだ。
 やっぱりねぇ、と顔を見合わせた女子二人に、葉月はムッと言い返す。
「振られてないよ。そんなわけないじゃん。僕たち超アッツアツだよ」
 彼女たちはまた顔を見合わせ、そして、リナが小首をかしげた。
「その割にはなんかブスッてしてるけど?」
「してないです。これが普通」
「ふぅん、ま、いいけど。あ、夏休みにさぁ――……」
 肩をすくめた彼女は言葉だけでなく態度でも『どうでも良さ』をはっきりさせて、がらりと話題転換してまくし立ててきた。葉月はまた窓の外へと目を向けて、それを耳から耳へと聞き流す。

(僕と茉奈とはうまくいってるし)
 声を出さずに呟いた独り言が、胸の中で虚しくこだまする。

 彼女との関係は、うまくいっているはずだ。
 ただ、葉月の方が、何か物足りなく感じているだけで。

(でも、何が足りないんだろう)
 それが、わからない。

 ため息をこぼした葉月の脳裏に、一輝とのやり取りがよみがえる。
 一輝は、弥生が彼のことを好きだということを実感できたら満足できるようになったのだという。
 だったら、今葉月が満たされていないように思えてしまうのは、その実感が足りないからだろうか。

(茉奈は僕のことを好きだ)

 絶対、きっと――多分。

 そんなふうに付け足してしまう自分を、葉月は鼓舞する。
(だって、好きじゃなかったら、ギュッとさせてくれたりとか、しないだろ)
 姉の弥生だってさんざん言っていた。
 女の子は、好きじゃない男に触れられるのは鳥肌が立つくらいイヤなのだと。
 温和で海よりも心の広い彼女がそういうくらいなのだから、きっと正しいのだろう。
 葉月が抱き締めるたび、茉奈は未だに真っ赤になって身体中を緊張させているけれど、それでも、拒むことはしない。彼のことを好きだから、そうさせてくれているはずだ。嫌がらないのだから、葉月のことを好きなはずなのだ。

(その、はず)
 胸の内でそう呻き、葉月はバタリと机に伏せる。

(なんか、もっと、確かなものが欲しいや)

 それは言葉だろうか。
 試しに葉月は、茉奈に彼のことを好きかと尋ねる場面を想像してみた。

(真っ赤になってうつむいちゃうのが関の山だよなぁ)
 それはもうありありとその光景が頭に浮かんで、彼は机の天板に深々とため息を吐き出した。そんな彼女は身もだえしたくなるほど可愛いけれど、やっぱり、満たされない。

 と、盛大なため息を聞き留めたアイが、バンバンと葉月の背を叩いてきた。
「何、そのため息! やっぱうまくいってないんじゃないの?」
 笑いながらのそのセリフに、彼は顔だけ上げて抗議する。
「違うし!」
 否定にしては力の入ったその一言に、アイは軽く眉を持ち上げ、ニマッと笑った。
「なぁんか、必死。こういう葉月って、新鮮だわぁ。ねえ、面白いから、今日の帰りどっか寄ってもっと話聞かせてよ。最近めっきり付き合い悪くなってんだからさぁ……と、奥谷さんだ」
 フグよろしく膨れていた葉月は、最後の一言に弾かれたように振り返る。

「茉奈!」
 反射のように満面の笑みになってしまったけれど、ふと眉をひそめた。彼女は、三メールは離れたところで立ち止まり、なんだか妙な顔をしている。

 変だな、と思いつつ、葉月は声をかける。
「茉奈、どうしたの?」
 いつも葉月の方から迎えに行くので、こんなふうに彼女から寄ってくることはめったにない。というよりも、初めてかもしれない。
 何か大事な用なのだろうけれど、茉奈はどこか怯んだような面持ちで、まるで葉月の周りにはバリアでも張られているとでも思っているかのように立ちすくんでいる。

「茉奈?」
 窺うように呼び掛けると、茉奈は目をしばたたかせた。そして笑みを浮かべる。

(――って、笑ってる、よ、ね?)

 そう、彼女の顔にあるものは、確かに、笑みだ。が、葉月はその笑顔に若干の違和感を覚えry。
 笑っているけれども、いつもの彼女とは、何かが違う気がする。

 何が違うのだろうと内心首をかしげている葉月の前で、茉奈は両腕を後ろで組んで視線を落とした。そのまま、教室の喧騒にかき消されてしまいそうな声で、言う。
「あの、わたし、今日は地理の先生に用を言いつけられたから、遅くなるの」
「え、じゃあ、待ってるよ」
 当然のようにそう言えば、いつものように、嬉しそうな笑顔が返ってくると思っていた。

 なのに。

 チラッと目を上げて葉月を見た茉奈は何故かすぐに視線を逸らしてしまう。
「……いいよ、えっと――お友達と遊んでて?」
「え?」
 いぶかしげな声を返した葉月に、茉奈がへにゃりと笑う。にこ、ではなく、へにゃ、と。
 それは、まるで何かが潰れてしまったかのような笑い方だった。

(『友達』?)
 誰のことだろう、と葉月が首をかしげているうちに、茉奈は踵を返して行ってしまった――ほとんど走る様にして。

(いつもの茉奈じゃ、なかったよな)
 葉月は、彼女の行動の意味するところを考える。

(やっぱり、人見知り……)
 彼は横にいる女子二人にチラリと目を走らせた。どちらも、茉奈とは傾向が違うちょっと『派手な』タイプだ。彼女たちがいたから、怯んでしまったとか。

 そう思って、何か違う気がする、と葉月は心の中でかぶりを振った。

 確かに茉奈はおとなしいけれども、よく知ってみると、そういう物怖じはあまりしないことがわかってきた。はにかむだけで、外見とかそういうもので人を判断したりはしない。彼女自身が皆の中心になるわけではないけれど、逆に、どんな生徒とも分け隔てなく付き合える、そんな子だ。

(じゃあ、何だろ)
 あの、不可解な表情が示すものは。

 間違っても、嬉しそうとか、プラスの方向ではなかった。
 彼女たちそのものが嫌というわけではないのなら――

(二人が僕といるのが嫌だった……?)
 そんな考えが頭をよぎったとき、ぞくりと、鳥肌めいたものが葉月の中に湧きたった。

(それって、もしかして、焼きもちってこと?)

 もしも、本当に、そうなのなら。

(滅茶苦茶、嬉しい)

 そんなふうに思ってはいけないと判っていても、もしも本当に茉奈が嫉妬してくれていたのなら、今すぐベランダから飛び降りてもいいほど、嬉しかった。

「ほら、茉奈だって僕のことちゃんと好きじゃないか」

 浮き立った気分に駆られて思わずつぶやいた葉月に女子二人が呆れたような眼差しを向けていることに、彼は全く気付いていなかった。
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