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 のんびりのんびり、何年もかけて想いを育てた姉夫婦を見ていたから、恋愛というのはそういうものだと、葉月はづきは思っていた。

 恋とは、花火のようにパッと光り輝くものではなく、落ち葉の下でくすぶる火種のようなものなのだと。
 そして、いつかきっと、自分にもそんな相手を手に入れられるのだと。

 姉が義兄と笑みを交わすのを目にするたび、義兄が姉にそっと触れるその仕草を目にするたび、憧憬にも近い思いを抱いた。
 人を好きになるということにずっと夢を抱き、思いを巡らせていた。

 けれど、物心ついたころから彼の周りに女の子はたくさんいるにもかかわらず、さっぱり葉月の『特別な人』は現れない。

 自分には何かが足りないのだろうか。

 少し不安になり始めた矢先のことだった。

 兄姉も通った高校に入学した、四月。

 入学式が終わった後、新しい教室で、葉月は黒板に書かれた座席表で自分の名前が貼られた席を探す。

 彼は結構背が高い方だけれども、苗字が「『お』おいし」だから、窓際の、前から二番目だ。後ろの人に迷惑かもしれないなとか思いながら、ざわつく教室の中、その席に向かった。

 右隣は女子の列。
 黒板を見ると、隣の子の名前は『奥谷茉奈おくたに まな』となっている。まだ来ていないようだ。

(どんな子だろう)

 窓の外を眺めながら、葉月はぼんやりと思った。

 と、カタン、と、椅子を引く音が。

(来た)
 標準装備になっている笑顔を浮かべて隣に首を巡らせる。

 目を向けた先にいるのは、小柄な女の子だった。
 柔らかそうな長い髪を、二つに分けて緩い三つ編みにしている。視線が合うと、大きな目がまた少し大きくなった。ふっくらした頬はマシュマロみたいで、ちょっと触れてみたくなる。

 小柄で童顔。フワッとした感じ。

(なんだか、姉さんに似てるな)

 元々葉月は物怖じしない方だけれども、そんなふうに思ってしまえばいっそう彼女に対して親近感を抱く。

「よろしく、僕は大石葉月」

 お隣さんは突然振り返った葉月に少し驚いてたようだけれども、気軽な彼の口調に、すぐに表情を和らげた。

「あ、わたし、奥谷茉奈……」

 教室の喧騒にかき消されそうな小さな声が、辛うじて葉月の耳に届く。けれど、彼は、耳から入ってきたその声を、頭の中に入れることができなかった――同時に目から入ってきた彼女の笑顔で、脳の回路は飽和状態になってしまったから。

 奥谷茉奈が浮かべたのは、開けっ広げな満面の笑みじゃない。
 はにかむような、微笑み程度。

 でも。

(うわ)

 胸が苦しい。というか、何かがいっぱいに詰め込まれたような。

 ためらいがちな彼女の笑顔から目を逸らすことができない葉月に、茉奈が少しいぶかしげになって小さく首を傾げる。

 その仕草にさえ、心臓を鷲掴みにされたような感じがした。

(ちょっと待って、何、これ)
 葉月は胸元を強く握りしめた。

 この子が欲しい。
 誰にも渡したくない。
 自分一人だけのものにしたい。

 そんな、強烈な欲求が胸の奥から噴き出した。

 恋とは、想いとは、ゆっくりゆっくり育つはず。
 こんな、雷に打たれたようには落ちてこない。

 そのはず、なのに。

 ――大石葉月十五歳は、この瞬間、自分が恋に堕ちたことを知った。
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