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第三章:ほんとうの、はじまり
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不意にざわついた一角に、優子と武藤師長、そしてめぐみは目を向ける。その中心にいるのは、一美と、彼に抱き上げられて喜びと困惑の入り混じった複雑な笑みを浮かべた、萌だ。
「まったく、オッサンは照れってもんがないから、あの子も大変だね。少しは我慢してやったらいいのに」
呆れたような武藤師長のぼやきに、優子が笑う。
「あら、でも萌はおくてだから、あのくらい強引な方がいいかもしれないわ。彼でなければ、まだ結婚までこぎつけていなかったかもしれないわよ?」
「ああ……それは言えてるかも。まったく、あれやこれやで、何度ダメになるかと思ったことか」
武藤師長はため息をつきながら肩をすくめた。そんな親友の様子にクスクスと忍び笑いを漏らした優子だったが、ふと、真顔に戻る。
「あなたにあの子を任せて、本当に良かったと思うわ。私では、あの笑顔を作ることは絶対に無理だったもの」
少し寂しげな優子に、武藤はニヤリと笑った。
「そりゃ、そうだ。あんたは母親、彼は旦那。同じ顔は見せないよ」
不意に、それまで黙っていためぐみが口を開く。
「私、あの子に何にもしてあげてないのにこんな所に来るなんて、本当に良かったんでしょうか……」
顔を伏せてポツリとつぶやいた彼女の背に、優子が手を添える。
「あなたはあの子のお母さんでしょう? 当然じゃないですか」
「でも、一目見るなり逃げ出して、その後も放っておいて……」
より深く俯いた目元から雫がこぼれ落ちて、パタリ、パタリと芝生を揺らす。だが、その涙を、武藤師長はあっさりと笑い飛ばした。
「まあ、黙って逃げ出したのはまずかったけどね、結果オーライじゃないの? ちゃんと見てごらんよ、あの子を。あの子の『今』を見てやらずにただ後悔するだけじゃ、それは単なる自己憐憫だよ」
めぐみの肩に手を置いて、抱き上げられたまま一美に何か言っている萌に向き直らせる。
「確かに、めぐみさんが手放さなければ、『もっといい人生』だったかもしれない。けど、多分、あの子はあれでいいんだよ。ここに至る為なら、全部『正しい道』だったんじゃないかな。平坦で楽チンじゃぁなかったかもしれないけど、これで良かったんだよ」
「そうで、しょうか……」
めぐみはつぶやいて目を上げ、そして、輝かんばかりの光景に向けた。
「過去はどうやったって変えられないんだから、これからを見ていかなきゃならないんだよ。人間、生きていたらどうしたって失敗ばかりだけど、罪悪感で目を逸らすんじゃなくて、じゃあ、これからどうしようってのを考えていかなくちゃ。ね?」
武藤師長の言葉に、優子も微笑みながら頷いた。
「ええ。せっかくまた会えたのだもの。逃げていては、勿体ないわ」
萌に視線を注いだままのめぐみは、微かにその目を細める。その眦から、一滴だけ、涙が零れ落ちた――それが、最後だった。
「そう……そうですね。あの子から、探し出してくれたのに。あの子は逃げずにいたのに、私が逃げてばかりでは、ダメですよね」
めぐみは武藤と優子に向き直る。
「あの子は、私に、大事な人がたくさんいる、と言いました。今幸せだって、言ってくれたんです」
そうして、一歩下がり、二人に向けて深く頭を下げた。
「そんなふうに言えるあの子にしてくれて、そんなふうに守ってくださって、ありがとうございました」
「大事なのは、失敗しないことよりも、失敗した後にどうするか、だと思うよ」
武藤師長が、ほら、とめぐみを促す。顔を上げて、見るべきものを、見るように。
「これからは、あの子をちゃんと見ていてやらないと……どんな時もね」
「ええ……ええ、本当に」
めぐみは小さく鼻をすすって、薄っすらと微笑む。そうして目を向けた先では、萌の輝く笑顔が弾けていた。
「まったく、オッサンは照れってもんがないから、あの子も大変だね。少しは我慢してやったらいいのに」
呆れたような武藤師長のぼやきに、優子が笑う。
「あら、でも萌はおくてだから、あのくらい強引な方がいいかもしれないわ。彼でなければ、まだ結婚までこぎつけていなかったかもしれないわよ?」
「ああ……それは言えてるかも。まったく、あれやこれやで、何度ダメになるかと思ったことか」
武藤師長はため息をつきながら肩をすくめた。そんな親友の様子にクスクスと忍び笑いを漏らした優子だったが、ふと、真顔に戻る。
「あなたにあの子を任せて、本当に良かったと思うわ。私では、あの笑顔を作ることは絶対に無理だったもの」
少し寂しげな優子に、武藤はニヤリと笑った。
「そりゃ、そうだ。あんたは母親、彼は旦那。同じ顔は見せないよ」
不意に、それまで黙っていためぐみが口を開く。
「私、あの子に何にもしてあげてないのにこんな所に来るなんて、本当に良かったんでしょうか……」
顔を伏せてポツリとつぶやいた彼女の背に、優子が手を添える。
「あなたはあの子のお母さんでしょう? 当然じゃないですか」
「でも、一目見るなり逃げ出して、その後も放っておいて……」
より深く俯いた目元から雫がこぼれ落ちて、パタリ、パタリと芝生を揺らす。だが、その涙を、武藤師長はあっさりと笑い飛ばした。
「まあ、黙って逃げ出したのはまずかったけどね、結果オーライじゃないの? ちゃんと見てごらんよ、あの子を。あの子の『今』を見てやらずにただ後悔するだけじゃ、それは単なる自己憐憫だよ」
めぐみの肩に手を置いて、抱き上げられたまま一美に何か言っている萌に向き直らせる。
「確かに、めぐみさんが手放さなければ、『もっといい人生』だったかもしれない。けど、多分、あの子はあれでいいんだよ。ここに至る為なら、全部『正しい道』だったんじゃないかな。平坦で楽チンじゃぁなかったかもしれないけど、これで良かったんだよ」
「そうで、しょうか……」
めぐみはつぶやいて目を上げ、そして、輝かんばかりの光景に向けた。
「過去はどうやったって変えられないんだから、これからを見ていかなきゃならないんだよ。人間、生きていたらどうしたって失敗ばかりだけど、罪悪感で目を逸らすんじゃなくて、じゃあ、これからどうしようってのを考えていかなくちゃ。ね?」
武藤師長の言葉に、優子も微笑みながら頷いた。
「ええ。せっかくまた会えたのだもの。逃げていては、勿体ないわ」
萌に視線を注いだままのめぐみは、微かにその目を細める。その眦から、一滴だけ、涙が零れ落ちた――それが、最後だった。
「そう……そうですね。あの子から、探し出してくれたのに。あの子は逃げずにいたのに、私が逃げてばかりでは、ダメですよね」
めぐみは武藤と優子に向き直る。
「あの子は、私に、大事な人がたくさんいる、と言いました。今幸せだって、言ってくれたんです」
そうして、一歩下がり、二人に向けて深く頭を下げた。
「そんなふうに言えるあの子にしてくれて、そんなふうに守ってくださって、ありがとうございました」
「大事なのは、失敗しないことよりも、失敗した後にどうするか、だと思うよ」
武藤師長が、ほら、とめぐみを促す。顔を上げて、見るべきものを、見るように。
「これからは、あの子をちゃんと見ていてやらないと……どんな時もね」
「ええ……ええ、本当に」
めぐみは小さく鼻をすすって、薄っすらと微笑む。そうして目を向けた先では、萌の輝く笑顔が弾けていた。
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