天使と狼

トウリン

文字の大きさ
上 下
65 / 92
第三章:ほんとうの、はじまり

5-1

しおりを挟む
 一美かずよし優人ゆうとに調査を依頼してから三日が経ったが、まだ彼からの連絡はない。

「もどかしいな」
 電話帳で調べるようなわけにはいかないものなのだから仕方がないと言えば仕方がないのだが、ただ待つしかない一美は、何となく落ち着かない日々を過ごしていた。
 あと、何日ほどかかるのだろうか。
 三日? 一週間?
 焦る必要はないのだが、一日、二日を惜しんでしまう。
 そんな気持ちで外来への廊下を歩いていると、向こうから歩いてきたろうが「よう」と手を上げてきた。
 小児科外来と朗が所属する整形外科の外来とは隣り合わせなので、よくすれ違う。

「丁度よかった」
 一美の前まで来た朗はそう言いながらポケットを探ると、一枚の紙片を取り出した。それを受け取って開いてみると、目に入ってきたのはメールアドレスだ。
「変更したのか?」
「いいや」
「じゃぁ、誰のだ……女からのは受け取らないぞ」
 そう言いながら返そうとする一美に、朗はにんまりと笑う。
 まるで、にやにや笑いだけ残して消えていく某猫のようなその顔に、一美はムッと眉間にしわを寄せた。
「誰のだ?」
「斉藤さん」
「……は?」
斉藤貢さいとう みつぐさん」
 思いも寄らなかった名前を出され、一美は思わずそのメモを握り潰してしまう。忘れもしない、斉藤貢は以前もえに言い寄った男だが、何故その名前が今更出てくるのか。

「彼、萌ちゃんとデートしたんだよねぇ」
「な――」
 ――んだと、と言おうとした一美の声は、続いた朗の台詞で喉の奥に押し込められた。
「お前が彼女を振った頃に」
 ニヤツク朗を、一美は無言で睨み付ける。

 断じて、振ってなどいない。
 だが、あのことに関しては全面的に一美に非があるのだ。それは、どう言い繕おうとしてもできることではない。
 甚だ不本意だがあの時の会話の流れが一美が振った『ことになっていた』以上、萌がどこの男と何をしようが、それを責めることは一美にはできない。

 ――まったくもって受け入れ難いが。

 それに、そもそも萌は『デート』だという頭はなかったのだろう。どういう経緯でそうなったのかは判らないが、彼女が率先して臨んだわけではない筈だ。
 振り上げた拳を下ろす先を失って、一美はグッと唇を引き結ぶ。
「彼もさ、傷付いちゃってる萌ちゃんを見て、『これじゃイカン!』とか思ったんじゃないの? 悪い男にだまされているなら、助けてやらなきゃ、とか。で、一度お前と会って話をしてみたいんだってさ。お前の都合のつく日時を教えて欲しいって」
 一美には自分の表情を見ることはできないが、渋面というよりも険しい顔付きになっていることは、疑いようがない。そんな彼に苦笑しながら、朗が続ける。
「まあさ、いい機会じゃないの? 真っ当な感覚をした人と、ちょっと対談してきたら? 何かねぇ、彼だったらゴールデンレトリバーを連れて家族そろってお散歩とか、息子を肩車して海沿いを歩くとか、すごく似合いそうな気がするよ」
「どうせ、俺には似合わないさ」
 いかにも一美にはそぐわなそうな光景を挙げられ、彼は更にムッとする。そんな一美の肩をポンポンと叩いて、朗は付け加えた。
「そうだよねぇ。ホント、想像もできないや。まあ、とにかく、オレは伝えたからな」
 さっくりとそう言って、彼は一美の脇をすり抜けて去って行く。

 残された一美は、手の中の紙切れを見つめた。
 連絡をする義理はない。そう、まったくないのだ。こんなものは、さっさと捨ててしまえばいい。

 ――そう思うのに、彼はメモをたたんで、財布にしまい込んだ。

 真っ当な感覚。
 どんなものが『まとも』なのか。
 少なくとも、自分がそれとはかけ離れていることを、今では一美も理解している。だが、多少は変わった筈だ――あんな愚かなことで二度と萌を泣かせずに済むようになった程度には。
 そうは言っても、人間、どうしても変えられない部分もある。
 多分、斉藤のような男の方が、人――萌を幸せにできるのだろう。
 一美の中にもそう思う自分がいるが、だからと言って『斉藤貢』になるわけにはいかないのだ。
 それは何かが違う。
 萌が想ってくれているのは『この』自分なのだから、今の一美のままで彼女を幸せにしてやるべきなのだ。
 他の誰でもなく、この自分が。

「俺自身のやり方で」

 そう呟いて、一美は外来に向けてまた歩き出した。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

憧れの騎士さまと、お見合いなんです

絹乃
恋愛
年の差で体格差の溺愛話。大好きな騎士、ヴィレムさまとお見合いが決まった令嬢フランカ。その前後の甘い日々のお話です。

出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です

流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。 父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。 無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。 純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。

元平民の義妹は私の婚約者を狙っている

カレイ
恋愛
 伯爵令嬢エミーヌは父親の再婚によって義母とその娘、つまり義妹であるヴィヴィと暮らすこととなった。  最初のうちは仲良く暮らしていたはずなのに、気づけばエミーヌの居場所はなくなっていた。その理由は単純。 「エミーヌお嬢様は平民がお嫌い」だから。  そんな噂が広まったのは、おそらく義母が陰で「あの子が私を母親だと認めてくれないの!やっぱり平民の私じゃ……」とか、義妹が「時々エミーヌに睨まれてる気がするの。私は仲良くしたいのに……」とか言っているからだろう。  そして学園に入学すると義妹はエミーヌの婚約者ロバートへと近づいていくのだった……。

夫と息子は私が守ります!〜呪いを受けた夫とワケあり義息子を守る転生令嬢の奮闘記〜

梵天丸
恋愛
グリーン侯爵家のシャーロットは、妾の子ということで本妻の子たちとは差別化され、不遇な扱いを受けていた。 そんなシャーロットにある日、いわくつきの公爵との結婚の話が舞い込む。 実はシャーロットはバツイチで元保育士の転生令嬢だった。そしてこの物語の舞台は、彼女が愛読していた小説の世界のものだ。原作の小説には4行ほどしか登場しないシャーロットは、公爵との結婚後すぐに離婚し、出戻っていた。しかしその後、シャーロットは30歳年上のやもめ子爵に嫁がされた挙げ句、愛人に殺されるという不遇な脇役だった。 悲惨な末路を避けるためには、何としても公爵との結婚を長続きさせるしかない。 しかし、嫁いだ先の公爵家は、極寒の北国にある上、夫である公爵は魔女の呪いを受けて目が見えない。さらに公爵を始め、公爵家の人たちはシャーロットに対してよそよそしく、いかにも早く出て行って欲しいという雰囲気だった。原作のシャーロットが耐えきれずに離婚した理由が分かる。しかし、実家に戻れば、悲惨な末路が待っている。シャーロットは図々しく居座る計画を立てる。 そんなある日、シャーロットは城の中で公爵にそっくりな子どもと出会う。その子どもは、公爵のことを「お父さん」と呼んだ。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

【完結】私たち白い結婚だったので、離婚してください

楠結衣
恋愛
田舎の薬屋に生まれたエリサは、薬草が大好き。薬草を摘みに出掛けると、怪我をした一匹の子犬を助ける。子犬だと思っていたら、領主の息子の狼獣人ヒューゴだった。 ヒューゴとエリサは、一緒に薬草採取に出掛ける日々を送る。そんなある日、魔王復活の知らせが世界を駆け抜け、神託によりヒューゴが勇者に選ばれることに。 ヒューゴが出立の日、エリサは自身の恋心に気づいてヒューゴに告白したところ二人は即結婚することに……! 「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」 「エリサ、愛してる!」 ちょっぴり鈍感で薬草を愛するヒロインが、一途で愛が重たい変態風味な勇者に溺愛されるお話です。

処理中です...