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第三章:ほんとうの、はじまり
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一美はスマートフォンの通話を切り、ソファの上に投げ出した。
不満足ではあるが予想通りの結果に、大きく息をつく。
電話の相手は萌の実家ともいえる『クスノキの家』の理事長、関根優子で、電話の内容は萌が幼い頃に里子に出されていた夫婦の名前を教えて欲しいというものであったのだが。
「まあ、仕方がないか」
実際のところ、一美も教えてもらえるとは思っていなかった。自分だって、患者の情報をおいそれと漏らしたりはしないのだから。ただ、萌に対して思い入れが深い優子であれば、もしかしたら、何か教えてくれるかもしれないとほんの少し期待しただけだ。
残念ながら優子は公私の区別ははっきりとつける人で、里親の情報は一切教えられないと、一美はきっぱりと断られた。
萌の人生の最初の四年間。
彼女の土台が作られた時期であろう四歳までを共に過ごした里親とは、どんな人物だったのか。彼女は、その頃をどんなふうに過ごしていたのか。
試しに、萌自身に当時のことが記憶にあるのか訊いてみたことがあったが、苦笑して「覚えてないですよ」と返された。そう答える前に、わずかな間があったように感じられたのは、一美が深読みし過ぎただけだったのか。
ソファに身を預けてしばし考えた後、一美はもう一度電話を取る。
情報を仕入れるのに、もう一つ伝手があることはあった。ただし、表の道とはいかないだろうが。
スマートフォンのアドレス帳を繰り、目当ての名前を探し出してかける。
三コールめで応答があった。
「何の用だ?」
第一声がそれで、いかにも彼らしい。いくら出る前に名前が判っていても、普通、もう少し体裁を繕うものだろうに。
電話の相手舘優人とという名で、一美の中学時代からの悪友だ。
現在は情報セキュリティ会社を経営しているが、高校時代に学校のシステムに入り込んで友人の成績を書き換えてやったという逸話もある男だった。
今よりもはるかにセキュリティが緩かったとはいえ、普通は考えても実行しようとは思わないだろう。
能力値は確かに優れているが、人間的にどうかと問われると名前負けしているのは明らかだった。
一美は一応、挨拶から入る。
「久し振り」
「ああ。で?」
合理的であることを一番の信条としている優人は、短く応じて先を促してくる。素っ気ないことこの上ないが、その方が『頼みごと』もし易いというものだ。
彼に倣って、一美も単刀直入に切り出す。
「お前のところ、調査部門があっただろう? ちょっと調べて欲しいことがある」
「へえ?」
優人の声が、少し変わった。どうやら興味を示したようだ。
「俺の知り合いで、産まれてすぐに里子に出された子がいるんだが、その里親のことを知りたいんだ。それともう一つ、佐々木めぐみという女性が、今どこにいるかも知りたい」
「何だ、二つか。図々しいな。しかし、里親って、そういうのは、その里子自身が訊いたら普通に教えてくれるだろう?」
「ちょっと理由があってな、彼女には知らせずに調べたい」
一美の答えに、少し間が空く。
やがて再び聞こえてきた優人の声には、どこか愉快そうな響きが含まれていた。
「へえ、女か。どういう関係だ?」
「付き合ってる」
「付き合っている? お前が、『付き合っている』と認識して付き合っているのか? 相手が勝手にそう思っているだけじゃなくて?」
「そうだ」
「……もしかして、お前、その女に惚れてるわけ?」
「ああ」
即答した一美に、また沈黙。続いて聞こえてきたのは、忍び笑いだ。無遠慮なそれに、一美はムッとする。
「何だ?」
「だって、お前が『惚れてる』だって? あの、お前が?」
「そこは、もうどうでもいいだろう? やるのか、やらないのか、さっさと返事をくれ」
それでもしばらくはまだ押し殺した笑い声が響いていたが、むっつりと黙り込んだ一美の気配が伝わったのか、ようやく優人は言葉らしい言葉を返した。
「そんなに怒るな。いいさ、やってやろう」
クックッと笑いの混じる声だったが、それでも承諾は承諾だ。一美はホッと息をつく。
「すまない、恩に着る。礼はどうしたらいい?」
「まあ、そうだな。取り敢えず保留にしておこう。で、その『彼女』が里子に出ていたのは何年前だ?」
問われて、一美は萌の年を思い出す。七月の上旬に誕生日があったから、今は二十二歳になっている。
「二十二年前だ」
「何歳から何歳の間?」
「生後六ヶ月から四歳の誕生日までだ」
「生後六ヶ月……? てことは、今、二十二?」
「ああ」
また、受話器からの声が途絶えた。だが、今度は、彼の考えていることが一美にも手に取るように判る。
確かに萌と一美は一回り年が離れているが、これに関しては反撃の手段があった。
年の差は一美たちの方が大きいが、萌は成人女性だ。後ろ指を差されるいわれはない。
それに引き替え、優人の方は――
「お前のところの兄貴は、ハタチの時に十四の子どもに言い寄られていただろう? しかも、兄貴の方もまんざらじゃなかった」
ムスッとした声でそう言った一美に、ややして優人が答えた。
「……まあ、確かに。身内に人のことを言えないのがいたな。そこを突っ込むのはやめておこう。ああ、そうだ。もう一人の『佐々木めぐみ』というのは?」
「彼女の母親だ」
「名前しか知らないのか?」
「分娩時はどうも未成年だったらしい。下手をすると十五、六歳だ。陣痛の真っ盛りに言ったことだから、多分ごまかす余裕は無かったと思うが……。それに、飛び込み出産だから正確なところは言えないが、二ヶ月ほど早産だったようだ」
あまりに乏しい情報だ。もしかしたら本名ではないかもしれないし、本名だとしても、すでに結婚して変わってしまっているかもしれない。探し出すことができたら、かなりの幸運だ。
「一応、やってみよう。里親の方はわかると思うが、彼女の母親だという方は期待しないで待っていてくれ」
「頼む」
一美は短い言葉でそう答えた。その彼の耳に、最後にまた、ククッとこもった笑い声が届く。
「しかし……お前が、な」
それを最後に通話はプツリと切れた。
一美は手の中の電話を見つめ、そして眉間に皺を寄せた。
――いくら何でも、笑い過ぎではないのか?
彼は首を一つ振ると、気を取り直して頭の中を切り替える。
不満足ではあるが予想通りの結果に、大きく息をつく。
電話の相手は萌の実家ともいえる『クスノキの家』の理事長、関根優子で、電話の内容は萌が幼い頃に里子に出されていた夫婦の名前を教えて欲しいというものであったのだが。
「まあ、仕方がないか」
実際のところ、一美も教えてもらえるとは思っていなかった。自分だって、患者の情報をおいそれと漏らしたりはしないのだから。ただ、萌に対して思い入れが深い優子であれば、もしかしたら、何か教えてくれるかもしれないとほんの少し期待しただけだ。
残念ながら優子は公私の区別ははっきりとつける人で、里親の情報は一切教えられないと、一美はきっぱりと断られた。
萌の人生の最初の四年間。
彼女の土台が作られた時期であろう四歳までを共に過ごした里親とは、どんな人物だったのか。彼女は、その頃をどんなふうに過ごしていたのか。
試しに、萌自身に当時のことが記憶にあるのか訊いてみたことがあったが、苦笑して「覚えてないですよ」と返された。そう答える前に、わずかな間があったように感じられたのは、一美が深読みし過ぎただけだったのか。
ソファに身を預けてしばし考えた後、一美はもう一度電話を取る。
情報を仕入れるのに、もう一つ伝手があることはあった。ただし、表の道とはいかないだろうが。
スマートフォンのアドレス帳を繰り、目当ての名前を探し出してかける。
三コールめで応答があった。
「何の用だ?」
第一声がそれで、いかにも彼らしい。いくら出る前に名前が判っていても、普通、もう少し体裁を繕うものだろうに。
電話の相手舘優人とという名で、一美の中学時代からの悪友だ。
現在は情報セキュリティ会社を経営しているが、高校時代に学校のシステムに入り込んで友人の成績を書き換えてやったという逸話もある男だった。
今よりもはるかにセキュリティが緩かったとはいえ、普通は考えても実行しようとは思わないだろう。
能力値は確かに優れているが、人間的にどうかと問われると名前負けしているのは明らかだった。
一美は一応、挨拶から入る。
「久し振り」
「ああ。で?」
合理的であることを一番の信条としている優人は、短く応じて先を促してくる。素っ気ないことこの上ないが、その方が『頼みごと』もし易いというものだ。
彼に倣って、一美も単刀直入に切り出す。
「お前のところ、調査部門があっただろう? ちょっと調べて欲しいことがある」
「へえ?」
優人の声が、少し変わった。どうやら興味を示したようだ。
「俺の知り合いで、産まれてすぐに里子に出された子がいるんだが、その里親のことを知りたいんだ。それともう一つ、佐々木めぐみという女性が、今どこにいるかも知りたい」
「何だ、二つか。図々しいな。しかし、里親って、そういうのは、その里子自身が訊いたら普通に教えてくれるだろう?」
「ちょっと理由があってな、彼女には知らせずに調べたい」
一美の答えに、少し間が空く。
やがて再び聞こえてきた優人の声には、どこか愉快そうな響きが含まれていた。
「へえ、女か。どういう関係だ?」
「付き合ってる」
「付き合っている? お前が、『付き合っている』と認識して付き合っているのか? 相手が勝手にそう思っているだけじゃなくて?」
「そうだ」
「……もしかして、お前、その女に惚れてるわけ?」
「ああ」
即答した一美に、また沈黙。続いて聞こえてきたのは、忍び笑いだ。無遠慮なそれに、一美はムッとする。
「何だ?」
「だって、お前が『惚れてる』だって? あの、お前が?」
「そこは、もうどうでもいいだろう? やるのか、やらないのか、さっさと返事をくれ」
それでもしばらくはまだ押し殺した笑い声が響いていたが、むっつりと黙り込んだ一美の気配が伝わったのか、ようやく優人は言葉らしい言葉を返した。
「そんなに怒るな。いいさ、やってやろう」
クックッと笑いの混じる声だったが、それでも承諾は承諾だ。一美はホッと息をつく。
「すまない、恩に着る。礼はどうしたらいい?」
「まあ、そうだな。取り敢えず保留にしておこう。で、その『彼女』が里子に出ていたのは何年前だ?」
問われて、一美は萌の年を思い出す。七月の上旬に誕生日があったから、今は二十二歳になっている。
「二十二年前だ」
「何歳から何歳の間?」
「生後六ヶ月から四歳の誕生日までだ」
「生後六ヶ月……? てことは、今、二十二?」
「ああ」
また、受話器からの声が途絶えた。だが、今度は、彼の考えていることが一美にも手に取るように判る。
確かに萌と一美は一回り年が離れているが、これに関しては反撃の手段があった。
年の差は一美たちの方が大きいが、萌は成人女性だ。後ろ指を差されるいわれはない。
それに引き替え、優人の方は――
「お前のところの兄貴は、ハタチの時に十四の子どもに言い寄られていただろう? しかも、兄貴の方もまんざらじゃなかった」
ムスッとした声でそう言った一美に、ややして優人が答えた。
「……まあ、確かに。身内に人のことを言えないのがいたな。そこを突っ込むのはやめておこう。ああ、そうだ。もう一人の『佐々木めぐみ』というのは?」
「彼女の母親だ」
「名前しか知らないのか?」
「分娩時はどうも未成年だったらしい。下手をすると十五、六歳だ。陣痛の真っ盛りに言ったことだから、多分ごまかす余裕は無かったと思うが……。それに、飛び込み出産だから正確なところは言えないが、二ヶ月ほど早産だったようだ」
あまりに乏しい情報だ。もしかしたら本名ではないかもしれないし、本名だとしても、すでに結婚して変わってしまっているかもしれない。探し出すことができたら、かなりの幸運だ。
「一応、やってみよう。里親の方はわかると思うが、彼女の母親だという方は期待しないで待っていてくれ」
「頼む」
一美は短い言葉でそう答えた。その彼の耳に、最後にまた、ククッとこもった笑い声が届く。
「しかし……お前が、な」
それを最後に通話はプツリと切れた。
一美は手の中の電話を見つめ、そして眉間に皺を寄せた。
――いくら何でも、笑い過ぎではないのか?
彼は首を一つ振ると、気を取り直して頭の中を切り替える。
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