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第二章:すれちがい
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道子の食事は凝ってはいないが、家庭的でバラエティに富んでいる。彼女は、食事の支度を終えると帰途に着いた――「おいたはいけませんよ」と一美に釘を刺すことを忘れずに。
食卓に並べられた食事は二人分にしては多かったが、相変らず良く食べる萌の胃の中に少なくとも半分が消えていた。仕事が詰まるとバランス栄養食で済ましてしまうようだが、普段これほど食べるのに、よくぞ我慢できるものだ。
「片付けはいいよ。明日、道子さんが来てやってくれるから」
食べ終えてキッチンに立とうとする萌を、一美は引き止める。代わりにソファに座らせて、道子が用意しておいたコーヒーを運んだ。
そうして、彼女の隣に腰を下ろす。
「明日は休みだろ?」
「はい」
「じゃあ、泊まっていけばいい。いつものように、知らない間に帰らずに」
付け足したのは、ちょっとしたいやみだ。
一美は、朝に萌の寝顔を見たことがない。
朝起きたら腕の中に彼女が――というのを経験してみたいのに、いつももぬけの殻なのだ。キスで彼女を起こすなど、夢のまた夢、だった。
(まったく、何の為にここに泊まっていくんだよ)
一美は胸の中でそうぼやきながら彼女をヒョイと持ち上げると、自分の膝の上にのせた。
「え?」
こうすると、目の高さが殆ど同じになる。頬を赤らめて俯きそうになる萌の顎を捉えて、真っ直ぐにその目を覗き込んだ。
「先生、ちょっとこれは、恥ずかしいです」
「そうか? でも、この方が丁度いい」
「何に?」
一美はそれに答えず、触れるだけのキスをする。
一度離して萌を見ると、その頬は真っ赤になっていた。こんな軽いキスなど何度もしていることだというのに、いつも彼女は赤くなる。
それがいかにも彼女らしくて、一美は小さく笑った。
「君は、いつまで経っても慣れないみたいだな」
「慣れるものですか?」
「俺が知る限りでは、キスで赤くなる者はいなかったな」
「それって、今まで……」
藪を突きかけた萌の唇を、封じるように塞いだ。軽く、ついばむようなキスを何度も繰り返しながら、ゆっくりと彼女をソファに横たえる。
決して怯えさせることのないように、慎重に進めた。
深いキスも彼女が息切れする前に一息つかせて、緊張させないように、心地良さだけを与えられるように心がける。
そうしながら、一美の中で小さな声がした。
このまま身体を繋げてしまっても、いいのだろうか、と。
四ヶ月も付き合った恋人同士なら、別に何ら問題はない行為だ。
だが、距離を縮める為にするのと、距離が縮まったからするのとでは、大きな違いがある。
果たして、自分と萌との距離は、充分に縮めることができているのだろうか。
だが、心の奥のその囁きを、一美は追い払う。
以前、萌は、一美が彼女のことをどう想っていても構わない。自分が彼のことを好きなだけで、それだけでいいのだというようなことを口にした。
それは、取りも直さず、一美の気持ちは欲しがっていないということなのではないのか。
これまでの相手は、初めから彼に様々なものを要求した――物にしろ、気持ちにしろ。
だが、萌はそうではない。
ただ、自分の中にあるものだけで満足して、一美には何も望んでこない。それが彼には物足りなく、そして不安の元になっていた。
萌が一美のことを欲してくれれば、彼の中に燻ぶる何かが払拭されそうな気がする。
身体を一つにしてみれば、彼女の気持ちがはっきりと解かるような気がするのだ。
慣れた手付きで胸元のボタンを外し、その細い首筋に、のどの窪みに、華奢な鎖骨に、口付けを落としていく。
その肌の甘さに、酔いそうになった。
徐々に、一美はこれまで触れたことのない場所へと進めていくが、萌は嫌がることもなく、ただされるがままになっている。
ボタンを一つ外して、小ぶりだが、柔らかく隆起する胸元へ。
時々、こらえきれずに彼のものだという紅い証を残してしまった。。
ボタンをもう一つ外し、そしてシャツの裾を引っ張り出して細い背中に手を回す。
手探りで下着のホックを探って外そうとし――
ふと、一美は、眉根を寄せた。
少々、おとなし過ぎやしないだろうか。
キス一つを恥ずかしがる彼女なのだ。こんな所まで触れられて、何も言わずにいる筈がない。
一美は、遅ればせながらその違和感に気付く。
手を突いて身体を起こして萌を見れば、果たして、彼女のその両目は閉じられていた。
「萌……?」
そっと名を呼んでみるが、返事はない。
まさかと思うが、そのまさかの事態のようだ。
頬に手を触れてみても目蓋は上がらず、穏やかな呼吸は、明らかに彼女が深い眠りの淵にいることを表していた。
「マジかよ」
ぼやいて萌の上からおりると、肩膝を立てて床の上に座り込む。
コトに及ぼうとしている時に相手に眠られたことなど、今までない。どう反応していいのかが判らなかった。
ソファに肘を置いて頬杖を突くと、一美は萌の寝顔に目をやった。
起きている時には気付かなかったが、よくよく見ると、彼女の目の下には微かなクマがある。どうやら寝不足らしい。
きっとまた、あの少年のことで無理をしているのだろう。
「まったく……」
そっと手を伸ばして、頬にかかった髪をよけてやる。手のひらを頬に添えたまま親指で薄らと開いた唇をなぞると、微かに口元が綻んだ。
安心しきった、幼い子供のように。
「まだ、か」
一美は溜め息混じりに苦笑した。
萌を起こして最後までコトを運ぶ、ということもできる。しかし、元々迷いながら始めた行為に、一美はそうする気にはなれなかった。
結局、いつものパターンだ。
「しょうがねぇな」
呟いて、萌を抱き上げる。それでも彼女はピクリともしなかった。
これだけよく眠っていれば、いつものように数時間で起きてしまうことはあるまい。
勝手にベッドに連れて行くのもなんだが、ソファでは充分に疲れも取れないだろう。
一美は諦めたような、ホッとしたような息を一つつき、寝室へと向かった。
食卓に並べられた食事は二人分にしては多かったが、相変らず良く食べる萌の胃の中に少なくとも半分が消えていた。仕事が詰まるとバランス栄養食で済ましてしまうようだが、普段これほど食べるのに、よくぞ我慢できるものだ。
「片付けはいいよ。明日、道子さんが来てやってくれるから」
食べ終えてキッチンに立とうとする萌を、一美は引き止める。代わりにソファに座らせて、道子が用意しておいたコーヒーを運んだ。
そうして、彼女の隣に腰を下ろす。
「明日は休みだろ?」
「はい」
「じゃあ、泊まっていけばいい。いつものように、知らない間に帰らずに」
付け足したのは、ちょっとしたいやみだ。
一美は、朝に萌の寝顔を見たことがない。
朝起きたら腕の中に彼女が――というのを経験してみたいのに、いつももぬけの殻なのだ。キスで彼女を起こすなど、夢のまた夢、だった。
(まったく、何の為にここに泊まっていくんだよ)
一美は胸の中でそうぼやきながら彼女をヒョイと持ち上げると、自分の膝の上にのせた。
「え?」
こうすると、目の高さが殆ど同じになる。頬を赤らめて俯きそうになる萌の顎を捉えて、真っ直ぐにその目を覗き込んだ。
「先生、ちょっとこれは、恥ずかしいです」
「そうか? でも、この方が丁度いい」
「何に?」
一美はそれに答えず、触れるだけのキスをする。
一度離して萌を見ると、その頬は真っ赤になっていた。こんな軽いキスなど何度もしていることだというのに、いつも彼女は赤くなる。
それがいかにも彼女らしくて、一美は小さく笑った。
「君は、いつまで経っても慣れないみたいだな」
「慣れるものですか?」
「俺が知る限りでは、キスで赤くなる者はいなかったな」
「それって、今まで……」
藪を突きかけた萌の唇を、封じるように塞いだ。軽く、ついばむようなキスを何度も繰り返しながら、ゆっくりと彼女をソファに横たえる。
決して怯えさせることのないように、慎重に進めた。
深いキスも彼女が息切れする前に一息つかせて、緊張させないように、心地良さだけを与えられるように心がける。
そうしながら、一美の中で小さな声がした。
このまま身体を繋げてしまっても、いいのだろうか、と。
四ヶ月も付き合った恋人同士なら、別に何ら問題はない行為だ。
だが、距離を縮める為にするのと、距離が縮まったからするのとでは、大きな違いがある。
果たして、自分と萌との距離は、充分に縮めることができているのだろうか。
だが、心の奥のその囁きを、一美は追い払う。
以前、萌は、一美が彼女のことをどう想っていても構わない。自分が彼のことを好きなだけで、それだけでいいのだというようなことを口にした。
それは、取りも直さず、一美の気持ちは欲しがっていないということなのではないのか。
これまでの相手は、初めから彼に様々なものを要求した――物にしろ、気持ちにしろ。
だが、萌はそうではない。
ただ、自分の中にあるものだけで満足して、一美には何も望んでこない。それが彼には物足りなく、そして不安の元になっていた。
萌が一美のことを欲してくれれば、彼の中に燻ぶる何かが払拭されそうな気がする。
身体を一つにしてみれば、彼女の気持ちがはっきりと解かるような気がするのだ。
慣れた手付きで胸元のボタンを外し、その細い首筋に、のどの窪みに、華奢な鎖骨に、口付けを落としていく。
その肌の甘さに、酔いそうになった。
徐々に、一美はこれまで触れたことのない場所へと進めていくが、萌は嫌がることもなく、ただされるがままになっている。
ボタンを一つ外して、小ぶりだが、柔らかく隆起する胸元へ。
時々、こらえきれずに彼のものだという紅い証を残してしまった。。
ボタンをもう一つ外し、そしてシャツの裾を引っ張り出して細い背中に手を回す。
手探りで下着のホックを探って外そうとし――
ふと、一美は、眉根を寄せた。
少々、おとなし過ぎやしないだろうか。
キス一つを恥ずかしがる彼女なのだ。こんな所まで触れられて、何も言わずにいる筈がない。
一美は、遅ればせながらその違和感に気付く。
手を突いて身体を起こして萌を見れば、果たして、彼女のその両目は閉じられていた。
「萌……?」
そっと名を呼んでみるが、返事はない。
まさかと思うが、そのまさかの事態のようだ。
頬に手を触れてみても目蓋は上がらず、穏やかな呼吸は、明らかに彼女が深い眠りの淵にいることを表していた。
「マジかよ」
ぼやいて萌の上からおりると、肩膝を立てて床の上に座り込む。
コトに及ぼうとしている時に相手に眠られたことなど、今までない。どう反応していいのかが判らなかった。
ソファに肘を置いて頬杖を突くと、一美は萌の寝顔に目をやった。
起きている時には気付かなかったが、よくよく見ると、彼女の目の下には微かなクマがある。どうやら寝不足らしい。
きっとまた、あの少年のことで無理をしているのだろう。
「まったく……」
そっと手を伸ばして、頬にかかった髪をよけてやる。手のひらを頬に添えたまま親指で薄らと開いた唇をなぞると、微かに口元が綻んだ。
安心しきった、幼い子供のように。
「まだ、か」
一美は溜め息混じりに苦笑した。
萌を起こして最後までコトを運ぶ、ということもできる。しかし、元々迷いながら始めた行為に、一美はそうする気にはなれなかった。
結局、いつものパターンだ。
「しょうがねぇな」
呟いて、萌を抱き上げる。それでも彼女はピクリともしなかった。
これだけよく眠っていれば、いつものように数時間で起きてしまうことはあるまい。
勝手にベッドに連れて行くのもなんだが、ソファでは充分に疲れも取れないだろう。
一美は諦めたような、ホッとしたような息を一つつき、寝室へと向かった。
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