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第一章:はじまり
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樫本康太が亡くなって一週間。
――小児科病棟には、以前と変わらぬ穏やかな日々が流れるようになっていた。
病院で命が失われるのは、決して珍しいことではない。小児科ではそう多くないことではあるが、それでも、珍しいことではないのだ。
康太を見送った一美と肇は、翌朝になって小児科部長の山田医師と病棟医長の南医師に報告し、二人からそれぞれ労いの言葉をかけられ、そして、それでおしまいだった。
生後五ヶ月の子どもの命が失われたということは、確かにこの上なく悲しいことだ。
しかし、それをいつまでも引きずっているわけにはいかない。スッパリと気持ちを切り替えることは、彼らにとって半ば義務のようなものだった。
武藤師長には萌から報告がなされている筈で、同じように師長から彼女へ何か言葉がかけられたのだろう。
翌々日の日勤からまた通常通りに働いている姿を見せた萌は、一見、以前の彼女に戻ったようではある。
だが、ふとした時に見せる微かな陰が、一美には気掛かりだった。
屈託のない彼女が、笑顔の合間にふいと視線を落とす。
ほとんどの者がその変化には気付いていないが、ついつい彼女を目で追ってしまう一美は、見逃さなかった。
萌しか見ていない彼と違ってスタッフ全員に鋭い目を配っている武藤師長もそれに気付いている筈だが、今は静観することにしているらしい。
もっとも、一美とて、気にはなるが何をしたらいいのかは判らない。
彼女の方から「つらい」「悲しい」と言ってくれれば、返す言葉もあるだろう。
――あるいは、涙の一つでもこぼして見せてくれれば。
だが、萌は、一美の前でも笑うのだ。
女の涙にうんざりしたことはあるが、笑顔に戸惑わされるというのは、彼にとって初めての経験だった。
(女を慰めるって、どうやるんだったっけか?)
首をひねってみても、彼には全く思い浮かばない。
当然だ。
女の気持ちなど、自分の好きなようにできるものだと一美は思っていたのだ。彼女たちの気をよくすることなど、至極簡単なものだと。
どうやらその認識は偏った経験に基づいていたのかもしれないということに、彼は気付かされつつあった。
――自分は、これまで『簡単な相手』を好んでいたに過ぎなかったのだということに。
――小児科病棟には、以前と変わらぬ穏やかな日々が流れるようになっていた。
病院で命が失われるのは、決して珍しいことではない。小児科ではそう多くないことではあるが、それでも、珍しいことではないのだ。
康太を見送った一美と肇は、翌朝になって小児科部長の山田医師と病棟医長の南医師に報告し、二人からそれぞれ労いの言葉をかけられ、そして、それでおしまいだった。
生後五ヶ月の子どもの命が失われたということは、確かにこの上なく悲しいことだ。
しかし、それをいつまでも引きずっているわけにはいかない。スッパリと気持ちを切り替えることは、彼らにとって半ば義務のようなものだった。
武藤師長には萌から報告がなされている筈で、同じように師長から彼女へ何か言葉がかけられたのだろう。
翌々日の日勤からまた通常通りに働いている姿を見せた萌は、一見、以前の彼女に戻ったようではある。
だが、ふとした時に見せる微かな陰が、一美には気掛かりだった。
屈託のない彼女が、笑顔の合間にふいと視線を落とす。
ほとんどの者がその変化には気付いていないが、ついつい彼女を目で追ってしまう一美は、見逃さなかった。
萌しか見ていない彼と違ってスタッフ全員に鋭い目を配っている武藤師長もそれに気付いている筈だが、今は静観することにしているらしい。
もっとも、一美とて、気にはなるが何をしたらいいのかは判らない。
彼女の方から「つらい」「悲しい」と言ってくれれば、返す言葉もあるだろう。
――あるいは、涙の一つでもこぼして見せてくれれば。
だが、萌は、一美の前でも笑うのだ。
女の涙にうんざりしたことはあるが、笑顔に戸惑わされるというのは、彼にとって初めての経験だった。
(女を慰めるって、どうやるんだったっけか?)
首をひねってみても、彼には全く思い浮かばない。
当然だ。
女の気持ちなど、自分の好きなようにできるものだと一美は思っていたのだ。彼女たちの気をよくすることなど、至極簡単なものだと。
どうやらその認識は偏った経験に基づいていたのかもしれないということに、彼は気付かされつつあった。
――自分は、これまで『簡単な相手』を好んでいたに過ぎなかったのだということに。
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