天使と狼

トウリン

文字の大きさ
上 下
13 / 92
第一章:はじまり

6-1

しおりを挟む
 樫本康太かしもと こうたが亡くなって一週間。
 ――小児科病棟には、以前と変わらぬ穏やかな日々が流れるようになっていた。

 病院で命が失われるのは、決して珍しいことではない。小児科ではそう多くないことではあるが、それでも、珍しいことではないのだ。
 康太を見送った一美かずよしはじめは、翌朝になって小児科部長の山田医師と病棟医長の南医師に報告し、二人からそれぞれ労いの言葉をかけられ、そして、それでおしまいだった。

 生後五ヶ月の子どもの命が失われたということは、確かにこの上なく悲しいことだ。
 しかし、それをいつまでも引きずっているわけにはいかない。スッパリと気持ちを切り替えることは、彼らにとって半ば義務のようなものだった。
 武藤師長にはもえから報告がなされている筈で、同じように師長から彼女へ何か言葉がかけられたのだろう。

 翌々日の日勤からまた通常通りに働いている姿を見せた萌は、一見、以前の彼女に戻ったようではある。
 だが、ふとした時に見せる微かな陰が、一美には気掛かりだった。
 屈託のない彼女が、笑顔の合間にふいと視線を落とす。
 ほとんどの者がその変化には気付いていないが、ついつい彼女を目で追ってしまう一美は、見逃さなかった。
 萌しか見ていない彼と違ってスタッフ全員に鋭い目を配っている武藤師長もそれに気付いている筈だが、今は静観することにしているらしい。

 もっとも、一美とて、気にはなるが何をしたらいいのかは判らない。
 彼女の方から「つらい」「悲しい」と言ってくれれば、返す言葉もあるだろう。
 ――あるいは、涙の一つでもこぼして見せてくれれば。
 だが、萌は、一美の前でも笑うのだ。
 女の涙にうんざりしたことはあるが、笑顔に戸惑わされるというのは、彼にとって初めての経験だった。

(女を慰めるって、どうやるんだったっけか?)
 首をひねってみても、彼には全く思い浮かばない。

 当然だ。
 女の気持ちなど、自分の好きなようにできるものだと一美は思っていたのだ。彼女たちの気をよくすることなど、至極簡単なものだと。
 どうやらその認識は偏った経験に基づいていたのかもしれないということに、彼は気付かされつつあった。

 ――自分は、これまで『簡単な相手』を好んでいたに過ぎなかったのだということに。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

知らなかったら…

水姫
恋愛
こんな話もありなはず……。 「…えっ?」 思い付きで書き始めたので、見るに耐えなくなったら引き返してください。裏を読まなければそんなにヤンデレにはならない予定です。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

貴方にはもう何も期待しません〜夫は唯の同居人〜

きんのたまご
恋愛
夫に何かを期待するから裏切られた気持ちになるの。 もう期待しなければ裏切られる事も無い。

憧れの騎士さまと、お見合いなんです

絹乃
恋愛
年の差で体格差の溺愛話。大好きな騎士、ヴィレムさまとお見合いが決まった令嬢フランカ。その前後の甘い日々のお話です。

出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です

流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。 父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。 無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。 純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

【完結】私たち白い結婚だったので、離婚してください

楠結衣
恋愛
田舎の薬屋に生まれたエリサは、薬草が大好き。薬草を摘みに出掛けると、怪我をした一匹の子犬を助ける。子犬だと思っていたら、領主の息子の狼獣人ヒューゴだった。 ヒューゴとエリサは、一緒に薬草採取に出掛ける日々を送る。そんなある日、魔王復活の知らせが世界を駆け抜け、神託によりヒューゴが勇者に選ばれることに。 ヒューゴが出立の日、エリサは自身の恋心に気づいてヒューゴに告白したところ二人は即結婚することに……! 「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」 「エリサ、愛してる!」 ちょっぴり鈍感で薬草を愛するヒロインが、一途で愛が重たい変態風味な勇者に溺愛されるお話です。

処理中です...