天使と狼

トウリン

文字の大きさ
上 下
3 / 92
第一章:はじまり

1-2

しおりを挟む
「あの新人ちゃん、可愛いですよね」
 医局でそう言ってきたのは、今年で医者四年目になる松井祐里香まつい ゆりかだ。小児科唯一の女医だが、チャキチャキしていて紅一点の印象は乏しい。
 彼女の言葉を、もう一人の若手、一年先輩の徳永肇とくなが はじめが引き継ぐ。祐里香よりもむしろ彼の方がおっとりとした優しげな物腰をしていて、時に先輩後輩の立場が逆転しかねない二人だ。

「新人? ああ、小宮山さん? 見た目がアレだから、最初は『この子大丈夫かな』と思ったけど、よく勉強してるし、よく動くよね。フットワークが軽いよ。子どものあやし方もうまいし」
「確かに。あの子が介助してくれると、色々やり易いですよ。それに、あの子にニコッとされるとね、こっちも癒されますわ」
 二人は意気投合して顔を見合わせると、互いに頷き合った。
 一美かずよしには、それが何となく楽しくない。

(『ニコッと』、だと?)
 確かに、もえは仕事の面では他の新人とは比べ物にならない有能さを見せてくれ、業務に支障が出ることは全くないが、二人が言うような態度には、彼はお目にかかったことがなかった。
 初対面の事を、まだ引きずっているのとは、少々違う気がする。強いて言うなら、怯えられているというか……

「俺には何か遠巻きだぞ、あいつ」
 心持ちブスッとした声でそう言うと、祐里香と肇は同時に彼に視線を向けた。
「そりゃ、自業自得でしょう」
「ああ……まあ……」
 祐里香の視線は冷たく、肇のそれはさもありなん、と言わんばかりだ。
「何で自業自得なんだよ」
「ええぇ、だって、先生、女癖悪いし」
 呆れたように祐里香が言うが、一美には心外だ。
「職場じゃ手を出してねぇだろ?」
「じゃ、あの六東のナースはどうなんです? ほら、超美人の」
「あれはあっちから言い寄ってきたんだって」
「そこで手を出しちゃうから駄目なんじゃないですか。それに、めっちゃ泥沼になったでしょ?」
 祐里香の隣では、肇がうんうんと頷いている。

 一美は渋面で腕を組む。
 確かに、あれはしくじった。
 職場の者には手を出すまいと心に決めたきっかけはあの騒動だと言っても過言はない。今ではそのナースに蛇蝎のように嫌われているが、当時は振り切るのに苦労したのだ。

「……あれ以来、院内では何もしてねぇよ」
「でも、その一件がインパクトありましたからねぇ。きっと、先輩ナースから色々話が伝わってるんですよ。ほら、看護師たちのネットワークってすごいから」
 女性の祐里香よりは多少同情的なのか、肇が気の毒そうに付け加えた。

 くだんの看護師に関しては、本当に彼に対して未練があったのか、それとも単に美人で鳴らした自分が振られるということに我慢がならなかったのかは判らない。
 ただ、彼女から猛烈なアピールを受け、一美がそれにを上げてOKを出してしまったのが運の尽きだった。

 付き合いを始めるに当たって『別れ際は揉めない』と約束したことが、一ヶ月後には彼女の中からすっぽりと消え失せていたのは疑いようのない事実だった。
 あの時のことを思い出すと、今でも気が滅入る。まさに懲り懲り、というやつだ。

 イヤなことを思い出してしまった一美は、気分を変えたくなってパソコンを閉じると立ち上がった。
「あれ、どうしたんですか?」
「ちょっと病棟行ってくるわ」
 声をかけてきた肇にそう返すと、医局を後にした。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

憧れの騎士さまと、お見合いなんです

絹乃
恋愛
年の差で体格差の溺愛話。大好きな騎士、ヴィレムさまとお見合いが決まった令嬢フランカ。その前後の甘い日々のお話です。

出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です

流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。 父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。 無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。 純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。

元平民の義妹は私の婚約者を狙っている

カレイ
恋愛
 伯爵令嬢エミーヌは父親の再婚によって義母とその娘、つまり義妹であるヴィヴィと暮らすこととなった。  最初のうちは仲良く暮らしていたはずなのに、気づけばエミーヌの居場所はなくなっていた。その理由は単純。 「エミーヌお嬢様は平民がお嫌い」だから。  そんな噂が広まったのは、おそらく義母が陰で「あの子が私を母親だと認めてくれないの!やっぱり平民の私じゃ……」とか、義妹が「時々エミーヌに睨まれてる気がするの。私は仲良くしたいのに……」とか言っているからだろう。  そして学園に入学すると義妹はエミーヌの婚約者ロバートへと近づいていくのだった……。

騎士の妻ではいられない

Rj
恋愛
騎士の娘として育ったリンダは騎士とは結婚しないと決めていた。しかし幼馴染みで騎士のイーサンと結婚したリンダ。結婚した日に新郎は非常召集され、新婦のリンダは結婚を祝う宴に一人残された。二年目の結婚記念日に戻らない夫を待つリンダはもう騎士の妻ではいられないと心を決める。 全23話。 2024/1/29 全体的な加筆修正をしました。話の内容に変わりはありません。 イーサンが主人公の続編『騎士の妻でいてほしい 』(https://www.alphapolis.co.jp/novel/96163257/36727666)があります。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

処理中です...