闇に飛ぶ鳥

トウリン

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カワセミ

不覚

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 巴に飯の種の獣を狩ってくると言い置いて、カラスは焚火の明かりが届かぬ距離まで離れたところで木の陰に身を潜ませた。狩りはもちろん口実だ。
 巴を一人にすれば、きっとカワセミが近づいてくるだろう。
 そこを捕らえて足の骨でも折ってしまえば、しばらくは邪魔くさい思いをしないで済むようになるはずだ。
 八咫から巴を傷付けないように言われたのであれば、カワセミはそれを忠実に守る。万が一にも背こうとしたとて、カワセミよりも巴の方が身体能力は高い。カラスが行くまでのわずかな間に、巴の身に何か起こるようなこともないだろう。
 カワセミさえ振り切ることができれば、きっと、また全てが元通りになる。
 追手がいることが問題なのではない。
 巴の頭が余計なことに向いてしまうことが問題なのだ。

 カラスは巴の小さな背中を見つめる。
 カワセミが余計な情報をもたらしてから、巴の表情は沈みがちだ。カラスにはそれが気に入らなかった。
(さっさと南都まで行ってしまえばいい)
 もちろん、カワセミを足止めできたとしても、依頼が撤回されない限り、鳥は追いかけて来るだろう。だが、流石に南都まで行ってしまえば『伏せ籠』の力も弱くなる。

(いや……)

 いっそ、海を渡ってしまえば。
 ふと、カラスの頭の中を、そんな考えがよぎった。
 追手を振り切れるし、巴にも選択の余地がなくなる――彼女は、カラスと共に行くしかなくなる。
 その考えが、カラスには最適解のように思われた。

 よし、そうしよう。

 そう心を決めると同時に、手首に仕込んだクナイを放つ。
「うわ、危ないな」
 反らした顔の横スレスレを飛び過ぎていった刃を大仰な動きでかわし、ひっそりと近づきつつあったトビが声を上げた。足音と気配を殺したところで、カラスが気づかぬわけがないというのに。
「今、本気でる気だったでしょ」
 言いながら、トビはそれを恐れるふうも責めるふうもなく歩み寄ってきて、カラスの隣に立った。彼はカラスの視線を追うようにして巴を見る。
「結構距離があるね」
「……」
「カワセミが何かしようとしたら間に合わないんじゃない?」
「……」
 無言のカラスに、トビは軽く首を傾げた。
「君、カワセミがあの子のこと傷付けないと思ってるだろ。八咫様にそう命令されてるからって」
 まるでそれが間違いであるかのような口ぶりだ。
 横目でねめつけたカラスの視線を、トビはヒョイと肩を竦めてやり過ごす。
「カラスは、僕らは命令に盲従するしか能がないと思っているよね。確かにそれは事実だ。僕やカワセミだけじゃない。鳥は皆、そうだから。そう、作られたから。まあ、君はどうでもいいと思っていたから任をこなしていたかもしれないけれどさ。僕らは、従う以外の考えがないから、そうしていた。従うかどうかなんて、考える頭を持っていないから」

 淡々と、我が身のことを話しているにもかかわらず、まるで他人事のようにトビは言った。

 が、ガラリと口調を変えて、「でもね」と続ける。

「でもね、考えることはしなくても、感じることはあるんだよ」
「どういう意味だ?」
「思考と感情は別物だってこと」
 カラスはトビの言わんとしていることが解からず、眉をひそめた。
「僕にはカワセミの感じていることが理解できる。共感できる。僕もあいつも弱いから。でも、君はどうだい? さっぱりだろう?」
 言い当てられてカラスはムッと唇を引き結んだが、そんな彼に、トビは微かに笑う。そこに含まれているものが何なのかも、カラスには解からなかった。
 だが、トビの頭の中は読めないが、彼の言い様は、まるでカワセミが巴を傷付ける可能性があるように聞こえた。カラスにとって重要なのは、そこだけだ。

「どういう――」
 意味だ、と問いただそうとしたとき、トビの眼が動く。
「あ、来たよ」
 あっけらかんとしたトビの口調で、カラスは振り返る。愚にもつかないトビの与太話で巴から目を離していた自分に憤りつつ。誰が、など、言われなくても判った。ここに姿を現す者など、一人しかいないのだから。
 予想違わず目に入ってきたのは、いつの間にか立ち上がっていた巴の姿と、炎をまたいだ向こうにある翡翠色。
 すぐさま巴のもとに向かおうとしたカラスの腕を、トビが掴んだ。

「おい!」
 振り払おうとした手にぐっと力がこもり、カラスの動きを阻む。
「僕にはカワセミがこれからどうするか――どうなるか、判るよ。君には解からないだろうけど」
 そんなこと、今はどうでもいい。
 カラスは苛々と奥歯を食いしばる。
 とにかく今は一刻も早く巴のもとに向かわねば。
 そう思った、その時、カワセミの激昂した声が二人の元に届いた。これだけ距離があるにもかかわらず、はっきりと。
 ハッと巴たちに視線を戻せば、彼女らの距離は変わっていなかった。しかし、二人の間にはピンと今にも弾けそうな糸が張られているようだった。
 不穏な空気に焦燥の念が膨らむ。腕を振り上げたカラスに、その拳から逃れるようにトビがパッと手を放した。ヘラリと笑ったトビに舌打ちを残し、カラスは今度こそ駆け出す。

「何よ……何だっていうのよ!」
 あと数歩というところで、怨嗟というには力に欠けたカワセミの声が聞こえてくる。刹那、彼女の手から放たれた小刀に、カラスは迷うことなく巴の前に飛び出していた。
「カラス!」
 巴の悲鳴、そして、肩口に痛みが走る。小刀を引き抜くと袖を温かな血が濡らしていく。背後で巴が小さく息を呑む気配が伝わってきた。すぐさま、小さな手が傷口を押さえようとあてがわれる。
 痛みなど、些細なものだ。だが、それがもたらしたのは痛みだけではないことに、カラスは一拍遅れて気が付いた。
(痺れ、薬)
 カワセミは毒の使い手だ。その得物に仕込みがあるのは当然だというのに、頭が動くより先に身体が動いてしまっていた。
 足から力が抜けたカラスは、こらえきれずに膝をつく。
「カラス!?」
「だい、じょうぶ、だ」
 悲鳴じみた声を上げた巴に、カラスはどうにかそれだけ返した。
 毒には慣らしてあるから、じきに分解されるはず。だが、今すぐに、ではない。
 かろうじて顔を上げ、カワセミを睨み付けると、彼女は愕然とした顔をしていた。
 小刀を放った腕を伸ばした形で固まったままで。
 まるで、この状況が理解できぬというように。
 理解できないのは、刃を受けたのがカラスだということなのか、それとも、八咫の命に背いて巴を傷付けそうになったことなのか。

「カワ、セミ……」
 回らぬ舌で名を呼ぶと、彼女はハッと我に返った。
 駆け寄ってきたカワセミは身動きが取れぬカラスの横を駆け抜ける。
「お、い、待て」
 カワセミはカラスをチラリと一瞥し、巴の腕を掴んだ。そして、あとは振り返ることなく走り出す。

「カラス!」
 巴の声にあるのは、己の身を案じて彼に助けを求める響きではない。彼女が案じているのは、カラスのことだ。ただ彼の名を呼ぶ声だけで、それが解かった。

「クソッ」
 四つん這いになったまま地に罵声を吐き出したカラスに、場にそぐわぬのんびりとした声が降ってくる。
「おやおや、これはそうそう拝めない姿だな」
 カラスは近づいてくるトビを睨み付けた。
「そんなに怖い顔しないで欲しいな」
 はぁ、とため息混じりで言ったトビは、カラスの腕を掴むと自身の肩に回して彼を立ち上がらせた。
「何を……」
「追いかけるんでしょ? 痺れが切れるまで待つつもりかい? ああ、それとも、一人で這っていくのかな?」
 それが叶わぬことなど百も承知のくせに、シレッとした顔でトビが言った。

 非常に腹立たしい。
 腹立たしい、が。

「早く、行け」
 唸るように告げたカラスに、トビはやけに満足そうに笑みを浮かべた。
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