闇に飛ぶ鳥

トウリン

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トビ

齟齬

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「なあ、兄ちゃん。てめぇからぶつかってきて、その態度はねぇんじゃねぇの?」
 身なりもだらしないいかにもならず者、といった風情の男は、首を捻るように下からカラスを睨み上げてくる。他の男たちはニヤニヤと薄笑いを浮かべて、二人の周りを取り囲んでいた。
「おい……何とか言ったらどうなんだよ?」
 黙ったまま突っ立っているカラスに、詰め寄っていた男の額に青筋が浮かぶ。

 相手は五人。
 思った以上に、稼げそうだ。

 一人頭の懐具合はいかほどだろうかと、カラスは皮算用をする。
 巴がいるのと独りで旅をするのとでは、えらく勝手が違う。もちろん、路銀が倍必要になることは想定範囲内だった。だが、その路銀を稼ぐことに難儀するとは。
 足りなくなったらこうやって都度手に入れればいいのだが、問題はそうしている間の彼女の処遇だ。
『伏せ籠』からの追手が気になることもさることながら、何より、巴が筋金入りの箱入りなのだ。
 街に出て早々、カラスは巴にも少し金を渡して好きにさせようとした。が、道を行き始めて数歩のうちに道端に座り込む物乞いに有り金を全部くれてやろうとするところを目撃して、秒で撤回した。
 おまけに、どうもあの小娘は人目を引く見てくれをしているらしく、ちょっとカラスから離れると、すぐに余計な輩を引っ掛けてくれるのだ。そいつらを叩きのめしたら叩きのめしたで、今度は蹴り飛ばされた仔犬のような目を彼に向けてくるから、たちが悪い。
 放り出してしまえば気も楽になるのだろうが、何故かその気になれない。
 常にあの姿を視界に入れとかないと、どうにも落ち着かない気分になる。

(くそ。訳が解からねぇ)
 カラスが、胸の内でぼやいた時だった。
「無視してんじゃねぇよ!」
 がなり声に続いてカラスの胸倉を狙って上げられた男の手の平を彼は無造作につかみ、そして、捻った。
「ダッ!? イデ、イデデデッ!」
 ただ手を捻られただけだというのに男は大げさな声を上げて、カラスの力から逃れようと身体を屈める。
「おい、お前、手を放しやがれ!」
 怒声と共に肩を掴んできた男の鼻面に振り返りもせずに裏拳を叩き込むと、カラスはそのまま手を掴んでいる男の後頭部に肘を振り下ろした。
「てめぇ!」
 瞬きするほどの間に仲間二人を戦闘不能にされた男たちは、仇を討たんと三人同時にカラス目がけて躍り掛かってくる。
 だが、その動きはどうしようもなく遅く、無駄だらけだ。
 迫る拳をカラスは首を傾けてかわし、身体を捻りながら相手の脇腹に回し蹴りを食らわせる。強烈な一撃に、その身体は面白いように吹っ飛んだ――もう一人の男目がけて。
「ダァ!」
「グェッ!」
 壁に叩き付けられた二人は同時に呻き声を上げ、そして地面に崩れ落ちた。
 カラスは無言で残る一人にチラリと目を走らせる。と、彼の緑の目が男の姿を捉える間もなく、彼はクルリと背を向けて一目散に走り出した。

 逃げ去る男には目もくれず、カラスは膝をつき、足元に転がっている男の懐を探る。
 取り出した財布は、予想よりも重い。
 次の男に移ろうと、立ち上がった時だった。
「カラス? 何をしているのですか? ……これは……」
 戸惑いを含んだその声に、カラスはやれやれと振り返る。男たちはしばらく目を覚まさないだろうから、危険はない。構わないと言えば、構わないのだが。
「何だよ。来ちまったのか」
「あの……」
 これはどういうことなのかと、巴がその飴色の目で問いかけてくる。
「稼いでくるって言っといただろ? いいから、お前はさっきの店で待ってろって」
「稼ぐって、お金を……?」
「ああ」
 金以外に、何があるというのか。短く答えて、カラスは作業に戻る。

「カラス!」
 二人目の懐に手を突っ込んだカラスの耳に、巴の声が再び飛び込んできた。
「何だよ?」
 引っ張り出した財布を手に、カラスはうんざりした声を彼女に返す。しようとしていることを邪魔されるのが、彼は何よりも嫌いだった。
「それは、その方のお財布ではないのですか?」
「今は俺のだ」
「違うでしょう!」
 巴の声は、咎める色を含んでいた。
 ムッと眉間に皺を寄せたカラスを、巴の大きな目がヒタと見据えている。
「それはいけないことです。お財布をその人たちに返してください」
「じゃ、金はどうすんだよ。なけりゃ、食ってけねぇだろ」
「そうですけど……でも、人の物を盗るのは、いけないことです」
「はあ? こいつらだって同じようにして稼いでんだよ」
 カラスもそこらの凡人から奪おうという訳ではない。破落戸ごろつきからなら、別に構わないだろう。
 だが、巴は髪を揺らしてかぶりを振る。

「他の人が何をしているのかということは、自分自身の行動とは関係ありません。人は己の中の倫理に従い正しく生きなければ――」
「ああ? 『正しい』ってなんだよ? やせ我慢して腹空かせて野垂れ死ぬことか? こいつらが弱ぇのが悪いんだろ? 盗られたくなきゃ強くなりゃいい。獣殺して肉を食うのと、こいつらぶっ倒して金を盗るのと、大した違いはねぇだろ。生きてるだけマシだろうが」
 呆れた声でカラスが返すと、巴は俯いて黙り込んだ。何やら考え込んでいるようだ。
 が、やがて顔を上げて口を開く。

「なら、わたくしが同じように奪われたとしても、同じことをおっしゃるのですか? わたくしが弱いことが悪い、と?」
「俺がいるのにお前から盗れるわけがないだろう」
「そうではなくて……力があるからと言って何をしてもいいという訳では――」
「実際、そうだろ? 力が無けりゃ、踏み潰されるんだよ」
「でも、それでは……」
 また口ごもる巴に、カラスは苛立ちを覚える。彼女が何を言いたいのか、さっぱり解からない。彼女が考えていることが解からないことに、いっそう苛々してくる。
「さっさと言えよ」
 そう促すと、巴は目を伏せてしまった。しばらく待ったが、何も言おうとしない。
 彼に判ったのは、この男たちの財布を盗ったことが彼女には気に入らないらしいということまでだ。それしか、判らない。
「チッ」
 カラスが小さく舌打ちをすると、巴の細い肩がピクリと震えた。これでは、まるで、彼が彼女を脅かしているようだ。

 カラスは手にした財布をチラリと見遣り、男達の上に放り投げた。そうして巴に背を向けてその場を後にする。
 このまま巴の傍にいたら、そのうち自分が彼女に涙を流させることになりそうだった。
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