9 / 55
カラス
欲
しおりを挟む
都には、鳥たちが都に身を潜める時の為の定宿がある。一見ただの旅籠で普通の泊り客もいるが、彼らが立ち入ることのない一画があるのだ。
不完全燃焼のまま巴の家を出たカラスはねぐらに真っ直ぐに戻る気になれず、街をぶらついているうちにとっぷりと夜は更けていた。
なぜ殺さないのか。
腹立たしいことに、あの小娘は、会うたびにそれを問うてくる。
殺されたいのかと訊けば、そうではないと言う。
やけっぱちになっているのならまだしも、淡々と、至極冷めた態度しか見せやしない。
彼女がどんな反応を見せれば満足できるのか自分でもよく判らなくなってきているが、少なくとも、あれではない。
(くそ)
とにかくあの娘の何もかもが腹立たしく、あてがわれた部屋へ向かいながらカラスは口の中で罵った。
と、その時。
「あら、カラス」
まとわりつくような声で、名を呼ばれる。
チラリとそちらへ眼を走らせると、婀娜っぽい笑みがあった。
翡翠の髪に紫水晶の瞳――カワセミだ。
確か、今朝まではいなかったはずだが、彼女の動向などカラスには関係がないことだ。
視線を戻してそのまま歩き去ろうとしたカラスだったが、そんな素っ気ない態度を気にしたふうもなく、カワセミはまとわりついてくる。彼の肘に手をかけ、足を止めさせた。
「ねえ、ちょっと、聞いたわよ?」
いかにも意味深な口調で彼女はそう水を向けてくるが、カラスは他人が見聞きしたことになど、興味はない。
絡まるカワセミの手から自分の腕を引き抜いて、歩き出した。
が。
「もう! ……まあ、そんな態度でもしょうがないわよね。モズに仕事取られちゃったんでしょ?」
カワセミの台詞に、ピタリと立ち止まった。
「――はぁ?」
振り向いたカラスに、彼女はクスクスと目を細めて笑う。
「ほら、子爵令嬢の仕事。さっき『鳥籠』から下知が届いて、聞くなりモズが飛び出してったわよ」
「何だ、そりゃ」
目付きを険しくした彼に、カワセミは手にした扇で口元を隠して続ける。あら、コワイ、と呟きながら。
「あんたがあんまり遅いから、フクロウがモズに回したんでしょ? 知らなかったの?」
彼女のその台詞に、カラスはギリ、と奥歯を噛み締める。
――勝手な、真似を。
腹の奥に渦巻いた焼け付くような何かが、奔流となってカラスの全身を駆け巡った。今、目の前にフクロウが立っていたら、一瞬のためらいもなくその首をへし折っていただろう。
彼の顔を見たカワセミが、ふと眉をひそめる。
「ちょっと、そんなに怒らなくてもいいじゃない? 十日もぐずぐずしていたあんたが悪いんでしょう? あいつに獲物を掻っ攫われて腹が立つのは解かるけどさ」
宥めるような、カワセミの声。だが、自分のこれは、果たして獲物を横取りされた怒りなのだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。別に、何も感じない。
では、いったい何なのだ。
握った拳に更に力を込めてカラスは答えを探したが、尻尾の先すら見えてこない。そもそも、彼が何かを感じることも、そうそうあることではないのだ。
答えが見つからずに苛々としたままのカラスに、カワセミが更に続ける。彼のイラつくさまを楽しんでいるのではないだろうかという笑みを浮かべて。
「でも、あんたがあんなに手間取っていたのに、モズがやれるのかしらねぇ? 何がそんなに手強かったの? 腕利きの護衛でもいた?」
「そんなのはいない」
「へえ、じゃ、何でやらなかったのよ。命乞いでもされて、ほだされた?」
むしろその逆だとも言えず、カラスは押し黙る。そうして、巴の部屋に立つモズの姿を思い浮かべた。
胸のざわつきが、いっそう強くなる。
殺す気になれば、あんな子どもなど一瞬だ。仔猫の首を折るよりも簡単に息の根を止められる。きっと、モズであれば、獲物が気付く間もなく終わらせることができるに違いない。いや、彼はそうしないだろう。あの男は、獲物をいたぶることを愉しむから。
巴が命乞いをしなければ、そうするまで苦痛を与えるはずだ。
――そう、巴は死ぬのだ。ボロ雑巾のように引き裂かれ。
紛れもない、変えようのない事実がカラスの目の前に突き付けられる。
その瞬間、赤い、彼女自身から生まれた血の海に倒れ伏す姿が彼の脳裏に浮かんだ。それは、痛みに近い疼きを、彼の胸にもたらす。
――嫌だ。
殆ど反射のように、そう思った。あの子どもには、まだ、『死にたくない』と言わせていない。あの甘い飴色の目にはふさわしくない、達観した眼差ししか見ていないのだ。
自覚した、欲。
まだ、死なせない――モズになど、くれてやらない。殺さずにいてやったのだから、アレは俺のものなのだ。
自分のものを奪われない為に抗うのは、至極当然のことだろう。
カラスはクルリと身を翻すと、出口へと向かう。
「ちょっと、カラス?」
呼び止めるカワセミの声を背中で弾き返し、カラスは走り出した。
不完全燃焼のまま巴の家を出たカラスはねぐらに真っ直ぐに戻る気になれず、街をぶらついているうちにとっぷりと夜は更けていた。
なぜ殺さないのか。
腹立たしいことに、あの小娘は、会うたびにそれを問うてくる。
殺されたいのかと訊けば、そうではないと言う。
やけっぱちになっているのならまだしも、淡々と、至極冷めた態度しか見せやしない。
彼女がどんな反応を見せれば満足できるのか自分でもよく判らなくなってきているが、少なくとも、あれではない。
(くそ)
とにかくあの娘の何もかもが腹立たしく、あてがわれた部屋へ向かいながらカラスは口の中で罵った。
と、その時。
「あら、カラス」
まとわりつくような声で、名を呼ばれる。
チラリとそちらへ眼を走らせると、婀娜っぽい笑みがあった。
翡翠の髪に紫水晶の瞳――カワセミだ。
確か、今朝まではいなかったはずだが、彼女の動向などカラスには関係がないことだ。
視線を戻してそのまま歩き去ろうとしたカラスだったが、そんな素っ気ない態度を気にしたふうもなく、カワセミはまとわりついてくる。彼の肘に手をかけ、足を止めさせた。
「ねえ、ちょっと、聞いたわよ?」
いかにも意味深な口調で彼女はそう水を向けてくるが、カラスは他人が見聞きしたことになど、興味はない。
絡まるカワセミの手から自分の腕を引き抜いて、歩き出した。
が。
「もう! ……まあ、そんな態度でもしょうがないわよね。モズに仕事取られちゃったんでしょ?」
カワセミの台詞に、ピタリと立ち止まった。
「――はぁ?」
振り向いたカラスに、彼女はクスクスと目を細めて笑う。
「ほら、子爵令嬢の仕事。さっき『鳥籠』から下知が届いて、聞くなりモズが飛び出してったわよ」
「何だ、そりゃ」
目付きを険しくした彼に、カワセミは手にした扇で口元を隠して続ける。あら、コワイ、と呟きながら。
「あんたがあんまり遅いから、フクロウがモズに回したんでしょ? 知らなかったの?」
彼女のその台詞に、カラスはギリ、と奥歯を噛み締める。
――勝手な、真似を。
腹の奥に渦巻いた焼け付くような何かが、奔流となってカラスの全身を駆け巡った。今、目の前にフクロウが立っていたら、一瞬のためらいもなくその首をへし折っていただろう。
彼の顔を見たカワセミが、ふと眉をひそめる。
「ちょっと、そんなに怒らなくてもいいじゃない? 十日もぐずぐずしていたあんたが悪いんでしょう? あいつに獲物を掻っ攫われて腹が立つのは解かるけどさ」
宥めるような、カワセミの声。だが、自分のこれは、果たして獲物を横取りされた怒りなのだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。別に、何も感じない。
では、いったい何なのだ。
握った拳に更に力を込めてカラスは答えを探したが、尻尾の先すら見えてこない。そもそも、彼が何かを感じることも、そうそうあることではないのだ。
答えが見つからずに苛々としたままのカラスに、カワセミが更に続ける。彼のイラつくさまを楽しんでいるのではないだろうかという笑みを浮かべて。
「でも、あんたがあんなに手間取っていたのに、モズがやれるのかしらねぇ? 何がそんなに手強かったの? 腕利きの護衛でもいた?」
「そんなのはいない」
「へえ、じゃ、何でやらなかったのよ。命乞いでもされて、ほだされた?」
むしろその逆だとも言えず、カラスは押し黙る。そうして、巴の部屋に立つモズの姿を思い浮かべた。
胸のざわつきが、いっそう強くなる。
殺す気になれば、あんな子どもなど一瞬だ。仔猫の首を折るよりも簡単に息の根を止められる。きっと、モズであれば、獲物が気付く間もなく終わらせることができるに違いない。いや、彼はそうしないだろう。あの男は、獲物をいたぶることを愉しむから。
巴が命乞いをしなければ、そうするまで苦痛を与えるはずだ。
――そう、巴は死ぬのだ。ボロ雑巾のように引き裂かれ。
紛れもない、変えようのない事実がカラスの目の前に突き付けられる。
その瞬間、赤い、彼女自身から生まれた血の海に倒れ伏す姿が彼の脳裏に浮かんだ。それは、痛みに近い疼きを、彼の胸にもたらす。
――嫌だ。
殆ど反射のように、そう思った。あの子どもには、まだ、『死にたくない』と言わせていない。あの甘い飴色の目にはふさわしくない、達観した眼差ししか見ていないのだ。
自覚した、欲。
まだ、死なせない――モズになど、くれてやらない。殺さずにいてやったのだから、アレは俺のものなのだ。
自分のものを奪われない為に抗うのは、至極当然のことだろう。
カラスはクルリと身を翻すと、出口へと向かう。
「ちょっと、カラス?」
呼び止めるカワセミの声を背中で弾き返し、カラスは走り出した。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
古屋さんバイト辞めるって
四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。
読んでくださりありがとうございました。
「古屋さんバイト辞めるって」
おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。
学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。
バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……
こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか?
表紙の画像はフリー素材サイトの
https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。
狗神巡礼ものがたり
唄うたい
ライト文芸
「早苗さん、これだけは信じていて。
俺達は“何があっても貴女を護る”。」
ーーー
「犬居家」は先祖代々続く風習として
守り神である「狗神様」に
十年に一度、生贄を献げてきました。
犬居家の血を引きながら
女中として冷遇されていた娘・早苗は、
本家の娘の身代わりとして
狗神様への生贄に選ばれます。
早苗の前に現れた山犬の神使・仁雷と義嵐は、
生贄の試練として、
三つの聖地を巡礼するよう命じます。
早苗は神使達に導かれるまま、
狗神様の守る広い山々を巡る
旅に出ることとなりました。
●他サイトでも公開しています。
ぼくたちのたぬきち物語
アポロ
ライト文芸
一章にエピソード①〜⑩をまとめました。大人のための童話風ライト文芸として書きましたが、小学生でも読めます。
どの章から読みはじめても大丈夫です。
挿絵はアポロの友人・絵描きのひろ生さん提供。
アポロとたぬきちの見守り隊長、いつもありがとう。
初稿はnoteにて2021年夏〜22年冬、「こたぬきたぬきち、町へゆく」のタイトルで連載していました。
この思い入れのある作品を、全編加筆修正してアルファポリスに投稿します。
🍀一章│①〜⑩のあらすじ🍀
たぬきちは、化け狸の子です。
生まれてはじめて変化の術に成功し、ちょっとおしゃれなかわいい少年にうまく化けました。やったね。
たぬきちは、人生ではじめて山から町へ行くのです。(はい、人生です)
現在行方不明の父さんたぬき・ぽんたから教えてもらった記憶を頼りに、憧れの町の「映画館」を目指します。
さて無事にたどり着けるかどうか。
旅にハプニングはつきものです。
少年たぬきちの小さな冒険を、ぜひ見守ってあげてください。
届けたいのは、ささやかな感動です。
心を込め込め書きました。
あなたにも、届け。
月の女神と夜の女王
海獺屋ぼの
ライト文芸
北関東のとある地方都市に住む双子の姉妹の物語。
妹の月姫(ルナ)は父親が経営するコンビニでアルバイトしながら高校に通っていた。彼女は双子の姉に対する強いコンプレックスがあり、それを払拭することがどうしてもできなかった。あるとき、月姫(ルナ)はある兄妹と出会うのだが……。
姉の裏月(ヘカテー)は実家を飛び出してバンド活動に明け暮れていた。クセの強いバンドメンバー、クリスチャンの友人、退学した高校の悪友。そんな個性が強すぎる面々と絡んでいく。ある日彼女のバンド活動にも転機が訪れた……。
月姫(ルナ)と裏月(ヘカテー)の姉妹の物語が各章ごとに交錯し、ある結末へと向かう。
マキノのカフェで、ヒトヤスミ ~Café Le Repos~
Repos
ライト文芸
田舎の古民家を改装し、カフェを開いたマキノの奮闘記。
やさしい旦那様と綴る幸せな結婚生活。
試行錯誤しながら少しずつ充実していくお店。
カフェスタッフ達の喜怒哀楽の出来事。
自分自身も迷ったり戸惑ったりいろんなことがあるけれど、
ごはんをおいしく食べることが幸せの原点だとマキノは信じています。
お店の名前は 『Cafe Le Repos』
“Repos”るぽ とは フランス語で『ひとやすみ』という意味。
ここに訪れた人が、ホッと一息ついて、小さな元気の芽が出るように。
それがマキノの願いなのです。
- - - - - - - - - - - -
このお話は、『Café Le Repos ~マキノのカフェ開業奮闘記~』の続きのお話です。
<なろうに投稿したものを、こちらでリライトしています。>
すこやか食堂のゆかいな人々
山いい奈
ライト文芸
貧血体質で悩まされている、常盤みのり。
母親が栄養学の本を読みながらごはんを作ってくれているのを見て、みのりも興味を持った。
心を癒し、食べるもので健康になれる様な食堂を開きたい。それがみのりの目標になっていた。
短大で栄養学を学び、専門学校でお料理を学び、体調を見ながら日本料理店でのアルバイトに励み、お料理教室で技を鍛えて来た。
そしてみのりは、両親や幼なじみ、お料理教室の先生、テナントビルのオーナーの力を借りて、すこやか食堂をオープンする。
一癖も二癖もある周りの人々やお客さまに囲まれて、みのりは奮闘する。
やがて、それはみのりの家族の問題に繋がっていく。
じんわりと、だがほっこりと心暖まる物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる