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2巻

2-3

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 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「…………」
「じー……」
「じーですわ……」

 ――眠りにつくことができる、はずだった。
 ソファに仰向けになって眠ろうとするクリスだったが、四つの目による視線を感じてどうにも寝付けなかった。彼を凝視ぎょうししている暗い部屋の影は、当然カムナとリゼットだ。

「……あの、眠れないんだけど」
「気にしないでいいわよ。このトンチキ変態幽霊が何をするか分からないし、あたしが監視してあげてるだけだから。あんたは心配しないで、ゆっくり休みなさい」
「うっせえですわ、暴力ブタ女。わたくしはただクリス様のお顔を見つめていただけですわ。あなたのような、発情した猿と一緒にしないでくださる?」

 クリスが静かに目を開きながらぼそりと呟くと、二人は自分こそが聖人で、しかももう片方が大悪党であるかのように言った。そしてそれがまた、喧嘩の引き金になるのだ。

「はあぁ!? 変態が何言ってんのよ!」
「むっきーっ! 何ですってぇ!?」

 致命的に相性の悪い二人は、たった一度の会話を交わすだけでこの始末。
 もう一度フレイヤが部屋に入ってきそうな剣幕けんまくの口喧嘩を聞きながら、クリスはごろりと体を横に向け、うなされているかの如く声を漏らした。

「……眠らせてくれぇ……」

 彼の切なる願いだが、今晩だけは叶いそうになかった。

『コーン……コキューン……』

 ぐうぐう、すやすやと眠りにつけたのは、コネクトだけだった。




 第二章 因縁の再会


 翌日、燦々さんさんと輝く太陽の下、クリス達はギルド本部へと向かっていた。
 相も変わらずホープ・タウンは活気づいていて、寝ぼけまなこを擦る者など一人もいない。
 誰も彼もがダンジョンに挑む準備や商売、喧嘩で騒いでいる。

「……ふわぁ……」

 ただし、『クリス・オーダー』のリーダー、クリスだけは酷く眠たげだった。
 肩から提げた袋に入るコネクトを撫でる手も、どこかおぼつかない。

「むっ! クリス君、あくびとは珍しいな!」
「昨日、ちょっと眠れなくてね……気にしないで、夜更かしは修理で慣れてるから」

 大きな口を開けてあくびをした彼に、フレイヤが悪戯いたずらっぽく言った。
 フレイヤは何となく納得した様子だったが、原因の一つであるカムナは自分がひたすら監視していたのが理由とも気付かずに、不思議そうに彼を眺めている。
 寝不足の要因は、寝付けなかったクリスがカムナと話してしまったからだけではない。
 彼の部屋にいたもう一人も、彼を寝かせようとしなかったからだ。

「わたくしもちょっぴり眠たいですわ……夜にクリス様とお話ししましたので……」

 そのもう一人とは、クリスが背負った鞄の中にいるリゼットだ。
 太陽の光が苦手だと明言していた彼女を、お試し程度でも日光に当てるわけにはいかないと判断したクリスは、自分が愛用している鞄にリゼットを入れておいた。

行方ゆくえ知れずになったお姉様を探して、一人でホープ・タウンまで来て探索者シーカーとなるなんて……このリゼット・ラウンドローグ、クリス様の深い愛情に感動しましたわ……!」

 クリスの推測通り、今のところ、アームズにも彼女にも異変は見られない。
 それどころか、クリスの昔話を思い出して感動する余裕すらあるようだ。
高貴こうきなるつるぎ』の話に言及しない辺り、クリスはあくまで父と姉を失ったくだりしか話しておらず、全てを語られてもいない様子である。
 もしもそこまで話していたなら、今頃彼女はとてつもない義憤ぎふんに駆られていただろう。

「それよりもリゼット、日光は大丈夫かい?」
「問題ありませんわ! クリス様の鞄の中はとても快適ですの!」
「ならよかった。太陽の光が射し込むかもしれないって思ったから、鞄の外装に魔獣の革を使ったけど、これならダンジョンまで君を安全に運べるね」
「何から何まで……クリス様の優しさは五臓六腑ごぞうろっぷに染み渡りますわ……」

 声だけで歓喜を表すリゼットに、クリスは問う。

「ところで、日光を浴び続けると君はどうなるんだい?」
「頭の中の声が言うには、ダンジョンの光以外の日光を浴びると、体がドロドロに溶けてしまうらしいですわ。その間に受けたダメージや、溶けたところは放っておけば治りますが、回復はあまり早くありませんの」
「何から何まで、不思議な体質なんだね」
「というか、回復って……幽霊のくせに怪我するのね」
「もちろんですわ。わたくしは幽霊ではなく、こんな姿になっただけの人間ですもの」

 なるほど、怪我を負い、傷が治るのであれば、彼女は自身を幽霊と自覚しないはずだ。
 それでも幽霊の方が分かりやすいので、きっとそう呼ばれ続けるに違いない。

「うん、ひとまずリゼットを運ぶ点での問題は解消されたかな……っと、着いたよ」
「エクスペディション・ギルドとやらは随分広いですわね……これくらいの明るさなら、わたくしが出てきても問題なさそうですわ」

 四人が話しながら歩いていると、あっという間にギルド本部前に着いた。
 街で最も大きな施設、探索者達が集まるエクスペディション・ギルド本部に入ると、日光が遮られた影響か、リゼットの声が心なしか元気になったような気がした。
 興味深そうに鞄の隙間から少しだけ目を見せて、リゼットは周囲を眺める。ナイフと幽体を自在に切り替えられる彼女は、体の一部だけ幽体にすることもお手の物だった。

「出てこなくていいわよ。あんたは黙って、鞄の中でじっとしてればいいの」
「カムナ、きつい言い方はダメだよ」
「クリスは甘いのよ、ったく……」

 どうにもリゼットにつんつんした態度で接するカムナを窘めながら、クリスと『クリス・オーダー』はカウンターの前まで来た。

「すいません、『深い庭』の探索依頼をお願いします」

 彼が声をかけたのは、『深淵の森』の探索でも世話になった受付嬢だ。
 すっかり一同を気に入ってくれたらしい彼女は、贔屓ひいきにならない程度に、それでいて要所でクリス達を助けてくれる。
 今日も受付嬢は朗らかに微笑みながら申請を聞いていたが、少し眉をひそめた。

「『深い庭』ですか? 『クリス・オーダー』の皆さんは、前回もここを探索しているはずですが……同じダンジョンの連続探索は、評価には繋がりませんよ?」

 受付嬢の話すルールは、最初にパーティー登録をした際と同じ注意内容だ。
 いくら名のあるパーティーでも、どれだけ大きな功績を出そうとも、連続して変わらない成果ではダンジョンの調査や素材、アイテムの研究発展には貢献こうけんしない。
 だから、複数回の同ダンジョン探索はランクアップに必要な点数には加算されない。

「それは知っています。けど、今回は『東側』のルートを探索しますので……目標はこの『三色バナナ』でお願いします」
「そういうことでしたか。すいません、てっきりお忘れかと」

 クリスが言うと、受付嬢はなるほど、といった調子で頭を下げた。
 複数のルートがあるダンジョンについては、前述のルールの限りではない。

「では、今しがた同じルートでダンジョン調査を希望したパーティーの分と併せて探索依頼書を用意してきますので、少しお待ちください」

 もう一度軽く頭を下げた受付嬢は、書類を取りにカウンターの裏へと向かった。
 さて、クリスはというと、彼女の言葉に首を傾げた。同じルートでダンジョン探索を依頼した者が、他にいるというのだ。

「誰だろうね、同じタイミングで同じルートだなんて……」

 三人が顔を見合わせていると、答えは彼らの後ろから聞こえてきた。

「――追放した者とされた者が、一つのダンジョンを攻略する。いつかこんな日が来るとは思っていたけど、こんなにも早いとは予想外ね、クリス」

 ただ、この答えが返ってくるよりは、謎のまま終わってくれる方が何倍もよかった。
 いつぞやのように、少し離れたテーブルからこちらに歩み寄ってくるのは、イザベラひきいるAランク探索者パーティー『高貴なる剣』だった。
 桃色の髪をなびかせる絢爛けんらんたる貴族姉妹、剣士のイザベラと魔法使いウィザードのパルマで構成されたパーティーだが、今日は二人の後ろに見慣れない男の影もある。
 その威圧感によるものか、あるいはAランクパーティーを目にした物珍しさからか、周囲の探索者達は相変わらず飽きもせずに、彼らを話題にしてざわついていた。
『高貴なる剣』は先日までクリスが所属していたパーティーでもある。彼らは金の力でランクを買った紛い物の探索者だ。
 その上、クリスを無能とののしり、あまつさえ殺そうとした。
 今は亡きジェイミーという乱暴者がその罪を全て被ることとなり、一緒になってクリスを虐げていたはずのイザベラとパルマはお咎めなしである。

『コン、コルル……!』

 コネクトが警戒して唸る相手など、彼女達くらいなものだろう。

「……やあ、イザベラ」
「随分と冷めた態度ね。元パーティーメンバーの貴方と、雇い主の仲なのに」
「前にも言ったろう。俺は別に、君と話すことはないよ」

 だからといって、クリスが金で権威を買った面々に穏やかな心を持つことはない。
 自分が殺されかけて、しかもその罪を他の者に擦り付けた邪悪じゃあくが相手なら猶更なおさらだ。
 その事情は『クリス・オーダー』の他の面々も知っており、当然ながら彼女達も険しい表情を浮かべる。

「あんた達、よくもいけしゃあしゃあと……!」
「よせ、カムナ。世間的に見れば、向こうは立派なAランク探索者だ。クリス君を殺そうとした証拠がない以上、下手に暴力に訴えれば、悪印象を受けるのはこっちの方だぞ」

 フレイヤが腕を鳴らすカムナの前で手をかざし、暴力を制した。

「この前は散々あいつらをなじってたのに、急に冷静になるのね、フレイヤ」
「以前とは違って注目を集めている。私が振る舞いを考えるくらいには、な」

 じりじりと怒りの火花を散らす双方の空気を先に裂いたのは、イザベラだった。

「せっかくだから、私達の新しい仲間を紹介するわね。デッドロウ・ベルゥよ」

 彼女がそう言うと、後ろにいた細長い男が、ぬう、と前に出た。
 後ろ髪は腰まであり、前髪も瞳が隠れるほど長く、その色は白い。顔の大部分は髪に隠れ、悪魔のように裂けた口元しか見えない。隙間から辛うじて見える目の色ですら、盲目のように白い。
 ひょろりとした体躯が歩く様はどこかふらついていて、まるで枯れた細木のようだ。
『首を吊った男』を背に刺繍ししゅうしてえりを立てた黒の外套がいとうや、無言の威圧感も含め、総じて技術士エンジニアにも、他の職業にも見えない男だ。

「デッドロウ、だね。『高貴なる剣』への加入、おめでとう。使い潰されてダンジョンの奥で殺されかける前に、早々に脱退するのを勧めるよ」
「その心配はないわ。彼は私達の忠実なしもべで、どんな命令にも絶対に従い、技術士だけでなくあらゆる職の技術に精通する完璧かんぺきな男よ。どこかの誰かと違ってね」

 クリスの皮肉を込めた針のような忠告に、イザベラも同様の意味合いで刺し返す。

「忠実なしもべ、か。人をより好みしたら、人が寄り付かなくなった苦肉の策ってところかな」
「有能が一人いれば、無能百人に勝るわ。私なりの結論よ」
「自分が一番無能だってのには気付いてないなんて、おめでたい貴族サマね?」

 ここでとうとう、拳を振るうのを必死に我慢しているらしいカムナまで乱入してきた。
 そうなると今度は、姉を無条件で敬愛するパルマが杖を握って反論する。

「……お姉様を侮辱ぶじょくするなら……死ぬ覚悟がある、ということですね……」
「死ぬ覚悟なら、あんた達もできてんでしょうね。クリスを散々侮辱したなら、頭カチ割られて脳みそぶちまけるのはそっちの方よ」

 双方がぎろりと睨み合い、殺意をぶつけるのを見たクリスは、しまった、と思った。
 知らない間に、自分も熱がこもっていたらしい。

「いや、よそう、カムナ。長々と話した俺が悪い」

 一方で、彼はあやまちに気づけば、冷静さを取り戻すくらいの落ち着きも抱いていた。
 イザベラの「最初からそういう態度を取っていればいい」と言いたげな、勝ち誇った顔が恨めしかったが、クリスは努めて無視した。

「さっきからリゼットも静かだし、受付を済ませて早めに市場に行こう……」

 先程からずっと、鞄の中のリゼットが静かなのも気になる。
 カムナ以上に騒ぎ立てそうなリゼットがこんな状況でも黙っているのだから、彼女のコンディションに悪い変化が起きてしまったのではないかと彼は考えていた。

「……リゼット?」

 だが、そうではなかった。
 ほんの少しの沈黙と、異変が起きたのに勘付いた人々の静寂の中、鞄がひとりでに開いた。

「――イイイィィザベラアアアァァッ!」

 そして、絶叫と共に、ナイフを片手に握り締めたリゼットが飛び出してきた。
 誰もが驚き、硬直した。まさか鞄の中に人が入っているとは思いもよらないし、しかも半透明の人間が、煙が噴出するかのように現出したのだ。
 おまけに、イザベラの名を怒号の如く呼び、今まさに襲い掛かろうとしているではないか。

「なっ!?」
「リゼット!?」

 クリスやカムナが止める間もなく、あわやナイフが喉を裂こうとした直前、イザベラは腰に提げていた剣を振るって凶刃を防いだ。
 刃が透過しないのは、リゼットが怒りのあまり、能力の発現すら忘れているからだろうか。

「この女、どこから……あ、あぁ……?」

 冷徹な剣士はいわれのない襲撃に、静かな怒りを燃やしていた。
 だが、彼女の怒りは、たちまち青ざめた顔色に取って代わった。
 イザベラにとって、この幽霊は全く無関係ではない。

「わたくしの顔を覚えているでしょう、イザベラ・ド・アルヴァトーレ! あなたが殺した、置き去りにした親友の顔ですわ! 忘れたとは言わせませんわよこのクソボケがあぁッ!」
「……リゼッ……ト……!?」

 リゼットの叫び声を聞き、その場にいた全員が驚愕した。
 彼女が殺した親友にして、置き去りにした少女。まわしい記憶がフラッシュバックしたかのように、イザベラは硬直した。
 パルマやデッドロウが困惑する中、彼女だけは石像のように固まっていた。

「お姉様、リゼットとは……?」

 妹の問いかけも、イザベラには届いていないようだった。
 パルマは今まで一度だって、こんなに狼狽ろうばいした姉を見たことがなかった。死んだと思っていたクリスが戻ってきた時ですら、ここまで動揺はしていなかったはずだ。

「そんな、そんなはずはないわ! だって、あの時確かに!」
「そうですわね、足を切って動けなくして、魔獣に食べさせましたわね!」

 うまく整わない呼吸でどうにか言葉を発するイザベラに対し、リゼットはようやくアームズを透過させて攻撃を叩き込もうとした。
 しかし、イザベラはくるりと身をひるがえして斬撃を回避してみせる。

「おかげでテメェは今ものうのうと生きて、お望み通り探索者になってるんですから、いいご身分でございますわね! こんな様を見せつけられて、高説垂れられてキレない奴がいるわけないですわだろうがあぁっ!」

 イザベラの身のこなしは、怒りに身を任せただけの乱暴な攻撃とは違う。彼女の確かな才能を目の当たりにして、リゼットは感情を抑え切れない。
 こちらが、きっとリゼットの本性だ。

「あいつ、語尾が滅茶苦茶めちゃくちゃになるくらいキレ散らかしてるじゃない……!?」

 パルマやデッドロウだけでなく、カムナ達ですら戸惑って手が出せないでいるのだから、周囲の探索者や他の受付嬢、スタッフの視線がこちらに集中するのは当然だ。

「なんだよ、ありゃあ?」
「殺したって、まさかあのイザベラが?」

 リゼットを見てささやく男性、イザベラを指さす女性、嫌悪感を露わにするパーティー。
 反応自体は様々だが、抱いている感想は共通している。
 突如現れた少女が自分を殺した相手だと主張する――イザベラへの疑惑だ。

「まずい、これ以上騒ぎを大きくするわけには……クリス君!」
「ああ、分かってるよ!」
『コン!』

 どちらにしても、騒動を長続きさせてはいけない。
 フレイヤの声を背中で聞きつつ、彼は指を強く軋ませる。

「ちょっと乱暴でごめんね……オロックリン流解体術『壱式』!」

 イザベラとリゼットの間に乱入したクリスは、なぞらせるように動かした指の一撃で、ナイフから装甲と刃を引き剥がし、瞬時に解体してしまった。

「え、きゃあああぁ……!?」

 すると、リゼットの幽体に変化が起きた。
 刃が落ちる音と共に、リゼットの姿が揺らめいて、解体されたナイフの中へと戻っていってしまったのだ。

「……一か八かだったけど、いい方に転んだみたいだね。どうやらアームズを解体すると、強制的に彼女の体は中に戻ってしまうみたいだ」
「解体って、そんなことしていいの!? 二度と元に戻らなかったら……」

 ナイフの素材を拾い上げて鞄にしまう彼に、カムナが戸惑いながら聞いた。

「もしもそうなるなら、俺が修理した時点で彼女は失われてるよ。リゼットが昨日の夜に意識を保っていたってことは、破壊されたならともかく、技術の伴った解体なら、リゼットの存在に関係性はないってことだ」
「だといいけど……もしものことがあったら……」

 どうにも納得いかない様子のカムナに対し、クリスは軽く頭を撫でた。

「分かってるよ。喧嘩してても、カムナがリゼットを心配してるってことくらいね」
「そ、そんなんじゃないわよ! あたしが心配するのは、あんただけなんだから! リゼットに何かあったら、クリスが悲しむかもって思っただけなんだからっ!」

 クリスが微笑むと、カムナは顔を赤く染めて、ぶんぶんと首を横に振った。

「お待たせしました、申請書類です……え、ええっと……?」

 ようやく受付嬢が書類を抱えてやってきたが、同時におかしな顔つきになった。
 彼女にも理解できるように説明するのは、少なくともクリスでは難儀なんぎするだろう。

「とにかく、俺は一旦リゼットを修理して、落ち着かせるよ。フレイヤ、カムナと一緒に受付をしてもらえるかな。あとで大市場のカフェで落ち合おう」
「分かったっ! ではカムナ、こちらで受注手続きをするとしようっ!」

 部品をすっかり拾い終えたクリスは、フレイヤに頼んだ。
 大きく頷いたフレイヤに連れられて、やや心配そうな顔色を残したまま、カムナは受付嬢のもとに歩いていった。クリスもまた、イザベラの横を通り過ぎて、本部の外を出た。
 今度は、彼女は引き留めも、嫌味を言いもしなかった。

「……無礼なやから……やはり『暗殺部隊』を率いて始末した方がよいですわ……」

 代わりにパルマが、クリスを呪い殺さんとばかりに、彼の背中を睨んでいた。
 血管が浮き出るほど杖を握り締めた彼女だったが、イザベラの返事はなかった。

「……お姉様?」

 もう一度問い返すと、ようやくイザベラは振り向き、静かに命令した。

「デッドロウ、探索依頼の受注をしてちょうだい。私は先に宿に戻るわ」
「……かしこまりました……お嬢様」

 掠れた、震えた声の理由も聞かず、細長い男は深く頭を下げた。
 イザベラをお嬢様と呼ぶデッドロウはその場に残り、パルマは急ぎ足で去ってゆく姉を必死に追いかける。
 イザベラはというと、わたわたと走る妹の存在を気にも留めていない。

「ま、待ってください、お姉様!」

 パルマの声どころか、周囲のイザベラへの低評価に繋がる声すら聞こえていない。

「最近、やけに騒動が多いよな?」
「何か隠してるんじゃないか、もしかして……」

 全身にはし怖気おぞけ誤魔化ごまかしても、誤魔化しても、彼女の背筋をあの視線が突き刺す。
 忘れられたはずの過去がい出てきて忍び寄る恐怖が、イザベラの心臓を食い尽くす。

「リゼットが、何で、どうして、どうして……!」

 一刻も早く宿の部屋に帰ること以外、過去の恐れに呑まれた彼女の頭の中にはなかった。


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