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番外編:鮫とリゾートとバカンスと

初めての海

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 『帝国鉄道』には、通常使われる路線ともう一つ、別の路線がある。
 ホープ・タウンから少し離れた駅と、バスティコリゾートを繋ぐだけの線路。それ以外のどの駅にも停まらず、一晩かけて貴族や富裕層を海へ連れて行く汽車がある。

「……ん……」
「おはよう、クリス。さっき朝日が昇ったところよ」

 そんな汽車の客席で、クリスは目を覚ました。
 もちろん、座ったまま眠りこけているのではない。帝国鉄道の寝台車は、普通のベッドよりもやや硬いが、クリスを夢の世界へと連れて行くには十分な寝心地だった。
 汽車の中で初めて眠る彼を起こしてくれたのは、隣の部屋で寝ていたカムナだ。
 体を起こして頭を掻きながら、クリスはカーテン越しに朝日を見つめた。

「……ということは、じきにバスティコが見えてくるね」
「そうなの? 一晩中同じ景色が続いて、あたし、正直退屈だったわ」

 同じように目を覚ましたらしいフレイヤ達の気配を感じながら、カムナが言った。

「けど、悪い気分じゃないわね。『寝台帝国インペリアル・鉄道ロコモーティブ』の旅は、馬車とかドレイク便とは違う良さがあったわ」

 武器アームズである彼女は、眠りこそするが、完全に必要というわけではない。初めて乗る寝台車にいる時間を楽しみたくて、ずっと起き続けていたらしい。

「ずうっと広がる道に、たまに見かける動物とか人、乗り物……ノスタルジー、ってやつなのかしら? 退屈さがないって言えばうそになるけど、ちょっぴり感傷的になっちゃうくらい、綺麗な風景だったわ」
「この雰囲気は、俺も好きだよ。技術士エンジニアとして半月働いてようやく片道分の高い料金がないのなら、何日だって乗っていたいくらいさ」

 クリスははにかみながら、念のため仲間に声をかけた。

「フレイヤ、リゼット。マガツも起きてる?」
「うむっ!」

 薄い扉で遮られた隣の部屋から、返事が聞こえてきた。

「ええ、すっかりいい気分ですわ」
「マガツは寝る必要がないの」

 ああ、そういえばそうだった、とクリスは思い出した様子で頷いた。マガツは魔獣メタリオとしての側面が非常に強く、睡眠を必要としない。だからいつも、外の景色を眺めたり、うろうろと散歩したりしているのだ。
 もちろん、幽霊のリゼットも眠る必要はないのだが、こちらには人間としての習慣が染みついている。眠ることもできるし、そちらを選ぶのは当然だろう。
 さて、カーテンの向こうから陽が差しているのなら、もうじき目的地だ。

「そう遠くないうちに、バスティコリゾートが見えてくると思う。最後に起きておいてなんだけど、そろそろ荷物を整理しておこうか」

 彼の声を聞いて、隣の部屋からはものを整理する音が聞こえてきた。
 クリスも軽く身だしなみを整えて、パジャマを着替えながら窓を開けた。すると、カムナが鼻をひくつかせた。

「……クリス、この匂いは何かしら? なんだかしょっぱいような……?」
「ああ、そっか。カムナは海を見たことがなかったね」

 小さく笑って、クリスは窓をすべて開いて、外の景色を指さした。
 指先に導かれるようにカムナは視線を上げ、思わず息を呑んだ。

「カムナ、あれが理由だよ――あのどこまでも続く海が、風に運ばれて来たんだ」

 そこには、海があった。
 青い、青い水の世界。永遠に続いて見える世界の果て。
 ダンジョンよりもずっと広く、爽やかな景色を目の当たりにして、カムナは茫然としていた。

「……すごい……湖なんか比べ物にならないくらい、広くて……ずっと……」

 とぎれとぎれにしか言葉が出てこないカムナの様子を、隣の部屋のマガツ達も見に来た。マガツが驚かないのは、きっとクリスが起きる前に、フレイヤ達と一緒に海を見てきたからだろう。

「でも……マガツ、なんだか懐かしいの……」
「果てが見えないくらい、大きい……クリス、あたし、夢でも見てるの?」

 いつになくロマンチックなカムナの肩をフレイヤが叩いた。

「呆けているところ悪いが、あれは現実だっ! 大陸同士をつなぐ水の世界、それが私達がこれから向かう海だっ!」
「船……ホープ・タウンで聞いたことも、解体しているところも見たことはあるけど、ずっと小さく感じるわ……」

 自分でつぶやいた言葉を反芻して、カムナは急に顔を青くした。

「そ、そういえば、あんな広いところで泳ぐの!? 溺れちゃうわよ!?」

 どうやらカムナは、あの広大な海の中央で泳ぐのではないかと思っているようだ。あんなところで泳ごうものなら、いかに防水加工を施した彼女でも溺れるに違いない。
 ちょっぴり不安げな彼女の顔を、皆が微笑ましく見つめていた。

「心配ありませんわ。ここからあの白い砂浜が見えるでしょう? わたくし達が泳ぐのは、せいぜいそこからちょっと離れたところまででしてよ」

 そう聞いて、彼女はやっと安心したようだ。
 むしろ、白い砂浜で遊ぶ人々や、近くで小さなボートを漕ぐ男女を見ているうち、カムナの中には一層喜びや楽しみの感情が膨れ上がってきたらしい。

「……なんだか、すっごくわくわくしてきたわ!」

 カムナがこれ以上ないくらい顔を輝かせると、クリスも頷いた。

「あはは、実を言うと、俺も海の存在は知ってたけど、直接見るのは初めてなんだ。カムナと同じくらいか、ずっと楽しみで仕方ないよ」

 彼がそう言うと、汽車が大きな音を立てて速度を落とし始めた。

「駅に着いたみたいだね。それじゃあ、行こうか」

 皆が頷いて、大きな荷物を手に取った。
 外から少しずつ、騒々しい声が聞こえてきた。
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