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貴族一家と還る墓

上の空

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 彼女は、ぼんやりとしていた。
 自分がどこにいるのか、あるいは何をしているのかも、おぼろげだった。

「……ト……ゼット……」

 声をかけられても、自分に向けた声なのかが理解できない。
 どうしてこうも、頭にもやがかかったままなのか――。

「――リゼット!」

 ――まとまらなかった思考が、大きな声で固まった。

「……え?」

 リゼットは、やっと自分が今、ダンジョンの奥に来ているのだと思い出した。
 ここは四方八方を豪勢な鉛色の建物で囲まれたCランクダンジョン『鋼鉄の宮殿』で、自分達は納品アイテムの『自生ねじ』と魔獣の素材を集めに来た。第八階層の中心部に生えているそれをいくつか回収した――ここまで、リゼットは思い出せた。
 そして彼女の肩を叩いて声をかけたのは、呆れた調子のカムナだ。

「あんた、いつまでぼーっとしてるわけ? 目当てのアイテムは回収して、魔獣メタリオも必要な数を倒したから帰るって、さっきからずっと言ってんのよ?」
「……あ、ああ……そうですわね」

 取り繕うそぶりを見せる彼女が呆けているのは、決して寝不足などではない。
 ラウンドローグ家が没落し、両親が死んだとリゼットが聞かされてから、五日が経っていた。うち二日ほどは部屋から出てこなかった彼女だが、その後ダンジョンの探索をしたいとクリスに頼みに来た。
 クリスはというと、最初は渋っていた。仕事に穴をあけられないとか、気分転換とか理由は言っていたが、見るからにまだメンタルが不安定で、ダンジョンでの探索がより危険なトラブルを引き起こさないか心配だったのだ。

「大丈夫かい、リゼット? やっぱり、しばらく休んだ方がいいんじゃないかな」
「そうね、さすがのあたしでも、今のあんたを探索に連れて行こうなんて思わないわよ。ホープ・タウンに戻ったら、避暑地でもローズマリーに紹介してもらいなさい」

 カムナにすら心配され、リゼットは慌てて手を振った。

「な、何も問題ありませんわ! 気持ちはしっかり切り替えましたし、こうしてダンジョン探索もできていますし! ノープロブレムでしてよ!」
「ノープロブレムって、どの口が言ってんのよ……」

 肩をすくめるカムナの隣で、マガツがぽつりとつぶやいた。

「四十一回」
「へ?」
「ダンジョン侵入から今に至るまで、仲間が守らないと死んでいた回数。マガツはクリス以外守らないから、正確には回数が増えて、六十三回になるの」

 六十三回も死んでいた、と聞かされると、リゼットも顔が強張った。
 実際のところ、彼女は確かに油断してばかりだった。すれ違った他の探索者が、上の空で半分体の透けたリゼットを見て目を丸くしたのにも、気づかないほどだった。

「マガツの言い方はともかく、実際、相当気が抜けているっ! 心ここにあらずの状態ともいえるな! そんな気持ちでダンジョンを探索するのは、やはり危険だぞっ!」
「両親の件とは別で、何か気になることでもあるんじゃないの?」

 とはいえ、心のうちにまで言及するのは、ダンジョン内では褒められたものではない。

「カムナ、今聞いてあげるのはよくないよ。街に戻ってからでも……」

 そう思ってカムナを制したクリスだが、リゼットは彼の声すら聞こえていなかった。

「……夢を、見ますの」
「夢?」

 リゼットが、絞り出すように言葉を紡いだ。

「お父様と、お母様が……わたくしの前にいますの。でも……いつの間にか、二人はどこにもいなくて、暗闇にわたくしだけが残されていましたわ。なのに……」

 彼女の口調が、自分を責めるものへと変わった。
 吐き出すような声が、何かをおびき寄せているとも気づかなかった。

「なのに、声だけが聞こえてきますの! 二人がわたくしを責める声が――」

 自分の世界に入り込むリゼットの背後の物陰から、何かが飛びかかってきた。
 牙を剥いて彼女を引き裂こうとしたのは、虎を模した鋼の魔獣だ。

「――リゼット、危ないッ!」

 避ける間も、幽体化する余裕もないリゼットを、フレイヤが突き飛ばした。彼女の代わりに、騎士の右肩を怪物の爪が裂いた。
 傷口を抑えて倒れ込むフレイヤを見て、やっとリゼットも正気に戻ったようだった。しかし、まだ完全に状況を理解していないのか、手にした武器アームズが破壊されれば消滅するというのに、彼女は隠れようとも透けようともしない。
 ならばとばかりに、クリスとカムナ、マガツが仲間を庇い、魔獣に反撃した。

「フレイヤ! この……『神威拳カムナックル』!」
「オロックリン流解体術壱式『甲型』ッ!」

 カムナの拳とクリスのツールが、たちまち魔獣の四肢を破壊した。さらに、マガツのワンピースの下から飛び出した鋼の触手が、敵の胴体を穿ち、一撃で死に至らしめた。
 今更だが、マガツはまだ触手の力を有している。鋼鉄のそれは槍となり、盾となり、クリスを守る最強の武器となるのだ。
 魔獣を無残に切り刻み、ダンジョンへと還る肉塊にするのは造作もなかった。
 とはいえ、彼女はクリスしか守らない。フレイヤを咄嗟に守ることはできなかった。

「ぐッ……すまないな、急な判断で人を守るとなると、これしか思いつかなかった……」

 肩から流す血で服を染めるも、立ち上がって余裕を保つフレイヤ。
 一方、リゼットは無傷にもかかわらず、酷くうろたえていた。

「わ、わたくし……わたくしは……!」

 こうなってしまったなら、もう事情を聞いている余裕はない。

「ひとまず、ダンジョンから出よう! マガツ、フレイヤを担げるか!」
「クリスのお願いなら、何でもできるよ。よいしょ」

 触手でフレイヤを持ち上げたマガツの傍で、クリスはリゼットを見つめた。
 怒りでも苛立ちでもなく、不安と心配、慈しみの視線だった。

「……リゼットも、こっちに来てくれ。大丈夫だよ、俺が守るから」

 ただ、それが今の彼女には、どうしようもなく苦しかった。

「……はい……」

 上の階層へと帰っていくパーティーに保護されるように、リゼットは歩き出した。
 もう、彼女が探索に復帰できそうにないのは、誰の目にも明らかだった。
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