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雪山と大鋸の騎士

赦すのが愛ならば

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 ヴィノーとクラウディオ山の命運をかけた戦いは、終わった。
 白氷騎ことアメノハバキリは打ち倒され、山に伝わる永遠の怪物は消え去った。レヴィンズ家を縛る呪いの役割は、永久に潰えた。
 両手と片足を失ったカムナ、ボロボロのナイフとなったリゼットを抱え、クリスとフレイヤは洞窟の残骸を後にした。トロッコに乗り、静かなヴィノーに戻ってきた。
 そこで四人を待っていたのは、屋敷の門の前に佇む使用人のバルディ。
 彼に案内され、屋敷の主の部屋に入った一同が見たのは、一つのベッド。

「……そうか」

 何を言わずとも、ベッドの上に横たわるそれを見て、フレイヤは静かに呟いた。
 バルディも頷いた。

「はい、旦那様は――お亡くなりになりました」

 彼女の眼前にあるのは、目を閉じ、死を迎え入れた父親、バーンズだった。
 体中に繋がれていたらしいチューブは外され、ダンジョン奥地でしか採れない貴重な薬草を使った液体は、もうバーンズの中には注がれていなかった。そのせいか、彼の死に顔は昨日よりもずっと青白く、まるで凍え死んだかのようだった。
 あまりに唐突すぎる死を前にして、クリスに担がれたままのカムナはもちろん、ナイフの中から出てこられないリゼットすら、ひどく動揺しているようだった。

「嘘、どうして……昨日まで、まだ生きてたじゃない! なんで今日になって、いきなり死んじゃうのよ!」
「旦那様のお体は、もはや限界でした。副作用の激しい薬を用いてでも、どうにか生き永らえ、一日でも長く白氷騎を封印すると……いつこうなっても、おかしくありませんでした」
「……亡くなったのは、いつ頃だ」

 沈んだ面持ちで語るバルディに、フレイヤは聞いた。

「フレイヤ様とお仲間の皆様が出発されて、しばらくでございます」
「……そうか。そういうことか」

 返事を聞くと、フレイヤは何か納得した様子で、折れた剣の柄を見つめた。

「……この剣に宿っていた封印の力は、母上と兄上だけではない。父上も、力を注ぎ込んでいた。そして……死の間際に、奴を弱らせるだけの力を与えてくれた」

 それを聞いて、クリスは目を見開いた。
 てっきり彼は、剣に宿った封印の力は、フレイヤの為に死んだ家族のものだけだと思っていた。しかし、ここにもまた、娘の為に命を注ぐ者がいたのだ。
 つまり――バーンズは、自らの生命力を、フレイヤに分け与えていたのだ。

「死の瞬間に強まる力……だったら、フレイヤのお父さんは……」

 クリスが問いかけようとしたが、フレイヤは首を横に振った。

「すまない、皆。部屋の外で待っていてくれないか」

 ここに来た時よりもずっと暗く、苦しい声だった。
 今の彼女にこれ以上声をかけるほど、クリスも無粋な人間ではなかった。

「……分かった。行こう、カムナ、リゼット」

 右肩にカムナ、左脇にリゼットを抱え、クリスは静かに部屋を出て行った。
 ぱたん、と扉が完全に締まり、遠くに足音が聞こえていっても、フレイヤはしばらく口を開かなかった。
 彼女がやっと、こわばる唇を開いたのは、数十秒も後の話だった。

「バルディ。父上は、最期に何と?」

 フレイヤがそう聞くと、バルディは目元に光る涙をハンカチで拭って、言った。

「『愚かな私を、赦さないでくれ』と。そう、言い遺されました」

 そう聞いた瞬間、フレイヤの瞳が揺れた。
 内側から溢れそうな感情をこらえながら、彼女はゆっくりと父親の手に触れた。
 自分よりずっと冷たいその手に、最後に触れたのはいつだったか。思い出す限りずっと、父は厳格で、気難しくて、手を握った記憶などまるでなかった。

「……赦すな、か。なんとも、なんともおかしなことを……」

 もし、自分からこの手を握っていれば。
 持ち上げた冷たい手が、温かいうちに、わだかまりを解けていれば。
 後悔が胸からこみあげた時、フレイヤの心の堰は砕けた。

「――それでも愛するのが、家族でしょう……!」

 彼女の目から、大粒の涙がぽろぽろと零れた。
 家族との繋がりと和解から逃げ続け、諦め続けた回顧の涙だった。

「父上こそ、父上こそ……私を赦さないでいてください……貴方と、家族の死と向き合わず、逃げ続けた末に……自分すら見失いかけた、私を……」

 今わの際まで、父は自分を許すなと言い続けた。怒りに満ちた関係をつづけ、自分の為に悲しむなと言い続けた――言い続けたかったのだろう。
 果たして、彼の願いは叶わなかった。
 フレイヤがとめどなく零す涙が、愛する父と娘の手を濡らした。
 最期まで素直になれない父と、勇気を出せない娘。

「……どうして……どうして、私は……!」

 すれ違い続けたままの二人の仲を途切れさせないように、フレイヤは彼の手を握ったまま、泣き崩れた。聖騎士パラディンの、誰にも見せない泣き顔は、涙と鼻水でひどいさまになっていた。
 それでもフレイヤは泣き続けた。何もかもを悔やみながら、泣き続けた。
 幸運にも――あるいは不幸にも、クリス達に声は聞こえなかった。彼らは玄関先の広間まで来て、壁にもたれかかり、ただフレイヤの帰りを待っていた。

「ねえ、リゼット。人って、死んだらどこに行くの?」

 ふと、カムナが思い出したように、リゼットに問いかけた。

「知りませんわよ、そんなの。わたくしだって、目が覚めたら武器アームズの中にいたのですから。おかしなこと、聞かないでくださいまし」
「あっそ。じゃあ、クリスは知ってる?」
「どうして?」

 クリスが持って帰ってきてくれた、玄関に置かれたままの両腕と片足を見つめながら、カムナは自分の胸元に手を当てた。心臓の音がしない、歯車が回るだけの胸だ。

「あたしが死んだら、どこに行くんだろ、って思ったの。クリスのことも、フレイヤも、リゼットも、全部忘れてどこかに行っちゃうのかなって思うと、怖くなったのよ」
「ふぅん、貴女も怖がることがあるんですのね。ま、わたくしもですけど」
「……誰だって怖いよ。死ぬのも、忘れられるのも」

 天井を見つめて、クリスが言った。

「けど、死と忘却に違いはある。死は誰にでも訪れるけど、忘れないことはずっとできる」

 彼は、人の死を見てきた。どんな形であれ、人は死にゆくとも知っていた。
 命だけは直せない。人間の命は有限で、どれだけメンテナンスを続けても、いつか急にいなくなる。技術士エンジニアでも、人の死を司ることなどできない。
 ただ、クリスは知っていた。命がなくなっても、永遠に戻ってこないと知っていても、思い出だけは誰にも奪えないと。記憶の中で、人は生き続けるのだと。
 武器も、幽霊も変わらない。思い出しさえすれば、またいつでも会える。

「……俺は忘れないよ。フレイヤが家族のぬくもりを、忘れなかったように」

 クリスが二人に微笑むと、彼女達も微笑み返した。

「あたしも」
「わたくしも、ですわ」

 ステンドグラスから差し込む真昼の陽が、クリス達を照らした。
 悲しみを消し去ろうとするかのような、明るい光だった。
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