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雪山と大鋸の騎士
かすかな希望
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『ほう、面白い! レヴィンズ家の封印の力、我に見せてみよ!』
人間とは思えない速さで突撃するフレイヤに、やっとアメノハバキリは関心を示したようだ。腕を引き、カムナやリゼットに放ったそれより遥かに鋭い槍の連撃を繰り出した。
「はあああぁーッ!」
だが、フレイヤは残骸と化した洞窟の壁を駆け、瓦礫の山を跳び、衝撃波をものともせずにすべての攻撃を回避してみせた。
一撃を叩き込む。ただその為だけに今を生きるフレイヤの執念が、人間を超えた反射を可能にしているとしか説明できない、常人離れした動きだ。
『我の連撃を……かわしただとッ!?』
流石にここまで避けられると思っていなかったのか、アメノハバキリが動揺した。
その隙を、フレイヤは見逃さなかった。
彼女は長い瓦礫を疾走し、勢いに任せて空高く跳び上がった。そして、盾を構える余裕すらないアメノハバキリの胸の鎧に、赤い剣を突き刺した。
その瞬間、剣から深紅の光が放たれた。
これこそが、フレイヤの命を吸い取り、彼女に力を与える光だ。
(私の生命力をすべて、この一撃につぎ込む――)
血管が浮かび上がるのも、鼻血が噴き出すのも構わず、フレイヤは力を込めた。
自らの生命の何もかもを注ぎ込み、光の塊となった剣は、果たして――。
「――え」
折れた。
赤い閃光が瞬きする間に途切れるのと同時に、剣は刺さったまま、折れたのだ。
(折れ、た――)
フレイヤの体から吸い取られたエネルギーは、もうどこにも行かない。自分を支えていた剣が柄だけとなったのを見ながら、彼女は落下した。
受け身を取らなければダメージを負う高さだが、フレイヤは我を失っていた。
彼女の頭の中を渦巻くのは、母が遺した武器と、自分の命の力の価値のなさだった。
(なんで、どうして――私は、私が生かされた意味は――)
フラッシュバックするのは、あの日の光景。
母と兄を喪い、自分だけが生き残ってしまった時の光景。
――逆、だったならば。
自分が死ぬことが、正しかったのならば。
(あの時、私が死んでいれば――)
涙すら流れない後悔を頭に浮かべたフレイヤは、地面に激突するすんでのところで、クリスに抱きかかえられた。
「フレイヤ、無事か!? フレイヤ!」
地面に座らされ、クリスに問いかけられたフレイヤの目は、虚ろだった。
「……私、は……なんで……」
いつもの豪胆な女騎士は、もうそこにいなかった。
そこにいるのは、自分が何の価値もない、過ちばかりを犯し続けてきた人間だと気づいてしまったフレイヤ・レヴィンズだけだ。
クリスの目を見られない彼女は、折れた剣の柄を落とした。
そして、顔を上げ、失意と失望にまみれた表情で、言った。
「……逃げてくれ。もう、何もできない……終わりだ……」
折れていた。
剣だけではない。心が折れ、死んでしまっていた。
「フレイヤ……!」
ただ、クリスは彼女の絶望を目の当たりにしても、まだ諦めていなかった。
アメノハバキリがすでに槍を担ぎ、攻撃しようとしていても、彼女だけを置いて逃げる選択肢などあるはずがない。たとえフレイヤが望んでいても、クリスは絶対に逃げない。
「カムナオイノカミ! リゼットと一緒に、少しだけ時間を稼いでくれ!」
彼はフレイヤから目を離さないまま、カムナの真の名前を呼んだ。
その行動に、どれほどの信頼が置かれているのかを、彼女は知っていた。
「クリス……分かったわ!」
言うが早いか、カムナはリゼットの本体であるナイフを器用に足で蹴り上げると、その柄を口に咥えた。リゼットのナイフの耐久力は心もとないが、少なくとも彼女は、そんな理由でクリスの期待に応えないはずがなかった。
「ちょっとだけ体を借りるわよ、リゼット!」
「もう! 口にわたくしを咥えるのは、今回だけにしてくださいまし!」
かたや腕をなくし、かたやひびの入ったナイフと化した。
なのに、アメノハバキリに対して、微塵も恐れを抱いていなかった。
「さあて、まだまだここからよ、バケモンがぁッ!」
『わははは! 面白い、我をもっと興じさせてみせよ、わっぱども!』
そして、敵に向かっていった二人を、アメノハバキリも歓迎した。自分に到底敵うはずがないと知っていても、勇気を振り絞って挑んでくる相手を迎え入れるのが、武人の務めだ。
クリスの予想通り、アメノハバキリはカムナ達に関心を抱いた。もはやフレイヤなど何の興味も抱いていないのか、たちまち顔すら向けなくなった。
あとは、カムナが時間を稼いでくれている間に、クリスが成すべきことを成すだけだ。
「……フレイヤ、こっちを見てくれ」
「……」
クリスはフレイヤの頬に手を当て、自分に向けさせた。
「フレイヤ・レヴィンズ! 俺の目を見ろ!」
まるで死人のような表情で明後日の方を見る彼女に対し、クリスは語気を強めた。
そうしてやっと、フレイヤは彼を見た。だが、目は未だに生気を保っておらず、生きているか死んでいるか、分からないほど虚無に満ちていた。
「……剣は折れた、最期の希望は潰えた。私達では、奴に勝てない」
震えた声で発するフレイヤの言葉は、何もかもが悲哀に満ちていた。
過去どころか、今こうして生きていることすら過ちであると、彼女は悟ってしまったからだ。自分ではなく、他の人間が生きるべきだと知ってしまったのだ。
父の自分に対する評価と罵倒こそが正しかったのだと、思ってしまった。
「母上が遺した剣すら無意味なら、私が……私が母上に生かされた意味など……!」
そんなフレイヤの心は、氷塊の如く凍っていた。
もはや彼女の氷を溶かすことなど、誰にもできなかった――。
「――過ぎたことを悔いている時間はないよ、フレイヤ!」
「……!」
――クリス以外は。
かつて自分が放った言葉を向けられたフレイヤの目に、僅かに生気が戻った。
つう、と涙を頬に伝わせた彼女の瞳には、クリスの顔が映っていた。強い言葉なのに、叱咤するような声だったのに、彼の顔は優しさと勇気に満ち溢れていた。
「自分に誇りを持って、前に進むんだって、君が教えてくれた言葉だ! 何もできなかったと思っていた俺に、君が言ってくれた言葉を、君自身が忘れるのか!」
クリスがイザベラに敗れた時にかけられた声は、彼の再起に繋がった。
ならば今、フレイヤを再び立ち上がらせる言葉はこれしかないと、クリスは確信していた。
「君の母さんと兄さんの死に、意味がないはずがない! 君が今ここに生きて、勇気を出して一緒に戦ってくれるのは、死ぬ為じゃない! アメノハバキリを倒して、ヴィノーの街に平和を取り戻す為だ!」
肩を掴んだクリスの励ましに、フレイヤは弱弱しい声で答えた。
「……なら、どうすればいいんだ。私の力は、奴にはまるで……」
彼女にとって、アメノハバキリは倒せない無敵の怪物だ。カムナ達が戦ってくれてはいるが、このままでは二人とも槍の餌食になるだろう。
ただ、クリスにとっては違った。
「いいや、可能性ならある! 君の一撃には、意味があった!」
フレイヤを見つめていた彼の視線が、アメノハバキリに向いた。
赤い剣が突き刺さったままの、鎧に。
人間とは思えない速さで突撃するフレイヤに、やっとアメノハバキリは関心を示したようだ。腕を引き、カムナやリゼットに放ったそれより遥かに鋭い槍の連撃を繰り出した。
「はあああぁーッ!」
だが、フレイヤは残骸と化した洞窟の壁を駆け、瓦礫の山を跳び、衝撃波をものともせずにすべての攻撃を回避してみせた。
一撃を叩き込む。ただその為だけに今を生きるフレイヤの執念が、人間を超えた反射を可能にしているとしか説明できない、常人離れした動きだ。
『我の連撃を……かわしただとッ!?』
流石にここまで避けられると思っていなかったのか、アメノハバキリが動揺した。
その隙を、フレイヤは見逃さなかった。
彼女は長い瓦礫を疾走し、勢いに任せて空高く跳び上がった。そして、盾を構える余裕すらないアメノハバキリの胸の鎧に、赤い剣を突き刺した。
その瞬間、剣から深紅の光が放たれた。
これこそが、フレイヤの命を吸い取り、彼女に力を与える光だ。
(私の生命力をすべて、この一撃につぎ込む――)
血管が浮かび上がるのも、鼻血が噴き出すのも構わず、フレイヤは力を込めた。
自らの生命の何もかもを注ぎ込み、光の塊となった剣は、果たして――。
「――え」
折れた。
赤い閃光が瞬きする間に途切れるのと同時に、剣は刺さったまま、折れたのだ。
(折れ、た――)
フレイヤの体から吸い取られたエネルギーは、もうどこにも行かない。自分を支えていた剣が柄だけとなったのを見ながら、彼女は落下した。
受け身を取らなければダメージを負う高さだが、フレイヤは我を失っていた。
彼女の頭の中を渦巻くのは、母が遺した武器と、自分の命の力の価値のなさだった。
(なんで、どうして――私は、私が生かされた意味は――)
フラッシュバックするのは、あの日の光景。
母と兄を喪い、自分だけが生き残ってしまった時の光景。
――逆、だったならば。
自分が死ぬことが、正しかったのならば。
(あの時、私が死んでいれば――)
涙すら流れない後悔を頭に浮かべたフレイヤは、地面に激突するすんでのところで、クリスに抱きかかえられた。
「フレイヤ、無事か!? フレイヤ!」
地面に座らされ、クリスに問いかけられたフレイヤの目は、虚ろだった。
「……私、は……なんで……」
いつもの豪胆な女騎士は、もうそこにいなかった。
そこにいるのは、自分が何の価値もない、過ちばかりを犯し続けてきた人間だと気づいてしまったフレイヤ・レヴィンズだけだ。
クリスの目を見られない彼女は、折れた剣の柄を落とした。
そして、顔を上げ、失意と失望にまみれた表情で、言った。
「……逃げてくれ。もう、何もできない……終わりだ……」
折れていた。
剣だけではない。心が折れ、死んでしまっていた。
「フレイヤ……!」
ただ、クリスは彼女の絶望を目の当たりにしても、まだ諦めていなかった。
アメノハバキリがすでに槍を担ぎ、攻撃しようとしていても、彼女だけを置いて逃げる選択肢などあるはずがない。たとえフレイヤが望んでいても、クリスは絶対に逃げない。
「カムナオイノカミ! リゼットと一緒に、少しだけ時間を稼いでくれ!」
彼はフレイヤから目を離さないまま、カムナの真の名前を呼んだ。
その行動に、どれほどの信頼が置かれているのかを、彼女は知っていた。
「クリス……分かったわ!」
言うが早いか、カムナはリゼットの本体であるナイフを器用に足で蹴り上げると、その柄を口に咥えた。リゼットのナイフの耐久力は心もとないが、少なくとも彼女は、そんな理由でクリスの期待に応えないはずがなかった。
「ちょっとだけ体を借りるわよ、リゼット!」
「もう! 口にわたくしを咥えるのは、今回だけにしてくださいまし!」
かたや腕をなくし、かたやひびの入ったナイフと化した。
なのに、アメノハバキリに対して、微塵も恐れを抱いていなかった。
「さあて、まだまだここからよ、バケモンがぁッ!」
『わははは! 面白い、我をもっと興じさせてみせよ、わっぱども!』
そして、敵に向かっていった二人を、アメノハバキリも歓迎した。自分に到底敵うはずがないと知っていても、勇気を振り絞って挑んでくる相手を迎え入れるのが、武人の務めだ。
クリスの予想通り、アメノハバキリはカムナ達に関心を抱いた。もはやフレイヤなど何の興味も抱いていないのか、たちまち顔すら向けなくなった。
あとは、カムナが時間を稼いでくれている間に、クリスが成すべきことを成すだけだ。
「……フレイヤ、こっちを見てくれ」
「……」
クリスはフレイヤの頬に手を当て、自分に向けさせた。
「フレイヤ・レヴィンズ! 俺の目を見ろ!」
まるで死人のような表情で明後日の方を見る彼女に対し、クリスは語気を強めた。
そうしてやっと、フレイヤは彼を見た。だが、目は未だに生気を保っておらず、生きているか死んでいるか、分からないほど虚無に満ちていた。
「……剣は折れた、最期の希望は潰えた。私達では、奴に勝てない」
震えた声で発するフレイヤの言葉は、何もかもが悲哀に満ちていた。
過去どころか、今こうして生きていることすら過ちであると、彼女は悟ってしまったからだ。自分ではなく、他の人間が生きるべきだと知ってしまったのだ。
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そんなフレイヤの心は、氷塊の如く凍っていた。
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「……!」
――クリス以外は。
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「自分に誇りを持って、前に進むんだって、君が教えてくれた言葉だ! 何もできなかったと思っていた俺に、君が言ってくれた言葉を、君自身が忘れるのか!」
クリスがイザベラに敗れた時にかけられた声は、彼の再起に繋がった。
ならば今、フレイヤを再び立ち上がらせる言葉はこれしかないと、クリスは確信していた。
「君の母さんと兄さんの死に、意味がないはずがない! 君が今ここに生きて、勇気を出して一緒に戦ってくれるのは、死ぬ為じゃない! アメノハバキリを倒して、ヴィノーの街に平和を取り戻す為だ!」
肩を掴んだクリスの励ましに、フレイヤは弱弱しい声で答えた。
「……なら、どうすればいいんだ。私の力は、奴にはまるで……」
彼女にとって、アメノハバキリは倒せない無敵の怪物だ。カムナ達が戦ってくれてはいるが、このままでは二人とも槍の餌食になるだろう。
ただ、クリスにとっては違った。
「いいや、可能性ならある! 君の一撃には、意味があった!」
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