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雪山と大鋸の騎士

クラウディオ山

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 帝国北部の国境付近には、とある山がある。
 かつては神が住む山と言われ、普通の山以上に変わりやすい気候と無作為に生えた針葉樹林の代わり映えしない風景と、磁場が狂いやすい環境のせいで、一度迷い込んだら二度と出られないとまで言われた魔境だった。
 ダンジョンの出現と魔獣メタリオの発生、それに伴う技術向上によって人が住めるようになってからは、魔境と呼ばれなくなったが、年老いた人の多くがこの地を忌み嫌う。
しかもダンジョンの出現記録がないことから、聖騎士団ロイヤルナイツの巡回地にもなっていない。今では好き好んで近寄る者もいない、辺境と化した山。
それがここ、クラウディオ山である。

そんな山の中腹を、ざくざくと雪を踏みしめて歩く者達がいた。
普段は巨大なクマやオオカミといった原生生物が闊歩する雪道を、二足歩行の動物が歩いている。晴れた白銀の木々が立ち並ぶ山を進むのは、一組の冒険者。

「――ふう。本部長にもらった地図が正しければ、街まで半分は進んだかな」

 ホープ・タウンに住まう技術士エンジニア、クリス・オロックリンだ。
 ファーのついた分厚いコートとマフラー、手袋を身に纏い、大きなリュックを背負う姿は、いつもとはずいぶん違って見えるが、腰に提げた修理用ツールと、左右で違う色の瞳は間違いようがない。
 ではどうして、彼がここにいるのかというと、フレイヤを探しに来たからに他ならない。ホープ・タウンで手紙を読んだ彼は、ローズマリーの予想通り二日かけて準備を整え、一週間かけて山の麓に辿り着き、今こうして辺境の街ヴィノーへと向かっているのだ。
 もちろん、彼が一人でここにいるというのはあり得ない。

「カムナ、体の調子はどうだい?」

 クリスが声をかけたのは、彼の隣を歩くカムナである。彼女もまた、クリスのように分厚い服を着ている。毛玉のついた可愛らしい帽子だけは、自分の主人との違いだ。
 付け加えるなら、彼女はフレイヤの武器アームズ、大鋸『グレイヴ』を背負っていた。彼女には使いこなせないが、持ち主に返すべく持ってきたものだ。
 これほどの重量の物体を背負っていても、カムナは息一つ上がらなかった。

「ばっちりよ。クリスの『耐寒コーティング』のおかげで、関節も軋まないし、グレイヴを背負っててもこんなに動けるわ! さっきだって、熊を一撃で叩き潰してやったでしょ?」

 むしろ、クリスの問いに笑顔で応え、腕を振り回すほど元気が有り余っていた。
 前述したとおり、ここには三メートルを超えるクマ等の危険な生物が住んでいる。クリス達も山を登ってすぐに襲われたが、カムナが拳一つで撃退してのけたのだ。
 こんな仲間がいれば頼もしいのは、言うまでもない。

「あの時は本当に助かったよ。リゼットはどうかな?」

 だが、クリスにはもう一人、彼女動揺に頼れる仲間がいる。
 彼が声をかけた、防寒着のポケットから柄を覗かせるナイフもそうだ。

「クリス様の防寒着の中はぽかぽかですわ! わたくしなら全然大丈夫ですが、もしもクリス様が危機に陥ったなら……とうっ!」

 そのナイフが明るい声で喋ったかと思うと、中からもこもこのゴシックロリータ調の衣装に身を包んだ幽霊――リゼットが飛び出してきた。彼女もまた、フレイヤを探しに山に登った仲間だ。
 幽霊であるリゼットは、荷物を運ぶ必要も、(カムナ同様に)食事を準備する必要もない。ポケットに入れて持ち運びできる彼女は、クリスにとっても心強かった。

「こうしていつでも、身をもってクリス様をお守りいたしますわ!」
「そう言ってもらえると心強いよ、リゼット」

 献身的なリゼットの言葉を聞いて、クリスは微笑んだ。
 一方でカムナはというと、彼を奪い合う恋のライバルには、いつも冷たい調子だ。

「別にいいわよ、クリスはあたしがしっかり守るから。というか、幽霊のあんたは厚着する必要なんてないでしょうが」
「ちっちっち、カムナは相変わらずおバカさんですのね。寒さというものは見た目からも伝播するもの、わたくしが薄手の格好では、見ているクリス様も寒く感じてしまいますのよ。ま、ただの武器アームズには関係ないことでしてよ!」
「一言多いのよ、あんたは!」
「あはは、喧嘩するくらい元気なら、今のところは大丈夫そうだね」

 怒鳴り合う二人の関係性も、クリスにとってはほほえましい光景だった。二人が本当は、互いを心配し合うほど仲が良いと知っているからだ。
 加えて、こうして喧嘩ができる余裕があるほどの状況も、三人にとっては好都合だった。

「でも、天気が良くて安心したよ。もしも吹雪いてたりなんかしたら、きっと半日経ってもここまで来られなかったし、遭難する可能性もあったからね」
「この調子なら、予定通り陽が暮れるまでにはヴィノーの街に到着できるわね!」

 クラウディオ山は非常に天候の変動が激しい地域で知られているが、幸いにもクリス達が登山を始めてから今に至るまで、豪雪は一度も降らなかった。

「ローズマリー本部長に教えてもらったルートのおかげだよ。ホープ・タウンから直進するんじゃなくて、山を右に回り込んだ方が早いって聞いた時は信じられなかったけど……」

 しかも彼らは、街から北上してそのまま山に入るルートではなく、別の道を使っていた。
 わざわざ山をいったん迂回するなど、余計な労力にしか聞こえなかった。クリスがローズマリーの言い分に従ったのは、彼女の本部長としての経験と、妙な説得力のせいだ。
 ついでに付け加えておくと、彼らは事前に知らされていたが、クラウディオ山付近は国境に近いというのもあって、そもそも住民以外は入山の時点で最も近い麓の街で申請を出さないといけない。それを、彼らは怪しい道を使ってすり抜けている。
 結果として、彼らは非常に安全に、山を登れているのだから驚きだ。

「だいたい、こんなルート、誰も思いつかないわよ。もしかして、ローズマリーってクラウディオ山に登ったことがあるんじゃないの?」
「……あり得ない、とは言い切れないね」

 あの強靭な肉体ひとつで吹雪く山のてっぺんに登り詰めるローズマリーの姿は、おかしなくらい容易に想像できた。

「腕相撲でもしたら、あたしだって勝てなさそうな筋肉だもの。あれなら――」

 女性らしさがふんだんに盛り込まれたあの衣服の下に、どれほどの筋肉が密集しているのだろうか。失礼でなければ、いつか聞いてみたいものだ。
 そんな風に、カムナが考えていた時だった。

「――クリス様、カムナ。何かが来ますわ」

 不意に、リゼットがクリス達に言った。
 彼女の愛らしい目は、針葉樹林で埋め尽くされた道の端を睨んでいた。

「ああ、俺も感じたよ。二時の方角、数は……少なくとも、俺達より多いな」

 クリスも、それを感じ取っていた。
 彼の黒い瞳には、遠くの影の中にうごめく複数の姿が映っていた。
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