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8章 2021年 十羽が見た現実

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 促され、応接用の椅子に腰かけた。
 向かい側に座った椎名が神妙な面持ちになる。

「実はね、明日見君に何があったのか気になって、社員から聞き取りを行ったんだよ。で、どうも牛丸君との間にいざこざがあった、ということがわかったんだ」

 牛丸の名前が出た途端、十羽の体が強ばった。

「だから、牛丸君に聞いてみた。でも彼は何も知らないの一点張りだったんだ。そうしたら藤本さんが教えてくれたんだよ。明日見君は牛丸君のことが好きだったって。その……恋愛的な意味で」

 ギョッとした。すぐさま首を横に振る。

「僕は牛丸さんを好きではありません。以前から言い寄られて迷惑していました」
 椎名が「ふむ、なるほど」と頷いた。

「藤本さんも何かおかしいと言ってたんだ。二人は両思いになれたのに、明日見君はひどく混乱しているようだったと。セクシャリティを知られて気が動転したのかと思ったそうだが、翌日、明日見君が失踪しただろ。好きな人とつき合い始めた人が、失踪なんてするとは思えない。もっと話を聞けば良かったと悔やんでいた」

 椎名はひとつ息をつき、そのまま続けた。

「僕は明日見君が心配で、君の親御さんに電話をしたんだ。親御さんからは、息子は絵の修行に出た、11月には帰るつもりでいるらしい、と教えられてね。一体どういうことなんだろうと思ったよ。明日見君は何を考えてるんだろうって」

 十羽はいたたまれなくなり俯いた。自分で書いた手紙ではないとはいえ、心配をかけてしまって申し訳なくなる。

「そこでこう思った。明日見君は親を心配させないために、絵の修行に出たと言った。僕に寄こした手紙のほうが真実。本当は牛丸君とのことで辛い思いをして、精神的に参って失踪したんじゃないかって。藤本さんの証言もあるし」

 椎名がまっすぐに十羽を見据える。
「本当のことを、教えてくれる?」

 失踪ではなくタイムスリップだが、それを話してもさすがに信じてはもらえないだろう。しかし牛丸のせいで苦しい思いをしたのは事実だ。

「牛丸さんに2年間、つきまとわれていました。はっきりと拒絶しましたが全然聞き入れてもらえませんでした。襲われそうになったとき、なんとか逃れるために、つき合うと言ってしまって……。その後は、セクシャリティをばらすぞと脅されました……。挙げ句、藤本さんにはゲイだと暴露されて……」
 膝の上で拳を握りしめる。

「そうだったのか……」
 椎名が眉をしかめた。

「椎名さんや藤本さんは、牛丸さんのことを女性が好きな人だと思ってますよね? だから僕の話は信じられないでしょう」

「いや、そんなことはないよ。最近の牛丸君はどこか不安定で気になってたしね。何より、さっきも言ったけど好きな人とつき合い始めたのに失踪するなんて、考えられない。やっぱり牛丸君が明日見君を苦しめたんだね」

 何か証拠を見せられないだろうか。そうだ、スマホに牛丸から送られてきた大量のメッセージが残っている。あれを見せれば、と思ったが、スマホは過去の世界に置いてきてしまった。

「藤本さんや香坂さんが、すごく心配してたよ。もちろん僕も。もっと日頃から、明日見君とコミュニケーションを取っておけば良かったと後悔した。辛いとき、相談に乗れるくらいの人間関係を築けておけば、明日見君が僕らを頼ってくれたかもしれない。失踪なんてせずに済んだかもしれない……。とにかく生きていてほしい。それだけを願ってたんだ」

 探さないで、捜索願は出さないでと言われても、やはり探すべきだろうと思い、椎名達は手分けして十羽を探したそうだ。ゲイだと知られたことに傷つき、自殺するのではないか、心配で堪らなかったと。しかし神隠しにでも遭ったかのように、十羽の行方はわからなかった。

 そして警察に相談しようと決めたとき、十羽の母から連絡があり、十羽から絵が連日届いていることを知った。

 とにかくどこかで生きている。きっと帰ってくるはずだと信じて、今日まで待っていたと言う。

(椎名さん達がそれほどまでに心配してくれていたなんて……)

 十羽は胸が詰まり、深く項垂れた。

 自分のほうこそ、皆に心を開いてコミュニケーションを取っておけば良かった。そうすれば僕の話は信じてもらえないと、孤独な考えに陥らずに済んだ。セクシャリティは明かせなくても、SOSは伝えられたはずだ。

「本当に、ごめんなさい……」
「僕こそ、明日見君が辛い思いをしてたのに、気づけなくてごめんな」
「いえ、僕が何も話さなかったからです」

 椎名が「まあまあ」と手を広げて制した。
「実は、明日見君のことは休職扱いにしてあるんだ。君さえ良ければ、またうちで働いてほしいと思ってるんだけど……どうかな?」

「え……? 僕はてっきり、解雇されているかと」
 思いがけない言葉に驚く。

「明日見君は大事なデザイナーの卵だし、イラストレーターとしての腕もいい。また以前と同じように働いてくれたら助かるんだ。ただ……」

 眉間に皺を寄せた椎名が、気まずそうに視線を落とす。
「牛丸君もうちの事務所にとっては必要な人材だ。彼は営業マンとしてとても優秀で、売上に大きく貢献している。辞められたら正直、困るんだよ。申し訳ないが、それはわかってほしい」

 人間的に問題はあっても、事務所を経営していく上で牛丸は欠かせない存在なのだ。
「……はい」

「と言っても、牛丸君には会いたくないよね……。彼も一応、明日見君のことをすごく心配してたけど……」

 椎名は指先で眼鏡のブリッジを押さえ、目を閉じてしばらく唸った。そして何かを思いついたのか「うん、だったら」と言った。

「僕から牛丸君に、明日見君には近づかないようにと話をするよ。それから明日見君が、在宅で仕事ができるようにする。いわゆるテレワークだ。それなら牛丸君と顔を合わさなくてもいいだろ? こんな感じでやってみないかい?」

 これからも社員でいられる。牛丸と顔を合わさずに仕事ができるよう配慮もしてもらえる。それに十羽が過去の世界にいる間、ずっと心配させていた申し訳なさもある。

 十羽は低頭した。
「ぜひ、お願いします」
 すると椎名が、はあっと大きく息を吐いて椅子の背に体を預けた。

「良かったー! やっと肩の荷が下りた気がするよ。いや、まだ牛丸君と話をしなきゃだけどね」
「どうか、よろしくお願いします」
「ああ。牛丸君にはよく話して聞かせるよ。ストーカーとして警察に突き出してもいいんだぞ、と言えばさすがに諦めるだろう。彼は頭が良いし」

 それで牛丸の執着が終われば良いのだが。
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