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8章 2021年 十羽が見た現実

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 日が暮れ始めるまで木の下にいたが何も起きず、十羽はおぼつかない足取りで公園を出た。
 コンビニで弁当を買い、うつろな表情でアパートへ戻り、薄暗い部屋で冷えた弁当を黙々と食べた。こんなときでもお腹がすくんだなと思い、なんだか可笑おかしくなってきた。

「はは……何やってんだろ」

 箸を持つ手がぶるぶると震える。弁当の上に大粒の涙が零れ落ちた。
 22年間、蓮也なら待っていてくれると信じ、期待していた。でも彼だって人間だ。聖人君子ではない。心変わりくらいするだろうし、モテる彼を周りが放っては置かないだろう。

 裏切られたと恨むべきではない。待っていてほしいけれど『無理はしてほしくない』と言ったのは自分だ。仕事で成功し、美しい女性と結婚してかわいい子どもに恵まれた。喜ばしいことなのだ。
 そう自分に言い聞かせてみたけれど、涙は止まらなかった。

「ううっ……」

 テーブルに突っ伏してむせび泣く。
 蓮也が好きだ。他の人と一緒になったなんて、やっぱり信じたくない。あの綺麗な妻を抱いているのかと思うと激しく嫉妬してしまう。全部嘘であってほしい。苦しくて堪らない。

 しかし蓮也は妻子がいながら、どうして十羽が過去にタイムスリップしている間、様々なことを取り計らってくれたのだろう。

 ──もしかして、22年間を待てなかった、贖罪しょくざい

 あれだけはっきり待つと言いながら待てなかった。そこで、せめてもの罪滅ぼしとして母に手紙や絵を送った。そう考えるのが妥当だ。彼は優しい人だから。

 涙が後から後から溢れ出る。今朝までは確かに、蓮也と心が通じ合っていた。でも今、この世界に十羽を愛している彼はいない。

 その日、未来へ帰ったら必ず迎えに行くと言っていた蓮也は、夜になっても十羽の前に現れなかった。



 翌日、一睡もできなかった十羽はふらつく体で自転車を漕ぎ、朝から椎名デザイン事務所へ向かった。社長の椎名に謝罪をするためだ。

 椎名は温厚な人だが、突然出社しなくなった十羽に対してはさすがに良い感情を持っていないだろう。事務所はすでに解雇されているはず。緊張しながら階段を上がる。

 始業前の事務所では椎名が以前と同じように、デスクでコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。丸眼鏡の向こうの瞳が新聞の活字を真剣に追っている。

 ガラス戸を開けて遠慮がちに「お、おはようございます」と声をかけると、こちらを見た椎名がコーヒーを吹き出しそうになった。

「あ、明日見君!?」
「はい。突然いなくなってすみませんでした。ご迷惑をおかけしました」

 深々と頭を下げる。
 椎名は慌てて駆け寄ってきて、十羽の両肩を掴んだ。

「ほんとに明日見君だ! 帰って来たんだね! 無事で良かったー!」
「は、はい。え……?」
(あれ? 怒ってない?)

「ずっと心配してたんだよ! あんな手紙を寄こされたら心配するってもんだよ!」

 ──手紙。

 ここにも手紙が届いたのだ。蓮也が十羽と偽って出したものだろうか。

「その手紙、見せてもらえませんか。お願いします」
 もう一度頭を下げる。
「え? あ、ああ、いいけど」

 椎名は少し戸惑いつつ自分のデスクに戻り、引き出しから手紙を取り出して十羽に渡してくれた。

「この手紙、明日見君が書いたんだよね?」
「……はい」

 嘘をついた。でも今はとにかく手紙の内容が知りたい。活字で書かれた手紙に目を落とす。

『椎名様 突然このような手紙を送りつけてすみません。実はとても辛いことがあり、まともに仕事ができる心理状態ではなくなってしまいました。これまで雇って頂き本当にありがとうございました。僕は一人で旅に出ます。どうか僕のことは探さないでください。警察への捜索願は絶対に出さないでください。よろしくお願いします』

 まるで十羽が精神的に追い詰められて出社できなくなり、どこかへ失踪したと思わせるような内容だ。最悪の場合、自殺してしまうのでは、と悪い想像もするだろう。椎名が心配するのも無理はない。

 心配させないようにと配慮された母への手紙とは大きく異なる。差出人は恐らく蓮也だろうが、なぜ不安と心配を煽るような手紙を送ったのかわからない。しかし椎名は十羽からの手紙だと信じているので、十羽は三度頭を下げた。

「ご心配をおかけして、本当に申し訳ございませんでした」
「僕は明日見君が死ぬんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたよ! 君の親御さんに電話したら、息子は絵の修行に出たって言うしさ。どうなってるんだ? って」

「すみません……」
「とにかく、何かあったんだよな? 真面目な明日見君がこんな手紙を寄こすなんて、よほどのことがあったんだろう。今、少し話せるかい?」
「はい」
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