時空を超えてキスをする

ましろい冬野

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8章 2021年 十羽が見た現実

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 とにかく心配をかけてごめんと伝えると、母は笑って『突然絵の修行に出るだなんて、びっくりしたわよ。十羽も案外思いきったことするのね。だけど人生一度きりだもん。そんなことがあってもいいかなって思ったわ。絵にも充実した気持ちが現れてたしね』と言ってくれた。

 電話を終えた十羽は警官に礼を言い、高揚した気持ちで交番を出た。母に十羽の水彩画を送り、十羽が11月に未来へ帰ることを知っていたのは一人しかいない。

 蓮也だ。
 様々なことを取り計らってくれた『誰か』とは彼に違いない。本当に22年間も待っていてくれたのだ。

(蓮也君……!)

 嬉しさと感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。早く会いたい。彼は今、どこで何をしているのだろう。

 いても立ってもいられず、図書館の隣の公園へ向かった。思い出深いイチョウの木の下で蓮也と再会できたら、とロマンチックな妄想をしつつ木を見上げたが、黄金色に輝くイチョウは静かに葉擦れの音を鳴らすだけ。

 今日は2021年11月15日、月曜日。

(そうか、平日!)

 平日の昼間なのだから、よく考えたら彼はきっと仕事をしているはず。公園でのんびり十羽を待ってはいないだろう。我ながらすっかり浮かれている。

 十羽は一度アパートへ戻り、今度は自転車で蓮也が働いていた工房へ向かった。徒歩で行くには少し距離があるのだ。

 工房で蓮也について尋ねると、彼は随分前に独立したと教えられた。天樹町の郊外に彼の工房があると言う。

(独立したんだ! すごい! 目指してた立派な家具職人になれたんだ! 会いに行ってもいいかな。いいよね?)

 さらに嬉しくなって、教えてもらった住所へと自転車を走らせた。もうすぐ再会できる。そう思うと胸がそわそわして落ちつかない。逸る気持ちを抑えてペダルを漕ぐ。

 やがて目的地に辿りついた十羽は、自転車から降りて口をあんぐりと開けた。
 蓮也の工房『アトリエ・イザクラ』は、ちょっとした倉庫のように大きくて立派な建物だった。三角屋根のシンプルなデザイン、正面は全面ガラス張り、外壁は明るい白。一見すると洒落たカフェか、レストランみたいだ。

「蓮也君、めちゃくちゃ成功してる!」

 工房の一階はショールームになっていた。大きなガラス戸の向こうに、美しく展示された木製の椅子やテーブルが見える。貧乏な十羽には入りづらいと思えるほど、洗練されたショールームだ。彼が作った家具を見てみたいけれど、少し臆してしまう。

 立ち止まり戸惑っていると、十羽の足元を小さな男の子がパタパタと駆け足で通り過ぎた。小学校一年生ほどだろうか。キャップの帽子を被ってランドセルを背負っている。あどけない走り方がかわいい。

 すると男の子が振り返り、十羽を見上げて「おきゃくさん?」と言った。
「えっ、ぼ、僕?」
「うん。お店のおきゃくさんでしょ? こっちだよ!」
「えっ、えっ?」

 焦って自転車を置く。男の子に手を引かれた十羽はショールームのガラス戸を開けた。

「いらっしゃいませ!」
 店員の若い女性から笑顔で声をかけられ、思わず狼狽える。

「いや、あの、すみません」
「どうぞ、ゆっくりご覧になってください」
「は、はあ、どうも」

 男の子が十羽を見上げて元気な声を発した。
「お店のなかでは、ぼうしはだめなんだよ!」
「そ、そうだね。ごめんね」

 慌てて帽子を取った。怪しまれないために、ついでにマスクも。
 すると男の子が満足そうににっこりと笑み「ぼくも!」と言って被っていたキャップを取った。

 その瞬間、十羽は胸を杭で打たれたような強い衝撃を受けた。
 男の子の顔が、小学生だった頃の蓮也にそっくりなのだ。少し釣り目の目許も、生意気そうだが整った面立ちもよく似ている。

「君は……」
「この子は店長の息子さんなんです。工房の前にいる人を引っ張って、連れてきちゃうんですよ」

 店員の女性が恐縮したように苦笑した。
「そ、そうなんですか」
 十羽は速くなる鼓動を抑え、しゃがんで男の子に目線を合わせてゆっくりと尋ねた。

「君は、何年生かな?」
「いちねんせい!」
「へえ、元気がいいね」
「うん!」

 この子は蓮也とはどういう関係なのだろう。甥? まさか……息子?
 鼓動がどうしても速くなる。22年も経っているのだ。42歳の彼にこれくらいの子どもがいてもおかしくない。
 でも、でも……。
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