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6章 見習いの青年

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 夕食は館内のレストランで取る予定だ。
 レストランには簡単なドレスコードがあるため、十羽と蓮也はシャツとジャケットに着替えた。

 濃紺のジャケットを着た蓮也はモデルさながら。シャツの第一ボタンを外した隙間から見える首筋もセクシーで、十羽は直視できない。

 最上階のレストランに入ると、窓辺のテーブル席に案内された。全面ガラス張りの窓からは夜の海が見渡せる。BGMには生のピアノ演奏が流れており、大人のムードが満点だ。

 少し緊張の面持ちで席に座り料理を待つ。すると蓮也が椅子の脚部を見て「おっ、ウォルナットだ」と呟いた。

 椅子はレストランの雰囲気に合う、シンプルでエレガントなデザイン。背もたれと座面が黒いレザー製で、脚部は木製である。

「ウォルナット?」
「ああ。脚の部分がウォルナットっていう高級木材なんだよ。俺もいつかこの木材で椅子を作りたいんだ」

 蓮也は気になる家具を見つけると入念にチェックする。木材や組み立て方、仕上げ方を見て学び、自分の家具作りに生かしていた。

「木工バカだと思ってるだろ」
「ストイックだなと思ってるよ」

 子どもの頃から木工に対して情熱を持ち続けている彼を、素直に尊敬している。ひょっとしたら2021年の世界では、一流の家具職人になっているんじゃないかと思う。

 夕食はイタリア料理のフルコースだった。芸術的に盛りつけられたサラダやパスタ、ステーキを堪能する。食事が終わる頃には緊張がすっかり解けて、十羽は笑顔でデザートのチョコレートケーキを口に運んだ。

「おいしい! こんな贅沢、生まれて初めてかも。蓮也君、連れて来てくれてありがとう。どう恩返しをしたらいいかわからないよ」
「恩返しなんかいらないって。それより……ちょっと、聞いてほしいことがあるんだけど」
「何? なんでも聞くよ?」

 木工の自慢話かな?
 首をかしげると、蓮也が下を向いてしばらく思案した後「いや、やっぱり後で話す」と言って困り顔で緩く笑んだ。

 仕事で何か悩みでもあるのだろうか。それなら相談に乗りたい。自分にできることがあれば力になりたい。助けられてばかりで心苦しいのだ。割安にしてもらっているとはいえ、ホテルの宿泊代も食事代も彼に頼っている。なんとか恩を返したい。

 食事を終えるとホテルのスタッフから、最上階に大浴場があると教えてもらった。ギリシャ神殿のような豪華な作りらしい。
 蓮也から「一緒に行く?」と問われたが、十羽は遠慮した。

 十羽にとって大浴場は危険な場所だ。中学の修学旅行のとき、大浴場の脱衣所で見知らぬ大人の男に抱きつかれて怖い思いをした。周りに同級生がいたので助けてもらえたが、一人だったら危なかった。それ以来、大浴場には入らないようにしている。

 好奇心旺盛な蓮也は高級ホテルの大浴場に興味津々だろう。彼には大きな風呂を堪能してほしいので「神殿みたいなお風呂に入る機会なんて滅多にないよ。蓮也君は行って来なよ」と言って大浴場へ行くよう勧めた。

「じゃあ、ちょっとだけ行ってくる。すぐ戻るから」
「ゆっくりしてきてね」

 十羽はレストランを出た後、一人で客室へ戻った。
 部屋のシャワーで汗を流し、パジャマ用にと持ってきたTシャツとハーフパンツに着替えて一息つく。

 しかし寝室のベッドで蓮也を待つのは気まずい。センターテーブルに置かれていたフロアガイドを見ると宿泊棟にはテラスがあると書いてあったので、少し夜風に当たろうと思い、テラスに行くと書き置きをして客室を出た。

 夜のテラスには涼やかな風が吹いていた。屋外用のテーブルと椅子が並べられ、所々にキャンドルの明かりが灯されている。ロマンチックな雰囲気だ。数人の客がミニバーでワインやカクテルを注文し、アルコールと会話を楽しんでいた。

 セレブな大人の雰囲気に気圧されてしまう。十羽も年齢的には大人だけれど、ずっと貧乏生活を続けている身には場違いな気がした。

 ミニバーを避け、一人でひっそりと隠れるようにテラスの端へ向かう。そして欄干に手をつき、眼下に広がる夜の海を見渡した。海風と優しい波音が気持ちいい。帽子、眼鏡、マスクの仮面をつけていない顔に風を受け、大きく深呼吸した。

 シャワーで湿った髪が風になびく。すがすがしさを感じていた、そのとき──。
 隣に背の高い男が立ち、落ちついた口調で「風が気持ちいいな」と言った。
 蓮也だと思い、笑顔で男を見上げる。淡褐色の瞳が宝石のようにきらめき、桃色の唇が弧を描いた。

「……!」

 しかし男は蓮也ではなかった。すっきりとした面立ちに品のいい笑みを浮かべた、中年の男だった。仕立ての良さそうなシャツとジャケットを着ている。

 男は十羽の笑顔を見た瞬間、驚愕きょうがくして体を硬直させた。
「君は……なんて美しいんだ! 私は今、ハートを打ち抜かれてしまったよ!」
「……え?」

 男が十羽の両肩を掴む。
「これは運命の出会いだ。そう思うだろう?」
「お、思いません! 僕は男ですよ? 離してください!」

 身をよじって逃げようとしたが、男は十羽の手を取り、持ち上げて手の甲にキスをした。

「男でも美しい人は美しい。金ならいくらでもある。なんでも好きな物を買ってあげるから、私の恋人になってくれ。ただ、私には妻子がいる。それは許してほしい」

 愛人になれと!? 十羽はギョッとした。
「お断りします!」
 手を引っ込めて踵を返す。逃げなくては。

「待ってくれ! 運命の夜を一緒に過ごそう!」
 男に手首を掴まれそうになったとき、眼前に別の男が現れてぶつかりそうになった。

「あっ、す、すみません」
「十羽さん、俺の後ろに」

 蓮也だ。手を引かれて彼の広い背に隠される。
 蓮也は中年男を威嚇するような目で見据えた。

「この人に、触らないでください」
 口調は丁寧でも低い声音にドスがきいている。
 中年男が一瞬身震いした。

「き、君はこの人の恋人なのか?」
「そうです。だから諦めてください」
「こんな美しい人が、こんな貧乏そうな男と?」
「貧乏……! 余計なお世話です!」

 中年男が体を傾けて十羽に声をかけた。
「君、本当にこんな男がいいのかい? 貧乏そうな彼より、私のほうが君を幸せにできるよ?」
「俺の恋人だって言いましたよね? これ以上近づかないでください!」
「私は美しい人に話をしているんだ!」
 二人がギリギリと歯噛みして睨み合う。

 十羽は蓮也の背中に隠れて浅い呼吸を繰り返した。
 隠れていちゃダメだ。自分がはっきりと拒否しなければ。変な男達はいつもこちらの言い分など聞かず、強引に迫ってくる。もっとはっきり、きっぱりと、跳ね返さなければ。

 意を決し、蓮也の腕に抱きつく。
「僕は……彼の恋人です!」
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