44 / 72
6章 見習いの青年
6-7
しおりを挟む
夕食は館内のレストランで取る予定だ。
レストランには簡単なドレスコードがあるため、十羽と蓮也はシャツとジャケットに着替えた。
濃紺のジャケットを着た蓮也はモデルさながら。シャツの第一ボタンを外した隙間から見える首筋もセクシーで、十羽は直視できない。
最上階のレストランに入ると、窓辺のテーブル席に案内された。全面ガラス張りの窓からは夜の海が見渡せる。BGMには生のピアノ演奏が流れており、大人のムードが満点だ。
少し緊張の面持ちで席に座り料理を待つ。すると蓮也が椅子の脚部を見て「おっ、ウォルナットだ」と呟いた。
椅子はレストランの雰囲気に合う、シンプルでエレガントなデザイン。背もたれと座面が黒いレザー製で、脚部は木製である。
「ウォルナット?」
「ああ。脚の部分がウォルナットっていう高級木材なんだよ。俺もいつかこの木材で椅子を作りたいんだ」
蓮也は気になる家具を見つけると入念にチェックする。木材や組み立て方、仕上げ方を見て学び、自分の家具作りに生かしていた。
「木工バカだと思ってるだろ」
「ストイックだなと思ってるよ」
子どもの頃から木工に対して情熱を持ち続けている彼を、素直に尊敬している。ひょっとしたら2021年の世界では、一流の家具職人になっているんじゃないかと思う。
夕食はイタリア料理のフルコースだった。芸術的に盛りつけられたサラダやパスタ、ステーキを堪能する。食事が終わる頃には緊張がすっかり解けて、十羽は笑顔でデザートのチョコレートケーキを口に運んだ。
「おいしい! こんな贅沢、生まれて初めてかも。蓮也君、連れて来てくれてありがとう。どう恩返しをしたらいいかわからないよ」
「恩返しなんかいらないって。それより……ちょっと、聞いてほしいことがあるんだけど」
「何? なんでも聞くよ?」
木工の自慢話かな?
首をかしげると、蓮也が下を向いてしばらく思案した後「いや、やっぱり後で話す」と言って困り顔で緩く笑んだ。
仕事で何か悩みでもあるのだろうか。それなら相談に乗りたい。自分にできることがあれば力になりたい。助けられてばかりで心苦しいのだ。割安にしてもらっているとはいえ、ホテルの宿泊代も食事代も彼に頼っている。なんとか恩を返したい。
食事を終えるとホテルのスタッフから、最上階に大浴場があると教えてもらった。ギリシャ神殿のような豪華な作りらしい。
蓮也から「一緒に行く?」と問われたが、十羽は遠慮した。
十羽にとって大浴場は危険な場所だ。中学の修学旅行のとき、大浴場の脱衣所で見知らぬ大人の男に抱きつかれて怖い思いをした。周りに同級生がいたので助けてもらえたが、一人だったら危なかった。それ以来、大浴場には入らないようにしている。
好奇心旺盛な蓮也は高級ホテルの大浴場に興味津々だろう。彼には大きな風呂を堪能してほしいので「神殿みたいなお風呂に入る機会なんて滅多にないよ。蓮也君は行って来なよ」と言って大浴場へ行くよう勧めた。
「じゃあ、ちょっとだけ行ってくる。すぐ戻るから」
「ゆっくりしてきてね」
十羽はレストランを出た後、一人で客室へ戻った。
部屋のシャワーで汗を流し、パジャマ用にと持ってきたTシャツとハーフパンツに着替えて一息つく。
しかし寝室のベッドで蓮也を待つのは気まずい。センターテーブルに置かれていたフロアガイドを見ると宿泊棟にはテラスがあると書いてあったので、少し夜風に当たろうと思い、テラスに行くと書き置きをして客室を出た。
夜のテラスには涼やかな風が吹いていた。屋外用のテーブルと椅子が並べられ、所々にキャンドルの明かりが灯されている。ロマンチックな雰囲気だ。数人の客がミニバーでワインやカクテルを注文し、アルコールと会話を楽しんでいた。
セレブな大人の雰囲気に気圧されてしまう。十羽も年齢的には大人だけれど、ずっと貧乏生活を続けている身には場違いな気がした。
ミニバーを避け、一人でひっそりと隠れるようにテラスの端へ向かう。そして欄干に手をつき、眼下に広がる夜の海を見渡した。海風と優しい波音が気持ちいい。帽子、眼鏡、マスクの仮面をつけていない顔に風を受け、大きく深呼吸した。
シャワーで湿った髪が風になびく。すがすがしさを感じていた、そのとき──。
隣に背の高い男が立ち、落ちついた口調で「風が気持ちいいな」と言った。
蓮也だと思い、笑顔で男を見上げる。淡褐色の瞳が宝石のようにきらめき、桃色の唇が弧を描いた。
「……!」
しかし男は蓮也ではなかった。すっきりとした面立ちに品のいい笑みを浮かべた、中年の男だった。仕立ての良さそうなシャツとジャケットを着ている。
男は十羽の笑顔を見た瞬間、驚愕して体を硬直させた。
「君は……なんて美しいんだ! 私は今、ハートを打ち抜かれてしまったよ!」
「……え?」
男が十羽の両肩を掴む。
「これは運命の出会いだ。そう思うだろう?」
「お、思いません! 僕は男ですよ? 離してください!」
身をよじって逃げようとしたが、男は十羽の手を取り、持ち上げて手の甲にキスをした。
「男でも美しい人は美しい。金ならいくらでもある。なんでも好きな物を買ってあげるから、私の恋人になってくれ。ただ、私には妻子がいる。それは許してほしい」
愛人になれと!? 十羽はギョッとした。
「お断りします!」
手を引っ込めて踵を返す。逃げなくては。
「待ってくれ! 運命の夜を一緒に過ごそう!」
男に手首を掴まれそうになったとき、眼前に別の男が現れてぶつかりそうになった。
「あっ、す、すみません」
「十羽さん、俺の後ろに」
蓮也だ。手を引かれて彼の広い背に隠される。
蓮也は中年男を威嚇するような目で見据えた。
「この人に、触らないでください」
口調は丁寧でも低い声音にドスがきいている。
中年男が一瞬身震いした。
「き、君はこの人の恋人なのか?」
「そうです。だから諦めてください」
「こんな美しい人が、こんな貧乏そうな男と?」
「貧乏……! 余計なお世話です!」
中年男が体を傾けて十羽に声をかけた。
「君、本当にこんな男がいいのかい? 貧乏そうな彼より、私のほうが君を幸せにできるよ?」
「俺の恋人だって言いましたよね? これ以上近づかないでください!」
「私は美しい人に話をしているんだ!」
二人がギリギリと歯噛みして睨み合う。
十羽は蓮也の背中に隠れて浅い呼吸を繰り返した。
隠れていちゃダメだ。自分がはっきりと拒否しなければ。変な男達はいつもこちらの言い分など聞かず、強引に迫ってくる。もっとはっきり、きっぱりと、跳ね返さなければ。
意を決し、蓮也の腕に抱きつく。
「僕は……彼の恋人です!」
レストランには簡単なドレスコードがあるため、十羽と蓮也はシャツとジャケットに着替えた。
濃紺のジャケットを着た蓮也はモデルさながら。シャツの第一ボタンを外した隙間から見える首筋もセクシーで、十羽は直視できない。
最上階のレストランに入ると、窓辺のテーブル席に案内された。全面ガラス張りの窓からは夜の海が見渡せる。BGMには生のピアノ演奏が流れており、大人のムードが満点だ。
少し緊張の面持ちで席に座り料理を待つ。すると蓮也が椅子の脚部を見て「おっ、ウォルナットだ」と呟いた。
椅子はレストランの雰囲気に合う、シンプルでエレガントなデザイン。背もたれと座面が黒いレザー製で、脚部は木製である。
「ウォルナット?」
「ああ。脚の部分がウォルナットっていう高級木材なんだよ。俺もいつかこの木材で椅子を作りたいんだ」
蓮也は気になる家具を見つけると入念にチェックする。木材や組み立て方、仕上げ方を見て学び、自分の家具作りに生かしていた。
「木工バカだと思ってるだろ」
「ストイックだなと思ってるよ」
子どもの頃から木工に対して情熱を持ち続けている彼を、素直に尊敬している。ひょっとしたら2021年の世界では、一流の家具職人になっているんじゃないかと思う。
夕食はイタリア料理のフルコースだった。芸術的に盛りつけられたサラダやパスタ、ステーキを堪能する。食事が終わる頃には緊張がすっかり解けて、十羽は笑顔でデザートのチョコレートケーキを口に運んだ。
「おいしい! こんな贅沢、生まれて初めてかも。蓮也君、連れて来てくれてありがとう。どう恩返しをしたらいいかわからないよ」
「恩返しなんかいらないって。それより……ちょっと、聞いてほしいことがあるんだけど」
「何? なんでも聞くよ?」
木工の自慢話かな?
首をかしげると、蓮也が下を向いてしばらく思案した後「いや、やっぱり後で話す」と言って困り顔で緩く笑んだ。
仕事で何か悩みでもあるのだろうか。それなら相談に乗りたい。自分にできることがあれば力になりたい。助けられてばかりで心苦しいのだ。割安にしてもらっているとはいえ、ホテルの宿泊代も食事代も彼に頼っている。なんとか恩を返したい。
食事を終えるとホテルのスタッフから、最上階に大浴場があると教えてもらった。ギリシャ神殿のような豪華な作りらしい。
蓮也から「一緒に行く?」と問われたが、十羽は遠慮した。
十羽にとって大浴場は危険な場所だ。中学の修学旅行のとき、大浴場の脱衣所で見知らぬ大人の男に抱きつかれて怖い思いをした。周りに同級生がいたので助けてもらえたが、一人だったら危なかった。それ以来、大浴場には入らないようにしている。
好奇心旺盛な蓮也は高級ホテルの大浴場に興味津々だろう。彼には大きな風呂を堪能してほしいので「神殿みたいなお風呂に入る機会なんて滅多にないよ。蓮也君は行って来なよ」と言って大浴場へ行くよう勧めた。
「じゃあ、ちょっとだけ行ってくる。すぐ戻るから」
「ゆっくりしてきてね」
十羽はレストランを出た後、一人で客室へ戻った。
部屋のシャワーで汗を流し、パジャマ用にと持ってきたTシャツとハーフパンツに着替えて一息つく。
しかし寝室のベッドで蓮也を待つのは気まずい。センターテーブルに置かれていたフロアガイドを見ると宿泊棟にはテラスがあると書いてあったので、少し夜風に当たろうと思い、テラスに行くと書き置きをして客室を出た。
夜のテラスには涼やかな風が吹いていた。屋外用のテーブルと椅子が並べられ、所々にキャンドルの明かりが灯されている。ロマンチックな雰囲気だ。数人の客がミニバーでワインやカクテルを注文し、アルコールと会話を楽しんでいた。
セレブな大人の雰囲気に気圧されてしまう。十羽も年齢的には大人だけれど、ずっと貧乏生活を続けている身には場違いな気がした。
ミニバーを避け、一人でひっそりと隠れるようにテラスの端へ向かう。そして欄干に手をつき、眼下に広がる夜の海を見渡した。海風と優しい波音が気持ちいい。帽子、眼鏡、マスクの仮面をつけていない顔に風を受け、大きく深呼吸した。
シャワーで湿った髪が風になびく。すがすがしさを感じていた、そのとき──。
隣に背の高い男が立ち、落ちついた口調で「風が気持ちいいな」と言った。
蓮也だと思い、笑顔で男を見上げる。淡褐色の瞳が宝石のようにきらめき、桃色の唇が弧を描いた。
「……!」
しかし男は蓮也ではなかった。すっきりとした面立ちに品のいい笑みを浮かべた、中年の男だった。仕立ての良さそうなシャツとジャケットを着ている。
男は十羽の笑顔を見た瞬間、驚愕して体を硬直させた。
「君は……なんて美しいんだ! 私は今、ハートを打ち抜かれてしまったよ!」
「……え?」
男が十羽の両肩を掴む。
「これは運命の出会いだ。そう思うだろう?」
「お、思いません! 僕は男ですよ? 離してください!」
身をよじって逃げようとしたが、男は十羽の手を取り、持ち上げて手の甲にキスをした。
「男でも美しい人は美しい。金ならいくらでもある。なんでも好きな物を買ってあげるから、私の恋人になってくれ。ただ、私には妻子がいる。それは許してほしい」
愛人になれと!? 十羽はギョッとした。
「お断りします!」
手を引っ込めて踵を返す。逃げなくては。
「待ってくれ! 運命の夜を一緒に過ごそう!」
男に手首を掴まれそうになったとき、眼前に別の男が現れてぶつかりそうになった。
「あっ、す、すみません」
「十羽さん、俺の後ろに」
蓮也だ。手を引かれて彼の広い背に隠される。
蓮也は中年男を威嚇するような目で見据えた。
「この人に、触らないでください」
口調は丁寧でも低い声音にドスがきいている。
中年男が一瞬身震いした。
「き、君はこの人の恋人なのか?」
「そうです。だから諦めてください」
「こんな美しい人が、こんな貧乏そうな男と?」
「貧乏……! 余計なお世話です!」
中年男が体を傾けて十羽に声をかけた。
「君、本当にこんな男がいいのかい? 貧乏そうな彼より、私のほうが君を幸せにできるよ?」
「俺の恋人だって言いましたよね? これ以上近づかないでください!」
「私は美しい人に話をしているんだ!」
二人がギリギリと歯噛みして睨み合う。
十羽は蓮也の背中に隠れて浅い呼吸を繰り返した。
隠れていちゃダメだ。自分がはっきりと拒否しなければ。変な男達はいつもこちらの言い分など聞かず、強引に迫ってくる。もっとはっきり、きっぱりと、跳ね返さなければ。
意を決し、蓮也の腕に抱きつく。
「僕は……彼の恋人です!」
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
年上の恋人は優しい上司
木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。
仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。
基本は受け視点(一人称)です。
一日一花BL企画 参加作品も含まれています。
表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!!
完結済みにいたしました。
6月13日、同人誌を発売しました。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
【完結】嘘はBLの始まり
紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。
突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった!
衝撃のBLドラマと現実が同時進行!
俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡
※番外編を追加しました!(1/3)
4話追加しますのでよろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる