時空を超えてキスをする

ましろい冬野

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5章 2021年 恋の話

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 ドスンと両足で地面に着地した十羽は、バランスを崩してその場に尻餅をついた。
「いたっ」
 毎度、タイムスリップのたびに着地で痛い思いをするのは勘弁してほしいものだ。よろめきながら立ち上がって周囲を見る。

 十羽が着地したのは夜の歩道だった。付近にイチョウ並木がある。ベンチもある。人の気配はなく、蓮也の家もない。ここは見慣れた天樹町の五丁目。

(帰って、きたんだ……)

 もう、蓮也には会えない。
 急激に寂しくなり、ドアノブがついていないイチョウの木をぼんやりと見上げた。

 スマホはズボンのポケットに入っているが、靴を過去の世界に置いてきてしまった。仕方なく、靴下のまま歩いてトボトボと家路につく。

 アパートへ戻ると、室内の様子は二日前に外出したときと何も変わっていなかった。西暦は2021年、日付は5月26日。過去で過ごした時間と同じ、2日が経過していた。とりあえず、今回も無事に帰ってこられた。

 十羽は棚の上に置いてある、イチョウの押し葉を閉じ込めた額縁を手に取った。
「蓮也君……」

 彼の、少し釣り目の整った顔が脳裏のうりに浮かぶ。ぶっきらぼうで生意気な口ぶり、はにかんだ笑み、たくましい体躯たいく。『十羽さん』と呼ぶ、低く優しい声音。

 抱きしめられた感覚がまざまざとよみがえり、慌てて額縁を棚の上に戻した。

 蓮也が自分を抱きしめたのは、親しくなった友達が突然いなくなると思い、寂しさが募ったからだ、と思うことにした。十代の頃は友達の存在感が大きい。あのハイテンションな友達、悠介と離ればなれになるときも、きっと抱き合って別れを悲しむだろう。

(多分、恋愛感情ではない……よね?)

 中学生が大人の、しかも男に恋をするとは思えないし。
 2021年の蓮也は今、42歳だ。十羽をどんな風に記憶しているだろう。
 会ってみたいけれど、今の蓮也にとって十羽は遠い昔に出会った人。十羽のことなど忘れて、仕事にいそしんでいるに違いない。会って気味悪がられたくない。だから彼には会わない、探さないほうがいい。

 でも……会いたい。
 抱きしめられたときに感じたときめきを、なかったことにしようと決めたのに。
 十羽は椅子に腰を下ろし、深い溜息をついた。



 翌朝、早めに出社した十羽は、デザイン事務所のガラス戸を恐る恐る開けた。
 まずは社長の椎名に無断欠勤を謝罪しなければ。他の同僚はまだ出社していないが、椎名はいつも朝一番に出社して、社長のデスクでコーヒーを飲みながら新聞を読む。

 椎名しいな誠司せいじは30代後半、痩せ型で丸眼鏡をかけた、地味で素朴な人だ。本業は社長兼、優秀なグラフィックデザイナー。家族を大事にする2児の父親でもある。十羽は入社以来ずっと彼を尊敬していた。

 今日も変わらず新聞を読んでいた椎名が、十羽の存在に気づいて顔を上げ「あっ」と声を発した。

「明日見君、二日間もどうしたんだよ。体の具合でも悪かったの?」
「お、おはようございます。風邪を引いて寝込んでました。連絡できなくてすみませんでした」

 十羽が深々と頭を下げると、椎名が「まったく」とあきれて嘆息した。
「連絡できないほど悪かったのかい?」
「え、えっと……連絡をしたつもりになってました。熱で朦朧もうろうとしてて」
 申し訳ないと思いながら嘘の言い訳をする。

「やれやれ。明日見君はしっかりしてると思ってたけど、意外と抜けてるところもあるんだな。体はもういいの?」
「は、はい」
「次はちゃんと連絡するようにしてね。心配してたんだぞ。電話をかけても出なかったし」
「本当にすみませんでした!」

 さらに深く頭を下げた。
 椎名の温情でおとがめはなし。ありがたい限りだ。
 出勤できなかった分の仕事を片づけるぞと意気込んで自分の席に座り、パソコンの電源を入れる。

 始業時刻が近くなった頃、出社した牛丸が十羽を見つけた途端、足早に近づいてきた。肩に腕を回して耳元に顔を寄せる。

「おはよう。何度も連絡したんだけど」
 声音は優しいが、目には苛立ちがにじんでいた。

 きのうの夜、スマホを確認すると牛丸から大量のメッセージが届いていた。
『今から会いに行くよ』『家にいないね。どこにいる?』『返事をしろよ』『俺から逃げたつもりか? 逃げられると思うなよ』『ゲイだとばらされたいのか』

 アパートへ来て十羽の不在を知り、不審に思ったらしい。
 十羽は気持ちを落ちつかせ、考えておいた言い訳を口にした。
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