上 下
22 / 72
3章 2021年 執拗な誘い

3-2

しおりを挟む
 外階段を下りて歩道に出ると、ニヤニヤと笑む牛丸が立っていた。
「駅まで一緒に歩こうよ。それくらいはつき合ってくれるよね? 恋人だろ?」
 彼の瞳の奥に狂気じみた色が見え隠れする。拒否すればまた逆上しかねない。

 十羽は自転車を押しながら、夕暮れ時の歩道を牛丸と並んで歩いた。彼が乗車する駅までは徒歩で五分ほど。駅につけば解放されると思い、早足で歩く。

 牛丸が飄々とした口調で言った。
「しっかし藤本さん、俺のことを女好きだと思ってるんだなぁ」
「それは……そういう素振りをしているからでは」
 女性の顧客に対していつも口説くようなセリフを言っていると、ちまたでは有名である。

「女好きはほんとにカムフラージュなのにさ。俺が好きなのは男だけ、いや、明日見だけなのに。デートの誘いの邪魔もするし。あーあ、ウザい女」
 藤本の信頼を裏切るような言葉に、胸が悪くなった。この人と嘘でも恋人でいたくない。

 こうなったら蓮也からヒントをもらった『嫌われる言動』を実行しよう。鼻くそはほじれないが、うまく嫌われなくては。
 何を言うべきか考えていると、駅前に連なる飲食店が目に映った。ラーメンや回転寿司など、安くて気軽に食べられる店が多い。

 牛丸が店を眺めてフンと鼻で笑う。
「ラーメンもいいけど、デートの食事なら俺はイタリアンがいいな。おいしい赤ワインで乾杯したいよね。明日見、アルコールはいける口?」
「いえ、あまり」
「そんな感じだね。じゃあ初めてのデートはイタリアンで、ワインを少し飲もうね。明日見はほろ酔いになるだろ? そしたら俺の家に泊まって、ベッドでイチャイチャしよう。ふふ、最高のデートになるね。デートはいつにする? 明日? それとも明後日?」

 自転車のハンドルを握る手の上に手を重ねられ、反射的に十羽の体が震えた。そんなデート、絶対に回避したい。でも普通に断ったところで、まともに取り合ってはくれないだろう。

 どうしよう、と思ったとき、全国チェーンの牛丼屋が目にとまった。
 これだ! と閃く。
 手を引っ込めて彼の手から逃れ、牛丼屋を指差した。

「牛丸さん、僕はイタリアンより牛丼が食べたいです。デートはあの店でお願いします」
「えっ、あの牛丼屋!?」
 お洒落な店を好む牛丸が、デートに庶民的な牛丼屋を喜ぶとは思えない。案の定、彼の整った顔が見る間に曇った。

「俺はイタリアンがいいなぁ。スペイン料理でもいいよ」
「いえ、僕は牛丼にしか興味がありません。健康のためにアルコールは摂取せず、食後はまっすぐ自宅に帰ります。あ、もちろん割り勘です」

 こんなことを言えば呆れられるに違いない。牛丸が「なんだよそれぇ」と唇を尖らせたので、十羽は内心でよし! と拳を握った。

 しかし牛丸はフフフッと笑う。
「俺に気をつかってるんだね。安い店じゃなくても大丈夫だよ。明日見より給料は多くもらってるし、投資もしてるから結構余裕があるんだ。俺がごちそうするからね」

 どうやら十羽が遠慮したと解釈したようだ。
(しまった! 三つ星のフレンチが食べたいと言ったほうが良かったのかも)
 冴えない嘘しか思いつけない自分が悔しい。
「ぼ、僕はただ、牛丼が好きなだけなんです!」

 ムキになって嘘を重ねたが、牛丸は余裕のある笑みを深めるばかり。
「牛丼が好きな明日見もかわいいな。愛してるよ」
 周囲に人がいてもお構いなしだ。
「こんなところで、そんなこと言わないでください。大体、なんで僕のことを? 一体、僕のどこがいいんですか」

 なぜここまで執着されるのか、ずっと疑問だった。お洒落で社交的な牛丸とは違い、十羽は地味でダサくておとなしい。彼ならもっと華やかな、自分に釣り合いそうな男を選びそうなのに。

 すると牛丸があっけらかんと言った。
「そんなの顔だよ。顔がいいからに好きになったんだ。決まってるだろ」
「か、顔……?」
「そうだよ。正直言って、俺は遊び相手には苦労してない。でも今まで、つき合いたいと思うほど綺麗な顔の男はいなかった。それがある日、職場に新入社員として現れたんだ。これは運命だと思ったね。いつか必ず自分のものにしようと決めた。明日見は自分の顔を誇っていいよ。君の顔はほんとに素晴らしい。体もしっとりとした色気があって、めちゃくちゃそそられる。着てる服はいまいちだけど、そんなの脱いでしまえば関係ないしね。顔と体がよければそれでいいんだ」

 精一杯、褒めているつもりなのだろう。牛丸に悪びれる様子は微塵みじんもない。でも容姿だけが好き、あとはどうでもいいと言われ、喜ぶ人がどれほどいるだろうか。

 十羽は「帰ります……」と言って自転車にまたがった。
「どうしたの? まだ駅まで距離があるよ?」
 だが振り返らずにペダルを踏み、力なく自転車を走らせた。道中、スマホにメッセージが届いたので画面をタップすると、牛丸からだった。

『明日見は一見清純な感じがするけど、その影に悪魔的な色香があるんだ。俺はそんな君の色香をベッドで味わってみたい』
 無視しよう。
 するとまたメッセージが。
『今日の用事って何時に終わる? 終わったらビデオ通話しようね』
「もう、ほんとに嫌だ!」

 スマホをかばんに放り込み、自転車を走らせた。
 天樹町の五丁目に差しかかる。無性に蓮也に会いたくなり、つい、図書館へ向かいそうになった。図書館へ行けばまたタムスリップできるかもしれない。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】紅く染まる夜の静寂に ~吸血鬼はハンターに溺愛される~

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
BL
 吸血鬼を倒すハンターである青年は、美しい吸血鬼に魅せられ囚われる。  若きハンターは、己のルーツを求めて『吸血鬼の純血種』を探していた。たどり着いた古城で、美しい黒髪の青年と出会う。彼は自らを純血の吸血鬼王だと名乗るが……。  対峙するはずの吸血鬼に魅せられたハンターは、吸血鬼王に血と愛を捧げた。  ハンター×吸血鬼、R-15表現あり、BL、残酷描写・流血描写・吸血表現あり  ※印は性的表現あり 【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう 全89話+外伝3話、2019/11/29完

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

あなたの隣で初めての恋を知る

ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

好きな男が他の女と結婚する

和泉奏
BL
俺達は、ずっと友達で、同級生で、…男同士で、 だから…「好き」だなんて感情、言葉にできるはずもなかった。 社会人×社会人

とある画家と少年の譚

Kokonuca.
BL
 ある夏、訪れた後援者の屋敷で一人の少年に出会う  新山卯太朗はいたずら心を抑えられないままに翠也の汗に手を伸ばす……

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

旦那様と僕・番外編

三冬月マヨ
BL
『旦那様と僕』の番外編。 基本的にぽかぽか。

処理中です...