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3章 2021年 執拗な誘い
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外階段を下りて歩道に出ると、ニヤニヤと笑む牛丸が立っていた。
「駅まで一緒に歩こうよ。それくらいはつき合ってくれるよね? 恋人だろ?」
彼の瞳の奥に狂気じみた色が見え隠れする。拒否すればまた逆上しかねない。
十羽は自転車を押しながら、夕暮れ時の歩道を牛丸と並んで歩いた。彼が乗車する駅までは徒歩で五分ほど。駅につけば解放されると思い、早足で歩く。
牛丸が飄々とした口調で言った。
「しっかし藤本さん、俺のことを女好きだと思ってるんだなぁ」
「それは……そういう素振りをしているからでは」
女性の顧客に対していつも口説くようなセリフを言っていると、ちまたでは有名である。
「女好きはほんとにカムフラージュなのにさ。俺が好きなのは男だけ、いや、明日見だけなのに。デートの誘いの邪魔もするし。あーあ、ウザい女」
藤本の信頼を裏切るような言葉に、胸が悪くなった。この人と嘘でも恋人でいたくない。
こうなったら蓮也からヒントをもらった『嫌われる言動』を実行しよう。鼻くそはほじれないが、うまく嫌われなくては。
何を言うべきか考えていると、駅前に連なる飲食店が目に映った。ラーメンや回転寿司など、安くて気軽に食べられる店が多い。
牛丸が店を眺めてフンと鼻で笑う。
「ラーメンもいいけど、デートの食事なら俺はイタリアンがいいな。おいしい赤ワインで乾杯したいよね。明日見、アルコールはいける口?」
「いえ、あまり」
「そんな感じだね。じゃあ初めてのデートはイタリアンで、ワインを少し飲もうね。明日見はほろ酔いになるだろ? そしたら俺の家に泊まって、ベッドでイチャイチャしよう。ふふ、最高のデートになるね。デートはいつにする? 明日? それとも明後日?」
自転車のハンドルを握る手の上に手を重ねられ、反射的に十羽の体が震えた。そんなデート、絶対に回避したい。でも普通に断ったところで、まともに取り合ってはくれないだろう。
どうしよう、と思ったとき、全国チェーンの牛丼屋が目にとまった。
これだ! と閃く。
手を引っ込めて彼の手から逃れ、牛丼屋を指差した。
「牛丸さん、僕はイタリアンより牛丼が食べたいです。デートはあの店でお願いします」
「えっ、あの牛丼屋!?」
お洒落な店を好む牛丸が、デートに庶民的な牛丼屋を喜ぶとは思えない。案の定、彼の整った顔が見る間に曇った。
「俺はイタリアンがいいなぁ。スペイン料理でもいいよ」
「いえ、僕は牛丼にしか興味がありません。健康のためにアルコールは摂取せず、食後はまっすぐ自宅に帰ります。あ、もちろん割り勘です」
こんなことを言えば呆れられるに違いない。牛丸が「なんだよそれぇ」と唇を尖らせたので、十羽は内心でよし! と拳を握った。
しかし牛丸はフフフッと笑う。
「俺に気をつかってるんだね。安い店じゃなくても大丈夫だよ。明日見より給料は多くもらってるし、投資もしてるから結構余裕があるんだ。俺がごちそうするからね」
どうやら十羽が遠慮したと解釈したようだ。
(しまった! 三つ星のフレンチが食べたいと言ったほうが良かったのかも)
冴えない嘘しか思いつけない自分が悔しい。
「ぼ、僕はただ、牛丼が好きなだけなんです!」
ムキになって嘘を重ねたが、牛丸は余裕のある笑みを深めるばかり。
「牛丼が好きな明日見もかわいいな。愛してるよ」
周囲に人がいてもお構いなしだ。
「こんなところで、そんなこと言わないでください。大体、なんで僕のことを? 一体、僕のどこがいいんですか」
なぜここまで執着されるのか、ずっと疑問だった。お洒落で社交的な牛丸とは違い、十羽は地味でダサくておとなしい。彼ならもっと華やかな、自分に釣り合いそうな男を選びそうなのに。
すると牛丸があっけらかんと言った。
「そんなの顔だよ。顔がいいからに好きになったんだ。決まってるだろ」
「か、顔……?」
「そうだよ。正直言って、俺は遊び相手には苦労してない。でも今まで、つき合いたいと思うほど綺麗な顔の男はいなかった。それがある日、職場に新入社員として現れたんだ。これは運命だと思ったね。いつか必ず自分のものにしようと決めた。明日見は自分の顔を誇っていいよ。君の顔はほんとに素晴らしい。体もしっとりとした色気があって、めちゃくちゃそそられる。着てる服はいまいちだけど、そんなの脱いでしまえば関係ないしね。顔と体がよければそれでいいんだ」
精一杯、褒めているつもりなのだろう。牛丸に悪びれる様子は微塵もない。でも容姿だけが好き、あとはどうでもいいと言われ、喜ぶ人がどれほどいるだろうか。
十羽は「帰ります……」と言って自転車にまたがった。
「どうしたの? まだ駅まで距離があるよ?」
だが振り返らずにペダルを踏み、力なく自転車を走らせた。道中、スマホにメッセージが届いたので画面をタップすると、牛丸からだった。
『明日見は一見清純な感じがするけど、その影に悪魔的な色香があるんだ。俺はそんな君の色香をベッドで味わってみたい』
無視しよう。
するとまたメッセージが。
『今日の用事って何時に終わる? 終わったらビデオ通話しようね』
「もう、ほんとに嫌だ!」
スマホを鞄に放り込み、自転車を走らせた。
天樹町の五丁目に差しかかる。無性に蓮也に会いたくなり、つい、図書館へ向かいそうになった。図書館へ行けばまたタムスリップできるかもしれない。
「駅まで一緒に歩こうよ。それくらいはつき合ってくれるよね? 恋人だろ?」
彼の瞳の奥に狂気じみた色が見え隠れする。拒否すればまた逆上しかねない。
十羽は自転車を押しながら、夕暮れ時の歩道を牛丸と並んで歩いた。彼が乗車する駅までは徒歩で五分ほど。駅につけば解放されると思い、早足で歩く。
牛丸が飄々とした口調で言った。
「しっかし藤本さん、俺のことを女好きだと思ってるんだなぁ」
「それは……そういう素振りをしているからでは」
女性の顧客に対していつも口説くようなセリフを言っていると、ちまたでは有名である。
「女好きはほんとにカムフラージュなのにさ。俺が好きなのは男だけ、いや、明日見だけなのに。デートの誘いの邪魔もするし。あーあ、ウザい女」
藤本の信頼を裏切るような言葉に、胸が悪くなった。この人と嘘でも恋人でいたくない。
こうなったら蓮也からヒントをもらった『嫌われる言動』を実行しよう。鼻くそはほじれないが、うまく嫌われなくては。
何を言うべきか考えていると、駅前に連なる飲食店が目に映った。ラーメンや回転寿司など、安くて気軽に食べられる店が多い。
牛丸が店を眺めてフンと鼻で笑う。
「ラーメンもいいけど、デートの食事なら俺はイタリアンがいいな。おいしい赤ワインで乾杯したいよね。明日見、アルコールはいける口?」
「いえ、あまり」
「そんな感じだね。じゃあ初めてのデートはイタリアンで、ワインを少し飲もうね。明日見はほろ酔いになるだろ? そしたら俺の家に泊まって、ベッドでイチャイチャしよう。ふふ、最高のデートになるね。デートはいつにする? 明日? それとも明後日?」
自転車のハンドルを握る手の上に手を重ねられ、反射的に十羽の体が震えた。そんなデート、絶対に回避したい。でも普通に断ったところで、まともに取り合ってはくれないだろう。
どうしよう、と思ったとき、全国チェーンの牛丼屋が目にとまった。
これだ! と閃く。
手を引っ込めて彼の手から逃れ、牛丼屋を指差した。
「牛丸さん、僕はイタリアンより牛丼が食べたいです。デートはあの店でお願いします」
「えっ、あの牛丼屋!?」
お洒落な店を好む牛丸が、デートに庶民的な牛丼屋を喜ぶとは思えない。案の定、彼の整った顔が見る間に曇った。
「俺はイタリアンがいいなぁ。スペイン料理でもいいよ」
「いえ、僕は牛丼にしか興味がありません。健康のためにアルコールは摂取せず、食後はまっすぐ自宅に帰ります。あ、もちろん割り勘です」
こんなことを言えば呆れられるに違いない。牛丸が「なんだよそれぇ」と唇を尖らせたので、十羽は内心でよし! と拳を握った。
しかし牛丸はフフフッと笑う。
「俺に気をつかってるんだね。安い店じゃなくても大丈夫だよ。明日見より給料は多くもらってるし、投資もしてるから結構余裕があるんだ。俺がごちそうするからね」
どうやら十羽が遠慮したと解釈したようだ。
(しまった! 三つ星のフレンチが食べたいと言ったほうが良かったのかも)
冴えない嘘しか思いつけない自分が悔しい。
「ぼ、僕はただ、牛丼が好きなだけなんです!」
ムキになって嘘を重ねたが、牛丸は余裕のある笑みを深めるばかり。
「牛丼が好きな明日見もかわいいな。愛してるよ」
周囲に人がいてもお構いなしだ。
「こんなところで、そんなこと言わないでください。大体、なんで僕のことを? 一体、僕のどこがいいんですか」
なぜここまで執着されるのか、ずっと疑問だった。お洒落で社交的な牛丸とは違い、十羽は地味でダサくておとなしい。彼ならもっと華やかな、自分に釣り合いそうな男を選びそうなのに。
すると牛丸があっけらかんと言った。
「そんなの顔だよ。顔がいいからに好きになったんだ。決まってるだろ」
「か、顔……?」
「そうだよ。正直言って、俺は遊び相手には苦労してない。でも今まで、つき合いたいと思うほど綺麗な顔の男はいなかった。それがある日、職場に新入社員として現れたんだ。これは運命だと思ったね。いつか必ず自分のものにしようと決めた。明日見は自分の顔を誇っていいよ。君の顔はほんとに素晴らしい。体もしっとりとした色気があって、めちゃくちゃそそられる。着てる服はいまいちだけど、そんなの脱いでしまえば関係ないしね。顔と体がよければそれでいいんだ」
精一杯、褒めているつもりなのだろう。牛丸に悪びれる様子は微塵もない。でも容姿だけが好き、あとはどうでもいいと言われ、喜ぶ人がどれほどいるだろうか。
十羽は「帰ります……」と言って自転車にまたがった。
「どうしたの? まだ駅まで距離があるよ?」
だが振り返らずにペダルを踏み、力なく自転車を走らせた。道中、スマホにメッセージが届いたので画面をタップすると、牛丸からだった。
『明日見は一見清純な感じがするけど、その影に悪魔的な色香があるんだ。俺はそんな君の色香をベッドで味わってみたい』
無視しよう。
するとまたメッセージが。
『今日の用事って何時に終わる? 終わったらビデオ通話しようね』
「もう、ほんとに嫌だ!」
スマホを鞄に放り込み、自転車を走らせた。
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