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Act.7 末期の先に
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人工進化促進研究機関―
来るべき敵国との戦いに向けて、独自の兵器を開発する事を目的とし起ち上げられた。
しかし、出資者から通達されたプロジェクトの凍結。そして、世界崩壊。
腕型と同様に封印され、瓦礫の下に埋もれていた生体兵器の第四号である旋毛型。
彼女の目的は、自らを産み落とした父親を捜し出す事。
父親の足跡を辿る中で、彼女は一人の病弱な少女と知り合う―
………
件のメモリーに関する騒動は厳格なる請負人、シェフの手によって読み取り装置ごと破壊されたという噂が流れ、すっかり沈静化していた。
張り詰めていた緊張は解かれて、マーケットは普段の様相を取り戻している。
「嬢ちゃん!両手の、こっちのでけえ義手に取り替えねえか?今ならもう一本付けるぜ?」
「どうせ替えるんだったらこっちのが状態も良いしお薦めだ!今ならもう一本付けるよ?」
「こっちも見て行きなって!値段にせよ、質にせよ勝てるものは何にもないが、取り敢えず今ならもう二、三本は付けるよ?」
打ち棄てられた自動人形の端材を両手に抱えた露天商達が次々と売り込みを掛ける。
胡散臭い、いかがわしいと言った表現が良く似合う出店を掻き分けて、小道へと逃げ込む。
マーケットの喧騒から少し離れた場所にその店は在った。
記憶商の入口の前には銀髪の少女が一人、旋毛だ。
腕から受けた研究資料の中にあった第三世代の電子記憶媒体。
その中身は未だに解明されていない。
今度こそは…と意気込み、彼女は店の中へと入った。
店内では手書きの文字が直接書き込まれた無数の電子記憶媒体が乱雑に押し込まれており、この店のスタンスを主張するかの様に犇めき合っていた。
はじめはその様子にいくらか気圧されたが、冷静になってみると別にメモリーを買い付けに来たわけではない。
自分の目的はあくまで中身の閲覧なのだという事を思い出して、旋毛はカウンターに居る店主らしき女性に声を掛けた。
「あっ、おばさん!」
「おっ…おば、さん?…ああ、良いよ。アタシだって大人だ。お姉さんは無理があるって自分でも分かっている。でもね、せめておばちゃんとお呼び」
「おばさん!ここでこのメモリー読み取れる?ねえ、読み取れる?」
店主の注文を汲み取らずに、旋毛は元気に畳み掛ける。
「…お前は人の話を聞かない子だね?大きくなるよ。どれ―これは、第三世代の記憶メディアじゃないかい…」
「これ、貴重なメモリーみたいで…色んなお店を尋ねたんだけど、その度にうちじゃ無理だって言われて…」
「他の店がどうだかは知らないが、ウチは電子記憶媒体専門だからね、難なく読み取れるよ」
「ほんとに!?」
「ほんとさ。伊達にこの仕事続けちゃいないよ。待ってな、直ぐ機械に掛けてやるからね」
そう言って店主は旋毛から受けた電子記憶媒体と読み取り機とを繋ぐ。
中身を掻き回して総ざらいする様に、小さな音が小刻みに何度も装置から発せられる。
解析が終わるまでに少々の時間を要したが、中身は難なく読み取れたようだ。
「これは…写真と、文章データだね。どれ、女の子が写っている。上の方に名前が書いてあるじゃないか…ええと、シル…ヴェ…ローナ?」
(それ、もしかして、ローラの本当の名前?だったらアンジェーリカとエヴァにも…)
「…住まいは第八区画、何だい?此処からそう遠くないじゃないか」
「…え?」
第八区画、その言葉はおかしい―
「ちょっと、ねえ、ちょっと待ってよ!順番が滅茶苦茶だよ!パパの、人工進化促進研究機関の研究は区画整理が起きる前で…!」
「何ワケの分からない事話してんだい。年齢は十三歳で、病状は目立った回復を見せず―か」
旋毛の言う通り、機関の生体兵器の研究は世界崩壊が起きる以前に行われていた事だ。
これが研究資料だと言うのであれば、これまでの話が破綻する事となってしまう。
「…ねえ、最初はグーなのにさ、途中から頭をパーにしたくなる話になってきたね」
「あまり大人をからかうと子供扱いしないよ。こんなメモリーに価値は無いね」
「ええ~…何でこんな事になるのさ?」
この店に入るまでの道中を思い返してみる―
ふと、何か引っ掛かる物があったのか、旋毛は自分の雑嚢を取り出した。
慌てて中身を確認してみると思った通りだ。
中身は彼女の見知らぬ書類や医療器具の類で溢れていた。
道中で、冴えない細身の男とぶつかった時の映像が脳内で再生される。
「…あーっ!アレだ!あの時きっと旋毛の荷物と入れ替わったんだ!」
「…あんだって?」
「うわあ~…マズいよ、急いで取り返さなくちゃ!」
「お待ち!メモリーの閲覧だって無料でやっちゃいないんだよ!何かソレに代わる物を…」
「持って来いって言うんでしょ!後でまた来るから!その…ごめんなさい!」
店主の制止を振り切って旋毛は外へと飛び出した。
この焦りは彼女自身の意志か、それとも…彼女の鮮やかな銀髪が激しく波打つ―
………
差し込んで来る陽の光等では無い、人工的な灯りが部屋全体を照らしている。
見渡すと、大きな窓が目を引くが、それ以外はさして目立った特徴も無い平凡な部屋。
その唯一の窓も、永らく開いた様子も無く、完全に閉ざされてしまっていた。
ベッドに寝たきりの少女と椅子に掛けた白衣の男が一人。
「うん、そうだね。少しずつ良くなってきているよ」
「…そう、なんでしょうか?でしたら、嬉しいのですけど―」
男はそれらしい言葉を淡々と綴り、少女は陰鬱な表情で返す。
二人の間を飛び交う言葉が、ただの形式に成り下がってしまっている場。
お互いがお互いの立場や作用を良く理解し、上滑りをし続けるだけの場。
そんな冷え切ったやり取りの中に突然、ごりっと、何かを抉る様な鈍い音が割り込む。
建物全体が少しばかり揺らいだ後、細々とした埃がそこかしこに降りる。
建物に空いた穴から、ひょっこりと銀髪の少女が飛び出す。
「んーと…記載されてた場所が間違って無ければ、ここの筈なんだけど―」
比喩では無しに割って入って来た旋毛は辺りを見渡し、記憶の中に引っ掛けた男を捜す。
「居たーっ!さっきぶつかった時に入れ替わった旋毛のメモリー、返して貰うよ!」
「君は…一体何をやってくれるんだ!此処には絶対安静の子が居るんだぞ?」
「だって、旋毛が頑張って声出してるのに誰も出て来ないんだもん!あっ、貴方が症状は目立った回復を見せずのシルヴェローナ十三歳?さっきカルテで見たよ。元気ー?」
「がああッ…!!患者に何て事を言うのだろう、この娘は!!」
「先生、別に良いんですよ。私、自分の身体の事なんて自分で何となく分かっています」
身を乗り出そうとした男の白衣をぎゅっと掴んで、少女は続ける。
「私、小さい頃から身体が不自由だったから、もう、その、最初から…諦めているんです」
「……」
「……」
少女の口から出た重々しい言葉。
それを受けて旋毛と細身の男は口を紡いだ。
「旋毛ちゃん…だっけ?良かったら少しだけ、私の話相手になってくれないかな?」
………
「何で態々こんな記憶メディアを使っているのさ?」
旋毛は摺り替わったメモリーを外で待っていた医者に向かって放る。
「…多少古くても、電子制御の方が格好が付く。小物一つで自分のランクってヤツは誤魔化せるんだ」
医者は用意していたかの様な答えを添えて、取り違えていた雑嚢を旋毛に返す。
「ねえ、先生―」
「何だよ?」
「あの子、何時死ぬの―?」
普段の跳ねる様な声ではなく、トーンを落とし、低く絞った声で旋毛が尋ねる。
「そうだな…多分、そろそろ、かな―」
先を言う事を躊躇う様な彼の言葉の運び方が諦めを色濃くする。
「そうなんだ。さっきね、あの子に…シルヴェローナに、死ぬ時は傍に居て欲しいって言われた。綺麗に死ぬトコ、見て欲しいって」
「最後の願い―って事になるのか…どう思ったかは知らないが、そうして貰えると嬉しい」
「ねえ、本当にそれしか出来る事は無いの?」
「藪医者なりに模索はしたさ。でも…僕に出来る事は最期に花を添えるくらいだ」
「…違うよ!」
「えっ?」
「どうして?どうして何かが起きてから優しくするのさ!あの子が欲しかったのは花束なんかじゃないよ!」
「事情も分からない子供が勝手な事を言うな!医療技術のメモリーは僕みたいなのには手も足も出ないんだよ!」
「ふーん…」
旋毛は気のない返事と呆れた表情を浮かべながらも、義手に力を篭めた。
彼女の感情に呼応する様に電流の走る音が何度か繰り返される。
すると、地面を捲って、多方向から幾つもの廃材が勢い良く飛び出す。
そして旋毛の傍にある一点をめがけて集積し、激しく絡み合っていく。
瞬く間にニメートル程の従僕が二体、生成された。
それらは、彼女の義手が形成する特殊な磁場によってその形を維持している。
「旋毛はさ、こういう事が出来るんだ。お医者さんが匙を投げるには早いんじゃないの?」
「な、なっ…何…ちょっと、お前、何だよこれッ!?」
その一連の流れを目の当たりにした医者は尻餅を付いたまま言葉を吐き散らかす。
「モノ扱いしないでよ。こっちが働き屋さんのローラで、これが世話焼きのアンジェーリカ、エヴァは…いつも通り横着者だね」
………
だらしない猫背が一人、それに付く様に歩く、凛とした銀髪の少女が一人。
腕と山猫。二人共紙袋に包まれた荷物を抱えて歩いていた。
日用品の買い出しに向かったマーケットからの帰り道。
「良いか?だからな、書籍や光学ディスク…この際記憶媒体の形態は問わず、最悪な話、切れっ端だって全然構わない。医療技術は高値で捌けるメモリーだとされている」
「…ふうん」
せわしなく語り続ける山猫。最低限の相槌で済ませる腕。
「例えば、俺が記憶商の建物を掴んで逆さにしてみた所で、十中八九見つからない」
「…へえ」
「各所に敷かれたカラクリはこうさ。回収業者共を甘い汁で手懐けて、その区画直営の記憶商が医療技術のメモリーをガメてやがるのさ」
「…そうなの」
「そうなのよ。まあ、商売って奴は大なり小なり命を締め上げる事で利を得ている訳だが、ここまで直球なものも中々無いわなァ…」
「ベラベラダラダラと長ったらしい御高説をどうも。それで、この内の幾つが私に向けた言葉だったのかしら?」
そう言いながら、腕は刃物の様な鋭い目線を突き付ける。それを受けて山猫は答える。
「えぇっと…全部俺が言いたいだけ?」
「殺すわよ?」
………
その夜、雲が月に被さる形で全てを覆い隠す様に深い闇が広がっていた。
旋毛は今、ある記憶商の前に立っている。例の医者から直接聞いた情報。
此処らで出土した医療技術のメモリーはこの店に集約しているのだと彼は言う。
「こういうの絶対間違ってると思う。皆で幸せになれば良い。だから…二人共、お願いっ!」
旋毛がそう言い放つと同時に、二体の従僕が飛び出し夜の闇の中を泳いだ。
二体がかりで頑強な扉に手を掛け、かかっていた錠前ごと扉を力強く引き千切る。
「ローラは前衛、アンジェーリカはバックアップ。いつも通りの陣形で行くよっ!」
重々しい扉を軽々と放り捨てて、旋毛と従僕達は店の中へと侵入して行く。
店内は区画直営の記憶商だという事もあって広かった。
今朝訪れた記憶商とは正に雲泥の差。医療技術のメモリーは症状ごとに細かく分類され、綺麗に収まっていた。
「…ローラ、怪しい動きをするモノは全部叩き潰しちゃっていいからね!」
旋毛の指示を受けたローラは一度だけ静かに頷いて、其処らを徘徊し始めた。
アンジェ―リカも旋毛の周辺に意識を巡らせ警戒している。
じりじりと店の奥へと進んで行く旋毛と二体の従僕。
バリンッ―!
突如、耳に入って来た何かを突き破る音。
慌ててその方向に振り向くとローラがその拳を振り下ろしていた。
足元に散らばるのは無数の硝子の破片。何かが動き回るのを感じたローラが医療器具等はお構い無しに標的を捕らえたようだ。
従僕の手に握られながらも蠢いているのはロープ状の変異生物。
「……」
ローラが無言で旋毛に向けてソレを差し出す。
区画直営の記憶商と言えども、崩壊後の世界は隙間だらけで抜け道には困らない。
小さな命がこの様に迷い込む事は何ら珍しい事ではない。
「…さっきはああは言ったけど、私達の邪魔をしないのだったら逃がしてあげて」
旋毛が命じるままに従僕はその力を緩め、変異生物を入口の方角に向けて放った。
店内を一通り探った所で、従僕達が反応したのは先程の変異生物ぐらいのもので、辺りには目立った障害は無い様に思えた。
(ふう…大丈夫そうかな。病名とかは聞いてるから、後はそれを見つけて抜き取るだけの―)
旋毛が安堵したその時、暗闇の中から彼女の背中をめがけて何かが振り下ろされた。
彼女はそれを知覚する事が出来なかった。
アンジェーリカの介入も間に合わずに凶器は迫り、それは旋毛に容赦無く襲い掛かった。
「あっ…!」
ゴリッという岩を削り取るかの様な鈍い音。
刃物ではなく鈍器が人間を弾きこなす音。
激しい痛みが彼女から正常さを奪う。
人体という容器から溢れる血の熱が更なる動揺を誘う。
旋毛の精神の綻びに伴って形を維持出来なくなった従僕は、その場に崩れ落ちてしまった。
障害の正体は、設定された領域を侵す賊を仕留める番人として配置されていた自動人形。
出土した物のプログラムを技師の手によって組み替えられたものだ。
オブジェクトに偽装していたソレが止めを刺しにゆっくりと旋毛に近付いて行く。
「あ…ああ…」
ローラも、アンジェーリカも、彼女自身の精神がこうも大きく崩れてしまっていては再構築も間に合わない。かろうじて意識はあるのだが、体勢の立て直しが効く状態では無い。
手立てを持たない彼女に、自動人形からの二撃目が無慈悲にも迫る。
それを受けた旋毛はいとも容易く吹き飛ばされ、勢い良く壁に叩き付けられた。
旋毛の思考は徐々にぼやけて、意識は遠のいていく…
視覚は段々と閉じて、最後に残された聴覚だけが自動人形の足音を拾う。
ガチャン、ガチャン―と、金属と金属とが打ち付け合う音。
それとは別に、旋毛の耳に入って来たのは、良く聞き慣れた、あの音だった―
自動人形が旋毛に止めを刺す為に放った一撃―
しかし、それを遮る様に割って入って来たのは一体の従僕の腕。
それは決して働き屋さんのローラでは無い。
ましてや、世話焼きのアンジェーリカでも無い。
生体兵器旋毛型のコンセプトに表記されている最後の従僕、横着者のエヴァ。
司令塔である旋毛を抱えた一体の従僕と、自動人形とが対峙する形。
横着者のエヴァ…先程まで旋毛が使役していた二体の従僕と見た目に大きな差異は無い。
唯一つ、異質な点を挙げるとすれば、旋毛の意思によって生成されていないという事。
自動人形は武器を構えて再び戦闘態勢を取る。
勝てる戦いでも、負けると分かっている戦いでも、続ける事を宿命付けられているからだ。
しかし、目の前の自動人形が取った先程の行動はあくまでも奇襲。
本体である旋毛の狙い撃ちでしかない。
二者が真っ向からぶつかり合った場合、最後に立っているのは一体、どちらか。
暗闇の中でエヴァの眼光の軌跡が激しく揺らいだ。
………
塞いだ穴を再び突き破る鈍い音。
その穴から昨日と同じ様に女の子が元気良く飛び出す。
「やっほー!」
「あっ…旋毛ちゃん、そんな開けたり塞いだりしてくれなくっても…言ってくれればドアを開けるよ?」
「えへへ、立たせても悪いからさ…はいっ!シルヴェローナ、これ、あげるねっ!」
旋毛は彼女に向けて真っ直ぐに手を伸ばし、赤いラインの入った白い記憶媒体を差し出す。
「…これは?」
「へへーっ、これはね、シルヴェローナの病気を治す為のメモリーだよ!」
「…え?」
「…?」
「……」
「……?」
長い沈黙。彼女は旋毛の手からメモリーを受け取ろうとはしなかった。
それどころか、目の前に差し出された記憶媒体を決して認識したくない様にも見えた。
予想を裏切るシルヴェローナの反応に旋毛はキョトンとして、首を傾げる。
「…嬉しく、無いの?」
「旋毛ちゃん…前に話したでしょ?私の病気は小さい頃からどうにもならないって―」
「だから旋毛は、このメモリーを頑張って取ってきたんだよ!治療を受ければ別に治らない病気じゃ…」
「…て?」
シルヴェローナの言葉にこれまで込められなかった色の感情が篭る。
「どうして?私は皆に看取られながら、綺麗に死のうって決めたのに…どうして、そんな余計な事をするの…!」
「えっ…?」
救いの手を、旋毛を突き放す様に彼女が声を荒げる。
「…ちがうよ?旋毛は、旋毛は、決してそんなつもりじゃ…!」
「身体の治療が上手くいった所で、今更他の人達と対等に扱われるだなんて私には無理だよ。とても、耐えられないよ…!」
彼女はどうにもならない現状に絶望していたのと同時に、仮に助かってしまったその先にも果ての無い絶望を見ていた。
彼女は自身の生が積み重ねて来た時間を帳消しにして、綺麗に逃れられる死に唯一の希望を見ていた。
ベッドの上だけの隔離された世界でシルヴェローナは泣きじゃくる。
其処は涙と彼女の中に渦巻く感情で溢れている。
まともになりたいと夢見ていた。しかし、自分にはなれない。決してなれはしないのだ。
こうしてチャンスが目の前に訪れても、私には無理だ。やり通せる自信が欠片も無い。
旋毛はそんなシルヴェローナの感情を汲み取って、彼女をそっと抱きしめた。
「大丈夫。きっと大丈夫だよ―生きる事をやっていくのに攻略本なんて無いけれど、レベルは勝手に上がって行くから―」
………
事を済ませた旋毛はこの区画で最初に訪れた記憶商の所に戻って来ていた。
そこに居たのは一人の顔見知り、シルヴェローナをよく診ていた彼だ。
思ってもいないタイミングでの再会に旋毛は驚く。
「…えっと、世の中って旋毛が思ってるより大分、狭いんだね」
「こんな家にでも生まれなければ、第三世代の記憶媒体なんてそうそう持っていないさ」
カルテの更新が終わった記憶媒体を読み取り装置から取り外しながら男は言う。
「えっ?何だい?この、人の話を聞かない娘はうちの馬鹿息子と知り合いだったのかい?」
と、店の奥から出てきた女店主が言う。そして男が尋ねる。
「それで…あの後、結局どうなった?」
「シルヴェローナにね、病気を治すメモリーを預けて来たよ」
「そうか―」
「でも、旋毛が頑張れるのはここまで…私はきっと、あの子の傍に居てあげられないから」
「……」
「先生、お願いがあるの。あの子があの子の意思で助かりたいって言って、メモリーを差し出した時は、そうしてあげて―」
「…分かったよ」
旋毛の形式ではない純粋な気持ちと言葉を受けて、男はこれまでシルヴェローナにしてきた事を省みた。そして、ここからは自分の仕事だと小さく頷いた。
「おばさん!これ、旋毛のメモリーを読み取り装置に―」
「アタシも大人だ。おばちゃんも正直厳しいかなーって気もしてた。こっちに寄越しな」
そう言って女店主は読み取り装置を起動させ、預かったメモリーを接続部に差し込んだ。
幾重にも重なり、複雑に絡まってしまった謎をゆっくりと紐解く様に読み取り機が一定の感覚で小さな音を立てる。
それが鳴り止むのと同時に、何件かのデータが一斉に表示された。
旋毛が身を乗り出す。覗き込んだモニターには確かにその様に映っていた。
【ファイル名、人工進化促進研究機関、プロジェクトリーダーの動向】と―
来るべき敵国との戦いに向けて、独自の兵器を開発する事を目的とし起ち上げられた。
しかし、出資者から通達されたプロジェクトの凍結。そして、世界崩壊。
腕型と同様に封印され、瓦礫の下に埋もれていた生体兵器の第四号である旋毛型。
彼女の目的は、自らを産み落とした父親を捜し出す事。
父親の足跡を辿る中で、彼女は一人の病弱な少女と知り合う―
………
件のメモリーに関する騒動は厳格なる請負人、シェフの手によって読み取り装置ごと破壊されたという噂が流れ、すっかり沈静化していた。
張り詰めていた緊張は解かれて、マーケットは普段の様相を取り戻している。
「嬢ちゃん!両手の、こっちのでけえ義手に取り替えねえか?今ならもう一本付けるぜ?」
「どうせ替えるんだったらこっちのが状態も良いしお薦めだ!今ならもう一本付けるよ?」
「こっちも見て行きなって!値段にせよ、質にせよ勝てるものは何にもないが、取り敢えず今ならもう二、三本は付けるよ?」
打ち棄てられた自動人形の端材を両手に抱えた露天商達が次々と売り込みを掛ける。
胡散臭い、いかがわしいと言った表現が良く似合う出店を掻き分けて、小道へと逃げ込む。
マーケットの喧騒から少し離れた場所にその店は在った。
記憶商の入口の前には銀髪の少女が一人、旋毛だ。
腕から受けた研究資料の中にあった第三世代の電子記憶媒体。
その中身は未だに解明されていない。
今度こそは…と意気込み、彼女は店の中へと入った。
店内では手書きの文字が直接書き込まれた無数の電子記憶媒体が乱雑に押し込まれており、この店のスタンスを主張するかの様に犇めき合っていた。
はじめはその様子にいくらか気圧されたが、冷静になってみると別にメモリーを買い付けに来たわけではない。
自分の目的はあくまで中身の閲覧なのだという事を思い出して、旋毛はカウンターに居る店主らしき女性に声を掛けた。
「あっ、おばさん!」
「おっ…おば、さん?…ああ、良いよ。アタシだって大人だ。お姉さんは無理があるって自分でも分かっている。でもね、せめておばちゃんとお呼び」
「おばさん!ここでこのメモリー読み取れる?ねえ、読み取れる?」
店主の注文を汲み取らずに、旋毛は元気に畳み掛ける。
「…お前は人の話を聞かない子だね?大きくなるよ。どれ―これは、第三世代の記憶メディアじゃないかい…」
「これ、貴重なメモリーみたいで…色んなお店を尋ねたんだけど、その度にうちじゃ無理だって言われて…」
「他の店がどうだかは知らないが、ウチは電子記憶媒体専門だからね、難なく読み取れるよ」
「ほんとに!?」
「ほんとさ。伊達にこの仕事続けちゃいないよ。待ってな、直ぐ機械に掛けてやるからね」
そう言って店主は旋毛から受けた電子記憶媒体と読み取り機とを繋ぐ。
中身を掻き回して総ざらいする様に、小さな音が小刻みに何度も装置から発せられる。
解析が終わるまでに少々の時間を要したが、中身は難なく読み取れたようだ。
「これは…写真と、文章データだね。どれ、女の子が写っている。上の方に名前が書いてあるじゃないか…ええと、シル…ヴェ…ローナ?」
(それ、もしかして、ローラの本当の名前?だったらアンジェーリカとエヴァにも…)
「…住まいは第八区画、何だい?此処からそう遠くないじゃないか」
「…え?」
第八区画、その言葉はおかしい―
「ちょっと、ねえ、ちょっと待ってよ!順番が滅茶苦茶だよ!パパの、人工進化促進研究機関の研究は区画整理が起きる前で…!」
「何ワケの分からない事話してんだい。年齢は十三歳で、病状は目立った回復を見せず―か」
旋毛の言う通り、機関の生体兵器の研究は世界崩壊が起きる以前に行われていた事だ。
これが研究資料だと言うのであれば、これまでの話が破綻する事となってしまう。
「…ねえ、最初はグーなのにさ、途中から頭をパーにしたくなる話になってきたね」
「あまり大人をからかうと子供扱いしないよ。こんなメモリーに価値は無いね」
「ええ~…何でこんな事になるのさ?」
この店に入るまでの道中を思い返してみる―
ふと、何か引っ掛かる物があったのか、旋毛は自分の雑嚢を取り出した。
慌てて中身を確認してみると思った通りだ。
中身は彼女の見知らぬ書類や医療器具の類で溢れていた。
道中で、冴えない細身の男とぶつかった時の映像が脳内で再生される。
「…あーっ!アレだ!あの時きっと旋毛の荷物と入れ替わったんだ!」
「…あんだって?」
「うわあ~…マズいよ、急いで取り返さなくちゃ!」
「お待ち!メモリーの閲覧だって無料でやっちゃいないんだよ!何かソレに代わる物を…」
「持って来いって言うんでしょ!後でまた来るから!その…ごめんなさい!」
店主の制止を振り切って旋毛は外へと飛び出した。
この焦りは彼女自身の意志か、それとも…彼女の鮮やかな銀髪が激しく波打つ―
………
差し込んで来る陽の光等では無い、人工的な灯りが部屋全体を照らしている。
見渡すと、大きな窓が目を引くが、それ以外はさして目立った特徴も無い平凡な部屋。
その唯一の窓も、永らく開いた様子も無く、完全に閉ざされてしまっていた。
ベッドに寝たきりの少女と椅子に掛けた白衣の男が一人。
「うん、そうだね。少しずつ良くなってきているよ」
「…そう、なんでしょうか?でしたら、嬉しいのですけど―」
男はそれらしい言葉を淡々と綴り、少女は陰鬱な表情で返す。
二人の間を飛び交う言葉が、ただの形式に成り下がってしまっている場。
お互いがお互いの立場や作用を良く理解し、上滑りをし続けるだけの場。
そんな冷え切ったやり取りの中に突然、ごりっと、何かを抉る様な鈍い音が割り込む。
建物全体が少しばかり揺らいだ後、細々とした埃がそこかしこに降りる。
建物に空いた穴から、ひょっこりと銀髪の少女が飛び出す。
「んーと…記載されてた場所が間違って無ければ、ここの筈なんだけど―」
比喩では無しに割って入って来た旋毛は辺りを見渡し、記憶の中に引っ掛けた男を捜す。
「居たーっ!さっきぶつかった時に入れ替わった旋毛のメモリー、返して貰うよ!」
「君は…一体何をやってくれるんだ!此処には絶対安静の子が居るんだぞ?」
「だって、旋毛が頑張って声出してるのに誰も出て来ないんだもん!あっ、貴方が症状は目立った回復を見せずのシルヴェローナ十三歳?さっきカルテで見たよ。元気ー?」
「がああッ…!!患者に何て事を言うのだろう、この娘は!!」
「先生、別に良いんですよ。私、自分の身体の事なんて自分で何となく分かっています」
身を乗り出そうとした男の白衣をぎゅっと掴んで、少女は続ける。
「私、小さい頃から身体が不自由だったから、もう、その、最初から…諦めているんです」
「……」
「……」
少女の口から出た重々しい言葉。
それを受けて旋毛と細身の男は口を紡いだ。
「旋毛ちゃん…だっけ?良かったら少しだけ、私の話相手になってくれないかな?」
………
「何で態々こんな記憶メディアを使っているのさ?」
旋毛は摺り替わったメモリーを外で待っていた医者に向かって放る。
「…多少古くても、電子制御の方が格好が付く。小物一つで自分のランクってヤツは誤魔化せるんだ」
医者は用意していたかの様な答えを添えて、取り違えていた雑嚢を旋毛に返す。
「ねえ、先生―」
「何だよ?」
「あの子、何時死ぬの―?」
普段の跳ねる様な声ではなく、トーンを落とし、低く絞った声で旋毛が尋ねる。
「そうだな…多分、そろそろ、かな―」
先を言う事を躊躇う様な彼の言葉の運び方が諦めを色濃くする。
「そうなんだ。さっきね、あの子に…シルヴェローナに、死ぬ時は傍に居て欲しいって言われた。綺麗に死ぬトコ、見て欲しいって」
「最後の願い―って事になるのか…どう思ったかは知らないが、そうして貰えると嬉しい」
「ねえ、本当にそれしか出来る事は無いの?」
「藪医者なりに模索はしたさ。でも…僕に出来る事は最期に花を添えるくらいだ」
「…違うよ!」
「えっ?」
「どうして?どうして何かが起きてから優しくするのさ!あの子が欲しかったのは花束なんかじゃないよ!」
「事情も分からない子供が勝手な事を言うな!医療技術のメモリーは僕みたいなのには手も足も出ないんだよ!」
「ふーん…」
旋毛は気のない返事と呆れた表情を浮かべながらも、義手に力を篭めた。
彼女の感情に呼応する様に電流の走る音が何度か繰り返される。
すると、地面を捲って、多方向から幾つもの廃材が勢い良く飛び出す。
そして旋毛の傍にある一点をめがけて集積し、激しく絡み合っていく。
瞬く間にニメートル程の従僕が二体、生成された。
それらは、彼女の義手が形成する特殊な磁場によってその形を維持している。
「旋毛はさ、こういう事が出来るんだ。お医者さんが匙を投げるには早いんじゃないの?」
「な、なっ…何…ちょっと、お前、何だよこれッ!?」
その一連の流れを目の当たりにした医者は尻餅を付いたまま言葉を吐き散らかす。
「モノ扱いしないでよ。こっちが働き屋さんのローラで、これが世話焼きのアンジェーリカ、エヴァは…いつも通り横着者だね」
………
だらしない猫背が一人、それに付く様に歩く、凛とした銀髪の少女が一人。
腕と山猫。二人共紙袋に包まれた荷物を抱えて歩いていた。
日用品の買い出しに向かったマーケットからの帰り道。
「良いか?だからな、書籍や光学ディスク…この際記憶媒体の形態は問わず、最悪な話、切れっ端だって全然構わない。医療技術は高値で捌けるメモリーだとされている」
「…ふうん」
せわしなく語り続ける山猫。最低限の相槌で済ませる腕。
「例えば、俺が記憶商の建物を掴んで逆さにしてみた所で、十中八九見つからない」
「…へえ」
「各所に敷かれたカラクリはこうさ。回収業者共を甘い汁で手懐けて、その区画直営の記憶商が医療技術のメモリーをガメてやがるのさ」
「…そうなの」
「そうなのよ。まあ、商売って奴は大なり小なり命を締め上げる事で利を得ている訳だが、ここまで直球なものも中々無いわなァ…」
「ベラベラダラダラと長ったらしい御高説をどうも。それで、この内の幾つが私に向けた言葉だったのかしら?」
そう言いながら、腕は刃物の様な鋭い目線を突き付ける。それを受けて山猫は答える。
「えぇっと…全部俺が言いたいだけ?」
「殺すわよ?」
………
その夜、雲が月に被さる形で全てを覆い隠す様に深い闇が広がっていた。
旋毛は今、ある記憶商の前に立っている。例の医者から直接聞いた情報。
此処らで出土した医療技術のメモリーはこの店に集約しているのだと彼は言う。
「こういうの絶対間違ってると思う。皆で幸せになれば良い。だから…二人共、お願いっ!」
旋毛がそう言い放つと同時に、二体の従僕が飛び出し夜の闇の中を泳いだ。
二体がかりで頑強な扉に手を掛け、かかっていた錠前ごと扉を力強く引き千切る。
「ローラは前衛、アンジェーリカはバックアップ。いつも通りの陣形で行くよっ!」
重々しい扉を軽々と放り捨てて、旋毛と従僕達は店の中へと侵入して行く。
店内は区画直営の記憶商だという事もあって広かった。
今朝訪れた記憶商とは正に雲泥の差。医療技術のメモリーは症状ごとに細かく分類され、綺麗に収まっていた。
「…ローラ、怪しい動きをするモノは全部叩き潰しちゃっていいからね!」
旋毛の指示を受けたローラは一度だけ静かに頷いて、其処らを徘徊し始めた。
アンジェ―リカも旋毛の周辺に意識を巡らせ警戒している。
じりじりと店の奥へと進んで行く旋毛と二体の従僕。
バリンッ―!
突如、耳に入って来た何かを突き破る音。
慌ててその方向に振り向くとローラがその拳を振り下ろしていた。
足元に散らばるのは無数の硝子の破片。何かが動き回るのを感じたローラが医療器具等はお構い無しに標的を捕らえたようだ。
従僕の手に握られながらも蠢いているのはロープ状の変異生物。
「……」
ローラが無言で旋毛に向けてソレを差し出す。
区画直営の記憶商と言えども、崩壊後の世界は隙間だらけで抜け道には困らない。
小さな命がこの様に迷い込む事は何ら珍しい事ではない。
「…さっきはああは言ったけど、私達の邪魔をしないのだったら逃がしてあげて」
旋毛が命じるままに従僕はその力を緩め、変異生物を入口の方角に向けて放った。
店内を一通り探った所で、従僕達が反応したのは先程の変異生物ぐらいのもので、辺りには目立った障害は無い様に思えた。
(ふう…大丈夫そうかな。病名とかは聞いてるから、後はそれを見つけて抜き取るだけの―)
旋毛が安堵したその時、暗闇の中から彼女の背中をめがけて何かが振り下ろされた。
彼女はそれを知覚する事が出来なかった。
アンジェーリカの介入も間に合わずに凶器は迫り、それは旋毛に容赦無く襲い掛かった。
「あっ…!」
ゴリッという岩を削り取るかの様な鈍い音。
刃物ではなく鈍器が人間を弾きこなす音。
激しい痛みが彼女から正常さを奪う。
人体という容器から溢れる血の熱が更なる動揺を誘う。
旋毛の精神の綻びに伴って形を維持出来なくなった従僕は、その場に崩れ落ちてしまった。
障害の正体は、設定された領域を侵す賊を仕留める番人として配置されていた自動人形。
出土した物のプログラムを技師の手によって組み替えられたものだ。
オブジェクトに偽装していたソレが止めを刺しにゆっくりと旋毛に近付いて行く。
「あ…ああ…」
ローラも、アンジェーリカも、彼女自身の精神がこうも大きく崩れてしまっていては再構築も間に合わない。かろうじて意識はあるのだが、体勢の立て直しが効く状態では無い。
手立てを持たない彼女に、自動人形からの二撃目が無慈悲にも迫る。
それを受けた旋毛はいとも容易く吹き飛ばされ、勢い良く壁に叩き付けられた。
旋毛の思考は徐々にぼやけて、意識は遠のいていく…
視覚は段々と閉じて、最後に残された聴覚だけが自動人形の足音を拾う。
ガチャン、ガチャン―と、金属と金属とが打ち付け合う音。
それとは別に、旋毛の耳に入って来たのは、良く聞き慣れた、あの音だった―
自動人形が旋毛に止めを刺す為に放った一撃―
しかし、それを遮る様に割って入って来たのは一体の従僕の腕。
それは決して働き屋さんのローラでは無い。
ましてや、世話焼きのアンジェーリカでも無い。
生体兵器旋毛型のコンセプトに表記されている最後の従僕、横着者のエヴァ。
司令塔である旋毛を抱えた一体の従僕と、自動人形とが対峙する形。
横着者のエヴァ…先程まで旋毛が使役していた二体の従僕と見た目に大きな差異は無い。
唯一つ、異質な点を挙げるとすれば、旋毛の意思によって生成されていないという事。
自動人形は武器を構えて再び戦闘態勢を取る。
勝てる戦いでも、負けると分かっている戦いでも、続ける事を宿命付けられているからだ。
しかし、目の前の自動人形が取った先程の行動はあくまでも奇襲。
本体である旋毛の狙い撃ちでしかない。
二者が真っ向からぶつかり合った場合、最後に立っているのは一体、どちらか。
暗闇の中でエヴァの眼光の軌跡が激しく揺らいだ。
………
塞いだ穴を再び突き破る鈍い音。
その穴から昨日と同じ様に女の子が元気良く飛び出す。
「やっほー!」
「あっ…旋毛ちゃん、そんな開けたり塞いだりしてくれなくっても…言ってくれればドアを開けるよ?」
「えへへ、立たせても悪いからさ…はいっ!シルヴェローナ、これ、あげるねっ!」
旋毛は彼女に向けて真っ直ぐに手を伸ばし、赤いラインの入った白い記憶媒体を差し出す。
「…これは?」
「へへーっ、これはね、シルヴェローナの病気を治す為のメモリーだよ!」
「…え?」
「…?」
「……」
「……?」
長い沈黙。彼女は旋毛の手からメモリーを受け取ろうとはしなかった。
それどころか、目の前に差し出された記憶媒体を決して認識したくない様にも見えた。
予想を裏切るシルヴェローナの反応に旋毛はキョトンとして、首を傾げる。
「…嬉しく、無いの?」
「旋毛ちゃん…前に話したでしょ?私の病気は小さい頃からどうにもならないって―」
「だから旋毛は、このメモリーを頑張って取ってきたんだよ!治療を受ければ別に治らない病気じゃ…」
「…て?」
シルヴェローナの言葉にこれまで込められなかった色の感情が篭る。
「どうして?私は皆に看取られながら、綺麗に死のうって決めたのに…どうして、そんな余計な事をするの…!」
「えっ…?」
救いの手を、旋毛を突き放す様に彼女が声を荒げる。
「…ちがうよ?旋毛は、旋毛は、決してそんなつもりじゃ…!」
「身体の治療が上手くいった所で、今更他の人達と対等に扱われるだなんて私には無理だよ。とても、耐えられないよ…!」
彼女はどうにもならない現状に絶望していたのと同時に、仮に助かってしまったその先にも果ての無い絶望を見ていた。
彼女は自身の生が積み重ねて来た時間を帳消しにして、綺麗に逃れられる死に唯一の希望を見ていた。
ベッドの上だけの隔離された世界でシルヴェローナは泣きじゃくる。
其処は涙と彼女の中に渦巻く感情で溢れている。
まともになりたいと夢見ていた。しかし、自分にはなれない。決してなれはしないのだ。
こうしてチャンスが目の前に訪れても、私には無理だ。やり通せる自信が欠片も無い。
旋毛はそんなシルヴェローナの感情を汲み取って、彼女をそっと抱きしめた。
「大丈夫。きっと大丈夫だよ―生きる事をやっていくのに攻略本なんて無いけれど、レベルは勝手に上がって行くから―」
………
事を済ませた旋毛はこの区画で最初に訪れた記憶商の所に戻って来ていた。
そこに居たのは一人の顔見知り、シルヴェローナをよく診ていた彼だ。
思ってもいないタイミングでの再会に旋毛は驚く。
「…えっと、世の中って旋毛が思ってるより大分、狭いんだね」
「こんな家にでも生まれなければ、第三世代の記憶媒体なんてそうそう持っていないさ」
カルテの更新が終わった記憶媒体を読み取り装置から取り外しながら男は言う。
「えっ?何だい?この、人の話を聞かない娘はうちの馬鹿息子と知り合いだったのかい?」
と、店の奥から出てきた女店主が言う。そして男が尋ねる。
「それで…あの後、結局どうなった?」
「シルヴェローナにね、病気を治すメモリーを預けて来たよ」
「そうか―」
「でも、旋毛が頑張れるのはここまで…私はきっと、あの子の傍に居てあげられないから」
「……」
「先生、お願いがあるの。あの子があの子の意思で助かりたいって言って、メモリーを差し出した時は、そうしてあげて―」
「…分かったよ」
旋毛の形式ではない純粋な気持ちと言葉を受けて、男はこれまでシルヴェローナにしてきた事を省みた。そして、ここからは自分の仕事だと小さく頷いた。
「おばさん!これ、旋毛のメモリーを読み取り装置に―」
「アタシも大人だ。おばちゃんも正直厳しいかなーって気もしてた。こっちに寄越しな」
そう言って女店主は読み取り装置を起動させ、預かったメモリーを接続部に差し込んだ。
幾重にも重なり、複雑に絡まってしまった謎をゆっくりと紐解く様に読み取り機が一定の感覚で小さな音を立てる。
それが鳴り止むのと同時に、何件かのデータが一斉に表示された。
旋毛が身を乗り出す。覗き込んだモニターには確かにその様に映っていた。
【ファイル名、人工進化促進研究機関、プロジェクトリーダーの動向】と―
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