DEEP NECROMANCY

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Case:6 深遠なる屍術 Ⅰ

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郊外に存在する聖カルム孤児院は教会直属の養護施設である。
そこには世話をする近親者を失った多くの子供達が収容されており、一般社会に出ても差し支えがないようにと施設内で教育が施されている。その中でも特に信心深い者達は教会の人間達の目に留まり、次の世代の子供達への教育係となる事もあった。石膏を用いて板書をする立襟の黒い祭服を纏ったこの神父もその一人である。
「それではリサ、自身の力で解決する事が出来ない障害がさし迫った時はどうする?」
簡素な図を描き終えた所で、彼は後ろに座っている物静かな少女に問いを投げ掛けた。
リサと呼ばれた十代前半の少女は、一度席から立ち上がって答える。
「これまでの復習…という事ですね。生じた問題にもよりますけど、そういった場合は基本的に魔術師達の力を借ります」
「そう、それがこの世界のスタンダードだ。我々教会の人間達が容認しているものが白魔術。使用を一切認めていないものが黒魔術。この二つの明確な違いは?」
「その二つの分類は魔術の系統や分野に依るものでは無く、公共の利益を目的とするものが前者。術者の私利私欲の為に用いられるものが後者です」
神父の質問に対し、リサは一度も躓く事無くテキパキと的確な解答をしてみせた。
その様子を見るなり、神父は彼女に向けて優しく微笑んだ。
「講義の内容を要領良く押さえているな。これなら私が不在の時に他の子供達の教師役を任せられそうだ」
「そんな、神父様の教え方がお上手なだけです…」
「その謙虚な姿勢も素晴らしい」
「私、いずれは神父様とここで一緒に働けたらと考えているのですが…」
「それは楽しみだ。君ほどの才覚があればそう難しい事では―」
「…失礼しますっ!神父様!少しばかりお時間を頂けますか!?」
その声と共に学習室に慌てて駆け込んで来たのは一人のシスターであった。彼女も神父と同じくこの施設で孤児達の教育係を務めている。
しかし、彼女がこういった様子で現れた場合、あまり好い目にあった事はなかった。
かといって蔑ろに扱う訳にもいかない。神父は彼女に場所を移すようにと合図を送る。
空き時間にやる個人授業と、不測の緊急事態を秤にかけたらどちらを優先するかなど考えるまでもない事だ。
「リサ、すまないが続きはまた今度の機会に」
彼は広げた教材をひと纏めにすると、彼女にそう言い残して部屋を出た。
大丈夫です。というリサの返事に後ろ髪を引かれる思いをしたが、神父は急ぎ足で寮舎から少し離れた貯蔵庫へと向かった。
ゆっくりと戸を開くと、先に行かせたシスターが既にその中で待機していた。
「…それで、一体何があったというのだ?」
「神父様、聞いて驚かないで下さいよ?実はその、屍術師を一人、捕らえまして…」
屍術師。その不穏な響きの言葉を耳にするなり、神父の表情は一変して険しいものとなった。
「屍術師、というと…我々が第一級禁戒呪術と定めているあの…!?」
「そうです。死者を生者の様に蘇らせ、生命を思うままに弄ぶというあの屍術師です…!」
「…教会側から課せられていた異端者狩りのノルマはあと何人であったか?」
「単純な頭数だけでいえば残り二人でしたが、その屍術師の罪状を洗い出せば大司教レクス様も私達の功績をお認めになられるかと…」
「そうだな。この聖カルム孤児院の収容人数もとうに限界に達している。一人でも多く異端者共を検挙して優遇して貰わなくては…して、その男はどこに?」
「これまでの異端者達と同じ様に―」
神父はシスターのその一言で全てを理解し、孤児院から離れた場所に在る教会へと向かった。
現在、特に祭儀は行われていない為、建物の内部には誰も居らず辺りは静まりかえっている。
教会の建築というものは原則として十字架を象る。立地によって制限される事もあるが、基本的に西側を入り口とし、東側には聖壇。そして南北を翼廊とする。
この教会は北側に張り出した翼廊の壁の中に隠し通路が設けられていた。U字型に広がったその奥へと歩を進めていくと地下へと繋がる階段が存在する。
一段、また一段と下りる毎に少しずつ地上から遠ざかっていく。そこでは重苦しい湿気と鼻につく独特の異臭が篭っていたが、神父にとっては日常の一部だった。
「これが例の屍術師か…」
地下室に辿り着くなり、彼の目に真っ先に入ってきたものは手足に金属製の錠が掛けられ、磔にされている一人の男だった。
長い黒髪は所々乱れており、顏には殴打された痕が痣となって残っている事から、ここに連れ込まれる間に相当手荒な仕打ちを受けたようだ。
シスターの言葉の通り、彼の服装は黒一色で固められており、異端者、黒魔術師といった分類に相応しいどこまでも広がる深い闇の様な出で立ちをしていた。
年齢は三十代の後半くらいだろうかと見定めていると、彼はゆっくりと口を開いた。
「…この教会の、神父殿とお見受けするが?」
「如何にも。この教区内での異端者狩りは私が先頭に立って執り行っている」
「屍術師と言えど自身を蘇らせる事は出来ない。神の定めた理に背いたこの私を早々に然るべき刑に処して欲しいのだが?」
男の口調はこの状況に反して非常に落ち着いていた。自身の現状を良く理解し、既に諦めの境地に達してしまっているのか、発する言葉からも抵抗する意思は感じられない。
「そうはいかない。これから貴方の罪状を入念に調べ上げて、大司教様に報告しなければならないのだからな。まず君の名前から聞いておこう」
「…ジャック。屍術師ジャック」


………


「神父様?」
「…ああ、すまない。少しばかり潜り過ぎてしまっていたようだ」
リサに呼ばれて、我に返った神父は慌ててテキストへと視線を戻す。
ひどく散乱した文字群が目に入り戸惑っていると、彼女の方から教本の天地が逆である事を指摘された。これでは教師役としての面子が丸潰れである。
この前の埋め合わせにと再びリサとの時間を取ったが、神父は教会の地下室に幽閉したあの屍術師ジャックの事が気掛かりだった。少々手荒な真似をやってみせても決して口を割る事は無く、二言目には最初の様に早く殺してくれと言うだけだ。
上に報告する罪状は多ければ多い程良いが、このままでは埒が開かないと踏んだ神父は教会の人間達を数名ほど動員し、屍術師ジャックについて洗うように指示を出した。
その様に手を打ってから既に一週間が経過している。そろそろ何かしらの成果があってもいいものだが、神父が望むような報せが舞い込んで来る事はなかった。
「また、異端者が見つかったのですか?」
リサは単に物覚えが良いというだけでなく気も回る。この前割り込んで来たシスターの狼狽えぶりから何が起きているのかを察した様だ。
「君が深入りする事ではない」
神父は異端者狩りの先導者ではあったが、彼女をそんな血なまぐさい出来事に巻き込むつもりは当然無かった。その話は早々に切り上げて、半端な所で終わってしまっていたこの前の復習を再開する事にした。
リサは以前と同じ様に、神父が授業の中で言った事を良く憶えていた。それは単に解答というより復唱と言った表現の方が正しいかもしれない。
「…神父様、一つ宜しいですか?」
神父からの設問を幾つかこなした所で、今度はリサが逆に質問を投げ掛けてきた。
「何かね?」
「神父様は公共の利益を目的とするものが白魔術。術者の私利私欲の為に用いられるものが黒魔術だと仰いました」
「確かに。その通りだ」
「…では、この禁戒呪術に分類されるものを公共の利益を目的として使用した場合、一体どちらに分類されるのですか?」
教会で配布されている資料に表記されている禁戒呪術は悪魔を呼び出す召喚術と、悪魔と交わりその絶頂のエネルギーを利用する性魔術、そして死者を生者の様に蘇えらせるという屍術。
それら全ては教会側から黒魔術の指定を受けている。
しかしそれは、黒魔術か白魔術かの分類は魔術の分野に依るものではなく、その用途によって左右されるという大原則と大きく矛盾する。
彼女の指摘は鋭いものだった。神父は暫く言葉を詰まらせた後、ゆっくりとその口を開いた。
「…リサ、教会が指定した禁戒呪術に今更議論の余地など残されてはいない。あれは神の定めた理を悪戯に歪ませるだけで、決して誰かを幸せにする為のものではないのだよ」
「ですが、私は…」
「この話は忘れた方が良い。常に賢く在るという事だけが、賢く生きるという事ではない」
リサには言い掛けた事があるようだったが、会話は神父の言葉によって遮られてしまった。
「…分かりました。今日は、これで失礼します」
「この後の予定は?」
「実はシスターから頼まれ事をされていて、後で教会の方に赴くようにと」
「…そうか。私も大聖堂に顔を出さなくてはならない。ここでお別れだな」


………


大聖堂に辿り着くと大司教レクスが御自ら直々に神父を出迎えた。
レクスは齢五十代程の男で、重ねた法服の上から更に身体全体をゆったりと覆う暗紫色の上祭服カズラを纏っていた。首にはストラを掛けており、左腕から真っ直ぐに下りた腕帛マニプルスには金の十字架が刺繍によって象られている。そして穢れの無い純白の司教冠ミトラを被り、手に握られている綿密な装飾が施された黄金の司教杖バクルスが神々しい輝きを放っていた。
「おお…良く来てくれた。私の可愛いネイヴよ」
ネイヴとは神父の事で、戦災孤児であった彼が大司教レクスから直々に授かった名前である。
当時、レクスの役職は神父でネイヴと同様に聖カルム孤児院で教育係を務めていた。
ネイヴの年齢はまだ二十代の後半であるが、主神とレクスの庇護の下で立派に成長を果たし、今では神父としてかつての彼のポジションに収まったという事になる。
「はい。本日は報告すべき事が一点ございまして…」
「第一級禁戒呪術の使い手である屍術師を一人捕らえたという事なら聞き知っているが?」
これから話を切り出そうとした神父に向けて、レクスの方から予想外の答えが返って来る。
「…既に大司教様の耳に届いておられましたか。私とした事が失礼を働いてしまいました」
彼に頭を下げながらもネイヴは思考を巡らせる。屍術師ジャックの情報が何故こうも筒抜けとなって知れ渡っているのか。屍術師の身辺を洗うように教会の人間を何人か動員したが、こちらに手を回した憶えは無い。
「してネイヴ、その屍術師の処刑は既に執り行ったのかね?」
「いえ、彼の罪状を念入りに洗い出してからでも遅くはないと考え、手を下してはおりません」
「……」
「当教会は異端者師狩りのノルマをあと二人残しておりましたが、件の屍術師の罪状は恐らくそれに匹敵するものかと…」
神父は自身の功績を少しでも押し上げて、聖カルム孤児院に回す予算を優遇して貰おうと考えていたが、大司教レクスは怪訝な表情を浮かべていた。
「ネイヴ―」
レクスが語気を鋭くしてネイヴを指す。いや、この場合は刺すと言った表現の方が正しいだろうか。大司教と神父という立場の差によって彼の言葉は強引に遮られてしまった。
「その屍術師の罪状を調べる必要は無い。君の教区内から見つかったもう一人の異端者は既に始末したのだからな―」
大司教レクスは最後にそう言い残して、礼拝堂から立ち去ってしまった。
もう一人の異端者。ネイヴには腑に落ちない点が幾つも在ったが、その日はそれ以上の謁見は許されなかった。


………


聖カルム孤児院へと戻る前にネイヴは屍術師ジャックの現状を確認しておこうと、教会の地下室へと足を向ける事にした。
普段の様に隠し通路を抜けて地下室へと下りていく。その過程の中で神父は一つの違和感を覚えた。確かに、この地下室はこれまでに検挙してきた黒魔術に手を染めた異端者達を始末してきた処刑場である。通路に異臭が立ち込めているのは何らおかしい事ではない。しかし、その匂いが普段よりも増している様に感じられるのだ。
嫌な予感を抱きながらも、彼は鈍い色をした金属製のハンドルに手を掛けて力を籠める。
「…ッ」
重々しい金属製の扉を開くと、真っ先に自身の目が捉えたのはリサの姿であった。
そうだ。シスターからの頼まれ事を引き受けて、教会に用事があると本人の口から直接聞いていた。何も間違ってはいない。ではこれは何だ。この施設で共に過ごし、良く見慣れた風景の中に居た彼女が、まるで見知らぬ姿へと変わり果てていた。
一体、自分は何を見せられているのか。目に映る事実をそのまま受け止める事が出来ずに、半端な段階のままで思考が停止している。
ネイヴの目には既に事切れてしまった彼女の遺体が映り込んでいる。彼はそれを捉えたまま、小刻みに身を震わせる事しか出来ない。
「もう一人の異端者は既に始末したのだからな―」
謁見の最後に大司教レクスが言い残した言葉が重たく圧し掛かってくる。彼の言う異端者がまさか彼女を指していた等と誰が予測出来るだろうか。
「…屍術師ジャック!!ここで何があったッ!?」
神父は激昂し、繋がれたままの屍術師に近寄ってその胸倉を掴み上げた。
「…信心深い神父殿が部下を使ってやらせた事だと思ったのだが、違うのかね?」
「…ふざけるなッ!!自身の教え子を手に掛ける様な真似を私がする訳がなかろう!?」
興奮するネイヴとは正反対に、ジャックは冷たく起きた事を正確に伝えた。
リサは何人もの教会の人間達によって組み伏せられ、幾重にも重なる暴行を加えられて息を引き取ったと。遺体がこうしてこの場に残されているのは、他の異端者達と同様に後に首を撥ねて衆目に晒し上げる為だろう。
「嘘だッ…!彼女が、リサが一体何をしたというのだッ!?」
「…そうだな。神父殿の言う通り、彼女は何もしてはいない」
「では…?」
「…手を掛けたのは、この私だ」
教会側の人間達のやる調査がここまで進んでしまった以上、口を噤む理由が無くなった屍術師ジャックは話を続けた。
「もう十数年前の事になるが、彼女の出生は、君達の定めた第一級禁戒呪術を用いらなければ成し得なかった」
「な、何を言っている…?」
「私は…彼女の両親から依頼を請けて、一度死んだ母体に屍術を掛けてその命を繋いだのだ」
その事実はネイヴが指示した屍術師ジャックの身辺を調べていく中で発覚した事だった。
つまり彼女は、本来生まれる筈の無かった命という事になる。人が人の命を思う様に操るという神を蔑する行為を教会の人間達が、大司教レクスが許す訳がない。
連中がネイヴに指示を仰ぐ事なく処刑に踏み切ったのは、彼女と親密であった事を配慮して…などという事ではあるまい。
ネイヴは若くして現在のポジションにまで上り詰めた自身の事を快く思わない者が居る事を知っていた。屍術師ジャックの調査に動員した何名かが抜け駆けをしようと大司教レクスに独断で報告を行い、その判断に従ったと見て良いだろう。
「では…貴方が、自身の事を早く殺せとしきりに繰り返したのは…?」
「私の様な屍術師の過去を探れば、彼女と同じ境遇を持った者達が再び屍に還る事も起こり得る。それだけは避けたかった」
「…私には、分からなかったのだ。屍術にその様な使い途がある等と…あれは禁戒呪術だ。神の定理に逆らう黒魔術だ」
「神父殿。黒魔術や白魔術、そして禁戒呪術といった分類がどうして存在するのか考えた事はあるかね?」
「いや…私は教会の人間によって育てられ、これまで教会の人間として尽くしてきた。その線引きについて思案した事などただの一度も無かった」
ネイヴはレクスに教わったその分類を疑う事もなく、時には教師として孤児院の子供達に教え、時には異端者狩りの指導者として黒魔術師達を処罰していた。
「私は各地で償いを重ねていく中でいつしかこう考えるようになった。誰かを救う為に屍術を用いる場合、果たしてそれは後ろ指を指される様なものなのかと、ね」
屍術師ジャックのその言葉から、リサとの最後の授業で投げ掛けられた質問が頭の中で鮮明に蘇る。彼女は自身の出生に関する秘密を知っていたに違いない。自身がいずれ異端者として検挙される事を恐れていた。
「にも拘らず私は、定められた枠組みの中だけで動き、彼女に向き合う事もせずに…」
彼が子供達の暮らしを少しでも良くする為にとやっていた行動は、皮肉にも彼女の死という結末を迎えてしまった。
この場に置き去りにされたリサの遺体へと歩み寄る。変わり果てた姿の彼女と向き合うと遺体の四肢は入念に押し潰されており、心臓を貫かれて殺害されている事が分かる。
ネイヴは涙を流しながらリサの死を悼んだ。衣服を引き千切られ、露わになっている肌を自身の衣服で覆った後、彼は彼女の遺体を抱え上げた。
「何をする心算か?」
「石畳の床は冷たいだろう…?彼女に何もしてやれなかったのだから、せめて、これくらいは」
屍術師ジャックはネイヴのその所作を目に留めてから、暫く思考を巡らせた後、彼に向けて一つの言葉を下ろした。
「神父殿。私の方から、提案があるのだが?」


………


その日の夜、大司教レクスからの伝書がネイヴの元へと届けられ、屍術師ジャックの処刑の日時は明朝に決まった。
場所は例の地下室で、教会の人間達を数名立ち会わせた上で執り行われる事となった。
「さて、屍術師ジャック…最期に何か言い遺す事はあるかね?」
「そうだな…そういえば、神父殿の名前を聞いていなかった」
「…ネイヴだ」
「ネイヴ…そうか、ネイヴか―」
ジャックは神父のその名を耳にした後一瞬だけ、憂いを帯びた表情を浮かべた。
「ではネイヴ。決して外してはくれるなよ?ひと思いにやってくれ―」
「分かっている…」
ネイヴはそう言って懐から回転式拳銃を取り出す。冷たく重い引鉄に指を掛けて屍術師ジャックへと銃口を向ける。しかし彼はさして動じる事もなく、目を閉じてさし迫った死にその身を委ねている。
ネイヴがゆっくりと力を籠めていくと地下室には一人の人間を終わらせる乾いた音が響いた。
これまでに何人もの異端者を葬り去ってきたネイヴの射撃の腕は確かだった。
うなだれているジャックの眉間には確かに鉛弾が炸裂しており、先程まで彼の体内を巡っていた血液は床下に飛び散っていた。
「これで、異端者狩りは目標の数に達しましたね。大司教レクス様もお喜びになられます」
「…そうだな」
「では、神父様。この男と彼女の首を遺体から斬り離して―」
「すまないが、死体の処理は私一人に任せて貰いたい」
ネイヴが遺体に歩み寄ろうとする教会の人間達に直ぐに持ち場へ戻るようにと指示を出した。
「神父様、これは余計な忠告かもしれませぬが…」
その言葉に割り込んで来たのは屍術師ジャックの調査を依頼した彼の同僚であった。
「何かね?」
「まさか、彼女だけに身贔屓をなさるおつもりではありませぬか?」
「そこまで我々の関係を把握しているのなら、この私に気を回すぐらいの真似は出来よう?」
「…分かりました。では、貴方の大司教レクス様への忠誠心をこれで示して頂きましょう」
そう言って彼は厭わしい笑みを浮かべながら、90センチ程の剣をネイヴへと手渡す。
教会の人間達を全て引き払い、この場に残されたのはネイヴと二人の遺体だけとなった。
彼は連中の言う様にまず、リサの遺体から首を斬り離す事にした。
ほんの数日前まで、心を通わせて言葉を交わし合った相手の遺体に手を掛ける。
その様な凶行を自らの手で行わなければならないという事態に眩暈を覚える。
しかし、自身の目的を果たす為にはどうしてもその一線を踏み越えなければならなかった。
剣を振り上げる前に刀身を眺めると、そこにはある詞が刻まれていた。
〝この剣を振り翳す時、我は咎人とがびと永久とこしえの生を祈らむ〟
「私は、彼女を罪人とは思わない。それに、永遠の命など欲する心算は無いが―」
そう言ってネイヴはリサの首元に狙いを定めて、ひと思いに剣を振り下ろした。
彼女の首が身体から離れてゆく様を見届けながらも、ネイヴは屍術師ジャックが持ち掛けてきた二つの提案の事を思い返していた。
その内の一つはリサに再び屍術を掛けて蘇生を試みるという事だった。
しかし、彼女の身体にはあらゆる術式を無力化する烙印が腹部に刻まれていた為、蘇生の難易度は跳ね上がるが首の部分を肉体から斬り離す必要があった。
もう片方の提案は自身がやってきた異端者狩りの真実を知りたくはないかという事だった。
この二つを達する為にジャックはネイヴに屍術の一端を集中して教え込んだ。
それは彼が屍術を執り行うにあたって、最も重要視している部分だった。死人の魂を開き、その記憶に内包されている知識や経験を共有する。これこそが屍術の初歩であり真髄である。
屍術師ジャックは自身が処刑される事でこの場を収めつつ、リサの未来を再び繋ぐ方法をネイヴへと託そうと考えた。
彼に倣った手順の通りに石造りの床に術式を刻んでいく。
少しでも術の成功率を上昇させる為にと術式はジャックの血液で描いた。
一通りの準備を済ませた所で、深く息を吐いて呼吸を整え精神を落ち着かせる。
頭の中に蠢く出来る、出来ないなどと言った軟弱な思考を押し殺して挑む。彼女を蘇生する為にはやるしかないのだ。
「ぐぅッ…ぐおォァッ…!!」
ジャックの提案したこの方法だが、当然ノーリスク且つ安全な策という訳にはいかない。屍術を用いて記憶を引き継ぐという行為は、ありふれた精神力で耐え切れるものではない。
また、幾多の霊魂を開いてきた屍術師の記憶の総量というものは常人のそれを大きく上回る。
ジャックは自身の屍術に関する記憶だけを上手く捉えるようにと口で簡単に説明してみせたが、ネイヴにとってはこれが初めての施術だった。
本来であれば簡素な典礼魔術から初めて、少しずつ慣らしていくという段階を踏んで身体に覚えさせるのだが、今回のケースに限っては引き継ぐ時間も僅かであった為、分の悪い賭けをやらざるを得なかった。
碌に経験を積まない状態で必要な記憶だけを切り取って継承するというのは決して容易な事ではなく、ネイヴの意識の海には絶えずノイズの様な情報の波が次々と流れ込んで来た。
それらは視覚や聴覚、時には触覚にまでアプローチを掛けて来る。人体の処理能力を乗り越えれば廃人と化してしまうだろう。
しかし、ネイヴには理不尽にも剥奪されてしまったリサの生を取り戻すという使命感があった。
それは自身の罪の意識からなるものだが、彼が意識を手放さない理由になった。どの道ここで終わってしまう程度の才であれば、この先彼女を蘇らせる事など到底出来はしないのだ。
そんな彼の想いの強さが、自身が必要とする記憶を引き寄せたのかもしれない。
「…ここより南西に青毛の馬が繋げてある。名前はバロン。各大陸の森の深部には研究室を兼ねた隠れ家が設けてある、か」
ジャックの経験からなる逃走ルートと各地に点在する彼の拠点の位置がネイヴの頭の中に浮かび上がった。そして最後に、ほんの僅かな時間ではあったが、屍術の知識を授けた師の言葉が脳内に直接流れ込んで来た。
「君が既に息絶えていた筈の彼女の遺体をまるで生者の様に扱った事。死人の魂に触れる者として、どうか最後までその心を失わないで欲しい―」
一波乱あったがネイヴの屍術によるジャックの記憶の継承は無事に成功したようだった。
そして、どうして異端者狩りが行われてきたのかも理解出来た。
自身の育ての親同然であった男、大司教レクス。その実態は第一級禁戒呪術を使う魔術師であり、自分以外の人間がそれを扱う事を良しとはしなかった。
彼は自身が教会の人間であるという立場を最大限に利用し、表向きには黒魔術を禁じながらも、掻き集めたそれを束ね自身の力としていた。
全ての図式を理解したネイヴはレクスから授かったロザリオ引き千切ってその場に放り棄てた。そして、手に抱えたままの彼女へと向けて言葉を下ろす。
「こうなってしまった以上、君を親しく呼ぶ資格などこの私に有りはしないな…しかし、エリザベス。私は君を必ず取り戻してみせる」


………


彼が屍術師ジャックの記憶をそのまま継承したとはいえ、エリザベスの蘇生に関する工程の殆どは初めてやる事の連続であった。彼も首だけ残った死体を蘇生させたという経験は無かった為、屍術の基礎理論をなぞりつつも自身で考え応用を加えていく事が求められた。
それはまず、唯一の残された生身である彼女の首に魂を定着させる所から始まった。腐食を避ける為にとネイヴは欠かす事なく彼女に魔力を供給し続けた。
彼女の骨格部分と四肢の設計及び製作に二年の期間を要した。そこから臓器や神経系統の構造を理解して体内に張り巡らせるのに三年。
その間に生じた研究費用は術者として依頼を請け負い、それをこなす事で得た。
研究を進めて行く中で屍術に関してはジャックの記憶に寄りかかる形となったが、必要な知識があればその都度、書物を紐解いて学んだ。
最終的に、全ての部分を繋げ合わせて彼女を形作るのに五年の歳月が掛かった。
張り巡らせた術式に魔力を注ぎ込むと、永らく閉ざれていたままであった彼女の目がゆっくりと開いていく。
「神父…様…?」
死後、彼女が初めて上げた声はか細いものではあったが、確かに生前の記憶を引き継ぎ、目の前にあるものを捉えていた。
しかし、ネイヴは彼女の声から出たその呼び名を否定した。もう神父ではない。そしてあの男の従者でもない。
「神父などここには居ない…私は、屍術師ジャックだ」
「ジャック…」
彼女は起き上がって、辺りを見回した後、自身の腕や脚に目をやる。
それは彼女が孤児院で暮らしていた頃、憧れを抱きながらも自身には縁の無いものだと感じていた、手の込んだデザインの服や靴であった。
「流行りの服はお気に召さなかったかな?」
「だって、私はあの時…」
彼女は最期の記憶を覚えていた。潰された筈の腕や脚が元通りに存在し、自身の意思で動く事に違和感を抱いてしまう。
「こんな事になってまで…今更、着飾る必要なんてあるのかと思って」
「あるとも。一度死んでしまったというくらいで引け目を感じる事などないさ」
「……」
「蘇った君が再び生者の様に振舞う。それこそが私の追い求める理想の屍術だ」
彼は召使ネイヴという役割を棄てて、一人の男ジャックとして彼女の為に生きていく事を決めた。
そして、彼の屍術によって再びその命を繋いだ少女、エリザベス。
二人の深遠なる関係はここから始まる。
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