DEEP NECROMANCY

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Case:1 屍術師ジャック

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薄霧のかかった冷気を帯びた森の中を歩いていると、不意に乾いた音が足元から聞こえた。
軽く視線を落として目を凝らすと、大方の予想を裏切らずに、自身の足で踏み潰した動物の骨が砕けて散らばっている。
これで一体何度目になるのだろうか。森の奥へと歩を進める程、地面に転がっている白骨の数は増している様だった。
「…あまり気分の良いものではないな」
彼の独り言に重なる様に、前を歩く大男から品の無い大声が上がる。
「しかし旦那ァ!?こんな薄っ気味の悪い所に本当に人なんて住んでるんですかねェ…!?」
態度には些か難があるものの、その男の言う事はさほど的を外してはいない。
こんな辺鄙へんぴな場所に居を構えようと考えるのは、余程の変わり者だろう。
しかし、彼が今探し求めているのはその常軌を逸した変わり者なのだ。
「街で得た情報ではこの付近だと聞いている。前金を多めに渡している以上、無駄口を叩くな」
人目を忍んで朝早くから最寄りの港街ウィックエイユを発った二人が、奥へ、奥へと歩を進めているこの場所は、近隣の住民達も恐れて踏み込まない昏黒の森の深部に当たる。
昏黒の森。この地に密集して生い茂る常緑針葉樹を遠くから眺めると、まるで出口の無い暗闇がどこまでも広がっているかの様に見える事から、そう呼ばれている。
そんな人の寄りつかぬ地に踏み込んだ二人の男の身なりは対照的だ。
分かり易く表すならば、身綺麗に着飾った紳士と血の気の多い荒くれ者と言った所。
紳士は最低限の軽装程度に留まっているのだが、大男の方は道を切り拓く為に幾つかの装備と、150センチ程の縦長の荷物を背負っている。
そして先程から交わし合っているやり取りから察するに、二人の関係は使う側の人間と、使われる側の人間であるという事が良く分かる。
どちらが使う側で、どちらが使われる側なのかは態々記すまでもないだろう。
「確かに口留め料と前金はたっぷり貰ったがよ!それにしたって人使いの荒いこってさァ!」
男は雇い主にわざと見せつける様に、背負っていた荷物を地べたに向けて強く振り下ろした。
勢い良く叩きつけられたそれが大きな音を上げた事から、中身はそれなりの重量を持った代物である事が窺える。
「…積み荷は丁重に扱えと契約書に記しておいた筈だ。私のやり方が不服だというのであれば、残りの報酬は渡さんぞ?」
「チッ、ちょっと休憩を取ったくらいでガタガタ抜かされちゃたまらねえなァ!」
そう吐き捨てた後、大男は不満そうに荷物を背負い直して再び歩き始めた。
金銭は人を繋ぎ留めておく為の確かな重しになるが、肝心の目的地がいつまで経っても見えて来ない事から、その効力は次第に揺らぎを見せ始めていた。
例の噂話はやはり眉唾だったのだろうか。無駄足という結果で終わってしまうという事態だけは避けたかったものだが、ここは一度街に引き返して…
そんな後ろ向きな考えが脳裏を掠めたその時だった。辺りにかかっていた白い霧は不自然なくらいに晴れて、彼等二人の目には二階建ての建物が鮮明に映し出された。
外装はこの森に良く馴染む黒一色で塗り固められており、その配色からは非常に陰鬱な印象を受けるが、建物の造り自体はしっかりとしているようだった。
「もしかして、ここが…?」
「ヘへッ、ようやく旦那の探し物が見つかったってワケかよ!?」
先程からやっている様に、まずは大男を先に行かせて様子を見るのだが、特別何かが起きるといった事は無さそうだった。
建物の傍に立っても人の気配は感じられず、異様なまでに静まりかえっている事が気に掛かるが、その違和感に対してはこうして門戸を叩く事で納得する答えが得られるだろう。
紳士が目の前のドアを三回程軽く叩いてノックをする。しかし、返って来る言葉は無い。
埒が開かないと踏んだ彼が、ドアハンドルに手を掛けようとしたその時だった。
ギッ…と、一度だけ鳴ったその小さな音を追いかける様に、軋む音を立てながらゆっくりと開いたドアから一人の女性が顔を覗かせる。
年齢は二十歳に差し掛かる少し手前くらいといった所だろうか。上背は160センチの半ばで、手足は非常に細く、全体的にスラッとした華奢な印象を受ける。
さらりとした鮮やかな銀色の長髪を、双方で対となる様にリボンで縛って下ろしており、前髪の隙間からはトルコ石に似たグリーニッシュブルーの瞳が覗く。
雪が降り積もって出来た様な真っ白な肌の上から、黒をベースとした衣服を着用し、純白のエプロンを重ねる形。使用人の容姿としてはそう珍しくはない。強いて言うならば、白十字を切った黒色の看護帽を被っている事が多少目を引くくらいか。
「お客、様…?」
彼女の端正な顔立ちからは一見冷淡な印象を受けるのだが、その口から発せられたのは、断続的なたどたどしい声であった。
「…そういう事になる。一度死んでしまった人間を蘇らせるという、屍術師ジャックの噂を聞きつけて、我々はここまで来たのだ」



………



癖のある喋り方をする使用人に通されたのは、客間のようだった。
「そこに掛けて、待っていて」
そう言って彼女は五、六人は問題無く座れるくらいの、向かい合う様に配置されたソファへと客人を案内する。
「これから、ジャックを、呼んで来るので―」
途切れ途切れの声を残して、彼女はその場を離れた。大男が耳を立てて使用人のヒールの音が遠のいたのを確認するなり、彼は紳士に向けて下卑た笑みを浮かべた。
「へっ、へへへ…美人な事に変わりは無えけど、どうにも生気の無い女だったなァ?あんな愛想に欠けるのを客に向ける顔として雇っているようじゃここの主人とやらも…」
「…私に同じ事を二度言わせるつもりか?これ以上無駄口を叩くなと伝えた筈だが?」
「当然、旦那の注文は良く分かっていますってば!ただね、俺は見た事や感じた事を…ありのままを言いたかったってだけでさァ?」
「それを止めろと言っているのがまだ分からんのか?肝心の屍術師の機嫌を損ねてしまったら、一体どうするつもり―」
「彼女に、エリザベスに何か不手際でも―?」
突如として背後から耳に入って来たのは、二人の男を纏めて突き刺す様な低音の声。
声の主の方へと振り向くと、先程の使用人よりも些か長身の男が、切れ長の目を向けてこちらを冷たく見下ろしている。
男の顔色自体は冴えないのだが、その容貌はエリザベスと呼ばれた彼女と同様に、非常に整った顔立ちをしていた。
そして彼の纏っている礼服や外套、頭髪や瞳の色。それら全てが黒一色で統一されており、その出で立ちはまるでどこまでも広がる深い闇の様だった。
それは、表層的な外見の事だけを述べている訳ではない。
彼の発しているありふれた日常を生きていく中では決して身に纏う事の出来ない底知れない霊気オーラに、今にも呑み込まれてしまいそうなのだ。
その事から彼が直接名乗らずとも、二人にはこの男が屍術師ジャックである事が分かった。
「いえ、滅相も無い。失礼を働いてしまったのは寧ろ私の従者の方でして…」
「自身に奉仕させる従者は良く吟味するべきだ。主人の品格まで疑われる事になるのだからな」
ジャックは重々しい声でそう告げて、紳士の隣に掛けている大男を睨め付ける。
「ちょっと待て、この俺がこいつの従者だァ…?」
「はっ、はい。屍術師様の、ジャック様の仰る通りで御座います。ほれっ、お前も偉そうに投げ出している足をしまって早々と頭を下げろ」
「何で俺が…?わ、分かったよ。分かりましたよォ、下げりゃあいいんでしょう…」
「…して客人。遠路はるばるこんな所にまで御足労な事だが、一体何用か?」
「良くぞ聞いて下さいました、私は交易商をやっているオズワードと申します。実は…死人を一人、蘇らせて欲しいのです」
オズワードと名乗った紳士が話を切り出すのだが、それに対して屍術師ジャックが間髪を容れずに言葉を返した。
「それは、屍術が教会の定めた黒魔術に分類されると知った上での依頼かね?」
この世界では常人の力ではどうする事も出来ない問題が差し迫った時、魔術師の力を借りるのがスタンダードである。大規模な自然災害に対し、魔術を用いて被害を最小限に留めた…などといった事例は枚挙に暇が無い。
しかし、ジャックが専門分野とし、日夜研究に明け暮れている屍術は、生命を術者の意のままに操るという神が定めた理に逆らうものだ。
その事から屍術は、第一級禁戒呪術に指定されており、使用が発覚すれば教会の人間達から処罰を受ける。
ジャックはオズワードの覚悟のほどを測っている。張り詰めた空気の中で彼はごくりと息を呑んだ後、ゆっくりとその口を開いた。
「…はい。ここを訪れる前に幾許か調べ物をしましたので。その点に関しては良く存じております。しかし、それでも、私には失ったモノを取り戻したいという強い想いがあるのです」
「ふむ、では蘇らせるのはそこに立てかけてある荷物の中身…という事で宜しいか?」
「流石屍術師様。目ざとい上に話が早くて助かります。おい―」
紳士の一声で、大男は荷物を包み込んでいる幾重にも重なった布を強引に引き剥がすと、その中身をジャックの方へと向けた。
厳重に梱包されていたのは一人の少女の遺体であった。年齢は察するに十代の前半。
オズワードは死人であるこの娘、早くに両親を亡くしてしまったアメルダの面倒を幼い頃からずっと見てきたのだという。
「金に糸目はつけません。どうか、不慮の事故で命を落としてしまった彼女を是非、貴方様の屍術で蘇らせてやって欲しいのです…」
「美しい…無垢プリスティンか」
ジャックは紳士が提示する報酬にさして興味を抱く事も無く、少女の遺体を確認するや否やその様に呟いた。
「あぁン?プ…プリ…?プリス…何だってェ!?」
まるで聞き覚えの無い屍術師の言葉に大男は戸惑い、声を荒げる。
「そうだな。浅学な君にはとても理解が追いつかず、三日ほど経てばこの私の話など忘れてしまう事だろうが、無垢プリスティンは最も蘇らせ易い最高ランクの死体を指す言葉だ。奇妙な表現になるが、死んで間もない活きの良い死体―」
「という事は、この依頼…請けて頂けるのですね!?」
蘇らせ易い、最高ランクという響きの良い言葉を受けて、オズワードの表情は緩む。
「請けよう。所定の金額さえ頂けるのであれば、そう難しくはない話だ」
浮足立っている紳士とは対極的に、屍術師ジャックは普段の調子を崩す事も無く、落ち着きのある澄ました口調で答えた。
「失礼、します―」
オズワードがジャックに持ちかけた話がある程度纏まった所で、人数分の飲み物を持ったエリザベスが、タイミング良く客間に入って来た。
「…しかし、こうして貴方に依頼を出した今でも疑っているのですよ。一度死んだ人間が蘇るなどという事が、本当にあるのかと…」
紳士はそう言って、目の前に出されたカップを持ち上げて、その中身を口に含んだ。
「私は出来る、出来ないといった互いに水を掛け合う議論に興じる時間を持ち合わせてはいない。今、貴方に紅茶を淹れたエリザベスは私が屍術で蘇らせたのだ」
「ぶふぉァッ…!?」
ジャックのその言葉を聞いた紳士は、驚きのあまりに吹き出しそうになるのを必死に堪えた為か、妙な声を上げた。
「屍術師であるこの私が死人を蘇らせる事に何か問題でも?彼女には私の身の回りの世話を全て任せている」
「担当区分、炊事、洗濯、掃除…その他、依頼に関する雑務全般」
主人の紹介に応じる様に、従者エリザベスは自身の役割を淡々と告げた。
「選ぶ言葉が硬過ぎる傾向はあるが、御蔭で揉め事を起こさずに済んでいる」
そう言ってジャックは再び紳士の隣に掛けている、大男に目をやる。
紳士からも視線を向けられてどうにも居心地の悪い彼は、手元に置かれていた紅茶を当て付けがましく、がぶがぶと一気に飲み干した。
「失礼、しました」
エリザベスは客人へのもてなしを一通り済ませると、深々と頭を下げて客間から退室した。
「ところで屍術師様、依頼書の詳しい内容はご確認頂けましたか?」
「一通り目を通させて貰った。それでは、彼女の蘇生は一週間後に開かれるパーティには必ず間に合わせるという事で―」
束ねられた依頼書の最後の一枚を捲り終えた後、屍術師ジャックは依頼人であるオズワードをけみするように眺めた。



………



「バロン、御願い」
エリザベスがそう言葉を向けて手綱を握ると、青毛の馬バロンは馬車を引いて、港街ウィックエイユの中心部にあるオズワードの屋敷を目指した。
オズワードから受け取った依頼書には、彼女の身柄を引き渡すのはパーティの当日だと記されていた。
ジャックはエリザベスと蘇ったアメルダを連れて、彼の屋敷を訪ねると応接室へと通された。
「遅くなりましたが、依頼された通り彼女の蘇生に成功しました」
生前の頃とまるで遜色の無い姿をしているアメルダを見るなり、オズワードは早足で彼女へと駆け寄った。
「おお、アメルダ!この私が分かるか?私だ。オズワードだ」
「…はい。オズワード様」
目の前に立つオズワードの姿を視覚で捉え、認識したアメルダがその様に言葉を返す。
「アメルダ、君は今日のパーティで非常に重大な役割を担っているのだ。この私に惜しみ無い協力をしてくれるな?」
「…はい。オズワード様」
蘇生したアメルダからは一切の感情の動きを感じ取る事が出来ない。彼女はオズワードから向けられた言葉をそのまま肯定し、ただ頷くだけだ。
「はっ、はははッ!!成程、これが屍術というものか。素晴らしい。彼女のこの在り様はこの私が望んだ通りではないか…!」
「私はプロの屍術師だ。金額に見合った処置を施したというだけの事」
ジャックが依頼人へと向けて、含みのある笑みを浮かべると、それに応える様にオズワードの口角も上がった。
「ありがとうございます。では約束の報酬と、これはパーティの招待状になりますので…是非、貴方方も参加なさって下さい」
「確かに。では、パーティの方は特等席で楽しませて貰うとしよう―」
そう言い残しジャックは漆黒の外套を翻して、オズワードとアメルダの二人に背を向けてその場から離れた。
二人分の招待状を切って受付を済ませると、パーティの会場である大ホールへと通された。
ジャックはパーティの会場に足を踏み入れるなり、ラウンドテーブルの上に広げられた様々な料理に魅了された。
「メルルーサのポワレか…ふむ、こちらがマカレルのエスカベッシュ。そしてこちらが…」
円卓の上には、一通りの華やかな料理と、アルコールを含む飲料が揃っていたが、彼の興味はある一つの分類だけに絞られているようだった。
「ジャック、さっきから、全部魚料理」
取り皿に盛り付けた料理の偏り具合を目の当たりにしたエリザベスがすかさず指摘をする。
「ちゃんと、バランス良く、食べて」
「滅多に無い機会だ。突き抜けてみるのも一興だと思わないかね?」
「割と、いつも、そう」
「…ふむ、そうだったか?改めよう」
改まった事など一度も無いので、エリザベスはジャックの皿に自らが取って来た肉料理を取り分けたり、サラダを添えたりなどした。
少食ゆえに一度皿を空けただけで満足してしまったのか、彼の興味は振る舞われた料理から、この会場全体へと移っていた。
目を凝らすと、普段からオズワードと親交を持つ顔ぶれが集まっているようだった。
皆先程のオズワードの様に背広に身を包んでおり、着崩した格好をしている者など誰一人として居ない。彼と同じ上流階級に属する商売仲間達である。
交易商というものはこれくらいの規模の人間関係を構築していなくては務まらないのだろう。
しかし、彼は幼少の頃から面倒を見ていたとはいえ、血を分けた肉親ではないアメルダを蘇らせる事に、何故あそこまで拘ったのか。どうしてこんな大掛かりなパーティを開催したのか。
今からその真相が、彼の本性が、このパーティに参加した者達全員に知れ渡る事となる。
「皆様、本日は私共が開催した祝宴にご参加頂き、誠に有難う御座います」
会場に姿を見せるなり壇上へ上がったオズワードが、集まった者達に向けて深々と頭を下げる。
「おや、アメルダ嬢の姿も見えるじゃないか」
「オズワードから彼女はここ数週間、病床に伏していたと聞かされていたが…」
「良いかアメルダ。ここから先は私に言われた通りに続けるのだ」
屍術師ジャックが施した彼女への処置は、依頼書の通り完璧だと確信しているオズワードが、アメルダの耳元で囁く。
「まずこの書面に書いてある通り、君と私の名前が入った新事業を起こすという事を皆に向けて発表する。何かを始める前に一度区切りを付ける。とても大事な事だ」
「…はい、オズワード様」
「そして、君の両親が残した遺産全てをこの新事業に寄付すると続けるのだ」
「…はい、オズワード様」
抜け殻の様なアメルダから、先程と同様の反応が返って来る。彼女の挙動を再確認し、自身の思う通りに事が運ぶという確信を得たオズワードは、一瞬だけ表情を歪ませた。
「私の旧友の忘れ形見でもあるアメルダ嬢から、皆様に伝えなければならない事があります」
オズワードはそう言って一歩下がり、アメルダを観衆の前に出した。
「それでは皆様、聞いて下さい。オズワード様はとても素敵な御方です。早くに両親を亡くしたこの私の面倒を小さい頃から見て下さいました」
皆は彼女の言葉をその響きの通りに受け取って頷いているのだが、オズワードにとってそれは正に、怖気の走る想定外の事態であった。
アメルダが自らの意思で言葉を組み立てて話をしている…屍術師ジャックに依頼した内容と、実際の彼女の挙動が食い違っている。
「しかし、とても悲しい事ですが…正しくは素敵な御方だったと言い換えざるを得ません」
「アメルダッ!?止めないか!!これ以上は―」
オズワードの虚偽を引き剥がし、暴き立てるアメルダの言葉は止まらない。真実へと向かってその勢いを増していくばかりだ。
「私は、一週間前…資金の援助を拒否した為に彼の手で、殺害されたのです」
一見羽振りが良い様に見えたオズワードの事業は完全に行き詰っていた。
以前から書類を偽造し、アメルダの両親の遺産に手を付けていたのだが、少額を充てたくらいでは焼け石に水を掛ける様な真似でしかなかった。
彼の事業に本格的な危機が迫ったのが一週間前、アメルダに資金援助の話を持ち掛けたのだが、彼女はオズワードが以前からやっていた事を知っており、その首を縦に振る事は無かった。
事が思い通りに進まないとなると、オズワードは刃物を突き付けてアメルダを脅迫し、強引に話を進めようとした。
そこでオズワードは力加減を誤り、不意に彼女を殺害してしまったのだ。アメルダの放った言葉、明かされた真相によって会場全体が大きくざわめく。
「オズワード!これは一体どういう事かね!?」
「アメルダの言っている事が本当なら、殺された筈の彼女が何故生きているのだッ!!」
「皆さん、落ち着いて下さい!不慮の事故でアメルダは確かに生死の境を彷徨いましたが…彼女はある屍術師の力によって蘇ったのです!!」
人々が押し寄せ、揉みくちゃにされる中で、オズワードは客人として招いたジャックを指差そうとした。しかし、その姿はエリザベスと共に既に会場から消え去ってしまっていた。
「貴様、言うに事欠いて何てデタラメを…!」
「黒魔術に手を染めるなど、教会の人間に事が知れればどうなるか分かっているだろうに…」
オズワードを非難する声は勢いを増して強まっていくのだが、それらを遮る様にアメルダは大きな声を上げた。
「皆様、どうか気をお静めになって下さい!オズワード様の言っている事は決して出まかせなどではなく事実です。けれど、屍術は私を一時的に蘇らせるだけのもので、彼の犯した罪が消える訳ではありません」
「……」
「そして、私がこの場に立ったのは、悪戯に彼を糾弾する為ではありません…オズワード様はとても素敵な御方です。早くに両親を亡くしたこの私の面倒を小さい頃から見て下さいました…だからこそ、だからこそ罪を償って欲しいのです―」
「…アメルダ嬢ッ!?」
助けに入った紳士達の手が届く前に、アメルダは全身の力を失ったかの様に身を崩した。
オズワードが、真っ先にアメルダの元へと駆け寄って彼女の身体を優しく抱きかかえると、アメルダは生前の頃と相違の無い、慈愛に満ちた表情を彼へと向けた。
「オ、オズワード、様…」
アメルダが途切れ途切れの言葉を掛けながら、彼の頬をそっと優しく撫でる。
「貴方は…まだ、まだ、やり直す事が出来ます、だから―」
彼女の声が弱々しくなっていくにつれて、その手はオズワードの元を離れ、石造りの床に下りてしまった。アメルダが自らの意思で意識を手放すと、体内を巡っていた魔力は解き放たれて彼女は再び息を引き取った。
「アメルダ、すまなかった…こんな事になってしまうまで、君と向き合う事が出来ず、本当にすまなかった…」
アメルダが軽々しく彼に資金の援助を行わなかったのは事業の存続に追われる彼ではなく、自分が幼かった頃の、あの頃のオズワードに戻って欲しいという強い想いからだった。
商売で相手を喰い殺す事が出来ず、自分が喰い散らかされてしまうくらいには、オズワードは商才に欠ける優しい男だったのだ。
「オズワード、黒魔術に手を染めた事に関してはここに居る我々全員が目を瞑ろう。しかし、君が彼女の為にやらなくてはいけない事は皆まで言わずとも分かるな?」
「…分かっている。これ以上アメルダの気持ちを裏切るつもりは無い。法の裁きに則って然るべき罰を受けよう」



………



受け取った報酬の入った鞄をエリザベスに持たせて、ジャックは馬車を停めた場所へと向かおうとしていた。
すると、見覚えのある男が目の前に立っている事に気が付いた。
「確か、オズワードの…?私は君に用は無いのだがな」
「実はもう一通、地獄行きの招待状ってヤツを受け取って貰いたくってねェ?」
大男はジャックに向かってその様に言葉を向けると、背中に掛けている刃渡り50センチ程の大型の山刀マシェットを引き抜く。
オズワードがああなってしまってはまともに報酬を受け取れないと踏んだ彼は、ジャックから金銭を強奪する事を思いついたようだ。
「…ふむ、招待状ときたか」
ジャックは大男のやる事にさして驚きもせず、わざと考え込む様な素振りをしてみせた。
「あァン?テメェ、何のつもりだァ!?これがどういう状況だか分かってんのかァ!?」
「いや、なに…君がその様な洒落た言い回しを思いつく機知に富んでいるとは到底思えないのだが、それは飼い主に仕込まれた鳴き声を繰り返すという一芸かね?」
「ぐっ…がっ…この野郎ォ!!ふざけやがって!!」
力任せに振り下された大男の凶刃が、空を切って猛スピードでジャックの首元を目指す。
勢い良く叩きつけられた刀身は、肉を引き裂いて強引に突き進み、体内を侵していく。
しかし、山刀によって斬りつけられたのはジャックではない。
間一髪の所で割り込み、主人を護ったのは、従者エリザベスの白くか細い右腕であった。
体内に張り巡らされた人工の血管は破綻を引き起こし、徐々に滲み出していく赤い血が純白のロンググローブを浸食してゆく。
「…ッ!?このアマッ!!」
「担当区分の再確認、炊事、洗濯、掃除、暴力―」
「言った筈だ。彼女には私の身の回りの世話を全て任せている、と」
「ぐっ…」
エリザベスの骨格部分フレームに食い込み、押し込む事も、逃がす事も出来なくなってしまった得物に構っていると、捲れ上がった彼女のスカートから覗く、白い布地が視界に入ってきた。
大男がそれに目を奪われてしまったのも束の間、エリザベスの脚によって繰り出された鋭い一撃が、彼の秘部を力強く蹴り上げる。
「おうッ…!?」
雷鳴が身体を走り抜ける様な堪え難い激痛に襲われて、彼は大きく態勢を崩した。
そこにジャックが近寄って、回転式拳銃の銃口を大男のこめかみへと押し付ける。
「へっ…へへへ、旦那ァ?そんな物騒なナニを取り出して一体、どうするつもりでさァ?」
「安心し給え。君を蘇らせる心算つもりは無い」
そう言い放つのと共に彼が引鉄を引くと、銃声よりも遥かに小さな撃鉄の音が微かに響いた。
「……」
それを境にして、先程まで喧しかった大男の声はぴたりと止んでしまった。
「気を、失ったみたい」
手持ちの手巾で腕を縛って応急処置を施しながら、エリザベスがジャックへと話し掛ける。
「ふむ、空砲であったのだが、図体に反して肝は小さかったようだ。先を急ごう」
「ジャック、アメルダには、どうして、あそこまでしたの?」
「依頼人、オズワードからは口止め料を含めた所定の金額以上の予算が下りた。彼女にはその額に見合った最上級の処置を施しただけの事」
「途中まで、彼の要望に、沿ったのは?」
「私のやる屍術をただの人形遊びと見た紳士への腹いせ…と言いたい所だが、屍術を通じて彼女の魂を開いた時に視えたのだ」
「…アメルダが、ずっと、抱えていた、気持ち?」
「そう、私は屍術師として生前の彼女の意思を尊重したというだけの事さ―」
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