囚われの皇妃の回想【完結】

津籠睦月

文字の大きさ
上 下
10 / 10

Epilogue 囚われの皇妃は絶望の中で

しおりを挟む
「……何故なぜ、このようなことに……」
 閉ざされた塔の中、フィオレンジーヌは答えの出ない自問自答を続けていた。
 結婚してからの数年、彼女は自らの幸せを全くうたがっていなかった。
 夫は他の誰かに目をうつすこともなく彼女だけを愛し、この上なく大切にあつかってくれた。妃として彼とならび立つ身分となったフィオレンジーヌは、それまで身分差ゆえにあったへだたりも無くし、さらに親密にベルージュリオと距離きょりめていった。全てが上手くいっているように思っていた。
 だが、その関係はいつの間にかほころび、いびつねじれていた。
 
「待て、リオ!何のゆえあって財務長官を罷免ひめんなどするのだ!?」
「あの男はお前をねらっている。皇帝たるこの私がどれほど皇妃を愛しているかを知りながら、その妃をうばおうとたくらんでいるのだ。立派な背信はいしんであろう?」
「何の証拠しょうこも無くそのようなことを……!皇帝がそんな私情しじょう人事じんじを動かしてどうする!」
「……かばうのか?お前も満更まんざらではなかったということか?皇妃の座と私の愛だけではりぬと言うのか……?」
「何を馬鹿なことを……。目をませ、リオ!」
 
 ある時からベルージュリオは、フィオレンジーヌと少しでもしたしくする男を、王宮から排除はいじょしようとするようになった。
 フィオレンジーヌや他の重臣たちが必死に説得し、めさせるが、今度はフィオレンジーヌを他の男に一切近づけさせないようになった。
 皇妃としての公務もままならず、フィオレンジーヌはしばらく鬱屈うっくつした日々を送っていたが、妊娠にんしん発覚はっかくを機に気持ちをあらためる。せめて我が子を立派な次期皇帝に育て上げようと、心血しんけつそそぐようになったのだ。
 しかし、そのことがベルージュリオの心をさらにゆがませることとなる。
 
「お前は結局、次期皇帝の母親になりたかっただけなのだな。子が生まれれば私のことなど、もうどうでも良いということか。だが、お前は皇子の母である前に、私の妃だ。私から目をらすことなどゆるさぬ……!」
ちがう!あの子はまだ幼いから、目をはなせないだけだ!決して貴方あなたないがしろにしていたわけでは……」
「口だけならば何とでも言える。言葉だけを信じることなどできぬ。だから、フィオレンジーヌ……お前の目に、私しか映らぬようにしてやろう」
 そう告げるベルージュリオの瞳には狂気の色がらめいていた。
 
 そのままフィオレンジーヌは塔の中へと幽閉された。
 世話係の侍女じじょとベルージュリオ以外はおとずれることのない、宮殿の奥深くの寒々さむざむとした塔の中に……。
 
「……そうか。クリスティアーノはまだ立太子りったいしも受けさせてもらえぬままか……」
 手の中の小さな紙片しへんに目を落とし、フィオレンジーヌはひとりごちる。
 囚われの身とはなったが、弟のヴィオランドやジリアーティの派閥はばつに属する者たちが、侍女や差し入れの品をかいして外の情報をとどけてくれる。彼女にとって一番の関心事かんしんじは、生き別れとなった一人息子のことだった。
「クリスティアーノ……。もうだいぶ、大きくなったであろうな……」
 国の現状はかんばしくない。皇帝ベルージュリオは政治への興味を失い、臣下の勝手を許しているし、次期皇帝であるはずの皇子クリスティアーノはいまだ正式に皇太子と認められてすらいない。そして皇妃の幽閉ゆうへいに不満と不信を持つ者が多数……。
 ヴィオランドはいざとなれば軍部の力でクーデターを起こし、フィオレンジーヌを救い出すとまで言っている。
「……国を乱す皇帝は、排除されねばならぬ。ジリアーティ家の教育方針からすれば、それが "正解" なのだろうな……」
 フィオレンジーヌはつぶやき、読み終わった紙片を暖炉だんろの火に投じる。小さな紙切れはあっと言う間に燃えきて無くなった。
「……ほぅ。さすがはフィオレンジーヌ様。このような状況にあってもなおみずからの運命をあきらめておられない」
 とびらの外から聞こえてきた声に、フィオレンジーヌはハッとして立ち上がった。
「まさか……ハミントンきょう!? 馬鹿な!リオが他の男の塔への侵入しんにゅうを許すなど……」
 閉ざされた扉にけ寄り、監視かんし用ののぞき窓を内側から開けると、ハミントンは以前によく見た嫌味いやみな笑顔でこちらを見つめていた。
じゃの道はへびというものでして……私にもいろいろとツテがあるのですよ。このことは皇帝陛下にはどうぞご内密ないみつに。の侵入などバレては、見張りの兵が殺されてしまいますからね」
「どうして、ここに……」
「……そうですね。懺悔ざんげとでも言うのが一番しっくり来ますかね……。何もかさぬままと言うのは、どうにも罪悪感にいたたまれなくなりまして……」
 懺悔ざんげと言いながらも、男の口調くちょうはあくまでも軽い。わけも分からず呆然ぼうぜんとしたままのフィオレンジーヌに、男は勝手に語り始める。
「ベルージュリオ様は実に素直で無垢むく御方おかたでした。そして貴女あなたのことを心から愛していらっしゃる。貴女の御目おめは正しかった。あのような御方であれば、妻をおのれ従属物じゅうぞくぶつのようにあつか横暴おうぼうな男などより、よほど女性は幸せになれることでしょう。……あくまであのままお育ちになっていれば、のことですが」
「……何が言いたい?」
 問いながら、フィオレンジーヌの胸に不穏ふおんな予感が渦巻うずまく。「まさか……」という思いがいてくる。
「他人の言うことを何でも素直に受け入れる世間せけん知らずな皇子おうじ様……そのお耳に、悪意や疑惑ぎわくを吹き込んだらどうなると思われます?」
 フィオレンジーヌの目が愕然がくぜんひらかれる。その顔から血のが引く。
「まさか……お前が……?」
「ええ。まぁ、私が直接吹き込んだわけではありませんがね。あの方は実に見事みごとやみまってくださいましたよ。真綿まわたが水をうように、その心に真っ黒な感情を吸って……ね。貴女はあの方に素直で無垢なままいて欲しかったのでしょうね。ですが、最低限、他人を疑うすべは教えて差し上げるべきだった」
貴様きさま……っ!何が狙いだ!?」
「狙い?私自身に狙いなどありませんよ。全ては神々によりあらかじめ定められていたことです」
 そう言い、ハミントンは一瞬遠い目をした。
「貴女は、かつてこの地にいたの巫女に、とてもよく似ていらっしゃる。姿も、気質も、その運命さえ……。伝承では巫女は建国王と恋仲であったと言われていますが、事実は違っておりましてね……。巫女が真実愛していたのは、帝国と共にほろびた最後の皇帝の方だったのですよ」
「……何故、貴様がそんなことを知っている?まるで、見てきたかのように……」
 ハミントンはその問いには、ただ苦笑をこぼすばかりで答えなかった。
「国を乱す皇帝は倒されるべき――それが愛する者であったとしても……。ジリアーティ家の教育は、実に優秀で、悲しいほどに正しい。その悲壮ひそうなまでにつよい魂の輝きが、どうしようもなく私をきつける」
 ハミントンは宝玉ほうぎょくでもでるかのようにうっとりとフィオレンジーヌの顔をながめ回す。
「ご安心なさってください。貴女はいずれ解放されます。ただし、それは貴女の息子が貴女の夫をち取った後のこと。闇に染まった皇帝は倒され、この国は正される」
「何だと……!? 貴様、この上さらに何かするつもりか!?」
「何もいたしませんよ。もう事態は動き始めていますからね。では、いずれまた、貴女がはなたれた後にお会いしましょう」
「待て!貴様は何を知っている!?」
 声を上げ、手をばすが、囚われのフィオレンジーヌはハミントンをとらえられない。
 去っていく男の背をすべ無く見送り、フィオレンジーヌはそのまま扉にすがりつくようにして床に座り込む。
「リオ……」
 自由を奪われ、愛を疑われても、フィオレンジーヌはベルージュリオをにくみきることができなかった。
 ……初めての恋だったのだ。
 それが一方的な片想いでなく、想い想われていたことを知った時、どれほど幸福を感じたことか……。ベルージュリオが変わってしまうまでの数年間、どれほど満たされた気持ちを味わってきたことか……。
「誰か……」
 他人にすがることは、彼女の本意ほんいではない。フィオレンジーヌは自分の運命はみずからの手で切りひらくことが当然と思い、育ってきた。かつては、どんな運命も自らの手で変えられると信じていた。
 しかし現在いまのフィオレンジーヌには何もできない。あまりにも無力だった。
「誰か、助けて……。あの人を……この国を……」
 神にいのるような思いで、フィオレンジーヌはつぶやいた。
 絶望の中で。この声が、結局誰にも届くことはないと、心のどこかであきらめながらも……。
 
 一人の暴走王女と一匹の猫の乱入により、フィオレンジーヌが囚われの身から解放され、ベルージュリオがその死の運命から救われるのは、これより数年ののちのこととなる。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

だいたい全部、聖女のせい。

荒瀬ヤヒロ
恋愛
「どうして、こんなことに……」 異世界よりやってきた聖女と出会い、王太子は変わってしまった。 いや、王太子の側近の令息達まで、変わってしまったのだ。 すでに彼らには、婚約者である令嬢達の声も届かない。 これはとある王国に降り立った聖女との出会いで見る影もなく変わってしまった男達に苦しめられる少女達の、嘆きの物語。

聖女の、その後

六つ花えいこ
ファンタジー
私は五年前、この世界に“召喚”された。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

【完結】ご安心を、問題ありません。

るるらら
恋愛
婚約破棄されてしまった。 はい、何も問題ありません。 ------------ 公爵家の娘さんと王子様の話。 オマケ以降は旦那さんとの話。

だから聖女はいなくなった

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」 レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。 彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。 だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。 キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。 ※7万字程度の中編です。

死んだ姉の代わりなんて、できるわけが無い ~深窓令嬢嫁と無口夫~

ブリリアント・ちむすぶ
恋愛
姉ミアナの死から半年がたっても妹のマナの心にはミアナが居続けていた。 それはマナの夫であるタルドも同じ。 タルドはミアナの最愛の婚約者で互いに思いあっていた存在だ。 ミアナの死でそのタルドの元に嫁ぐことになったマナだが、互いにミアナの存在があまりに大きすぎて夫婦になれていなかった。 ある日、孤児院に慰問に行った際、ラナという幼い少女少女がマナとタルドを見て「泣いている女の人がいる」と言ったのだった…… 愛する女性の死を互いに乗り越える2人の話

王太子の愚行

よーこ
恋愛
学園に入学してきたばかりの男爵令嬢がいる。 彼女は何人もの高位貴族子息たちを誑かし、手玉にとっているという。 婚約者を男爵令嬢に奪われた伯爵令嬢から相談を受けた公爵令嬢アリアンヌは、このまま放ってはおけないと自分の婚約者である王太子に男爵令嬢のことを相談することにした。 さて、男爵令嬢をどうするか。 王太子の判断は?

処理中です...