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Act8 幸福な結末(ハッピー・エンド)に潜む陰
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控えの間を離れ、建物を出、ハミントンは誰もいない屋敷の庭の片隅で立ち止まった。周囲に誰もいないことを確認し、胸ポケットから懐中時計の形をした物体を取り出す。
蓋を開け、文字盤に月の光を当て、細々と操作すると、やがて時計の中央に小さく人の姿が浮かび上がった。
『貴方からの連絡ということは……計画が上手く行ったのですね』
「……はい。第1段階は予定通りクリアしました。次のフェーズにシフトします」
『浮かない顔をしていますね。何か不都合でも生じましたか?』
「……いいえ、何も。全ては創世の二神と聖女王猊下の御心のままに」
報告を終え、時計型通信アイテムの蓋を閉じ、ハミントンは溜め息とともに月を見上げる。その胸に、つい数十分前まで腕の中にあった人物の面影が過る。
「……半分以上は本気だったのですが。フィオレンジーヌ……貴女も結局は、神々のシナリオに囚われてしまうのか……」
その呟きは誰にも聞かれることなく、夜の静寂の中に溶けていった。
「あの……殿下、申し訳ありませんでした。今回のことは、迂闊にもこの状況を生んでしまった私にも非があります。ですので、大使を糾弾して両国の関係にヒビを入れるようなことは……」
フィオレンジーヌはまだよく回らぬ頭で、それでもハミントンを庇わねばという使命感から口を動かす。だがベルージュリオは口どころか指ひとつ動かさず、フィオレンジーヌを抱き締め続ける。
「あの……殿下……?」
「……本当に、迂闊だ。君らしくもない。君は自分の魅力についてまるで自覚していないのだ。どれほどの人間が君に惹かれ、君を見つめているのか……」
ベルージュリオはフィオレンジーヌを抱き締めたまま、苦しげに告げる。
「何を仰っているのですか。私は人から疎まれはしても、好かれるような人間ではありません。それは勿論、殿下の婚約者候補、ジリアーティ家の娘として注目されてはいるでしょうが……」
「……分かっていない。君は高嶺に咲く花だ。迂闊に触れることのできない気高い薔薇の花なのだ。男も女も、どれほどの人間が君に話しかけることも近づくことすらできずに、ただ見つめているか……君は知らないのだ」
「そのようなことは……」
フィオレンジーヌはその言葉を本気に取らなかった。ベルージュリオの思い過ごしだと思った。
しかし、ベルージュリオが自分のことをそんな風に思ってくれていることが信じられず、嬉しさで胸の震えが止まらなかった。
「他の誰かのものになど、ならないでくれ。まだ正式には決まっていないが、君は私の妃となる人だろう?私にはもう、君以外の人間は考えられない」
「殿下……」
フィオレンジーヌは夢見心地でベルージュリオの背に腕を回した。
一方的に抱き締められる形から、二人抱き合う形になる。あたたかな胸に頬を擦り寄せ、フィオレンジーヌは心が満たされていくのを感じた。
(あぁ……。妾はこれが欲しかった。『これが恋なのか』と悩む必要など無かった。どんな形であろうと、妾はただ、妾の気持ちを素直に信じれば、それで良かったのだ)
掻き乱された心が、あるべき形へと静かに治まっていくのを感じながら、フィオレンジーヌは潤んだ瞳でベルージュリオを見上げる。
「はい。私は貴方の妃となります。ずっと、貴方のおそばにおります」
ベルージュリオの指がフィオレンジーヌの頤に触れ、そっと持ち上げる。顔が寄せられる気配に、フィオレンジーヌはゆっくりと目を閉じた。
幸福感に酔うフィオレンジーヌは気づいていなかった。
――ベルージュリオの胸に芽生えた不安と疑念に。
フィオレンジーヌが己の魅力に否定的なのと同様に、自己の評価に否定的なベルージュリオが、彼女の愛を信じきれていないことなど、この時のフィオレンジーヌは、まだ露ほども気づいていなかった。
その後、フィオレンジーヌとベルージュリオの婚約は正式に発表され、その一年後には盛大な結婚式が執り行われた。
ベルージュリオはフィオレンジーヌに対する好意を隠さず態度に表すようになり、フィオレンジーヌは自らの育成した "理想の伴侶" との結婚生活を思う存分に満喫していた。
ハミントンは大使の職は辞したものの、聖女王の使者や外交のための特使などと称してひょこひょこ顔を出して来る。
フィオレンジーヌは例の件についてハミントンに何度も謝罪しようとしたが、彼は決してそれを受け入れなかった。
「貴女が謝られる必要などありませんよ。全ては私の為に行ったことですので」と、そう言って……。
こちらに罪悪感を抱かせないための彼なりの心遣いだと思っていたその言葉の真意を、フィオレンジーヌはそれから数年後に知ることとなる。
蓋を開け、文字盤に月の光を当て、細々と操作すると、やがて時計の中央に小さく人の姿が浮かび上がった。
『貴方からの連絡ということは……計画が上手く行ったのですね』
「……はい。第1段階は予定通りクリアしました。次のフェーズにシフトします」
『浮かない顔をしていますね。何か不都合でも生じましたか?』
「……いいえ、何も。全ては創世の二神と聖女王猊下の御心のままに」
報告を終え、時計型通信アイテムの蓋を閉じ、ハミントンは溜め息とともに月を見上げる。その胸に、つい数十分前まで腕の中にあった人物の面影が過る。
「……半分以上は本気だったのですが。フィオレンジーヌ……貴女も結局は、神々のシナリオに囚われてしまうのか……」
その呟きは誰にも聞かれることなく、夜の静寂の中に溶けていった。
「あの……殿下、申し訳ありませんでした。今回のことは、迂闊にもこの状況を生んでしまった私にも非があります。ですので、大使を糾弾して両国の関係にヒビを入れるようなことは……」
フィオレンジーヌはまだよく回らぬ頭で、それでもハミントンを庇わねばという使命感から口を動かす。だがベルージュリオは口どころか指ひとつ動かさず、フィオレンジーヌを抱き締め続ける。
「あの……殿下……?」
「……本当に、迂闊だ。君らしくもない。君は自分の魅力についてまるで自覚していないのだ。どれほどの人間が君に惹かれ、君を見つめているのか……」
ベルージュリオはフィオレンジーヌを抱き締めたまま、苦しげに告げる。
「何を仰っているのですか。私は人から疎まれはしても、好かれるような人間ではありません。それは勿論、殿下の婚約者候補、ジリアーティ家の娘として注目されてはいるでしょうが……」
「……分かっていない。君は高嶺に咲く花だ。迂闊に触れることのできない気高い薔薇の花なのだ。男も女も、どれほどの人間が君に話しかけることも近づくことすらできずに、ただ見つめているか……君は知らないのだ」
「そのようなことは……」
フィオレンジーヌはその言葉を本気に取らなかった。ベルージュリオの思い過ごしだと思った。
しかし、ベルージュリオが自分のことをそんな風に思ってくれていることが信じられず、嬉しさで胸の震えが止まらなかった。
「他の誰かのものになど、ならないでくれ。まだ正式には決まっていないが、君は私の妃となる人だろう?私にはもう、君以外の人間は考えられない」
「殿下……」
フィオレンジーヌは夢見心地でベルージュリオの背に腕を回した。
一方的に抱き締められる形から、二人抱き合う形になる。あたたかな胸に頬を擦り寄せ、フィオレンジーヌは心が満たされていくのを感じた。
(あぁ……。妾はこれが欲しかった。『これが恋なのか』と悩む必要など無かった。どんな形であろうと、妾はただ、妾の気持ちを素直に信じれば、それで良かったのだ)
掻き乱された心が、あるべき形へと静かに治まっていくのを感じながら、フィオレンジーヌは潤んだ瞳でベルージュリオを見上げる。
「はい。私は貴方の妃となります。ずっと、貴方のおそばにおります」
ベルージュリオの指がフィオレンジーヌの頤に触れ、そっと持ち上げる。顔が寄せられる気配に、フィオレンジーヌはゆっくりと目を閉じた。
幸福感に酔うフィオレンジーヌは気づいていなかった。
――ベルージュリオの胸に芽生えた不安と疑念に。
フィオレンジーヌが己の魅力に否定的なのと同様に、自己の評価に否定的なベルージュリオが、彼女の愛を信じきれていないことなど、この時のフィオレンジーヌは、まだ露ほども気づいていなかった。
その後、フィオレンジーヌとベルージュリオの婚約は正式に発表され、その一年後には盛大な結婚式が執り行われた。
ベルージュリオはフィオレンジーヌに対する好意を隠さず態度に表すようになり、フィオレンジーヌは自らの育成した "理想の伴侶" との結婚生活を思う存分に満喫していた。
ハミントンは大使の職は辞したものの、聖女王の使者や外交のための特使などと称してひょこひょこ顔を出して来る。
フィオレンジーヌは例の件についてハミントンに何度も謝罪しようとしたが、彼は決してそれを受け入れなかった。
「貴女が謝られる必要などありませんよ。全ては私の為に行ったことですので」と、そう言って……。
こちらに罪悪感を抱かせないための彼なりの心遣いだと思っていたその言葉の真意を、フィオレンジーヌはそれから数年後に知ることとなる。
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