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4.元魔王の片腕な飼い猫

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 吾輩わがはいは魔王陛下につかえる魔物である。少なくとも吾輩は今も、そう思っている。
 だが、吾輩の敬愛する魔王陛下はと言うと……
「ほ~ら、ネコ。メシだぞー」
 吾輩をすっかり、ただのい猫だと思い込んでいる。
 記憶を失ってしまわれた後にも、コウモリの姿で何度かお会いしていると言うのに……少しも気づいて下さらない。
 あの、傲慢ごうまんで尊大ながらも聡明そうめい狡猾こうかつでいらした魔王陛下が……何となさけなく育ってしまわれたことか……。
 
 彼が初めて我ら魔物の前に現れた時、皆が反発した。
 当然のことだ。魔物たる我らが、人の下になどつけるはずもない。
 だが、彼は力で全てをねじ伏せた。それだけの力が、彼にはあった。
 そして我ら魔物は結局のところ、純然たる力というものに弱いのだ。
 
 強さというものは、単純にして明快な基準で、実に良い。
 吾輩もいつしか、あの方の強さにかれていた。
 この方なら、本当に人類を滅ぼし、世界を我ら魔物のものにしてくれるかも知れない……そんな希望をいだかされた。
 なのに……まさか、あんな奇策によって、あの恐ろしいまでに強大な力が失われてしまうとは……。
 
 瀕死ひんしの重傷を負っていた吾輩には、何もできなかった。
 ただ、仲間のしかばねの間に身をひそめ、赤子にされた魔王陛下が連れ去られるのを、呆然ぼうぜんと見ていただけだった。
 
 しばらくは絶望に打ちひしがれ、生きる気力も失いかけた。だが、すぐに気づいた。
 魔王という存在自体は、まだ失われていないではないか、と。
 赤子に戻されたなら、もう一度あの魔王陛下に成長していただけば良いだけだ。
 吾輩は何としてでも、あの魔王陛下にもう一度会いたい。
 陛下に見せていただいたあの夢を、取り戻したいのだ。
 
 吾輩は必死で傷をいやした。
 我が魔力は、勇者たちとの激闘により、恐ろしいほど消耗しょうもうしてしまっていた。
 完全に回復するまでに数十年はかかるだろう。
 普段は小さなコウモリの姿でエネルギーの消費をおさえ、一日も早い "完全復活" を目指した。
 
 数年間は動くのもやっとだったが、そのうちようやく、コウモリの姿でなら自由に飛び回れるようになった。
 吾輩はさっそく、魔王陛下を探す旅に出た。
 
 何の手がかりも無く、手当たり次第に世界中を飛び回ること、約十年……。
 吾輩は風のうわさに、我らが仇敵きゅうてきたる勇者が、故郷へ戻っていることを知った。
 奴ならば、陛下の行方ゆくえを知っているはず……。
 吾輩はすぐさまそのさとへ飛び、勇者の身辺をぎ回った。
 奴はどうやら賢者を妻とし、娘を一人もうけたようだ。その娘を毎日のように森へ連れ出し、剣術を教えているのを見た。
 あの小娘を、自らの後を継ぐ次代の勇者とする気なのだろう。
 郷の人々の話を聞くと、奴らにはもう一人、息子がいるようなのだが……。
 
 姿の見えないその "息子" を探し、郷の外れの林の中をうろうろしていた時だった。
 吾輩の身を突然、石つぶてが直撃した。吾輩はたまらず、地に落ちる。
 魔力も体力も落ちているとは言え、元魔王の片腕の吾輩が撃ち落とされるとは……。
 呆然としていると、ヒョイとつまみ上げられ、暴言を浴びせられた。
「何だよ、鳥じゃなくてコウモリじゃんかよ。ってそんした。食えねーヤツじゃねぇか」
 怒りを覚えるより先に、なつかしいその気配に震えた。
 そこにいたのは、かつての魔王陛下とは背丈も年頃も違う、年若い少年。
 だが、間違いない。吾輩があの方を見間違えるはずがない。
「魔王陛下……!お会いしとうございました!」
 感極かんきわまって涙声で呼びかける。だが、陛下からのお言葉は、あまりにも情に欠けたものだった。
「は!? 何だ、このコウモリ。しゃべるじゃん。怖……っ!」
 ……そうだ。陛下はこういう方だった。
 我ら魔物も、その容姿や特性を、どれだけさげすまれ侮辱ぶじょくされたことか……。
 記憶の中で、その強さばかりが美化されていたが……そう言えば吾輩も、幾度いくど殺意を覚えたことか数えきれないほどだった。
「……つーか、俺のこと魔王って言ったか?お前、ソレ、完全な人違いだぞ。俺はその魔王を倒した勇者と賢者の長男なんだからな!」
 陛下はそれを、さもほこらしげに語る。吾輩はあまりのことに目眩めまいがした。
「おいたわしい……。それはいつわり。あなた様は憎き勇者と賢者の策略により、記憶と力を奪われ、赤子に戻されてしまったのです。しかし、あなた様は正真正銘、魔王陛下でいらっしゃいます。おつかえしてきた私めには分かります!」
 吾輩は必死にうったえた。
 彼がだまされているのだと。彼の正体と真実を……。
 かつての聡明な陛下なら、皆まで言わずとも、ご理解いただけたはずだ。
 なのに彼は『何が何だか分からない』という顔で、ぽかんと吾輩を見つめてくる。
「えっと……父さんと母さんが、実は魔王を倒してなくて?その魔王が俺で?それってつまり……どういうことだ?」
 ……何ということだ。彼は勇者と賢者のしき教育により、知性さえ失わされている。
 その後も会話は全くみ合わず、彼からは『魔王に戻ろう』という意思が全く感じられなかった。
 絶望感に気が遠くなりかけたその時、彼がとんでもないことを言い出した。
「……ん?血がつながってない?……ってことは、ひょっとして、俺、妹と結婚できんじゃね?」
 まさか彼は、偽りの両親のみならず、あの小娘にまでたぶらかされているのか……。
「妹……?勇者と賢者の間に生まれた小娘のことですか?とんでもない!あれは万が一の時、あなた様を倒すための次世代勇者として育てられている娘ですよ!?」
 吾輩は陛下に御目をましていただこうと、言葉をくしてさとそうとした。
 だが、彼の耳には届かない。そうこうしているうちに、その "妹" が現れた。
「兄様、何をしているの?」
 小娘は吾輩を見つけるなり、顔色を変え、悲鳴を上げた。
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 この小娘……もしや吾輩の正体を察したのではあるまいか。
 
 小娘は、たかだか十歳前後の幼女に見えた。
 だが、あの勇者に日々きびしい修行をさせられている娘だ。
 吾輩は最大限に警戒けいかいしていた。ゆえに、小娘の奇襲をけることができた。
「お前、兄様を魔王に戻そうと言うなら、生かしてはおけないわ!」
 恐ろしい速度の斬撃ざんげきとともにはなたれた言葉。それに吾輩は確信した。
 ――この小娘さえ、あの方の正体を知っている。
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 心配になった吾輩は、小娘につけられた傷も癒えぬうちに、再び彼を探した。彼は昨日と同じ林の中にいた。
 昨日は混乱していただけだった彼も、吾輩との出逢いにより、少しずつ自分自身への疑問を芽生めばえさせ始めたらしい。
 偽りの家族による教育を疑い、己の力を自覚し始めたかのような発言を聞き、吾輩は狂喜した。
左様さようでございます!あなた様には秘められた御力があるのです!」
「お前、昨日のコウモリか?何でそんなボロボロになってんだ?」
「それは昨夜、あの小娘に殺されかけたからでございます!やはりあの娘、本性を隠しております!あなた様の正体も知って……」
「は?昨日あんなキャーキャー言ってお前を怖がってた妹が?夢でも見たんだろ」
 相変わらず陛下は、あの小娘にだまされきっている。コウモリをキャーキャー怖がるだけの娘が、あんな鬼の形相ぎょうそうで吾輩に襲いかかってくるものか。
「そんなことより、俺の秘められた力って?それが解放されれば、俺、まともに魔法が使えるようになるのか?」
 小娘の本性については全く信じてもらえないものの、彼はやはり、魔王としての強大な力に興味を持ったらしい。
 それはそうだ。一時はそれこそ世界を征服しかけたほどの力、欲しがらぬ者がいるはずがない。
 だがしかし……問題は、その力をどうすればよみがえらせることができるのか……吾輩も知らぬということだ。
 吾輩が正直に「知らない」と答えると、彼は失望したように舌打ちした。
「何だ、使えねーな」
 吾輩自身もその通りだと思ったので、項垂うなだれてしまう。
 しかし、吾輩は陛下の片腕。失望されたままでは終われない。
「……では、その方法を何とか調べて参ります……」
 
 魔王陛下の御力は、魔神との契約により得たものだと聞いている。
 彼の生まれた一族は、いにしえより続く多神教を信仰していた。彼らのあがめる八百万やおよろずの神々の中には、信徒ですら恐れる "魔神" も存在する。
 その "たたり" を恐れて、まつったりにえを捧げたりはしても、願いや祈りを捧げたり……まして契約を持ちかけるなど、あってはならない、存在自体が禁忌タブーな神……。
 そんな魔神との契約法を知っているのは、彼の一族の中でも一握ひとにぎりの……王族か高位の神官のみ。
 そして、そもそも彼の一族は、度重たびかさなる迫害により、滅亡してしまったと言われている。
 生き残りを探すか、彼らの遺跡の中に知識を求めるか……いずれにせよ見込みの薄い、苦難の旅となるだろう。
 そんなものをアテもなく探すより、陛下のおそばにいて、彼が自然に覚醒かくせいするのを待った方が良いのではないか……。
 悶々もんもんと悩んでいると、ふいに声をかけられた。
「見つけたわ、コウモリ」
 そこには、例の小娘の姿があった。
「貴様!性懲しょうこりも無く、吾輩の命を狙って来たか!」
「違うわ。今日はお前に、取引を持ちかけに来たのよ。ほら、私、今日は剣なんて持ってないでしょう?」
 確かに、娘の手には何の武器も握られていない。だが、その瞳は全く笑っていない。真意が見えない以上、油断はできない。
「ねぇ、お前。兄様の近くに、ずっといたくはない?」
「それを貴様らが許すとでも?馬鹿にするな!そんな甘言かんげんまどわされる吾輩ではないわ!」
「でもお前、そもそも父様と母様に存在を知られたら、生きていられないんじゃない?生きるか、死ぬか……お前には最初から、選択肢せんたくしなんて無いのよ」
 娘は天使のような顔に悪魔のような笑みを浮かべてささやく。
 ……陛下はなぜ、この娘を天使だなどと思っていられるのだ。
「私が母様にとりなして、お前を生かしてあげる。そして兄様のそばにも置いてあげる。お前はちょっと私たちのお芝居につき合ってくれれば、それでいいのよ。悪くない条件でしょう?」
 小娘の言う通り……小娘一人ならいざ知らず、そこに勇者と賢者が加わるとなれば、吾輩が生きびられる可能性はゼロだ。
 おそらく吾輩が断れば、小娘はすぐさま両親に吾輩の存在を知らせるのだろう。
 これは取引と言うより、脅迫きょうはくだ。確実な死か、わなかも知れぬ取引か……吾輩には、そんな選択しか残されていない。
「……小娘。吾輩に何をさせようと言うのだ」
 悔しさをみ殺しながら問うと、娘は満面の笑みで答えた。吾輩からすれば正気とも思えぬ計画を……。
 
 ……小娘の言うことを、素直に信じたわけではない。
 だが、やはり罠だったと気づいても、最早もはや吾輩にはすべが無かった。
 
 "台本" では、賢者の魔法攻撃に敗れたフリをして、ばったり地面に倒れれば、それで終わりというはずだった。
 だが……賢者の魔法は、吾輩の身を包み、ありない形に変化させていった。
 身体が縮み、翼が消え、体毛がやけにふわふわツヤツヤした白と黒の二色に変わっていく。
 吾輩は、やはりだまされたのだ。
『よくも騙したな!小娘!賢者!』
 吾輩はそう叫んだつもりだった。だが、そののどから出たものは、言葉ではなく「ニャー」という高い鳴き声だった。
「ね、父様。このネコチャン、今日からウチで飼ってもいいでしょ?」
 小娘がけ寄り、有無を言わさず吾輩の身を抱きあげる。
『猫だと!? 貴様、誇り高き魔族たる吾輩を、一介の小動物におとしめたと言うのか!』
 吾輩はそう抗議したつもりだった。だがやはりその声は「ニャーニャーニャー」としか聞こえない。
「いい子でウチの飼い猫になりなさい。そうすれば兄様にも可愛がってもらえるわよ」
 小娘がこそっと吾輩の耳にささやきを吹き込む。この小娘……最初からそうするつもりだったのか。
「と言うか、コウモリの姿よりずっといいじゃない。この姿なら、私だってギューってしてあげるわ!」
 言いながら小娘は、吾輩の身体を容赦ようしゃなく両腕でめつける。
『やめんか、小娘!吾輩を圧死させる気か!?』
 文句も不満も山ほどあるが、こうなってしまっては仕方がない。今の吾輩には、この魔法を解くすべも無いのだから……。

 こうして、吾輩は勇者一家の飼い猫となった。
 今も吾輩は、愛らしい愛玩動物のフリをしながら、魔王陛下の成長を見守っている。
 いつか彼が、自ら力に覚醒してくれるのではないかという、はかない希望にすがりながら……。
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