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4.元魔王の片腕な飼い猫
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吾輩は魔王陛下に仕える魔物である。少なくとも吾輩は今も、そう思っている。
だが、吾輩の敬愛する魔王陛下はと言うと……
「ほ~ら、ネコ。メシだぞー」
吾輩をすっかり、ただの飼い猫だと思い込んでいる。
記憶を失ってしまわれた後にも、コウモリの姿で何度かお会いしていると言うのに……少しも気づいて下さらない。
あの、傲慢で尊大ながらも聡明で狡猾でいらした魔王陛下が……何と情けなく育ってしまわれたことか……。
彼が初めて我ら魔物の前に現れた時、皆が反発した。
当然のことだ。魔物たる我らが、人の下になどつけるはずもない。
だが、彼は力で全てをねじ伏せた。それだけの力が、彼にはあった。
そして我ら魔物は結局のところ、純然たる力というものに弱いのだ。
強さというものは、単純にして明快な基準で、実に良い。
吾輩もいつしか、あの方の強さに惹かれていた。
この方なら、本当に人類を滅ぼし、世界を我ら魔物のものにしてくれるかも知れない……そんな希望を抱かされた。
なのに……まさか、あんな奇策によって、あの恐ろしいまでに強大な力が失われてしまうとは……。
瀕死の重傷を負っていた吾輩には、何もできなかった。
ただ、仲間の屍の間に身を潜め、赤子にされた魔王陛下が連れ去られるのを、呆然と見ていただけだった。
しばらくは絶望に打ちひしがれ、生きる気力も失いかけた。だが、すぐに気づいた。
魔王という存在自体は、まだ失われていないではないか、と。
赤子に戻されたなら、もう一度あの魔王陛下に成長していただけば良いだけだ。
吾輩は何としてでも、あの魔王陛下にもう一度会いたい。
陛下に見せていただいたあの夢を、取り戻したいのだ。
吾輩は必死で傷を癒した。
我が魔力は、勇者たちとの激闘により、恐ろしいほど消耗してしまっていた。
完全に回復するまでに数十年はかかるだろう。
普段は小さなコウモリの姿でエネルギーの消費を抑え、一日も早い "完全復活" を目指した。
数年間は動くのもやっとだったが、そのうちようやく、コウモリの姿でなら自由に飛び回れるようになった。
吾輩はさっそく、魔王陛下を探す旅に出た。
何の手がかりも無く、手当たり次第に世界中を飛び回ること、約十年……。
吾輩は風の噂に、我らが仇敵たる勇者が、故郷へ戻っていることを知った。
奴ならば、陛下の行方を知っているはず……。
吾輩はすぐさまその郷へ飛び、勇者の身辺を嗅ぎ回った。
奴はどうやら賢者を妻とし、娘を一人もうけたようだ。その娘を毎日のように森へ連れ出し、剣術を教えているのを見た。
あの小娘を、自らの後を継ぐ次代の勇者とする気なのだろう。
郷の人々の話を聞くと、奴らにはもう一人、息子がいるようなのだが……。
姿の見えないその "息子" を探し、郷の外れの林の中をうろうろしていた時だった。
吾輩の身を突然、石つぶてが直撃した。吾輩はたまらず、地に落ちる。
魔力も体力も落ちているとは言え、元魔王の片腕の吾輩が撃ち落とされるとは……。
呆然としていると、ヒョイとつまみ上げられ、暴言を浴びせられた。
「何だよ、鳥じゃなくてコウモリじゃんかよ。撃って損した。食えねーヤツじゃねぇか」
怒りを覚えるより先に、懐かしいその気配に震えた。
そこにいたのは、かつての魔王陛下とは背丈も年頃も違う、年若い少年。
だが、間違いない。吾輩があの方を見間違えるはずがない。
「魔王陛下……!お会いしとうございました!」
感極まって涙声で呼びかける。だが、陛下からのお言葉は、あまりにも情に欠けたものだった。
「は!? 何だ、このコウモリ。喋るじゃん。怖……っ!」
……そうだ。陛下はこういう方だった。
我ら魔物も、その容姿や特性を、どれだけ蔑まれ侮辱されたことか……。
記憶の中で、その強さばかりが美化されていたが……そう言えば吾輩も、幾度殺意を覚えたことか数えきれないほどだった。
「……つーか、俺のこと魔王って言ったか?お前、ソレ、完全な人違いだぞ。俺はその魔王を倒した勇者と賢者の長男なんだからな!」
陛下はそれを、さも誇らしげに語る。吾輩はあまりのことに目眩がした。
「おいたわしい……。それは偽り。あなた様は憎き勇者と賢者の策略により、記憶と力を奪われ、赤子に戻されてしまったのです。しかし、あなた様は正真正銘、魔王陛下でいらっしゃいます。お仕えしてきた私めには分かります!」
吾輩は必死に訴えた。
彼が騙されているのだと。彼の正体と真実を……。
かつての聡明な陛下なら、皆まで言わずとも、ご理解いただけたはずだ。
なのに彼は『何が何だか分からない』という顔で、ぽかんと吾輩を見つめてくる。
「えっと……父さんと母さんが、実は魔王を倒してなくて?その魔王が俺で?それってつまり……どういうことだ?」
……何ということだ。彼は勇者と賢者の悪しき教育により、知性さえ失わされている。
その後も会話は全く噛み合わず、彼からは『魔王に戻ろう』という意思が全く感じられなかった。
絶望感に気が遠くなりかけたその時、彼がとんでもないことを言い出した。
「……ん?血が繋がってない?……ってことは、ひょっとして、俺、妹と結婚できんじゃね?」
まさか彼は、偽りの両親のみならず、あの小娘にまで誑かされているのか……。
「妹……?勇者と賢者の間に生まれた小娘のことですか?とんでもない!あれは万が一の時、あなた様を倒すための次世代勇者として育てられている娘ですよ!?」
吾輩は陛下に御目を醒ましていただこうと、言葉を尽くして諭そうとした。
だが、彼の耳には届かない。そうこうしているうちに、その "妹" が現れた。
「兄様、何をしているの?」
小娘は吾輩を見つけるなり、顔色を変え、悲鳴を上げた。
そのまま、か弱いフリで陛下に恐怖を訴えるが……吾輩を見つめる、その瞳の奥に宿る鋭い敵意に、吾輩は気づいていた。
この小娘……もしや吾輩の正体を察したのではあるまいか。
小娘は、たかだか十歳前後の幼女に見えた。
だが、あの勇者に日々厳しい修行をさせられている娘だ。
吾輩は最大限に警戒していた。ゆえに、小娘の奇襲を避けることができた。
「お前、兄様を魔王に戻そうと言うなら、生かしてはおけないわ!」
恐ろしい速度の斬撃とともに放たれた言葉。それに吾輩は確信した。
――この小娘さえ、あの方の正体を知っている。
やはりあの方は、家族全員から欺かれ、好い様に力を奪われ続けているのだ。
小娘は、幼女とは到底思えぬ剣さばきで、吾輩を追いつめる。
しかし、技量がどれだけ常人離れしていようと、その腕のリーチは幼いがゆえに短く、その足が踏み出す歩幅も大人とは比べものにならない。
正直、この娘が成人したなら敵う気はしない。だが、今はまだ辛うじて、攻撃を凌ぐことができる。
「舐めるなよ、小娘!吾輩はこれでも魔王陛下の片腕だったのだ!今はこのような姿でも、貴様とは戦闘経験値が違う!」
「片腕!? そんなモノが生き残っていたの!? だったら余計、見逃せないわ!」
娘はますます攻撃を激しくするが……吾輩はスキを見て、ひらりとその場を離脱した。
悔しいが、今の吾輩には逃げるので精一杯だ。
致命傷は無いとは言え、細かな傷も数多く負わされてしまった。今はとにかく、この身を癒さなければ……。
……しかし、家族全員が "敵" となると、陛下の御身も危ないのではなかろうか。
今はまだ洗脳による無力化と監視だけで済んでいるが、彼が少しでも魔王の片鱗を見せ始めたなら、災いの芽を摘むがごとく、葬り去られてしまうのでは……。
心配になった吾輩は、小娘につけられた傷も癒えぬうちに、再び彼を探した。彼は昨日と同じ林の中にいた。
昨日は混乱していただけだった彼も、吾輩との出逢いにより、少しずつ自分自身への疑問を芽生えさせ始めたらしい。
偽りの家族による教育を疑い、己の力を自覚し始めたかのような発言を聞き、吾輩は狂喜した。
「左様でございます!あなた様には秘められた御力があるのです!」
「お前、昨日のコウモリか?何でそんなボロボロになってんだ?」
「それは昨夜、あの小娘に殺されかけたからでございます!やはりあの娘、本性を隠しております!あなた様の正体も知って……」
「は?昨日あんなキャーキャー言ってお前を怖がってた妹が?夢でも見たんだろ」
相変わらず陛下は、あの小娘に騙されきっている。コウモリをキャーキャー怖がるだけの娘が、あんな鬼の形相で吾輩に襲いかかってくるものか。
「そんなことより、俺の秘められた力って?それが解放されれば、俺、まともに魔法が使えるようになるのか?」
小娘の本性については全く信じてもらえないものの、彼はやはり、魔王としての強大な力に興味を持ったらしい。
それはそうだ。一時はそれこそ世界を征服しかけたほどの力、欲しがらぬ者がいるはずがない。
だがしかし……問題は、その力をどうすれば甦らせることができるのか……吾輩も知らぬということだ。
吾輩が正直に「知らない」と答えると、彼は失望したように舌打ちした。
「何だ、使えねーな」
吾輩自身もその通りだと思ったので、項垂れてしまう。
しかし、吾輩は陛下の片腕。失望されたままでは終われない。
「……では、その方法を何とか調べて参ります……」
魔王陛下の御力は、魔神との契約により得たものだと聞いている。
彼の生まれた一族は、古より続く多神教を信仰していた。彼らの崇める八百万の神々の中には、信徒ですら恐れる "魔神" も存在する。
その "祟り" を恐れて、祀ったり贄を捧げたりはしても、願いや祈りを捧げたり……まして契約を持ちかけるなど、あってはならない、存在自体が禁忌な神……。
そんな魔神との契約法を知っているのは、彼の一族の中でも一握りの……王族か高位の神官のみ。
そして、そもそも彼の一族は、度重なる迫害により、滅亡してしまったと言われている。
生き残りを探すか、彼らの遺跡の中に知識を求めるか……いずれにせよ見込みの薄い、苦難の旅となるだろう。
そんなものをアテもなく探すより、陛下のおそばにいて、彼が自然に覚醒するのを待った方が良いのではないか……。
悶々と悩んでいると、ふいに声をかけられた。
「見つけたわ、コウモリ」
そこには、例の小娘の姿があった。
「貴様!性懲りも無く、吾輩の命を狙って来たか!」
「違うわ。今日はお前に、取引を持ちかけに来たのよ。ほら、私、今日は剣なんて持ってないでしょう?」
確かに、娘の手には何の武器も握られていない。だが、その瞳は全く笑っていない。真意が見えない以上、油断はできない。
「ねぇ、お前。兄様の近くに、ずっといたくはない?」
「それを貴様らが許すとでも?馬鹿にするな!そんな甘言に惑わされる吾輩ではないわ!」
「でもお前、そもそも父様と母様に存在を知られたら、生きていられないんじゃない?生きるか、死ぬか……お前には最初から、選択肢なんて無いのよ」
娘は天使のような顔に悪魔のような笑みを浮かべて囁く。
……陛下はなぜ、この娘を天使だなどと思っていられるのだ。
「私が母様にとりなして、お前を生かしてあげる。そして兄様のそばにも置いてあげる。お前はちょっと私たちのお芝居につき合ってくれれば、それでいいのよ。悪くない条件でしょう?」
小娘の言う通り……小娘一人ならいざ知らず、そこに勇者と賢者が加わるとなれば、吾輩が生き延びられる可能性はゼロだ。
おそらく吾輩が断れば、小娘はすぐさま両親に吾輩の存在を知らせるのだろう。
これは取引と言うより、脅迫だ。確実な死か、罠かも知れぬ取引か……吾輩には、そんな選択しか残されていない。
「……小娘。吾輩に何をさせようと言うのだ」
悔しさを噛み殺しながら問うと、娘は満面の笑みで答えた。吾輩からすれば正気とも思えぬ計画を……。
……小娘の言うことを、素直に信じたわけではない。
だが、やはり罠だったと気づいても、最早吾輩には為す術が無かった。
"台本" では、賢者の魔法攻撃に敗れたフリをして、ばったり地面に倒れれば、それで終わりというはずだった。
だが……賢者の魔法は、吾輩の身を包み、あり得ない形に変化させていった。
身体が縮み、翼が消え、体毛がやけにふわふわツヤツヤした白と黒の二色に変わっていく。
吾輩は、やはり騙されたのだ。
『よくも騙したな!小娘!賢者!』
吾輩はそう叫んだつもりだった。だが、その喉から出たものは、言葉ではなく「ニャー」という高い鳴き声だった。
「ね、父様。このネコチャン、今日からウチで飼ってもいいでしょ?」
小娘が駆け寄り、有無を言わさず吾輩の身を抱きあげる。
『猫だと!? 貴様、誇り高き魔族たる吾輩を、一介の小動物に貶めたと言うのか!』
吾輩はそう抗議したつもりだった。だがやはりその声は「ニャーニャーニャー」としか聞こえない。
「いい子でウチの飼い猫になりなさい。そうすれば兄様にも可愛がってもらえるわよ」
小娘がこそっと吾輩の耳に囁きを吹き込む。この小娘……最初からそうするつもりだったのか。
「と言うか、コウモリの姿よりずっといいじゃない。この姿なら、私だってギューってしてあげるわ!」
言いながら小娘は、吾輩の身体を容赦なく両腕で締めつける。
『やめんか、小娘!吾輩を圧死させる気か!?』
文句も不満も山ほどあるが、こうなってしまっては仕方がない。今の吾輩には、この魔法を解く術も無いのだから……。
こうして、吾輩は勇者一家の飼い猫となった。
今も吾輩は、愛らしい愛玩動物のフリをしながら、魔王陛下の成長を見守っている。
いつか彼が、自ら力に覚醒してくれるのではないかという、儚い希望に縋りながら……。
だが、吾輩の敬愛する魔王陛下はと言うと……
「ほ~ら、ネコ。メシだぞー」
吾輩をすっかり、ただの飼い猫だと思い込んでいる。
記憶を失ってしまわれた後にも、コウモリの姿で何度かお会いしていると言うのに……少しも気づいて下さらない。
あの、傲慢で尊大ながらも聡明で狡猾でいらした魔王陛下が……何と情けなく育ってしまわれたことか……。
彼が初めて我ら魔物の前に現れた時、皆が反発した。
当然のことだ。魔物たる我らが、人の下になどつけるはずもない。
だが、彼は力で全てをねじ伏せた。それだけの力が、彼にはあった。
そして我ら魔物は結局のところ、純然たる力というものに弱いのだ。
強さというものは、単純にして明快な基準で、実に良い。
吾輩もいつしか、あの方の強さに惹かれていた。
この方なら、本当に人類を滅ぼし、世界を我ら魔物のものにしてくれるかも知れない……そんな希望を抱かされた。
なのに……まさか、あんな奇策によって、あの恐ろしいまでに強大な力が失われてしまうとは……。
瀕死の重傷を負っていた吾輩には、何もできなかった。
ただ、仲間の屍の間に身を潜め、赤子にされた魔王陛下が連れ去られるのを、呆然と見ていただけだった。
しばらくは絶望に打ちひしがれ、生きる気力も失いかけた。だが、すぐに気づいた。
魔王という存在自体は、まだ失われていないではないか、と。
赤子に戻されたなら、もう一度あの魔王陛下に成長していただけば良いだけだ。
吾輩は何としてでも、あの魔王陛下にもう一度会いたい。
陛下に見せていただいたあの夢を、取り戻したいのだ。
吾輩は必死で傷を癒した。
我が魔力は、勇者たちとの激闘により、恐ろしいほど消耗してしまっていた。
完全に回復するまでに数十年はかかるだろう。
普段は小さなコウモリの姿でエネルギーの消費を抑え、一日も早い "完全復活" を目指した。
数年間は動くのもやっとだったが、そのうちようやく、コウモリの姿でなら自由に飛び回れるようになった。
吾輩はさっそく、魔王陛下を探す旅に出た。
何の手がかりも無く、手当たり次第に世界中を飛び回ること、約十年……。
吾輩は風の噂に、我らが仇敵たる勇者が、故郷へ戻っていることを知った。
奴ならば、陛下の行方を知っているはず……。
吾輩はすぐさまその郷へ飛び、勇者の身辺を嗅ぎ回った。
奴はどうやら賢者を妻とし、娘を一人もうけたようだ。その娘を毎日のように森へ連れ出し、剣術を教えているのを見た。
あの小娘を、自らの後を継ぐ次代の勇者とする気なのだろう。
郷の人々の話を聞くと、奴らにはもう一人、息子がいるようなのだが……。
姿の見えないその "息子" を探し、郷の外れの林の中をうろうろしていた時だった。
吾輩の身を突然、石つぶてが直撃した。吾輩はたまらず、地に落ちる。
魔力も体力も落ちているとは言え、元魔王の片腕の吾輩が撃ち落とされるとは……。
呆然としていると、ヒョイとつまみ上げられ、暴言を浴びせられた。
「何だよ、鳥じゃなくてコウモリじゃんかよ。撃って損した。食えねーヤツじゃねぇか」
怒りを覚えるより先に、懐かしいその気配に震えた。
そこにいたのは、かつての魔王陛下とは背丈も年頃も違う、年若い少年。
だが、間違いない。吾輩があの方を見間違えるはずがない。
「魔王陛下……!お会いしとうございました!」
感極まって涙声で呼びかける。だが、陛下からのお言葉は、あまりにも情に欠けたものだった。
「は!? 何だ、このコウモリ。喋るじゃん。怖……っ!」
……そうだ。陛下はこういう方だった。
我ら魔物も、その容姿や特性を、どれだけ蔑まれ侮辱されたことか……。
記憶の中で、その強さばかりが美化されていたが……そう言えば吾輩も、幾度殺意を覚えたことか数えきれないほどだった。
「……つーか、俺のこと魔王って言ったか?お前、ソレ、完全な人違いだぞ。俺はその魔王を倒した勇者と賢者の長男なんだからな!」
陛下はそれを、さも誇らしげに語る。吾輩はあまりのことに目眩がした。
「おいたわしい……。それは偽り。あなた様は憎き勇者と賢者の策略により、記憶と力を奪われ、赤子に戻されてしまったのです。しかし、あなた様は正真正銘、魔王陛下でいらっしゃいます。お仕えしてきた私めには分かります!」
吾輩は必死に訴えた。
彼が騙されているのだと。彼の正体と真実を……。
かつての聡明な陛下なら、皆まで言わずとも、ご理解いただけたはずだ。
なのに彼は『何が何だか分からない』という顔で、ぽかんと吾輩を見つめてくる。
「えっと……父さんと母さんが、実は魔王を倒してなくて?その魔王が俺で?それってつまり……どういうことだ?」
……何ということだ。彼は勇者と賢者の悪しき教育により、知性さえ失わされている。
その後も会話は全く噛み合わず、彼からは『魔王に戻ろう』という意思が全く感じられなかった。
絶望感に気が遠くなりかけたその時、彼がとんでもないことを言い出した。
「……ん?血が繋がってない?……ってことは、ひょっとして、俺、妹と結婚できんじゃね?」
まさか彼は、偽りの両親のみならず、あの小娘にまで誑かされているのか……。
「妹……?勇者と賢者の間に生まれた小娘のことですか?とんでもない!あれは万が一の時、あなた様を倒すための次世代勇者として育てられている娘ですよ!?」
吾輩は陛下に御目を醒ましていただこうと、言葉を尽くして諭そうとした。
だが、彼の耳には届かない。そうこうしているうちに、その "妹" が現れた。
「兄様、何をしているの?」
小娘は吾輩を見つけるなり、顔色を変え、悲鳴を上げた。
そのまま、か弱いフリで陛下に恐怖を訴えるが……吾輩を見つめる、その瞳の奥に宿る鋭い敵意に、吾輩は気づいていた。
この小娘……もしや吾輩の正体を察したのではあるまいか。
小娘は、たかだか十歳前後の幼女に見えた。
だが、あの勇者に日々厳しい修行をさせられている娘だ。
吾輩は最大限に警戒していた。ゆえに、小娘の奇襲を避けることができた。
「お前、兄様を魔王に戻そうと言うなら、生かしてはおけないわ!」
恐ろしい速度の斬撃とともに放たれた言葉。それに吾輩は確信した。
――この小娘さえ、あの方の正体を知っている。
やはりあの方は、家族全員から欺かれ、好い様に力を奪われ続けているのだ。
小娘は、幼女とは到底思えぬ剣さばきで、吾輩を追いつめる。
しかし、技量がどれだけ常人離れしていようと、その腕のリーチは幼いがゆえに短く、その足が踏み出す歩幅も大人とは比べものにならない。
正直、この娘が成人したなら敵う気はしない。だが、今はまだ辛うじて、攻撃を凌ぐことができる。
「舐めるなよ、小娘!吾輩はこれでも魔王陛下の片腕だったのだ!今はこのような姿でも、貴様とは戦闘経験値が違う!」
「片腕!? そんなモノが生き残っていたの!? だったら余計、見逃せないわ!」
娘はますます攻撃を激しくするが……吾輩はスキを見て、ひらりとその場を離脱した。
悔しいが、今の吾輩には逃げるので精一杯だ。
致命傷は無いとは言え、細かな傷も数多く負わされてしまった。今はとにかく、この身を癒さなければ……。
……しかし、家族全員が "敵" となると、陛下の御身も危ないのではなかろうか。
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心配になった吾輩は、小娘につけられた傷も癒えぬうちに、再び彼を探した。彼は昨日と同じ林の中にいた。
昨日は混乱していただけだった彼も、吾輩との出逢いにより、少しずつ自分自身への疑問を芽生えさせ始めたらしい。
偽りの家族による教育を疑い、己の力を自覚し始めたかのような発言を聞き、吾輩は狂喜した。
「左様でございます!あなた様には秘められた御力があるのです!」
「お前、昨日のコウモリか?何でそんなボロボロになってんだ?」
「それは昨夜、あの小娘に殺されかけたからでございます!やはりあの娘、本性を隠しております!あなた様の正体も知って……」
「は?昨日あんなキャーキャー言ってお前を怖がってた妹が?夢でも見たんだろ」
相変わらず陛下は、あの小娘に騙されきっている。コウモリをキャーキャー怖がるだけの娘が、あんな鬼の形相で吾輩に襲いかかってくるものか。
「そんなことより、俺の秘められた力って?それが解放されれば、俺、まともに魔法が使えるようになるのか?」
小娘の本性については全く信じてもらえないものの、彼はやはり、魔王としての強大な力に興味を持ったらしい。
それはそうだ。一時はそれこそ世界を征服しかけたほどの力、欲しがらぬ者がいるはずがない。
だがしかし……問題は、その力をどうすれば甦らせることができるのか……吾輩も知らぬということだ。
吾輩が正直に「知らない」と答えると、彼は失望したように舌打ちした。
「何だ、使えねーな」
吾輩自身もその通りだと思ったので、項垂れてしまう。
しかし、吾輩は陛下の片腕。失望されたままでは終われない。
「……では、その方法を何とか調べて参ります……」
魔王陛下の御力は、魔神との契約により得たものだと聞いている。
彼の生まれた一族は、古より続く多神教を信仰していた。彼らの崇める八百万の神々の中には、信徒ですら恐れる "魔神" も存在する。
その "祟り" を恐れて、祀ったり贄を捧げたりはしても、願いや祈りを捧げたり……まして契約を持ちかけるなど、あってはならない、存在自体が禁忌な神……。
そんな魔神との契約法を知っているのは、彼の一族の中でも一握りの……王族か高位の神官のみ。
そして、そもそも彼の一族は、度重なる迫害により、滅亡してしまったと言われている。
生き残りを探すか、彼らの遺跡の中に知識を求めるか……いずれにせよ見込みの薄い、苦難の旅となるだろう。
そんなものをアテもなく探すより、陛下のおそばにいて、彼が自然に覚醒するのを待った方が良いのではないか……。
悶々と悩んでいると、ふいに声をかけられた。
「見つけたわ、コウモリ」
そこには、例の小娘の姿があった。
「貴様!性懲りも無く、吾輩の命を狙って来たか!」
「違うわ。今日はお前に、取引を持ちかけに来たのよ。ほら、私、今日は剣なんて持ってないでしょう?」
確かに、娘の手には何の武器も握られていない。だが、その瞳は全く笑っていない。真意が見えない以上、油断はできない。
「ねぇ、お前。兄様の近くに、ずっといたくはない?」
「それを貴様らが許すとでも?馬鹿にするな!そんな甘言に惑わされる吾輩ではないわ!」
「でもお前、そもそも父様と母様に存在を知られたら、生きていられないんじゃない?生きるか、死ぬか……お前には最初から、選択肢なんて無いのよ」
娘は天使のような顔に悪魔のような笑みを浮かべて囁く。
……陛下はなぜ、この娘を天使だなどと思っていられるのだ。
「私が母様にとりなして、お前を生かしてあげる。そして兄様のそばにも置いてあげる。お前はちょっと私たちのお芝居につき合ってくれれば、それでいいのよ。悪くない条件でしょう?」
小娘の言う通り……小娘一人ならいざ知らず、そこに勇者と賢者が加わるとなれば、吾輩が生き延びられる可能性はゼロだ。
おそらく吾輩が断れば、小娘はすぐさま両親に吾輩の存在を知らせるのだろう。
これは取引と言うより、脅迫だ。確実な死か、罠かも知れぬ取引か……吾輩には、そんな選択しか残されていない。
「……小娘。吾輩に何をさせようと言うのだ」
悔しさを噛み殺しながら問うと、娘は満面の笑みで答えた。吾輩からすれば正気とも思えぬ計画を……。
……小娘の言うことを、素直に信じたわけではない。
だが、やはり罠だったと気づいても、最早吾輩には為す術が無かった。
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だが……賢者の魔法は、吾輩の身を包み、あり得ない形に変化させていった。
身体が縮み、翼が消え、体毛がやけにふわふわツヤツヤした白と黒の二色に変わっていく。
吾輩は、やはり騙されたのだ。
『よくも騙したな!小娘!賢者!』
吾輩はそう叫んだつもりだった。だが、その喉から出たものは、言葉ではなく「ニャー」という高い鳴き声だった。
「ね、父様。このネコチャン、今日からウチで飼ってもいいでしょ?」
小娘が駆け寄り、有無を言わさず吾輩の身を抱きあげる。
『猫だと!? 貴様、誇り高き魔族たる吾輩を、一介の小動物に貶めたと言うのか!』
吾輩はそう抗議したつもりだった。だがやはりその声は「ニャーニャーニャー」としか聞こえない。
「いい子でウチの飼い猫になりなさい。そうすれば兄様にも可愛がってもらえるわよ」
小娘がこそっと吾輩の耳に囁きを吹き込む。この小娘……最初からそうするつもりだったのか。
「と言うか、コウモリの姿よりずっといいじゃない。この姿なら、私だってギューってしてあげるわ!」
言いながら小娘は、吾輩の身体を容赦なく両腕で締めつける。
『やめんか、小娘!吾輩を圧死させる気か!?』
文句も不満も山ほどあるが、こうなってしまっては仕方がない。今の吾輩には、この魔法を解く術も無いのだから……。
こうして、吾輩は勇者一家の飼い猫となった。
今も吾輩は、愛らしい愛玩動物のフリをしながら、魔王陛下の成長を見守っている。
いつか彼が、自ら力に覚醒してくれるのではないかという、儚い希望に縋りながら……。
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ダーウィン侯爵家は迷信を信じ、後から産まれたばかりの子を馭者に指示し魔森へと捨てた。

宮廷から追放された聖女の回復魔法は最強でした。後から戻って来いと言われても今更遅いです
ダイナイ
ファンタジー
「お前が聖女だな、お前はいらないからクビだ」
宮廷に派遣されていた聖女メアリーは、お金の無駄だお前の代わりはいくらでもいるから、と宮廷を追放されてしまった。
聖国から王国に派遣されていた聖女は、この先どうしようか迷ってしまう。とりあえず、冒険者が集まる都市に行って仕事をしようと考えた。
しかし聖女は自分の回復魔法が異常であることを知らなかった。
冒険者都市に行った聖女は、自分の回復魔法が周囲に知られて大変なことになってしまう。
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