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3.元賢者な母
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勇者と初めて逢った時、この世界にこれほど純粋な男が実在したのかと、驚嘆したのを覚えています。
真面目で、心優しくて、他人のことを疑わない――そんな純粋な心を持ちながら、まるで鬼神の如き、人間離れした剣の腕前を持っている……。
そのギャップに、やられてしまいました。
こんな優良物件、この世に二人といるはずがありません。
ですので、早々に決めていました。――何としても、この男を、絡め取って私のものにしてしまおうと。
その好機は、思いがけない形で訪れました。
それは、苦難の旅の末、ついに魔王と対峙し「あぁ、これを倒せば旅も終わってしまうのか」と、まだ余裕のある頭で感慨に耽っていた時のことです。
勇者が、あろうことか魔王の境遇に同情し、戦意を失ってしまったのです。
戦えないとなれば、あとは一方的に魔王に痛めつけられるだけです。
次々と襲い来る魔王の攻撃を魔法で跳ね返しながら、私は必死に考えました。
何とか勇者に再び剣を取ってもらう術を……それが無理なら、魔王を殺さずに全てを終わらせる方法を……。
私の優秀な頭脳は、すぐに答えを弾き出し……同時に、私の "勇者攻略計画" に関する素晴らしい案をも導き出しました。
すなわち、時間逆行の禁断魔法で魔王を無垢なる赤ん坊へと戻し、その "養育" を勇者に持ちかけること……。
そうすれば、彼の性格からして100%断りません。私と彼は必然的に、魔王という息子を持つ "夫婦" になれます。
そうして私の目論見通り、勇者は私の提案を受け入れました。
私と勇者は晴れて夫婦となり、赤子となった魔王と共に、勇者の故郷で新生活を始めました。
ただひとつ、誤算だったのは……勇者がこの家族計画を、世界を救うための "形だけのもの" と信じきっていたことでした……。
初めは、形だけでも夫婦となってしまえば、後はどうにでもなると思っていました。
しかし、それはあまりにも甘い見通しだったと、痛感させられました。
勇者は父親としての役目、一家の主としての役目は完璧に果たしてくれましたが……妻である私に、指一本触れようとしませんでした。
潔癖過ぎる性格ゆえか、それとも私にその種の魅力が無いということなのか……一時は真剣に後者の可能性を疑い、密かに沈んだりしたものです。
しかし、私は諦めませんでした。
実体を伴わない夫婦では、いつか魔王が手のかからない真人間に育った時、あっさり関係を解消されかねません。
それに何より……私自身が、寂しかったのです。
こんなにも近くにいるのに……それどころか夫婦だと言うのに、触れてももらえない――ぬくもりを感じられないこの距離に、私の心が飢えていました。
既成事実を作るための、その言い訳さえ、私の頭脳は瞬時に弾き出してくれました。
こんな時、賢者になっておいて良かったと、心から思います。頭脳は磨いておくものです。
――私と勇者の間に子を作り、後の魔王暴走の可能性に備え、次世代の勇者として育てる……この計画には、さすがに勇者も渋りました。
ですが、度重なる私の "説得" に、ついに彼も折れました。
そもそも勇者が私に言葉で勝てた試しは無いのです。
いざ事に臨むにあたり、私にはひとつの野望がありました。
できることなら、この行為でもって、彼の心を奪ってしまいたい、と。
好きでもない男とどうこうする趣味はありませんので、実際の経験は一切ありません。ですが、知識だけはいろいろと仕込んでいました。
これまで、この頭脳と要領の良さで、人生を上手く歩んできた自覚はあります。ですので今回も、たとえ経験が無かろうと、知識だけで何とかなるのではないかと思っていました。
ですが……そんな付焼刃の知識など、まるで役には立ちませんでした。
それどころか、そんな知識を思い出している余裕も無いほど、私は困惑し、羞恥し、恐慌状態に陥りました。
冷静さも余裕もすっかり失くした私は、まるでいつもの私らしくなく、ただ「待って」と「やめないで」を繰り返すことしかできませんでした。
思い出すだけで居た堪れなくなるほど、あの夜の私は、子どもじみていて、恥ずかしく……あれを自分だとは、思いたくありません。あんな私がいること自体、あの夜に初めて知りました。
勇者も、さぞや困り果てたことでしょう。
けれど、彼は彼らしく、どこまでも優しく私に触れてくれました。
私の涙を拭い、髪を撫で、優しく労わってくれました。
その気遣いが嬉しくて……泣いてしまうほどに、胸が痛くなりました。
結局また、私の方ばかり、余計に彼を好きになっただけでした。
こんな風に肉体を繋いでも……彼との間に子を生しても、それで心を捕らえられるわけではないのに……。
子が胎に宿るまで、幾度も行為を重ねました。
そのうちには私も慣れて、彼の反応を窺う余裕も生まれてきました。
初めの頃のことは分かりません。しかし、その頃には確実に、彼も行為を愉しんでいたはずです。
なのに……子ができたと分かった途端、彼はぱたりと行為を止めました。
胎に子がいる間だけでなく、娘が生まれ、ある程度まで成長してからも……。
何度も、それとなく「夫婦なのだから触れても良いのだ」と促しました。もう何度となく触れ合っているのですから、貞操も純潔も今さらな話です。
しかし勇者は、どこまでもストイックでした。
私には、彼が分からなくなりました。
今までのことは、全て彼の責任感と義務感によるもので……もしかしたら彼にとって、私に触れること自体、とても不本意なことだったのではないかと……そんな不安が、胸を苛みました。
そんなある日のこと、八歳になった娘が、じっと私の顔を見て、言いました。
「母様は、父様に片想いしているの?」と。
いつの間に、そんなませた口を利くようになったのでしょう。
娘の成長に感慨深くなりながら、私は答えました。
「そうです。母はあなたの父様のことを、それはそれは深く愛しているのですよ。たとえ父様が、同じくらいの深さで母を愛してはくれなかったとしても」
すると娘は、私を小馬鹿にしたように、くすりと笑いました。
「母様は賢者だったのに、お馬鹿さんなのね。父様も母様のことを、ずっと愛しているのに」
「……親を馬鹿呼ばわりするものではありませんよ。愛とは、あなたが考えているようなものばかりではないのです。母が欲しているのは、家族としての優しい愛情だけではなく、もっと烈しいものなのです」
「恋人同士の愛ってことでしょう?それくらい、私、もう知ってるもの。父様と母様は、お互いに片想いし合ってるの。それで、お互いそのことに気づいていないのよ。これって、とってもお馬鹿さんなことでしょう?」
私は驚愕する思いで娘の顔を見つめました。
娘の瞳は、かつて鏡の中に見た私自身の瞳と同じく、全てを見通すかのように冴え渡っていました。
……そうでした。この娘は、幼くとも、ただの娘ではありません。賢者の血を引く娘なのです。
「……あなたの見立ては確かなのですか?父様が母を愛しているという確証があるのですか?」
それでも、なおも慎重に、私は問いました。
「もちろんよ。だって、父様に直接訊いたもの。でも父様も、自分は母様から愛されていないって信じ込んでいるみたい。だからね、私、一肌脱いであげようかと思うの」
娘のその言葉は、純粋な厚意からの申し出ではなく、何か裏があるように感じられました。
これはきっと母子だからこそ分かる、直感のようなものです。この娘は本質的に、私と同じ種類の人間でしょうから……。
「……何か、交換条件でもあるのですか?」
「さすがは母様。よく分かったわね。でも、私が望むのは、そんなに難しいことじゃないわ。これからも兄様を、どう足掻いても悪事が働けないような "お間抜けさん" に育てて欲しいだけ」
「なぜ、そんなことを……?」
私には、その条件の意味が分かりませんでした。
魔王を無害な人間に育てることは、娘に言われるまでもなく、私と勇者の望みでもあります。なぜ、わざわざそんなことを条件に持ち出すのでしょうか……。
「だって、兄様が魔王として復活してしまったら、私が新しい勇者になって、兄様を倒さなきゃいけないのでしょう?そんなの、嫌だもの」
娘の瞳は、私の胸を射抜くように鋭く、それでいてあまりにも真っ直ぐなものでした。
私ははっと気づかされました。
この娘は……そんなところまで、私に似てしまったのか、と……。
おそらく、条件自体に意味は無いのでしょう。娘の目的は、私にそれを気づかせること……。いつか万一の事態が起きた時、私を味方につけておくために……。
私は、苦笑せざるを得ませんでした。……血は争えないものです。
私も本当は、世界のことなんてどうでも良かったのです。あの人と一緒にいられさえすれば……。
「……それで、策は?」
承諾の証に問うと、娘は私の耳にそれを囁きかけてきました。
それは、驚くべき内容でした。
「魔王の片腕……?そんなものが生き残っていたのですか?あなた一人で挑むなど……無謀なことを……」
「ええ。自分の力不足は身に染みたわ。奇襲をかけたのに仕留めそこなったのだもの。だから、母様の協力を仰ぐついでに、父様と母様の仲も取り持とうと思って」
「ちゃっかりしていますね。……しかし、あなたの策はいろいろと詰めが甘いですよ」
さすがに八歳の娘の思いつきを、そのまま採用するわけにはいきません。
私は娘と一緒に策を練り直し、新たなる "勇者攻略計画" を組み立てていきました。
「……お前が、元魔王の片腕とやら、ですか」
魔物の気配はぷんぷんするものの、見た目はただの蝙蝠でしかないその生き物を、私は疑わしげに見つめました。
「 "元" ではない!吾輩は今も魔王陛下の忠実なる部下だ!」
「肩書など、どうでも良いことです。それで、お前は私たちに協力するのですか?しないのですか?」
私はその生き物に、杖を突きつけ迫りました。
「……口惜しいが、今の吾輩では貴様を倒し、陛下をお救いすることは敵わん。ならば、今は条件を呑もう。貴様らの芝居につき合えば、本当に吾輩を、魔王陛下のおそばに置いてもらえるのだな?」
「約束しましょう。私の台本に従い "演技" をしてくれるならば、お前を殺さず、あの子のそばに置いてあげます」
「それであの方が魔王の本性を取り戻したとしても、恨みっこなしだな……?」
「ええ。お前にそれができるのであれば」
私たちは、"元魔王の片腕" を自称するその魔物に、取引を持ちかけたのです。
勇者を騙すための "芝居" に協力すれば、その命を見逃すだけでなく、魔王のそばにいることさえ許す、と。
魔物は躊躇いながらも承諾しました。その魔物にとってみれば、願ってもないことのはずです。……ただし私は、魔物をそのままの姿で魔王のそばに置くとは一言も言っていません。
「血糊はこれくらいで良いでしょうか?服も多少破っておいた方が、らしく見えますね」
「……しかし、貴様も奇特なことよ。たかが男一人のために、ここまでするとは……」
芝居の "準備" に余念のない私に、魔物が呆れたように話しかけてきます。
魔物には私の魔力の一部を与え、一時的に元の姿に戻ってもらいました。
……なるほど、蝙蝠でないその魔物の本性は、確かに魔王の片腕に相応しい、恐ろしげなものでした。
「お前には分からないでしょうね……。恋する女にとって、その "男一人" が、時に世界よりも重いことが……」
魔王を倒すパーティーの一員でありながら……私は、世界を救うことに、それほど価値を見出していたわけではありませんでした。
賢者である私は、普通の人間よりも、より多くの "真実" を見抜いてしまいます。この世界の汚さ、醜さにも、常人の倍、気づいてしまいます。
この世界に、救われるほどの価値などあるのか……そんな風に思っていました。あの時、彼に出逢うまでは……。
「……さぁ、もう間も無く彼が現れます。お前は魔物らしく、唸るなり吠えるなりしていて下さい」
そう告げ、私は地に伏せました。あとは、勇者が来るのを待つだけです。
芝居の台本を入念に頭の中で確認しながら……私の胸は、甘い予感で高鳴っていました。
もうすぐ、彼が現れます。
娘の言葉が真実なら、彼は初めて、私に愛を告げてくれるはず。
そうしたら、私も言ってあげましょう。
それまでずっと胸に秘めていた、彼への想いを。今までは恐くて口にできなかった、大切な想いを。
そして、私たちはそこでやっと、本当の夫婦になれるのです。
真面目で、心優しくて、他人のことを疑わない――そんな純粋な心を持ちながら、まるで鬼神の如き、人間離れした剣の腕前を持っている……。
そのギャップに、やられてしまいました。
こんな優良物件、この世に二人といるはずがありません。
ですので、早々に決めていました。――何としても、この男を、絡め取って私のものにしてしまおうと。
その好機は、思いがけない形で訪れました。
それは、苦難の旅の末、ついに魔王と対峙し「あぁ、これを倒せば旅も終わってしまうのか」と、まだ余裕のある頭で感慨に耽っていた時のことです。
勇者が、あろうことか魔王の境遇に同情し、戦意を失ってしまったのです。
戦えないとなれば、あとは一方的に魔王に痛めつけられるだけです。
次々と襲い来る魔王の攻撃を魔法で跳ね返しながら、私は必死に考えました。
何とか勇者に再び剣を取ってもらう術を……それが無理なら、魔王を殺さずに全てを終わらせる方法を……。
私の優秀な頭脳は、すぐに答えを弾き出し……同時に、私の "勇者攻略計画" に関する素晴らしい案をも導き出しました。
すなわち、時間逆行の禁断魔法で魔王を無垢なる赤ん坊へと戻し、その "養育" を勇者に持ちかけること……。
そうすれば、彼の性格からして100%断りません。私と彼は必然的に、魔王という息子を持つ "夫婦" になれます。
そうして私の目論見通り、勇者は私の提案を受け入れました。
私と勇者は晴れて夫婦となり、赤子となった魔王と共に、勇者の故郷で新生活を始めました。
ただひとつ、誤算だったのは……勇者がこの家族計画を、世界を救うための "形だけのもの" と信じきっていたことでした……。
初めは、形だけでも夫婦となってしまえば、後はどうにでもなると思っていました。
しかし、それはあまりにも甘い見通しだったと、痛感させられました。
勇者は父親としての役目、一家の主としての役目は完璧に果たしてくれましたが……妻である私に、指一本触れようとしませんでした。
潔癖過ぎる性格ゆえか、それとも私にその種の魅力が無いということなのか……一時は真剣に後者の可能性を疑い、密かに沈んだりしたものです。
しかし、私は諦めませんでした。
実体を伴わない夫婦では、いつか魔王が手のかからない真人間に育った時、あっさり関係を解消されかねません。
それに何より……私自身が、寂しかったのです。
こんなにも近くにいるのに……それどころか夫婦だと言うのに、触れてももらえない――ぬくもりを感じられないこの距離に、私の心が飢えていました。
既成事実を作るための、その言い訳さえ、私の頭脳は瞬時に弾き出してくれました。
こんな時、賢者になっておいて良かったと、心から思います。頭脳は磨いておくものです。
――私と勇者の間に子を作り、後の魔王暴走の可能性に備え、次世代の勇者として育てる……この計画には、さすがに勇者も渋りました。
ですが、度重なる私の "説得" に、ついに彼も折れました。
そもそも勇者が私に言葉で勝てた試しは無いのです。
いざ事に臨むにあたり、私にはひとつの野望がありました。
できることなら、この行為でもって、彼の心を奪ってしまいたい、と。
好きでもない男とどうこうする趣味はありませんので、実際の経験は一切ありません。ですが、知識だけはいろいろと仕込んでいました。
これまで、この頭脳と要領の良さで、人生を上手く歩んできた自覚はあります。ですので今回も、たとえ経験が無かろうと、知識だけで何とかなるのではないかと思っていました。
ですが……そんな付焼刃の知識など、まるで役には立ちませんでした。
それどころか、そんな知識を思い出している余裕も無いほど、私は困惑し、羞恥し、恐慌状態に陥りました。
冷静さも余裕もすっかり失くした私は、まるでいつもの私らしくなく、ただ「待って」と「やめないで」を繰り返すことしかできませんでした。
思い出すだけで居た堪れなくなるほど、あの夜の私は、子どもじみていて、恥ずかしく……あれを自分だとは、思いたくありません。あんな私がいること自体、あの夜に初めて知りました。
勇者も、さぞや困り果てたことでしょう。
けれど、彼は彼らしく、どこまでも優しく私に触れてくれました。
私の涙を拭い、髪を撫で、優しく労わってくれました。
その気遣いが嬉しくて……泣いてしまうほどに、胸が痛くなりました。
結局また、私の方ばかり、余計に彼を好きになっただけでした。
こんな風に肉体を繋いでも……彼との間に子を生しても、それで心を捕らえられるわけではないのに……。
子が胎に宿るまで、幾度も行為を重ねました。
そのうちには私も慣れて、彼の反応を窺う余裕も生まれてきました。
初めの頃のことは分かりません。しかし、その頃には確実に、彼も行為を愉しんでいたはずです。
なのに……子ができたと分かった途端、彼はぱたりと行為を止めました。
胎に子がいる間だけでなく、娘が生まれ、ある程度まで成長してからも……。
何度も、それとなく「夫婦なのだから触れても良いのだ」と促しました。もう何度となく触れ合っているのですから、貞操も純潔も今さらな話です。
しかし勇者は、どこまでもストイックでした。
私には、彼が分からなくなりました。
今までのことは、全て彼の責任感と義務感によるもので……もしかしたら彼にとって、私に触れること自体、とても不本意なことだったのではないかと……そんな不安が、胸を苛みました。
そんなある日のこと、八歳になった娘が、じっと私の顔を見て、言いました。
「母様は、父様に片想いしているの?」と。
いつの間に、そんなませた口を利くようになったのでしょう。
娘の成長に感慨深くなりながら、私は答えました。
「そうです。母はあなたの父様のことを、それはそれは深く愛しているのですよ。たとえ父様が、同じくらいの深さで母を愛してはくれなかったとしても」
すると娘は、私を小馬鹿にしたように、くすりと笑いました。
「母様は賢者だったのに、お馬鹿さんなのね。父様も母様のことを、ずっと愛しているのに」
「……親を馬鹿呼ばわりするものではありませんよ。愛とは、あなたが考えているようなものばかりではないのです。母が欲しているのは、家族としての優しい愛情だけではなく、もっと烈しいものなのです」
「恋人同士の愛ってことでしょう?それくらい、私、もう知ってるもの。父様と母様は、お互いに片想いし合ってるの。それで、お互いそのことに気づいていないのよ。これって、とってもお馬鹿さんなことでしょう?」
私は驚愕する思いで娘の顔を見つめました。
娘の瞳は、かつて鏡の中に見た私自身の瞳と同じく、全てを見通すかのように冴え渡っていました。
……そうでした。この娘は、幼くとも、ただの娘ではありません。賢者の血を引く娘なのです。
「……あなたの見立ては確かなのですか?父様が母を愛しているという確証があるのですか?」
それでも、なおも慎重に、私は問いました。
「もちろんよ。だって、父様に直接訊いたもの。でも父様も、自分は母様から愛されていないって信じ込んでいるみたい。だからね、私、一肌脱いであげようかと思うの」
娘のその言葉は、純粋な厚意からの申し出ではなく、何か裏があるように感じられました。
これはきっと母子だからこそ分かる、直感のようなものです。この娘は本質的に、私と同じ種類の人間でしょうから……。
「……何か、交換条件でもあるのですか?」
「さすがは母様。よく分かったわね。でも、私が望むのは、そんなに難しいことじゃないわ。これからも兄様を、どう足掻いても悪事が働けないような "お間抜けさん" に育てて欲しいだけ」
「なぜ、そんなことを……?」
私には、その条件の意味が分かりませんでした。
魔王を無害な人間に育てることは、娘に言われるまでもなく、私と勇者の望みでもあります。なぜ、わざわざそんなことを条件に持ち出すのでしょうか……。
「だって、兄様が魔王として復活してしまったら、私が新しい勇者になって、兄様を倒さなきゃいけないのでしょう?そんなの、嫌だもの」
娘の瞳は、私の胸を射抜くように鋭く、それでいてあまりにも真っ直ぐなものでした。
私ははっと気づかされました。
この娘は……そんなところまで、私に似てしまったのか、と……。
おそらく、条件自体に意味は無いのでしょう。娘の目的は、私にそれを気づかせること……。いつか万一の事態が起きた時、私を味方につけておくために……。
私は、苦笑せざるを得ませんでした。……血は争えないものです。
私も本当は、世界のことなんてどうでも良かったのです。あの人と一緒にいられさえすれば……。
「……それで、策は?」
承諾の証に問うと、娘は私の耳にそれを囁きかけてきました。
それは、驚くべき内容でした。
「魔王の片腕……?そんなものが生き残っていたのですか?あなた一人で挑むなど……無謀なことを……」
「ええ。自分の力不足は身に染みたわ。奇襲をかけたのに仕留めそこなったのだもの。だから、母様の協力を仰ぐついでに、父様と母様の仲も取り持とうと思って」
「ちゃっかりしていますね。……しかし、あなたの策はいろいろと詰めが甘いですよ」
さすがに八歳の娘の思いつきを、そのまま採用するわけにはいきません。
私は娘と一緒に策を練り直し、新たなる "勇者攻略計画" を組み立てていきました。
「……お前が、元魔王の片腕とやら、ですか」
魔物の気配はぷんぷんするものの、見た目はただの蝙蝠でしかないその生き物を、私は疑わしげに見つめました。
「 "元" ではない!吾輩は今も魔王陛下の忠実なる部下だ!」
「肩書など、どうでも良いことです。それで、お前は私たちに協力するのですか?しないのですか?」
私はその生き物に、杖を突きつけ迫りました。
「……口惜しいが、今の吾輩では貴様を倒し、陛下をお救いすることは敵わん。ならば、今は条件を呑もう。貴様らの芝居につき合えば、本当に吾輩を、魔王陛下のおそばに置いてもらえるのだな?」
「約束しましょう。私の台本に従い "演技" をしてくれるならば、お前を殺さず、あの子のそばに置いてあげます」
「それであの方が魔王の本性を取り戻したとしても、恨みっこなしだな……?」
「ええ。お前にそれができるのであれば」
私たちは、"元魔王の片腕" を自称するその魔物に、取引を持ちかけたのです。
勇者を騙すための "芝居" に協力すれば、その命を見逃すだけでなく、魔王のそばにいることさえ許す、と。
魔物は躊躇いながらも承諾しました。その魔物にとってみれば、願ってもないことのはずです。……ただし私は、魔物をそのままの姿で魔王のそばに置くとは一言も言っていません。
「血糊はこれくらいで良いでしょうか?服も多少破っておいた方が、らしく見えますね」
「……しかし、貴様も奇特なことよ。たかが男一人のために、ここまでするとは……」
芝居の "準備" に余念のない私に、魔物が呆れたように話しかけてきます。
魔物には私の魔力の一部を与え、一時的に元の姿に戻ってもらいました。
……なるほど、蝙蝠でないその魔物の本性は、確かに魔王の片腕に相応しい、恐ろしげなものでした。
「お前には分からないでしょうね……。恋する女にとって、その "男一人" が、時に世界よりも重いことが……」
魔王を倒すパーティーの一員でありながら……私は、世界を救うことに、それほど価値を見出していたわけではありませんでした。
賢者である私は、普通の人間よりも、より多くの "真実" を見抜いてしまいます。この世界の汚さ、醜さにも、常人の倍、気づいてしまいます。
この世界に、救われるほどの価値などあるのか……そんな風に思っていました。あの時、彼に出逢うまでは……。
「……さぁ、もう間も無く彼が現れます。お前は魔物らしく、唸るなり吠えるなりしていて下さい」
そう告げ、私は地に伏せました。あとは、勇者が来るのを待つだけです。
芝居の台本を入念に頭の中で確認しながら……私の胸は、甘い予感で高鳴っていました。
もうすぐ、彼が現れます。
娘の言葉が真実なら、彼は初めて、私に愛を告げてくれるはず。
そうしたら、私も言ってあげましょう。
それまでずっと胸に秘めていた、彼への想いを。今までは恐くて口にできなかった、大切な想いを。
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<「囚われの姫は嫌なので、ちょっと暴走させてもらいます!~自作RPG転生~」の第2部ゲストキャラ・フィオレンジーヌを主人公にしたスピンオフです。この物語単体でもお楽しみいただけるようになっていますが、あくまでスピンオフのため、この物語だけでは「囚われの身」のままで終わりますし、この物語だけでは回収されない謎や伏線もあります。この作品はシリアスで三人称ですが、本編はコメディで一人称です(かなり雰囲気が違いますのでご注意ください)。なお、この作品はSSブログ「言ノ葉スクラップ・ブッキング」に重複投稿する予定です。>
勝手に召喚され捨てられた聖女さま。~よっしゃここから本当のセカンドライフの始まりだ!~
楠ノ木雫
ファンタジー
IT企業に勤めていた25歳独身彼氏無しの立花菫は、勝手に異世界に召喚され勝手に聖女として称えられた。確かにステータスには一応〈聖女〉と記されているのだが、しばらくして偽物扱いされ国を追放される。まぁ仕方ない、と森に移り住み神様の助けの元セカンドライフを満喫するのだった。だが、彼女を追いだした国はその日を境に天気が大荒れになり始めていき……
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