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3.元賢者な母

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 勇者と初めてった時、この世界にこれほど純粋ピュアな男が実在したのかと、驚嘆きょうたんしたのを覚えています。
 真面目で、心優しくて、他人のことを疑わない――そんな純粋な心を持ちながら、まるで鬼神のごとき、人間離れした剣の腕前を持っている……。
 そのギャップに、やられてしまいました。
 こんな優良物件、この世に二人といるはずがありません。
 ですので、早々そうそうに決めていました。――何としても、この男を、からめ取って私のものにしてしまおうと。
 
 その好機チャンスは、思いがけない形でおとずれました。
 それは、苦難の旅の末、ついに魔王と対峙たいじし「あぁ、これを倒せば旅も終わってしまうのか」と、まだ余裕のある頭で感慨かんがいふけっていた時のことです。
 勇者が、あろうことか魔王の境遇きょうぐうに同情し、戦意を失ってしまったのです。
 戦えないとなれば、あとは一方的に魔王に痛めつけられるだけです。
 次々とおそい来る魔王の攻撃を魔法でね返しながら、私は必死に考えました。
 何とか勇者に再び剣を取ってもらうすべを……それが無理なら、魔王を殺さずに全てを終わらせる方法を……。
 私の優秀な頭脳は、すぐに答えをはじき出し……同時に、私の "勇者攻略計画" に関する素晴らしいプランをも導き出しました。
 すなわち、時間逆行の禁断魔法で魔王を無垢むくなる赤ん坊へと戻し、その "養育" を勇者に持ちかけること……。
 そうすれば、彼の性格からして100%断りません。私と彼は必然的に、魔王という息子を持つ "夫婦" になれます。
 
 そうして私の目論見もくろみ通り、勇者は私の提案を受け入れました。
 私と勇者は晴れて夫婦となり、赤子となった魔王と共に、勇者の故郷で新生活を始めました。
 ただひとつ、誤算だったのは……勇者がこの家族計画を、世界を救うための "形だけのもの" と信じきっていたことでした……。
 
 初めは、形だけでも夫婦となってしまえば、後はどうにでもなると思っていました。
 しかし、それはあまりにも甘い見通しだったと、痛感させられました。
 勇者は父親としての役目、一家の主としての役目は完璧かんぺきに果たしてくれましたが……妻である私に、指一本触れようとしませんでした。
 潔癖けっぺき過ぎる性格ゆえか、それとも私にその種の魅力が無いということなのか……一時は真剣に後者の可能性を疑い、ひそかに沈んだりしたものです。
 
 しかし、私はあきらめませんでした。
 実体をともなわない夫婦では、いつか魔王が手のかからない真人間に育った時、あっさり関係を解消されかねません。
 それに何より……私自身が、さびしかったのです。
 こんなにも近くにいるのに……それどころか夫婦だと言うのに、触れてももらえない――ぬくもりを感じられないこの距離に、私の心が飢えていました。
 
 既成事実を作るための、その言いわけさえ、私の頭脳は瞬時に弾き出してくれました。
 こんな時、賢者になっておいて良かったと、心から思います。頭脳はみがいておくものです。
 
 ――私と勇者の間に子を作り、後の魔王暴走の可能性にそなえ、次世代の勇者として育てる……この計画には、さすがに勇者も渋りました。
 ですが、度重たびかさなる私の "説得" に、ついに彼も折れました。
 そもそも勇者が私に言葉クチで勝てた試しは無いのです。
 
 いざ事にのぞむにあたり、私にはひとつの野望がありました。
 できることなら、この行為でもって、彼の心を奪ってしまいたい、と。
 好きでもない男とどうこうする趣味はありませんので、実際の経験は一切ありません。ですが、知識だけはいろいろと仕込んでいました。
 これまで、この頭脳と要領の良さで、人生を上手く歩んできた自覚はあります。ですので今回も、たとえ経験が無かろうと、知識だけで何とかなるのではないかと思っていました。
 
 ですが……そんな付焼刃つけやきばの知識など、まるで役には立ちませんでした。
 それどころか、そんな知識を思い出している余裕も無いほど、私は困惑し、羞恥しゅうちし、恐慌きょうこう状態におちいりました。
 冷静さも余裕もすっかりくした私は、まるでいつもの私らしくなく、ただ「待って」と「やめないで」をり返すことしかできませんでした。
 思い出すだけでたまれなくなるほど、あの夜の私は、子どもじみていて、恥ずかしく……あれを自分だとは、思いたくありません。あんな私がいること自体、あの夜に初めて知りました。
 勇者も、さぞや困り果てたことでしょう。
 
 けれど、彼は彼らしく、どこまでも優しく私に触れてくれました。
 私の涙をぬぐい、髪をで、優しくいたわってくれました。
 その気遣きづかいがうれしくて……泣いてしまうほどに、胸が痛くなりました。
 結局また、私の方ばかり、余計よけいに彼を好きになっただけでした。
 こんな風に肉体をつないでも……彼との間に子をしても、それで心を捕らえられるわけではないのに……。
 
 子がはらに宿るまで、幾度も行為を重ねました。
 そのうちには私も慣れて、彼の反応をうかがう余裕も生まれてきました。
 初めの頃のことは分かりません。しかし、その頃には確実に、彼も行為をたのしんでいたはずです。
 なのに……子ができたと分かった途端とたん、彼はぱたりと行為をめました。
 胎に子がいる間だけでなく、娘が生まれ、ある程度ていどまで成長してからも……。
 何度も、それとなく「夫婦なのだから触れても良いのだ」とうながしました。もう何度となく触れ合っているのですから、貞操ていそう純潔じゅんけつも今さらな話です。
 しかし勇者は、どこまでもストイックでした。
 
 私には、彼が分からなくなりました。
 今までのことは、全て彼の責任感と義務感によるもので……もしかしたら彼にとって、私に触れること自体、とても不本意なことだったのではないかと……そんな不安が、胸をさいなみました。
 
 そんなある日のこと、八歳になった娘が、じっと私の顔を見て、言いました。
「母様は、父様に片想いしているの?」と。
 いつの間に、そんなませた口をくようになったのでしょう。
 娘の成長に感慨深くなりながら、私は答えました。
「そうです。母はあなたの父様のことを、それはそれは深く愛しているのですよ。たとえ父様が、同じくらいの深さで母を愛してはくれなかったとしても」
 すると娘は、私を小馬鹿にしたように、くすりと笑いました。
「母様は賢者だったのに、お馬鹿さんなのね。父様も母様のことを、ずっと愛しているのに」
「……親を馬鹿呼ばわりするものではありませんよ。愛とは、あなたが考えているようなものばかりではないのです。母が欲しているのは、家族としての優しい愛情だけではなく、もっとはげしいものなのです」
「恋人同士の愛ってことでしょう?それくらい、私、もう知ってるもの。父様と母様は、お互いに片想いし合ってるの。それで、お互いそのことに気づいていないのよ。これって、とってもお馬鹿さんなことでしょう?」
 私は驚愕きょうがくする思いで娘の顔を見つめました。
 娘の瞳は、かつて鏡の中に見た私自身の瞳と同じく、全てを見通すかのように冴え渡っていました。
 ……そうでした。この娘は、幼くとも、ただの娘ではありません。賢者わたしの血を引く娘なのです。
「……あなたの見立ては確かなのですか?父様が母を愛しているという確証があるのですか?」
 それでも、なおも慎重しんちょうに、私は問いました。
「もちろんよ。だって、父様に直接いたもの。でも父様も、自分は母様から愛されていないって信じ込んでいるみたい。だからね、私、一肌脱いであげようかと思うの」
 娘のその言葉は、純粋な厚意こういからの申し出ではなく、何か裏があるように感じられました。
 これはきっと母子だからこそ分かる、直感のようなものです。この娘は本質的に、私と同じ種類の人間でしょうから……。
「……何か、交換条件でもあるのですか?」
「さすがは母様。よく分かったわね。でも、私が望むのは、そんなに難しいことじゃないわ。これからも・・・・・兄様を、どう足掻あがいても悪事が働けないような "お間抜まぬけさん" に育てて欲しいだけ」
「なぜ、そんなことを……?」
 私には、その条件の意味が分かりませんでした。
 魔王を無害な人間に育てることは、娘に言われるまでもなく、私と勇者の望みでもあります。なぜ、わざわざそんなことを条件に持ち出すのでしょうか……。
「だって、兄様が魔王として復活してしまったら、私が新しい勇者になって、兄様を倒さなきゃいけないのでしょう?そんなの、嫌だもの」
 娘の瞳は、私の胸を射抜いぬくように鋭く、それでいてあまりにも真っぐなものでした。
 私ははっと気づかされました。
 この娘は……そんなところまで、私に似てしまったのか、と……。
 おそらく、条件自体に意味は無いのでしょう。娘の目的は、私にそれ・・を気づかせること……。いつか万一の事態が起きた時、私を味方につけておくために……。
 私は、苦笑せざるをませんでした。……血は争えないものです。
 私も本当は、世界のことなんてどうでも良かったのです。あの人と一緒にいられさえすれば……。
「……それで、策は?」
 承諾しょうだくの証に問うと、娘は私の耳にそれをささやきかけてきました。
 それは、驚くべき内容でした。
「魔王の片腕……?そんなものが生き残っていたのですか?あなた一人でいどむなど……無謀むぼうなことを……」
「ええ。自分の力不足は身にみたわ。奇襲きしゅうをかけたのに仕留しとめそこなったのだもの。だから、母様の協力をあおぐついでに、父様と母様の仲も取り持とうと思って」
「ちゃっかりしていますね。……しかし、あなたの策はいろいろとめが甘いですよ」
 さすがに八歳の娘の思いつきを、そのまま採用するわけにはいきません。
 私は娘と一緒に策を練り直し、新たなる "勇者攻略計画" を組み立てていきました。
 
「……お前が、元魔王の片腕とやら、ですか」
 魔物の気配はぷんぷんするものの、見た目はただの蝙蝠こうもりでしかないその生き物を、私は疑わしげに見つめました。
「 "元" ではない!吾輩わがはいは今も魔王陛下の忠実なる部下だ!」
「肩書など、どうでも良いことです。それで、お前は私たちに協力するのですか?しないのですか?」
 私はその生き物に、杖をきつけせまりました。
「……口惜くちおしいが、今の吾輩では貴様を倒し、陛下をお救いすることはかなわん。ならば、今は条件をもう。貴様らの芝居しばいにつき合えば、本当に吾輩を、魔王陛下のおそばに置いてもらえるのだな?」
「約束しましょう。私の台本に従い "演技" をしてくれるならば、お前を殺さず、あの子のそばに置いてあげます」
「それであの方が魔王の本性を取り戻したとしても、うらみっこなしだな……?」
「ええ。お前にそれができる・・・・・・のであれば」
 私たちは、"元魔王の片腕" を自称するその魔物に、取引を持ちかけたのです。
 勇者をだますための "芝居" に協力すれば、その命を見逃すだけでなく、魔王のそばにいることさえ許す、と。
 魔物は躊躇ためらいながらも承諾しょうだくしました。その魔物にとってみれば、願ってもないことのはずです。……ただし私は、魔物をそのままの姿で・・・・・・・魔王のそばに置くとは一言も言っていません。
 
血糊ちのりはこれくらいで良いでしょうか?服も多少破っておいた方が、らしく見えますね」
「……しかし、貴様も奇特なことよ。たかが男一人のために、ここまでするとは……」
 芝居の "準備" に余念のない私に、魔物があきれたように話しかけてきます。
 魔物には私の魔力の一部を与え、一時的に元の姿に戻ってもらいました。
 ……なるほど、蝙蝠こうもりでないその魔物の本性は、確かに魔王の片腕に相応ふさわしい、恐ろしげなものでした。
「お前には分からないでしょうね……。恋する女にとって、その "男一人" が、時に世界よりも重いことが……」
 魔王を倒すパーティーの一員でありながら……私は、世界を救うことに、それほど価値を見出していたわけではありませんでした。
 賢者である私は、普通の人間よりも、より多くの "真実" を見抜いてしまいます。この世界の汚さ、みにくさにも、常人の倍、気づいてしまいます。
 この世界に、救われるほどの価値などあるのか……そんな風に思っていました。あの時、彼に出逢うまでは……。
「……さぁ、もうも無く彼が現れます。お前は魔物らしく、うなるなりえるなりしていて下さい」
 そう告げ、私は地にせました。あとは、勇者が来るのを待つだけです。
 芝居の台本を入念に頭の中で確認しながら……私の胸は、甘い予感で高鳴っていました。
 
 もうすぐ、彼が現れます。
 娘の言葉が真実なら、彼は初めて、私に愛を告げてくれるはず。
 そうしたら、私も言ってあげましょう。
 それまでずっと胸に秘めていた、彼への想いを。今までは恐くて口にできなかった、大切な想いを。
 
 そして、私たちはそこでやっと、本当の夫婦になれるのです。
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