偃月相見

桂葉

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七章

天佑

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 風が眩しく、しかしキンと冷たい朝だった。冬の到来を思わせる冷え込みだが、今日は霧も立たず、清々しい。重陽の節句も終わり、これからすこしずつ日の出の時間も遅くなってくる季節だ。
 いつもよりも少し早く目覚めた天佑は、薄着にも構わず庭に出て大きく息を吸った。
「なるほどなあ」
 そう独り言が漏れたのは、昨日の出来事について、ずっとあれから考えていたからだ。
ああなるつもりがあったわけでは決してなかったのだが、結果、皇太子殿下にお見知り置きいただくことになった。俊宇が許さねばもちろんあの場に自分も駆けつけることはなかったが、大事とも思わなれかったか許されたので、拝謁が叶ったわけである。俊宇の気苦労の種であり、未来のこの国を担うその人に興味がなかったはずもなく、とっさについていくと言ってしまったのは、結果としてよかったのかどうか。
確かに、気難しいところもある御子なのだろう。しかし、俊宇が見込んでいるだけあって、芯の強さと負けん気、そして素直さが見受けられた。人を見極める目も持っている。決して虚けと呼ばれていい人間の目つきではなかった。
 正直、ああいった子に信用されるのは、実に難しいことだ。警戒心が強いせいでなかなか心を開いてくれないし、その心の壁が更に軋轢を生みだしたりするものだから、拗れることも多い。天佑も生徒相手に経験したことがある。
 だが、自分は受け入れられた。あの甘ったれに物申さずにおれなかった天佑の、心からの憤りや彼を正したい願いを、受け止めてくれた。そのことには嬉しさがあった。
 ならば自分にできる範囲で、少しは関わってもよいのだろうか。
 会いに行くなども、大人のあてにならない口約束として避けてしまうこともできるだろうが、しかしあの殿下にはそれはしてはならない。殿下をそのように扱っては、ひいてはその侍従にも不誠実ということにもなる。
といっても、あの一件で帝や皇后のお怒りを買ってしまっていたならば、もう二度と宮中への出入りを禁じられてしまうのであろうが。
 それもまた、天の采配に身を任せよう。天佑は、そう考えを締めくくった。
 せっかく早起きをしたのだから、すこし散歩でもしてこようかと門扉に手をかける。万隆に声をかけた方がよさそうだが、面倒だ、彼が起きる頃に戻ればよいと思った。
 そこでコンコンと向こうから戸を叩かれ、かなり驚いた。
「朝早くにすまぬ。汪黎はいるだろうか」
 なんとなく予想はしていたが、その声は俊宇だ。見事申し合わせたような呼吸だったのには笑ってしまった。
 今開けると返したのだが、天佑の声があまりにも近かったせいか、扉の向こうでもまた驚いた気配があった。
 ぎいと軋む音をたてて扉を開くと、少しきまり悪げな友の顔がある。
「何用だ? 早朝から騒がしいな。罰でも与えに来たのか?」
 昨日会ったばかりなのに、またずいぶんと早い時間の訪問に、何かあるのだとは思った。それを踏んでの一言だった。天佑の方にはそれくらいしか可能性を考えることができないのだ。
「何故罰なんだ」
「どうせ私は不敬罪だろうが。殿下を怒鳴りつけたのだからな」
 で、まさかそうではあるまいな?と本来の目的を聞きたかったのだが、俊宇はすっと天佑の瞳を見、
「その逆だ。覚悟しておけ」
と、急に真剣な顔になった。
「どういうことだ?」
 向けられた視線が熱いような気がして、天佑は戸惑う。何かの予感は、しかし明確には正体を明かさず。ただ俊宇がじっと見つめてくる眼差しから、逃げられないでいた。
「どうした?」
 このように見つめてられては、どうも落ち着かない。何事も遠慮なく話す仲になったはずなのに、これは少し、勝手が違う。
「いや…」
 天佑の動揺にようやく気が付いたか、俊宇はふっと一度視線を逸らした。そしてまた向き合った時には、いつもの目だった。
「そなた、結構早起きだな」
「たまたま目が覚めただけだ。虫が知らせたかな」
「話をしに来た。場合によっては今日の学問所は、できぬやもしれぬ」
「なんだなんだ、本当に厳罰なのか。困ったな」
「さほど困らずに言うな。すまぬが、これがそなたの邪魔をする最後になる。勝手を許してくれぬか」
 もう何度勝手をされたことか、とは言い返せなかった。そういう冗談が言える雰囲気でないことが感じ取れたからだ。
「よかろう。今万隆に伝えてくるゆえ、そなたは入って私の部屋で待て」
「かたじけない」
 俊宇を招き入れ、再び門を閉める。
 邸に向かう天佑の一方後ろをついて来る俊宇は、言葉を発しなかった。天佑はそろそろ起きてきそうな万隆の部屋へ向かう。別れて俊宇は天佑の部屋へと足を向けた。
 いったい、何の話なのか。
 胸が騒ぐが、昨日の件に関わることだとしか考えられない。しかも、一日拘束されねばならぬかもしれない話とは。やはり城に連れられお咎めを受けるのだろうか。それもありうる言動だったのだから仕方のないことだ。あの俊宇の神妙な様子は、その罰を下さねばならぬ立場ゆえの呵責なのであろうか。
「万隆、起きておるか?」
 貸している部屋の前で声をかけると、中からはすぐに声かがえった。
「はい。着替えておりますので、いま暫く」
「や、そのまま聞いてくれればよい。すまぬが、今日の学問所は休みにしたい。今伊宇が来て、どうも長い話をしたいようでな。私の部屋には入らぬことと、生徒たちへの対応を頼みたいのだ」
「……なにか、一大事でも?」
「あやつのやることは予測がつかぬ。話を聞いてみねばわからぬよ」
 毎度毎度、驚かされる。思い返しながら苦笑すると、キイと戸が開いて、几帳面にきっちりと身なりを整えた万隆が顔を出した。
「老師様……。大丈夫ですか?」
 昨日の一件を万隆には話していないのだが、何かを察した彼は、ひどく心もとなげに俯いた。
「どうにかなるさ。案ずるでない。学問所のことは任せたぞ」
「承知しました」
「すまぬが朝餉だけ二人分運んでくれるか。その後は、我らには構わずともよい」
「はい。すぐにご用意します」
「うん」
 万隆には無用に心配をかけたかもしれないが、仕方がない。まだ天佑にも話の内容はわからないし、どうも厄介な気配がする。天佑の陰ではなかなか引っ込み思案なところのある万隆だが、一人で任せれば案外しっかり者だということも知っているし、問題はないだろう。
 覚悟を決めて、天佑は俊宇の待つ部屋へと向かった。
 戸を開け、いつもの砕けた雰囲気でない俊宇に天佑も気を引き締める。彼がこちらを向かないうち、天佑は少しだけそのまま、俊宇を眺めた。
 窓の外を眺める彼は、初めて会った時のような、お堅い肩書通りの俊宇だ。昨日見た彼もやはり、そうであった。ここに来れば打ち解け、笑って憎まれ口も言い合い、子らにも親しまれる彼だが、それは彼の一部でしかなく。彼の主たる姿は、皇太子付き侍従なのだ。天佑が近づけるような相手ではない。そのことを、今天佑は噛み締めている。
 端正な横顔に、強い眼差し。毅然とした態度と責任感、柔軟な思考、そして深い情を持ち合わせた、ずいぶんとできすぎた男だ。だから苦労が絶えぬ。しかもそれを憂うことはあっても自分のものだと心得て、当然のように大事に抱え込む。
 少しくらい、息を抜いてもいいのに。とは、慎ましくも気楽に生きてきた天佑だから思えるのだろうか。それとも、いつの間にか天佑の胸に生まれ、彼と関わるごとに重さを増してきた俊宇への情が、敢えてそう思わせるのか。
 コツ、とわざと足音を立て、俊宇に気づかせてから部屋の戸を閉めた。
 起きた時に開け放していた窓は、風を避けるため再び閉めた。開けておいて、二人の話が外に漏れるのもあまりよくないのだろう。
 囲炉裏の火を起こして湯を沸かし、茶が入る頃には、万隆が朝餉を持ってきた。いつも手際のよいことだ。
 それまでは二人はさほど言葉を交わさず、菜の塩漬けをあしらった粥もそのままで食べ終わった。
 二人が匙を置き、それをまた万隆が下げ終わってからやっと、まずは天佑から口を開く。
「毎度毎度そなたには驚かされるわけだが、今日は何だ? こちらのことは万隆に采配させるから気にせずともよいぞ」
 勝手を言う最後、と先に前置きされたからには、それなりの話なのだろう。ただ聞いているだけでは終わらぬということだ。腰を据えて向き合わねばならない気がする。
「急なことで悪かったな。しかし驚かされるのはこっちだ」
「そうか? 私はそなたほど突飛な行動はせぬぞ」
「どの口が言うか」
「昨日のことか?」
「最たるがそれだな」
「で?」
 そろそろ本題をと促すと、俊宇はすっと椅子から立ち上がり、天佑の横に立った。
「おい、どうした」
 妙にかしこまった立ち振る舞いにぎょっとしていると、俊宇は更に予想外の行動に出た。天佑に向かって、作法の手本となるような美しい所作で、礼をとったのだ。
「伊宇? なんの真似だ」
 突飛で奇妙で不相応な友の態度に驚いて、天佑もまた立ち上がりかけたが、それは制された。
「よく聞け」
「……うむ」
「尹俊宇、今上陛下より直々の命を汪天佑に申し伝える。そなたを皇太子殿下の師範として取り立てる。謹んで拝命せよ」
 そう言い切り、俊宇は礼のままで天佑を見た。天佑の友ではない、公人としての俊宇で。
「……。……。……。」
 その意味が分からなかったのでは決してない。驚いたというよりは、今日俊宇が戸をたたいた時から心のどこかで微かに予想が生まれてはいて、しかしありえぬといって見ぬふりをしていた、それが現実として目の前に躍り出たことに面食らったのである。
 弁は立つ方だと自負する天佑から、言葉を奪う衝撃があった。
 ここは本来なら、即座に平伏して承諾を伝えるべき場面だ。なにせ勅命、それ以上に尊いものはこの場に存在しない。その命を崇め、賜った己が名誉に感謝の意を示さねばならない。命を託された俊宇も、皇太子侍従というとんでもない立場の人間で、それが直々に天佑に伝えに来たのだ。椅子に腰かけている場合ではないのだ。しかし。
「……本気か?」
 もはや不敬を極めた反応になった。もちろん、ここには二人しかおらず、目の前の使者が己が知己だからギリギリ許されたようなものだ。
 天佑の反応はさすがに読んでいたか、俊宇は冷静だ。直ちに観念して拝命しろとは言わない。
「これが冗談ならかなり質が悪いぞ。私が重罪だ。首が飛ぶ」
 重ねていた手を解き、俊宇が苦く笑う。
「だな。しかし……。なんとまあ」
「やはり、気は進まぬだろうな。言いたくはなかったのだぞ。言うしかないがな」
「そこは察する。私が素直に拝命するとは思わぬだろうしな」
「そなたはな」
 呆れたように言われ、こんな自分が型破りなことくらいは自覚した。
 だが、そんな天佑をわかって、身分差という圧で有無を言わせぬような真似をせぬ、この友がありがたかった。今日話す時間を作らせたのは、天佑への気遣いなのだ。納得するまでとことん話すつもりでいるのだろう。無理強いはしたくないと言って。
 その思いが、しかし切ないような気もした。いっそ勅命だといって強引に突き付けられた方が、楽だ。俊宇のせいにして、不都合を恨む余地ができる。しかし、こう来られては。
 困ったものだ。本当に、天佑という人間を、憎たらしいほどに周知している。
「……せっかく時間をとったのだ。理由を聞いてもよいか? 陛下がまたどうして私などを召される気におなりになったのか。少なくとも、昨日の件をそなた、奏上しておらぬな?」
 まあ座れと仕草で椅子をすすめると、俊宇もまた席に戻った。
 そして侮れぬ知己の声になって、「阿呆だな」と一度憎まれ口を寄超してくる。
「逆だと言ったろう。昨日のそなたの行いを、陛下がお気に召したんだ」
「は?」
「気に入った、と笑って仰せになった」
「私についての説明は?」
「もちろん差し上げた」
 それには暫く考え込まれたが、それでもと陛下は仰せになったのだそうだ。この場合、一番の変わり者は今上陛下なのでは?と、つい口を滑らせそうだったがなんとか留まった。
「不祥事を起こした男の息子などを参内させてよいものなのか? こんどは私が何かやらかすやもしれんぞ」
「そなたはそのような男ではない」
「まさか宦官にでもさせられるのだろうか」
「公主付きならいざ知らず、それはない。さすがに、私も責任を感じるしな」
「まあ、嫁もないから支障はないが、正直嫌だな」
「男なら誰でもそうだ。私だって御免被る」
 冗談にならぬ下世話な話に少し笑い、一瞬の現実逃避から戻って一つため息が出る。
「殿下がそなたをお気に召しただろう? それに加え、自慢するわけではないが、私の友なら間違いないとの仰せだ。そなたの父君の件以外に、なんの問題もないのさ。それとて、そなた自身には関りのないことだ」
「なるほどな。陛下がそういったことに目を瞑って下さるというのだな?」
「そういうお方だ」
「そなたが長年お仕えする天子様は、心が広くていらっしゃる」
「どういう意味だ?」
「遠回しにそなたを褒めておる。左様な主に重用されるだけの男なのだなと」
「毎度遠すぎるぞ」
「素直でなくてすまぬな」
 俊宇の、褒めても得意にならずに受け止めるところも、天佑は気に入っている。本来なら天佑など対等に接することのないような立場にありながら、拘らない目線で物事を見るところもだ。
 そんな俊宇が自分を信頼してこういった話をしてくるのだ。顔を立ててやりたい気持ちはもちろんある。拒みたいのは自分の小ささがさせるのだということも分かっている。
それでもと、勅命さえ下ったならば、もう腹をくくるしかないだろうか。
 知己をあまり煩わせるのも気が引ける。どういった言葉で承ろうかと、そんなことに考えを巡らせていた天佑に、また俊宇が強いまなざしを送ってくる。
「殿下のことは、どうだ」
 そう言いながら、どこかその目が近いような気がした。
「お可愛らしい御子だな。嫌いではない」
「引き受けてくれる気にはならぬか?」
「勅命を払いのけるわけにはいくまい」
「そうか」
 勅命だからだと言ったせいか、ようやく承諾の意を口にしたのに、俊宇の声は明るくならない。
 やはり、それではいけないのだろうか。快く受けてやろうと改めて言葉を用意した天佑よりも先に、俊宇が言った。
「ならばもう一つ、これは陛下にも殿下にも関わらぬが、条件がある」
「なんだ、仰々しいな」
 汪黎、と改めて名を呼ばれた時、明らかにいつもの俊宇とは違う空気を感じとった。
 これは、何なのだろう。
 重いような、熱の高いような、胸に詰まるような、奇妙な空気だ。ただ見られているだけなのに、例えば腕を掴まれているような、囚われたような、窮屈さにも似た感覚で、動けなくなる。
「汪黎」
「ん? どうした? 言えばよい。何でも聞いてやるから」
「うまくは、言えぬ」
 そう呟くように言った後、俊宇の手がこちらに伸びた。骨ばった大きな手だ。
 小さめの卓は、左程二人の障りにはならなかった。伸ばされた手が来いと招いたような気がしたから、少しだけ身を乗り出した。そうすることで、俊宇の手はあっさりと天佑の頬に触れることができた。
 手慣れているわけでもない天佑にも、この流れで次に何が起きるかがまったくわからぬわけではなくて。しかし逃げることも止めることもできずに天佑は、近づいてくる俊宇の男らしい美貌を見ながら、最後に瞼を伏せた。
 やわらかく、ただ触れ合わせるだけのひと時は、緩やかに過ぎて。頬を包んだ手と共に、俊宇の唇は離れた。
 息をつくと同時に、すとんと俊宇が椅子に腰を下ろす。
 二人を取り巻く空気が変わり、急に気恥ずかしくなる。速まってしまった鼓動を抑えることができず、天佑はそれをごまかすように、言った。
「なんだ、そなた私に惚れておったのか」
「揶揄うな」
 憮然とした俊宇も、これはよほどきまりが悪いのだろう。もしかすると、口づけが成功するとは思っていなかったのかもしれない。
 不思議に拒む気にはなれず、受け入れた。まだ唇に残る感触は柔く、そして甘い。
 まさか俊宇とこのようなことになるのは、なんとも奇妙な感覚だ。
「まあ、動揺はしたのだ。察してくれ」
「すまん。つい、先に手が出た」
 言ってから、俊宇は耳まで顔を赤く染めた。色恋などにはとんと興味のなさそうな男が衝動的にこういった行為に及ぶと、結果こうなるらしい。なかなかにかわいげがある。
「そなた私をどうしたいのだ? まさか、傍に置きたいがために陛下に私を勧めたなどということはないだろうな」
「阿呆。その逆だ。惚れているからこそ、そなたに無理はさせたくない。だが、そなたなら殿下のお役に立てるのではないかとは、思うのだ。だから悩んでおる」
「つまらぬ男だな。なれば受けられぬ」
「は? 勅命だぞ?」
「打ち首にでもせよ。昨日の一件で私は覚悟した」
「汪黎!」
「ん?」
 別に、俊宇をいじめて困らせるつもりもないし、本気で勅命を蹴るつもりでもない。しかし天佑は思ったのだ。こちらにも意地というものがある。
 知己と思っていた男に惚れられていて、それの手元に置かれるというのはどうなのだ。こちらの生活を白紙にし、彼の庇護下とでもいうような環境に身を置く。それでは本当に、俊宇に嫁ぐみたいではないか?
 こちらから望んだわけでもないのにと、言ってはいけないだろうか。それが勅命なのだからと、それだけの理由で片づけられたくないのだ。
「建前は好かぬ。改めて申せ。そなたは私をどうしたい」
 さあ、この私を口説き落としてみせよ。半端な心では許さぬ。今はただの一人の尹俊宇として、私への誠意を語れと。それができるならば、頷いてやる。
 だから、頷かせてみよと。そう言いたくて天佑は、敢えて俊宇からの言葉を待った。
 俊宇がその思いを汲んだのならば、天佑の求める言葉になるはずだった。
「恥を忍んで言おう。私はもちろんそなたを傍に置きたい。そなたならばと思うのも本心だ。私なら、そなたが宮中で風当たりがきつくても職権で助けてやれる。存分に殿下のお力になって差し上げてほしい。欲深いことだがそれで万事解決ではないかと思う」
 俊宇が、改めて向き合い、頼み込むように言った。
 選ばれた言葉だったのだろう。確かに誠実ではあった。しかし、である。天佑の心が納得するにはまだ十分ではなかった。
「なるほど。だがもう一声足りぬなあ」
「何を言わせたい」
「わからぬか?」
 まあ、もう心は決まっているわけなのだが。勅命はともかく、知己の知己に留まらぬ想いは、簡単には受けてやれぬではないか。これでも自分も男なのだからして、女と同じように、告白すれば喜んで靡くなどという話ではないのだ。
 天佑が俊宇を試していることは伝わっているようだった。彼は一度硬く口を噤み、ぐっと何かを飲み込んでから、再び口を開いた。
「……殿下のことがなくとも、私はそなたを手に入れたい。そなたでならねばならぬのは、私だ」
 重く、今度は胸の真ん中に届いた。そう。聞きたかったのはその心だった。
 熱いものが胸に満ちる。腹が立つほどに、その言葉が嬉しく思えて。しかしそれは言えなくて、頷く。
「よく言った。合格だ。お役目、謹んで頂戴いたそう」
「そうか。引き受けてくれるか!」
「ただし……」
「なんだ」
「一つ飲んでほしい。そなたにだ」
「なんだ。別に嫌なら無体はせぬぞ」
 無体。ああ、そう。無体に分類されることもやはり望んでいるということか。
 男が惚れるというのはそういうことだが、真面目な話の途中に生々しい話はしないでほしいものだ。さすがにまだ心の準備ができていない。
「阿呆め。そうではない。……そなたが」
 こほん、と咳払いがわざとらしくなった。
 ああ、こういうことを男相手に云うのはかなり恥ずかしい。が、まあこれは初めに言っておかねばならぬ最低限の条件だと思うのだ。
「生涯独り身でおることだ」
 言ってみて、やはり少しの後悔があった。俊宇が素直に喜んだ。
「……そなただけにせよと言うことか? かわいいことを言うものだな」
「煩い」
「よいぞ。もとよりそのつもりだ。そなたより美しく私好みの女などおるまいよ」
「とは言うがな。宮廷人というのはすぐに権力の意のままになって、信用がならん。だから誓え。私以外は許さぬ」
「誓う。しかし、もし破れば?」
「一物を切り落として宦官にしてやる」
「よせ。冗談にならぬ」
「それくらいの気概を見せよ。私を妻としたいならな」
 これもどうかと、天佑は思った。「妻」。男なのに、妻?
 しかし、この場合に一言で立ち位置を言い表す術が他に見つからなかった。俊宇の想いを受け入れるならば、どうせ天佑が組み敷かれることになる。
「妻でよいのか?」
 白々しくも、俊宇は問うてきた。逆など考えてもおらぬくせに。これはなけなしの気遣いか?
「私にそなたをどうこうできるとは思っておらぬ」
「一線を越える覚悟もあるのか?」
「そなたの強引さは身に染みておる。もう好きにせよ」
「そなたに心がないのに無理強いはしたくないが」
 が、望んではいる。そういうことだな。
 それも当然といえば当然だ。それごと受け入れねばならないのは、仕方がないので了承した。
「……気が向けば応じてやる」
「そうか」
 簡単に落とされすぎだ。天佑は自分にそう毒づいた。
 そういえば、出会って以降俊宇の強引さに抵抗できたためしがない。次は何だ、何を持ってくるのだと思っているうちに、いつの間にか生涯の契りまで約束させられてしまったらしい。
「はは。やってられぬな」
 吹っ切れたような可笑しさが込み上げて、天佑は堪えずに笑うことにした。
「どうした」
「そなた、誠に面白い男だな」
 この天佑、けっこうな頑固者だと自分では思っていたのだが。俊宇を相手にすると、なかなか我を通せない。それも、意に染まず無理やりという気分ではなく、せいぜい「仕方がないな」程度で納得させられるのだから、困ったものである。
「そなた程でもないと思うがな」
 少し拗ねた俊宇を、天佑はかるく睨んだ。
「負けてはおらぬ」
 こういうのは、お互い様だ。類は友を呼ぶそうだが、互いがそうであるからこそ、惹かれたのだろう。
 理由が何であれ、天佑には俊宇が、俊宇には天佑がちょうどよいということだ。共にあってどう収まるかは、成り行きに身を任せればよいと、天佑は思った。


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